ソラクラゲに痺れ酔う
木兎 みるく
ソラクラゲに痺れ酔う
友人に誘われて行った怪しげなペットショップで、ソラクラゲを買った。宙を泳ぐクラゲで、エサは人のため息。毎日仕事の疲れと連日の暑さに参って、帰宅するなりベッドにダイブしてため息ばかりついている俺には、最適なペットというわけ。
ペットといってもこいつ、あまり長生きするものではないらしい。暑さに弱く、ある日突然溶けてしまうことが多いのだとか。ほんとにこいつ生き物なのか? 部屋の中をふよふよと漂うクラゲを眺めながら、ぼんやりと思う。
記録的猛暑を記録したこの夏の、中でもとびきり暑いある日曜日。クーラーが壊れ扇風機しか稼働していない部屋で、出かける気どころかベッドから起きる気にもなれず、俺はソラクラゲにエサをやっていた。すなわち、あー、だの、うーだの、うめき声をあげたり息を吐いたりしていた。ただそれだけ。クラゲは俺の顔の上を泳ぎながら、青や緑に淡く光っていた。
手を伸ばし、触手を指先でつつく。指先から、じん、と痺れが走り、視界の端にちかちかと小さな星が舞う。不健全で怠惰な一人遊び。癖になるぜ、とにやにや笑っていた友人の顔を思い出して顔をしかめた。
――部屋を暑くして、溶かすんだ。それを飲むと、体中痺れて、訳が分からなくなって、最高にトベるらしい。
クラゲは相変わらず俺の顔の上に浮かんでいる。日光を浴びて透けた体が綺麗だなどと眺めていたら、突然、ドロリとクラゲの体が溶け、ベシャっと落ちてきた。俺の顔面と、ちょうど間抜けに半開きだった、口の中にも。
とたん、俺の体は、無重力空間に放り出され、クラゲと同じようにふわふわと漂いだした。かと思えば七色の風にあおられ、キリキリと回転しながら吹き飛ばされる。その先に、真っ暗な穴がぽっかりと口を開けていて、俺はそのまま一気に吸い込まれていった。少年の頃、図鑑で目にしたブラックホール。飛び込んでみたいと思っていたその暗闇に揉まれ、何度も電気が走ったようなビリビリという痺れに襲われる。頭も体も、バラバラになる。
気が付くと汗だくになって、ベッドの上で荒い息を吐いていた。外は日が落ちかけて、窓からは夕陽が差し込んでいる。戻ってきたことが信じられなくて、指先を何度かぐーぱーし、ちゃんと動くさまをただ見ていた。
このままここで溶けていたら、本当に死んでしまうかもしれない。冷たいシャワーを浴びるため、気力を絞って立ち上がる。うまく力が入らずよろめいて、壁に手をついた。
アイツは戻ってこれたのだろうか。毒彩色のソラクラゲを買って帰った友人を思う。
風呂に向かうだけで一苦労で、思わず大きくため息をつく。
それを食べるクラゲはもう、どこにもいない。
ソラクラゲに痺れ酔う 木兎 みるく @wmilk
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