第2話 邂逅

 王都の中心街は多勢の人だかりで盛況していた。人々が目当てに寄るものは、食事処や鍛冶屋、魔法書店など様々だ。

 その中でフェリはどれにも目をくれず、淡々と目的地へと足を運んでいた。フェリの背負ったでかい得物が珍しいからか時折声をかけられるが、顔ひとつ表情ひとつ動かさずただまっすぐに黙して歩く。

 ――単純に興味がなかった。

 フェリの背負う身の丈ほどの太刀は、どこの国へ行っても目立つ代物だ。好奇の眼差しには慣れていた。目立つからか、面倒ごとに巻き込まれることも少なくはないが、それでもフェリには必要な道具だった。

 ふと……賑わいとは違った、人々の不穏そうなざわめきが聞こえた。

 噴水の広場のほうからだった。

 なにかを取り囲むようにして人々が集まっている。

 フェリは元々その広場を通る予定であったため、そこへ向かった。

 どうやらもめている様子だった。

「こいつ、人のものを汚しておいて金も払えないとか、ふざけるなよ?」

 周囲に集まった人だかりをかきわけて先頭に出ると、ひとりの屈強な男が少女を責めたてていた。

 男はひざまずいた少女の前に仁王立ちし、高圧的な態度をとっている。

 しかし少女は怯えているというよりも申し訳なさそうな顔で、丁寧な口調で男に謝罪していた。

「申し訳ありません……本当にお金は持っていないのです。どうか、お許しいただけないでしょうか」

「金を持っていないとか、その身なりを見て信じられるとでも思うのか」

 男の口調から少女を視すると、たしかにそれなりの身なりをしていた。煌びやかでいかにも金持ちとまではいかないが、純白のローブに、首と指には小さな青の宝石をちりばめた装飾品を身に着けていた。髪も絹のような艶めきと滑らかさを持った輝く金色で、背中まで長く、普段から手入れをしているのが見て取れた。

 対する男は質素な恰好で、着古していそうな小麦色の、いかにも庶民といった服装をしていた。

「何度も言うが俺はなぁ、さっきそこの店でこいつを買ったばかりだったんだ。それでいちばん幸せを感じてたってときに、これだ。この気持ちがわかるか」

 男は自分の腰に下げていた剣を指さした。白い鞘に、不釣り合いな黒い染みがついていた。

 大方少女が飲んでいたものが、なにかの拍子で男のそれにかかったのだろう。

「本当に申し訳ありません……私には差し上げられるものがなにもありません。どうか、どうかお許しください」

「それの一点張りだな。本当に金を持っていないのなら、その指輪を金にする。渡せ」

「あっ、だめです!」

 男は少女の指輪に手をかける。

 彼女はか細い腕でそれを必死に振り払おうとした。

「これをとってはだめです! だめなんです!」

「結局は金目のものはなにも渡したくないっていう、そういう魂胆か。渡せ!」

 そう言って、男は嫌がる彼女から無理矢理に指輪を奪い取ろうとする。

 聞いていた内容からして彼女に非がないとは言い切れないが。それでも黙ってみているだけには、見苦しかった。

「そこまでにしておかないか」

 フェリが群衆から一歩前に出る。男に肉薄した。

 男の視線がフェリへと向き、少女の手を離した。男はしかめた表情でフェリを見定めた。

「なんだお前は。ことの経緯を見ていただろ、どう考えても悪いのはこいつだ」

「俺は一部の始終しか見ていない……いまの俺の持つ情報ではそれはわからない」

「ならどうしてとめに入る」

「そうだな……」

 フェリは少女を一瞥した。

「見苦しかったのと、確かめたいことがあったからだ」

 見苦しいという発言に対する男の反論には目もくれず、揉めごとの最中にいる少女のもとへと近づいた。

「どなたですか……?」

 彼女の表情は、指輪を奪われようとしていたときより少し緊張がとれていた。

「周囲に集まった人々のひとりだ。気に掛けることはない」

 そう言って、跪いたままの彼女を見下ろした。

「あんた……目が見えていないな」

 彼女はフェリの胸元くらいのところに目をやった。

 やはり、とフェリは思った。

「はい……でもどうして」

「目が虚ろだったからな、多少見ていればわかる。なぜ言わない? それがわかれば周囲の目も対応も、あの男の態度も変わっていたと思うが」

「すみません……ご心配をおかけしたくありませんでしたから」

「心配だと? 自分に言いかかってきている相手にか」

「はい」

 彼女は臆面もなく、弱く繊細な声で答えた。

 フェリには不可解だった。

 この場は同情を誘い、周囲を味方につけたほうが早く終わる。そうでなくとも、仮にぶつかってしまったのならその主たる理由を述べるはずだ。しかし、彼女にはそれがなかった。

