僕とジョーの物語

こしあんみつ

またね

 僕が小学五年生の時、待ちに焦がれた犬が家へやって来た。両親に「犬が飼いたい!」と何度も訴えかけた結果、ちゃんと世話をするなら、と承諾してくれたのだ。実は犬が来る前に僕が何日もかけ考案した名前があったのだが、何故か父が勝手に一目見て「ジョー」と決めてしまったのだ。その時は父を恨み三日間口をきかなかった。


 ジョーは保健所で処分されてしまうギリギリで父が見つけ、もらってきてくれた柴犬に似ている耳が垂れているのがチャーミングポイントの雑種の犬だ。僕は両親と約束した通り、毎日毎日世話をして、餌やり、お風呂、散歩、色々なことをこなしてきた。その甲斐あってか、ジョーは僕に一番懐いてくれて、どこに行くにも付いてきたり、寝る時とも絶対に一緒なのだ。


 ジョーはとても食いしん坊で、僕達がご飯を食べている時に隙を狙って椅子を上手く使いテーブルの上の食べ物を奪っていくくらいだ。そのせいで犬が食べてはいけないものを食べてジョーが死にかけた時は本当に泣いて、それと同時に自分の甘さを悔いた。以来ジョーが何かしようとすると過剰に止めに入るようになってしまい、それからジョーは僕にあまり近寄らなくなっていった。それでも、僕はジョーの為ならと妥協して、愛し続けた。


 月日は経ち、高校二年生になった僕は部活や勉強が忙しくなってきてあまりジョーの世話をしなくなった。両親が世話を見るようになるのと同時に、ジョーは歳をとって老い、ご飯もあまり食べず、散歩も嫌がってしまう有り様で、それでも僕は忙しさからジョーのことなんて頭から抜け落ちていた。きっとジョーも僕のことが嫌いに違いない。僕はそう勝手に決めつけ、世話をするのが面倒に思うようになった。それでもたまに僕が暇な時は散歩に行くのだが、ジョーは僕が散歩に行ける時だけ、僕が餌をあげる時だけ、お風呂に入れる時だけは必ずそれに従ってくれる。その時の僕は多忙を極め、部活と勉強の両立の辛さに直面していてそんなことなんてどうでもよくなっていった。


 そして、ジョーは全く動かなくなった。寝たきりで、目を時々瞬かせるくらいの衰弱っぷり。ジョーのことなんて頭になかった僕は、見向きもせずに部活と勉強に打ち込んだ。僕はある日僕はジョーに散歩に行こうと呼びかけた。するとすっと立ち上がり僕の元へゆっくり歩いてくる。僕は首輪に紐を繋いで、ジョーと散歩に出かけた。


 何度歩いてきただろう。小さい頃のジョー、少し大きくなってきたジョー、立派に成犬になったジョー、そしておじいさんになったジョー。沢山のジョーと歩いてきたこのお散歩コース。決して長くはないけど、あの頃の僕達は毎日飽きることなく歩いていた。閑静な住宅街、少し大きめの公園、田園風景が広がる畦道。


 衰えてしまったジョーは、案の定いつもより歩くペースが遅い。けれどたまにはいいか、とじっくり時間をかけてお散歩することにした。そして二時間かけ最後の畦道に来た。そこもしっかりと時間をかけゆっくり歩いていると、急にジョーが進行方向を変えて別の場所に向かい始めた。最初は僕も正規ルートに戻そうと引っ張っていたのだが、どこにそんな力があるのか、凄い力でぐんぐん引っ張っていくので付いていくことにした。


 そこは、僕がジョーと初めての散歩をした日に少し迷って辿り着いた場所だった。少し拓けた広いスペース、奥の方を見ると街が見える。ジョーはその芝の上に寝転がり目を瞑ってしまった。仕方がなく僕も横になる。雲一つない晴れた空、澄み切った空気、心地よい風が僕達に吹く。ふと、僕はジョーを見た。ジョーはどこか幸せそうに眠っていた。僕は無意識にスマホを取り出し、その寝顔を写真に収めた。


