第2話 妖精種シルフ①

 そのとき、おれたちのパーティーが居たのはヴンダール迷宮の第三層。もっと詳しく言うなら、泉の広場と呼ばれる簡易休息所から、左側の通路を水路方向に向かう途中の曲がり角だった。


「珍しいな、妖精種だ。シルフが……いち、に――うん、二匹だな」


 おれは曲がり角から顔を出し、冷たく薄暗い通路の先を覗き見ながら仲間たちに告げた。


「おいおい、まだ第三層だぞ、一体どっから迷い込んだって言うんだ?」


 仲間の一人、ダルムントが構えた大盾を降ろして、おれと一緒に曲がり角の先を確認しようと身を乗り出した。


「やめとけ、気づかれたら面倒だ」


 おれはそれを手で制しながら小声で続ける。


「とにかく、どうするか決めよう。生憎近くに協力できそうなパーティーは居ない。やるならおれたち三人でだ。もちろん分け前も三等分で済む」


「ロドリックは? どうするべきだと思ってるの?」


 今となってはおれたちパーティーの紅一点になってしまったニーナが、珍しくおれに意見を求めてきた。贅沢言えば、もうちょっとくらい音量に気を使って欲しかったが、それは言わずにおいた。


「そうだな」おれは更に声を落として言った。「やってみるのもありだと思う」


「でもアイラはもう居ないのよ、誰がシルフの魔術を防ぐっていうの?」


 誰がって? もちろんこの三人の中で、それを確実に行えるのは一人しかいない。となればおのずと答えは決まってる。ようするにニーナが言いたいのは、あんたの貧弱な魔術障壁でどれだけの時間が稼げるのかってことだろう。


「おれがやる。一発なら確実に防げる、二発目は……貫通するかもしれないが、少なくとも命は助かる程度にまで減衰できるはずだ」


「一発防げれば十分だ。それまでに距離を詰めて、一気に叩いてしまえばいい」


 ダルムントが担ぎなおしかけた大盾をまた床に降ろして、代わりに腰から小ぶりの斧を一本手に取った。


「盾は持ってたほうがいいんじゃない? 一発だってあやしいよ。ロドリックの障壁って、割と雑な印象あるし……」


 好き放題言いやがって。おれはニーナに聞こえないよう、小さく舌打ちをした。


「いや、俺はリーダーほど速くは動けないからな、少しでも身軽にしておきたい」


 殊勝な心がけだが、胸当てやグリーヴを次々とはずしていくダルムントを見て、おれもさすがに心配になってきた。今まで魔術系に関してはアイラにまかせっきりだったため、真正面から敵の魔術を防ぐのは久しぶりのことだった。不安に沈むおれの目を見て、しかしダルムントはニヤリと肩に手を置いて言った。


「大丈夫だ、俺はリーダーのことを、信じている」


 おれは引きつった笑顔でコクリと頷いた。何も事情を知らない奴がこの光景を見れば、ダルムントのことを信頼の置ける、男気溢れた仲間だと思うだろう、いや、実際その通りなんだが……一つだけ彼について補足させてもらえるなら、その……なんていうか……男色家なんだ。そして事あるごとにおれのケツを触ろうとするのが玉に瑕。


「はいはい、だったら好きにすれば。ほら、私ここで見ててあげるから、さっさと二人でシルフに切り刻まれてきなよ。運よく生きて戻ってこれたら、治療してあげる」


 ニーナはそう言いながら、早くも逃げ支度を始めていた。


 治療師であるニーナは基本的に敵の矢面に立つようなことはしない、攻撃に参加することがあっても、せいぜい中の下程度の弓術で、援護射撃を行うくらいだ。

 今回の相手はそれも意味を成さないため、大人しく隠れていようって魂胆なのだろう、それ自体に文句はなかった。ただ、ちょっとくらいおれのこと、信用して欲しいっていうか……少なくとも、そういう素振りくらいは見せてもいいだろって話だ。もちろんそれも口に出す気はない。


「じゃあ、カウント入れるぞ」


 おれは手首をポキポキ鳴らしながら、長く――そして深く、息を吸い込んだ。周囲のエーテルに精神を同調させ、魔術障壁を張る準備を行う。それと同時に走り続ける覚悟も決める。


「三から始める。マルス神に祈りを」


 これはおれたちが死地に足を踏み入れるときの、ルーチンワークみたいなもんだ。始めたのはアイラ。でも、彼女が居なくなってもこれだけは続けることにした。いまいち上手くいかないおれたち三人の、唯一残った絆の、残痕みたいなもんだからだ。


「二つ、恐れぬ者にエーテルの加護を」


 ニーナが投げやりに唱えた文句のあと、誰かがゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。あるいはおれのかもしれない。


「一つを過ぎた。最後に言い遺すことは?」


 ダルムントのいかにもって感じの低い声。最後の言葉はいつもアイラの役目だった、今は居ない。おれは少しだけ長いまばたきのあと、周囲のエーテルに意識を集中させながら言った。



「クソ食らえ」


 言い終わると同時に、おれは曲がり角から飛び出した。

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