聞き耳を立てる
中村ハル
隣の話
歯医者で治療した際の麻酔が切れきらないので、本を買って、カフェに入った。
いつも空いているカフェが、珍しく人でいっぱいで、ざわざわと話声が満ちている。
観光地という場所柄か、外国の人もちらほらといる。
年齢も、性別も、ばらばらで、おしゃべりをしたり、勉強したり、本を読んだり、皆それぞれにくつろぎながら、コーヒーを片手に散らばっている。
右の唇がマヒしているので、思うようにカフェラテがすすれずに、私はひどく苦労をしていた。
「麻酔が効いているので、30分は、飲食しないでくださいね」
歯科助手の人が私に告げた30分など、とっくのとうに過ぎている。私は麻酔の効き目が長い。
頭も少し、ぼんやりとしていた。
手にした本の内容は、全く頭に入ってこない。
右隣のお姉さんが、怒涛の勢いでクロワッサンを平らげているのを、横目でちらりと盗み見た。
カフェラテは上手く飲めない、活字の上を目が上滑りしていく。することが、ない。
「やっぱりさ、私立の保育園て、違うよね」
左隣から、きゃっきゃとした声が聞こえた。
少し前に、ビール片手に席に着いた、若い女性の二人組だ。
先から子育ての話をしているようでもある。どうやら、どちらにも小さな子供がいるらしい。
「言葉もさ、○○ちゃんちは英語で『see you!』とかいうの!うちのパパちゃんなんてさ、英語とかいう言葉がよく分からないもんだから、そういわれると『また後でね、でしょ』とかって言い直させてるわけ」
ほう、最近の保育園児は、すでに英語を話すのか、すごいな。旦那さんは、かなり英語が分かってるんじゃないのか。
と、私は聞くともなしに、というよりむしろがっつり聞き耳を立てている。
唇がしびれてすることがないのだから、仕方がない。
「でさ、絵とかもさ、上手なわけ。ワニとか犬とかすっごい上手に描くのよ!保育園児でそんなに描けるっけ、って思うくらい」
私は幼稚園だったから、保育園児の実力がいかほどのモノなのかは、今一つよく分からないが、子供の頃に描く動物って、口が人っぽかったりしたもんな。ワニとか、描けたかな…と脳内で勝手に相槌を打って聞いている。
「でさ、家族とか友達の絵とか描いても、ちゃんとしてるわけ」
ああ、人って、難しいよね。
正面顔で、みんな同じになっちゃって。男も女も、髪の長さとか、ヒゲとかでしか区別がつけられないよねえ。
幼稚園の頃に自分が描いた家族の絵を思い出して、つい口元が緩む。
そういえば、友人のもうじき3歳になる娘ちゃんも、まだママとパパはおんなじ顔で描いている。
「手足もちゃんと2本ずつだしさ。でも、うちの子、まだ目が4つあって、ごちゃごちゃしてるじゃん。他の家の子は、ちゃんと目が2つで、しっかりした形してるのにさ」
…え?
「恐るべし、私立の保育園だよね!発育が違うよね!」
…え…?
私は横目でちらりと2人を見る。
ビールを持って話を聞いていた方と、目が、合う。
慌てて、目を、そらした。
逆隣の席には、いつの間にか、異国の言葉を話す2人連れが座っている。
これだけの空間に、私たちとはどこか少しばかり違う人が混じっていたとして、誰が気が付くというのか。
すぐ隣で違う国の言語が聞こえることが当たり前の世の中で、誰が、気にすると、いうのか。
異星人はもうすでに、あなたの隣に住んでいる、という都市伝説を聞いたことがなかったか。
一体、この女性が育てている子供は、誰を、何を、見ているのだろうか。
目が4つあるのは、子供が描いた絵なのか、子供自身なのか、どちらなのか。
聞き耳を立てている私の耳は、ちゃんと、人の形をしているだろうか。
しびれている口を押えて、私はそっと席を立った。
聞き耳を立てる 中村ハル @halnakamura
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