第8話 探索ギルド 医務室

 残った時間を、パーティーメンバーへの言い訳を考えることに専念しても良かったが、ひとまずおれは、彼女に会うため医務室へ向かうことにした。


 彼女のことはすぐにわかった。医務室の一番奥、開け放たれた窓から吹く春の香りが、印象的なその長い髪を揺らしていた。柔らかそうな猫毛の、淡く透きとおるような金髪。


「どうも」


 声を掛けると、彼女は窓の外を眺めるのを止めて、おずおずと振り向いた。


 そしてほんの少し、警戒心の滲んだ視線でおれを捉え、ぺこりと小さく会釈すると、「どうも……」と消え入りそうな声で、おれの言葉を真似た。


 気を失っていたときから分かっちゃいたが、こうやって動いているところを見ると、たまげるほどの美人だった。少し幼さを感じさせる大きな瞳に、すらっと通る鼻筋。控えめに言っても、おれのタイプの女だった。


「調子はどうだ?」


「あ……はい。大丈夫? だと、思います」


「自分の名前も覚えてないのに?」


「いや……それは……その」


 棘のあるおれの皮肉に、彼女は不安気そうな視線をあちこちへ向けたあと、まるで答えがそこにあるかのように、じっと俯いて床を見つめた。


「冗談だよ、悪かった。困らせるつもりじゃなかったんだ。おれはロドリック、よろしく」


「そうでしたか、えっと……私は誰なんでしょう? まあ、とりあえず、よろしくお願いします……」


 彼女はほっとしたように息をつくと、ふいに何かを思い出し、期待に目を輝かせて言った。


「あ、あの! もしかして、私のこと、何か知っている方なんですか?」


「え? あ、まあ……」


「お願いします! 教えてください! 私、いったい誰なんですか? どうしてこんなことに? 目が覚めてから、何も思い出せなくて、私……どうしたらいいのか、本当に不安で……」


 期待してすがり寄ってくる彼女に、おれは何て答えてやればいいか迷っていた。自分自身が何者なのかという問いに対し、納得のいく答えを得ることは、いつの時代も難しい。もちろん彼女の場合は哲学的な意味だけではないんだが……さて、どうしたもんだろう。


「おれが知っているのは、君はヴンダール迷宮の第3層で、行き倒れていたということ、そしておれと仲間たちで、何とか君を死の淵から救い出したってことくらいだ」


「そうだったのですか……御迷惑をおかけしました。助けてくださって、どうもありがとうございます……」


 期待はずれの回答に肩を落としながらも、彼女は礼を言うのを忘れなかった。まずまず育ちもよさそうだ。


「いいんだ、困ったときはお互い様って言うだろ」


 実際、彼女もおれたちをシルフから救ってくれたんだから、本当にお互い様だった。だがあえてそれは言わずにおいた。話がややこしくなるだけだからな。大事なのは意識の無かった彼女を、おれたちが、迷宮の外まで運んだってこと。それだけでいい。


「何かお礼でもできればいいのですが、あいにく私も、自分の名前さえ思い出せない状態で……」


 お礼か……おれはふと、ある一つの冴えたアイデアが、思考の隅から忍び寄ってきているのに気づいた。


「礼なんていらないよ。むしろ、まだ君の助けになれることがあるかもしれないって、考えているくらいなんだ」


 そして、咄嗟に口に出していた。彼女はその言葉の意図を汲み取ろうと、目をぱちくりさせながらおれを見る。


「どういうことですか?」


「そのままの意味だ。君の抱える悩み、おれたちなら、解決できるかもしれない」


 おれはこの一石二鳥のアイデアに、思わず飛び上がって、自分をどうしようもないほど褒めたくなった。きっとニーナとダルムントが居れば、そうしてくれるに違いない。

 そう! 思い出せないなら、思い出させてやればいいんだ! こんな簡単なこと、なんですぐ思いつかなかったんだろう。


「言ったろう、君はヴンダール迷宮で倒れていたと」


「はい……」


「もしかしたら迷宮に潜れば、何か思い出せるかもしれない。そうじゃなくたって、君が記憶を失うことになった手がかりや、きっかけを、迷宮でなら何かしら見つけられる可能性もある」


「でも、迷宮は危険な場所だって職員の方も言ってましたし、まして、私ひとりでなんて……無理です……右も左も、わからないのに」


「だからおれたちが協力しようっていうんだ。幸いなことに、君の目の前にいる男は迷宮探索のプロフェッショナルだぞ。もし君が望むなら、そんなおれ率いる凄腕の探索チームが、一緒に迷宮に潜ってやれる。もちろん、君の気が済むまで、何回でも!」


 それで運よく記憶が戻ったのなら、こいつの家族から容赦なく謝礼を請求すればいい。


 仮に記憶が戻らなかったとしても、こいつはおそらく魔術師だ。連れて行って損になることなんて一つもない。いや、それどころか! うまくいけばアイラが抜けた穴を埋めることもできるかもしれない。


「それに、どうせ他に行くところなんてないんだろ?」


 その言葉に、彼女は少し寂しそうに、こくりと小さく頷いた。


「それじゃあ決まりだ! 早速行こう!」


 きっとニーナとダルムントも喜ぶぞ! そしておれを褒め称えるに違いない!

 おれは今から笑いが止まらなかった。このクソみたいな稼業にも、やっと運が向き始めたんだ。

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