第9話 ヴンダール迷宮 第1層 ①

「私は反対! 絶対に! 反対だからね!」


 騒ぎ立てるニーナを、ダルムントと二人で何とか宥めながら、新生『馬の骨』パーティーの初陣が始まった。


「俺はいいと思うぞ、やはりパーティーは魔術師がおらんと始まらん! なあ、リーダー!」


 ダルムントはニーナに反して上機嫌だった。その理由はなんとなく想像がつく。


「ああ、これでようやく前衛の仕事に集中できる。今まで負担を掛けて悪かったな、ダルムント」


 おれは横を歩くダルムントのケツを叩いた。たまにはおれから叩いたっていいだろ? そんなおれの表情から何を読み取ったのか、ダルムントがふふんっと鼻で笑って、おれのケツを思いっきり叩き返してきた。


「別に俺のことなぞ構わん。それよりも、こうやって4人で迷宮を進んでいると、アイラが居たころに戻れたみたいで、心が躍るもんだな! なかなか悪くないぞ!」


 ダルムントは大きな口をあけて笑ったあと、くるりと女のほうを振り返った。


「しかしながら、名前も覚えてないというのは不便なもんだ。何かいい呼び名は無いのか?」


「えっと、どうしましょう……自分で名づけたほうがいいでしょうか?」


 女は困ったようにおれを見た。なんだ? おれが名前を決めていいってことか?


「別に何でもいいんじゃないの? 魔術師なんてみんな偽名みたいなもんでしょ?」


 ニーナが吐き捨てるように言った。確かに魔術師は己の功績に箔をつけるため、尊大な名を名乗ることもあるが……自己紹介のときから始まったニーナの苛立ちは、最低でも今日一日中は治まりそうになかった。


「カレンシア……」おれは言った。


「む? カレン……シア? 何か聞き覚えのある響きだな」


「ああ、ジルダリア南部にそういう土地がある。アルヴニアの大森林に面した肥沃な地方なんだが」


「思い出した! ジルダリア王国の穀物庫だな」


「そのとおり」


 おれは指を鳴らしてダルムントの胸を小突いた。


「彼女の髪、カレンシア地方で取れる、麦穂みたいな色してる」


「なるほど、そうか、そういうことか……いいじゃないか! カレンシア! 美しい響きだ、ぴったりの名前だな」


 ダルムントは何度か、カレンシア……カレンシア……と確認するように呟くと、うん! と満足したように頷き、歩みを再開した。その陰でニーナが眉をひくひく痙攣させる。


「それでいいか?」


 おれは一応確認してみたが、彼女の、いや、カレンシアの表情を見れば、答えは一目瞭然だった。


「はい! ありがとうございます。なんか、変な言い方ですけど、人に名前をつけてもらえるって、照れるというか、嬉しいものですね!」


 カレンシアは照れくさそうに、髪を指先で弄りながら続けた。


「では、改めまして、皆さんよろしくお願いします。私は、今日からカレンシアです!」


「はいはい、よろしくね。気が済んだらさっさと歩く、先はまだまだ長いんだからね」


 相変わらずニーナはぷんぷんしていたが、隊列の間隔を気にしているあたり、一応、仲間として面倒みてやってもいいという気持ちは、少しくらいあるのかもしれない。


「大先輩がご立腹だ。歩きながら話そう」


 おれはカレンシアの隣に並んで言った。それを見たダルムントが気を利かせて、隊列の先頭に躍り出てくれた。ニヤリと口角を上げて、おれは話を続ける。


「さっきも言ったが、おれたちはこれから、3日間ほど迷宮を探索する。道中で記憶が蘇ったり、何か質問したいことがあれば、遠慮なく尋ねてくれ」


「わかりました。ありがとうございます」


 柔らかい毛先を揺らしながら頷いた後、早速なにか思いついたのか、カレンシアがそういえば、と前置きして続けた。


「このヴンダール迷宮っていうのは、どういう施設なんですか? 危ない場所だとギルドの方々はおっしゃってたのですが」


 いきなり答え辛い質問だった。真面目に答えるなら話は長くなる上に、その半分くらいは推測や仮説を前提にした、真偽の明らかではない内容になってしまう。

 はっきりいって、おれはそんな話をするために隣に並んだわけじゃなかった。おれがしたかったのは、好みの男はどういうタイプだとか、今日身に着けている下着の種類とか、そういう実用的な類の会話だ。


