第3話 妖精種シルフ②

 物事が悪い方向に転ぶとき、決まって何か法則のようなものがあると、時々おれは、思うことがある。


 コイン投げで小遣い全部すっちまう時は大抵週末で、胴元がジンテグリア出身のイカサマ師だったり。


 ニーナを誘った飯の後、ベッドまでは連れ込めないとき、限って次の日雨が降って、洗濯物が台無しになったり。


 シアに会いたくなる夜、会えない夜が長く感じるのは、二つ月が重なる『ブラッドムーン』が近いせいだったり。


 つまり何が言いたいのかっていうと、ダルムントが途中で石畳に躓いたのは、どこかでおれが、うまくいかない時の法則を、見逃したせいなのかもしれないってことだ。少なくともグリーブは付けさせたままが良かったのかも。


「ダルムント!」


 横目で彼が起き上がるのを確認しながら、おれはひとりでも走り続けた。今更後戻りはできない。ブーツの溝に、多分小石が挟まっている。踏み込むたびにコツコツ鳴って、おれを死の淵へと急き立ててる。


 あと5歩ってところで一発目がきた。御丁寧に、二匹同時に風の魔術を使ってきた。

 おれは一旦立ち止まって、指先で空を編む。周囲のエーテルに緊張が走り、狭い通路に蓋をするように、おれたちの目の前で透明な膜を作った。

 頼りないが、これがおれの魔術障壁だ。ジルダリア王国流の、コストパフォーマンスに優れただけの、最低限の魔術障壁。魔術師じゃないおれにとっては、これでも体中の魔力を搾り出して、ようやく完成させられる力作だった。


 一瞬の閃光のあと、障壁は火がついた巻物のように、端から光の粒子となって飛散した。


 何とか防げたか……胸をなでおろすのもつかの間、おれはまた走り出した。

 2発目がくる前に、二匹ともやっちまわなければならない。ちょうど人間の子供くらいの大きさの、女性的な体つきをした妖精種シルフの、大きすぎる灰色の瞳と目が合った。


 下半身は緑色の羽に覆われ見えないが、上半身はいつも裸だった。背中には下半身と同じように緑色の翼が生えているが、羽ばたかなくても宙に浮いていられるのは、大気中に存在するエーテルの恩恵を受けているからだと言われている。言い換えればシルフは、エーテル無しでは飛ぶことも、歩くことさえままならない、脆弱な妖精種でもあった。


 おれはその華奢な体を、真っ二つにするつもりで、勢いよく剣を振りぬいた。


 ――いいところだが、ちょっと待ってくれ。一つ言い忘れたことがあった。


 それは、悪いことは続く傾向にもあるってことだ。それに反して良い事は、ほんの一瞬、カーテンの隙間から顔を出すだけに留まる。


 いつもなら、風をも切れると賞されるおれの自慢の剣技が、今日はどうも冴え渡らなかった。致命傷は負わせた、だが即死とまでは行かなかったんだ。


 傷を負ったシルフは身を翻して距離をとり、追撃しようとするおれをもう一匹がけたたましく鳴いてけん制する。


――ああ、お先、真っ暗だ――


 もしかすると、アイラがパーティーを抜けてから、全員がちょっとした閉塞感を、僅かながらに抱えていたのかもしれない。そして少しずつ、歯車が狂っていった結果が、この窮地だったのかも。


 やっと追いついたダルムントが、必死で斧を振り回しても、もう何もかもが、手遅れに思われた。


「しっかりして!」


 後ろから、ニーナの叫び声で我に返った。傷ついたシルフが、最後の力を振り絞って魔術を発動させようとしていた。


 緑色の淡い光が――一点に収束する――。


 おれは二回目の障壁を張ろうと意識を集中させた。幸いもう一匹はダルムントを警戒して距離を取ろうとしている最中だ。

 これを防ぎきれれば、まだなんとかなる。おれも残った魔力を振り絞り、周囲のエーテルをかき集めようと手順を踏んだ。間に合うか? おれは左手で印を刻み、障壁を展開させた。


 ――閃光、一瞬遅れて鳴動。


 思わず目を閉じてしまった。一回目とは違い、大量の粉塵が舞ってしまったからだ。魔術を、殺しきれなかった証拠だった。


 耳鳴りのあと、ゆっくり瞳を開けると、ダルムントがうめき声を上げ、視界の端に転がっていた。おれは突き出した左手の指先が、親指を残して全部吹き飛んでいることに気づいて、呆然とした。


「リック!」


 ニーナが後ろから走り寄ってくるのがわかった。いつもは憎たらしい口ばかりきく癖に、こんなときだけ、馬鹿みたいに律儀な女だ。


「来るな! こっちはもう駄目だ! さっさと逃げろ!」


 しかしニーナは止まらなかった。この場でおれの、女性遍歴でも打ち明ければ、愛想を尽かして去ってくれるだろうか。

 そんなことを考えながら、やっぱり死ぬときは誰か傍に居てほしいと思い直して、無責任な男のままでいようと、黙って膝をついたそのときだった。


 おれに腹を割かれたシルフが、ふいにぽとりと地に墜ちた。一瞬、自滅して力尽きたかと思ったが、そうではなかった。


 シルフを挟んで、ちょうどおれの向かい側に、人が立っていた。黒いローブのフードを深く被った人影がひとり、何かぼそぼそと呟いていた。

 残ったもう一匹のシルフも異変に気づき、半狂乱に鳴き立てる。



 おれの記憶はそこで一旦途切れた。おそらく一時的な魔力の枯渇と、左手の激痛に耐えられなかったんだと思う。次、目が覚めたときは、別の意味で、最悪の状況だった。

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