 次の日の朝、ジョーは老衰で死んでいた。僕のベッドの横で、あの思い出の場所で眠っているようにして死んでいた。僕は悲しくて、悲しくて。やりきれないこの想いを吐き出すように泣いて、泣き続けた。ジョーは幸せだったのだろうか、僕のことをどう思っていたのだろうか、そんなことを考えた。もっと散歩に行けば良かった、もっとお風呂に入れてあければ良かった、もっと美味しいご飯をあげれば良かった、悔いても、悔いきれない。今更こんなことを考えても仕方がないのに……。


 その日の夜、僕はジョーのいないベッドで眠った。寂しくて堪らなくて、中々眠れなかったけど、目をぎゅっと瞑っていたらいつの間にか眠りに落ちていた。


 僕は夢を見た。暗く、何もないその空間の向こうにジョーがお座りをしてこちらを見ていた。僕は嬉しくてそばに駆け寄った。そして頭を撫でようと手を伸ばす、がその手は空を切る。ジョーの体は透けていたのだ。ジョーが「わんっ」と僕の後ろ側の方に向けて吠える。僕が後ろを振り返ると、さっきまで何も無かったところにモニターのようなものが現れた。やがて、それは"映像"が流し始めた。


 ジョーが小さい頃から今に至るまでの場面がものすごい早さで流れていく。その中でゆっくり流れたシーンがあった。それはジョーが食べてはいけないものを食べて死にかけた日の時のものだった。そうか、ジョーは僕を恨んでいるのか、だからこのシーンだけ他の所より遅く流して僕に見せつけたかったのか。僕はジョーに向き直った。するとゆっくりジョーは僕の方に近寄ってきた。あぁ、僕は殺されるのか。目を瞑って、覚悟を決めた、その時だった。


 ぺろっ、と頬をジョーに舐められたのだ。そして……。


『今まで本当にありがとう』


 確かにそうジョーは言葉を発したのだ。僕はあまりの信じられない出来事に驚愕して固まってしまった。ジョーはまだ言葉を続ける。


『君は勘違いしているみたいだけど、僕は君のことを恨んでなんかいないよ。僕はちゃんと知ってるんだから』


『君は、ずっと僕を好きでいてくれたね。本当に、本当に幸せだったよ』


 それだけで、もう充分だった。気付けば僕の視界は涙のせいで歪んでいた。胸が苦しくなって、それでもジョーの言葉に耳を傾ける。


『最後に、散歩に、あの場所に連れて行ってくれてありがとう。僕は世界一の幸せ者だったよ』


 あぁ、あの場所か。もうずっと行っていなかった場所、忙しさを理由に行かなくなった。僕はジョーに謝った。


「ごめんね……もっと沢山連れて行ってあげれば良かった……本当にごめん……」


 するとジョーはまた僕の頬を舐めて「わんっ」と吠えた。


『仕方ないよ。君は他にやるべき事があったんだから。それにそれでも君は合間を縫って僕の世話をしてくれたじゃないか。それでもう十分だよ。自分を責めないで』


 僕はジョーを抱き締めた。ジョーは僕の頬を、涙をぺろぺろと拭き取ってくれた。


「僕もジョーのこと大好きだよ!今までも!これからも!」


 そう言うとジョーは「わんっ」と吠えて、僕の元を離れた。そして向こうの方へと歩き始めた。


 あぁ、きっとこれでもうお別れなんだな。そう悟った時は涙が出そうだったけど、やっぱりお別れは笑顔で言わなきゃ。


「ジョー! またね!」


 それだけ告げると、ジョーは向こうでこちらを振り返り、「わんっ!」と先程より大きい声で吠えた。きっと、きっと返事してくれたんだ。


 夢から覚めると朝になっていた。ベッドの上のジョーの定位置を見ると、やっぱりいなくて。少しだけ寂しい気持ちはあるけど、お別れはしたんだし前を向いて歩こう、そう決めた。そういえば、一昨日あの場所で撮った写真があったっけ。唐突に思い出してスマホの電源を入れ、アルバムの最新欄のところを見る。


 写真の中で、ジョーは確かに幸せそうに笑っていた。僕も幸せだったよ。僕は心の中で、そう呟いた。またね、ジョー。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕とジョーの物語 こしあんみつ @koshianmitsu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