「世界に点在する〝遺跡〟のひとつだ、それ以外のことはおれもわからん」


「遺跡ってなんですか?」


 目を輝かせるカレンシアに、おれは肩をすくめた。最低限の回答でお茶を濁すつもりだったが、カレンシアの好奇心をくすぐっただけになったらしい。


「遺跡ってのは、エゲル紀に神々によって作られた施設だと言われている。用途は不明な上、危険極まりないが……そのぶん実入りもでかい」


 そもそも〝遺跡〟ってのはわかってないことが多すぎるんだ。誰が何のために作ったのかはもちろんのこと、内部の構造力学、はたまた生態系に至るまで、何一つとして解き明かされていないってのは、はたして研究者たちの怠慢なのか。それとも神々の悪戯か。


 しかしそんな中にあっても、ヴンダール迷宮の第1層はまだ、人が想像しうる洞穴の範疇にあった。周囲はゴツゴツした土壁に囲まれており、ところどころ坑木が天井を支えている。ここだけ見ると、まるでどっかの坑道跡だ。

 もちろんこんな場所で襲い来る危険も、予想の範疇を超えることは滅多にない。たとえその予想図を描いたのが、初めてヴンダール迷宮に挑む、夢と希望に満ちた初心者パーティー(通称ビギナー)だったとしてもな。


「その割に、なんだかみなさん、気楽……というか、楽しそうに見えますけど」


 カレンシアが、たった今通り過ぎたビギナーの一団を、目で追いながら言った。

 装備は全員貸出品で、人数は10人ほどだった。曲がり角から飛び出してきた巨大ネズミを追いかけて、寄ってたかってたこ殴りにした後、大きな歓声と共に勝どきを上げていた。笑える。


「ああ、第1層は、素人でも探索可能なほど安全なんだ。どの時間帯でも探索者でごった返してるから誰かが助けてくれるし、出てくる魔物も、そこらの犬猫に毛が生えた程度だ。ここで命を落とすような奴なら、ほっといても街中の植込みあたりに躓いて、そのうち勝手に死んでるはずだ」


「それを聞いて安心しました。じゃあ次の層までは、こんな感じでおしゃべりしてても、大丈夫ってことですね」


「そう考えてもらって差し支えない。それに、おれたちパーティーの実力なら、目的としている第3層までは、特段問題なく進めるはずだ」


「じゃあ、もしそれ以降も、迷宮を進み続けるとなると……」


「そうだな、そのときは、君次第……ってことになるかもしれないな」


 おれはカレンシアに含みのある笑みを向けた。


「私……ですか?」


「ああ、そうだ、迷宮に入る前にも言ったが、君のクラスは間違いなく魔術師だ。どこで修行して、どの派閥に属していたかのかも思い出せないだろうが、それでも君は、その圧倒的な魔力で、無意識のうちに周囲のエーテルを支配下に置いている。そのエーテルに一声かえてやれば、それだけで魔術を使えるはずなんだ」


「でも……どんなふうに、魔術を使えばいいのか――」


「それはおれが教えよう、とりあえず必要になるのは『発光』の魔術だ。これは消費魔力も少ないし、エーテルの属性変化も伴わないから習得も簡単。そうだ、どうせだから、今のうちにちょっと練習しておくか」


 おれはニーナとダルムントに目配せした。二人は肩をすくめると、通路を塞ぐように立ち、魔物の襲来を警戒してくれた。


「さて、まずはエーテルを感じることからだ。流派によって多少の違いはあるが、一般的には視覚によってエーテルの存在を認識する。中には嗅覚や触覚によってエーテルを認識するなんていう変わった流派もあるが、今回は目でいってみよう」


 おれは手のひらに、こぶし大程度のエーテルを集めながら続けた。


「今おれの手のひらには、エーテルが、ちょうど細い糸が寄り集まるように、渦を巻いて玉になっている。どうだ、見えるか?」


 カレンシアは首を横に振った。


「ごめんなさい、わかりません……」


「いいや、君なら見えるよ。すぐ諦めるな、まず見ようとしろ。そこにあると信じるんだ。エーテルはその存在を信じるものにしか恩恵を与えない。そして人間って生き物は、最終的には、目で見えるものしか信じられないもんだ」


 おれはカレンシアが認識しやすいように、できるだけ、手のひらに集めたエーテルの密度を上げていく。


「よおく目を凝らせ、風や空気に色がついているような感覚だ。おれの手のひらに、それがあると思い込むんだ」


 カレンシアは顎に指を当てて、おれの手のひらを凝視する。エーテルに緊張が走った。ようし、始まったぞ……。


「その調子だ、もっと目を凝らせ、深い湖の底を覗き込むような感じだ」


 カレンシアの青みがかった瞳が、だんだん赤みを帯びてゆく。


「あっ……見えた。今、見えました!」


 瞳が真っ赤に変わり、瞳孔が滲んで、ひとつの模様を描くのと同時に、カレンシアは歓声を上げた。


「おめでとう第一段階クリアだ」


 おれは次の段階に進むため、ゆっくり、そして丁寧に、集めたエーテルを紡ぎ始めた。

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