「おい、なにをぶつぶつと喋っている。もういいだろ」

 男がフェリと少女の間に割って入った。

「これは俺とこの女の問題だ。お前はかっこつけたいのかどうか知らないが、悪いのはこの女だ。ひっこんでな」

 そう言って、その太い腕でフェリを押しのけた。

 しかし、フェリは立ち去るつもりはなかった。男に迫り、広げた掌を向けた。

「な、なんだ、やる気か」

 そのまま手を男の剣に向け、詠唱した。瞬間、独特の起動音とともに剣に魔法陣が浮かび上がり、剣の汚れが消滅した。

「これでいいだろう……汚れないよう、ついでに耐汚の術式も施しておいた。問題はないはずだ」

 男は自分の剣に目をやった。たしかに、ついていた黒い染みは跡形なく消えていた。

「彼女にも非はあったかもしれないが……それにしてもやりすぎだ。争いのもとは消した。これで収めてくれないか」

 フェリは白ローブの少女の手をとり、立ちあがらせた。

 周囲の人だかりから、男を非難するつぶやきが聞こえてきた。

 彼の耳にもそれは入っていたようで、肩を震わせていた。しかし彼は数秒の沈黙の後、嘆息し、息を整えて平然を取り戻した。

 そして、フェリのほうを睨んだ。

「女を助けてヒーロー気取りか? 笑えるな」

 嘲笑して、鼻であしらった。

「なに……ふたつの意味で、彼女に興味を持っただけのことだ。必要以上に目立ちたくはなかったが、さすがに捨て置けなかったものでな」

「ふん、さては惚れたか? たしかに美人だからな」

「あいにく、そういう感情は持ちあわせていない……だが彼女は保護させてもらう。ここにいては危険だ」

 そう言ってフェリは少女の手を引いた。

「あ、あの――」

 彼女がなにか言いかけたのにも気を留めず、群衆から抜けようとした。

 そのとき――

「待てよ」

 男の声が、フェリを引きとめた。

 フェリは振り返った。

「まだ、なにかあるのか」

 男は不気味な笑みを浮かべていた。辺りの空気が冷えた気がした。

「さっきからその無表情面が気に入らなかったんだよ。こいつを試してやる」

 そして鞘から剣を引き抜いた。瞬間、男の雰囲気が異様に変貌した。

「……正気か」

 周囲がざわめく。

「ああ、正気だとも」

 先ほどとはまったく違う。ただの筋肉自慢の馬鹿ではない。

 フェリは悟った。

「お前を殺したところで、俺にはなにも関係がないからな」

 どういう意味だとフェリが口にしかけたと同時に、男は体躯を静かに深く沈めて、切っ先をフェリに向け、剣と地面を平行に構えた。

 フェリはその技を知っていた。

 ――《閃光の突牙(デステロ・ピンチャー)》。

 瞬間移動とも疑うほどの高速の突きで、回避の隙を与えない強力な剣技だ。

 広範囲の攻撃ではなく一点のみを狙った技ではある。だが、しかし――

「やはり正気の沙汰とは思えないな……俺の後ろにいる人間まで殺すつもりか」

「有象無象などいくらでも替えはきく。どうとでも言え」

「……ならば仕方ない」

 フェリは腰にさげていた刀を引き抜いた。背中にあるほどの長さではなく、背の半分ほどより少し短いくらいの、一般的な長さのものだ。

「どういうつもりだ、背中にある得物は抜かないつもりか」

「そうだな……街中で抜くには少し大きすぎる。これくらいが丁度いいんだ」

 男は奥歯を噛みしめた。

「――なめるなぁっ!」

 そして剣技を発動した。

 その瞬間に――

 微弱な輝きを放っていた刀身の光は霧散し、その技は不発となった。

 フェリは、その剣から術式が解除された瞬間を見た。

「なんだ、なにが起こった」

 男は状況を把握しきれず、狼狽えていた。

 フェリはすぐさま彼女の手を掴んだ。

「逃げるぞ」

「え、あの――」

 群衆をかきわけて、目的地であった王城へと一目散に逃亡を始めた。

 任命を受ける前に、思いがけないものを拾った。

 やはり、彼女は保護しなければならない。

 フェリは一層増して強く、そう思った。

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無心の殲滅者と盲目の少女 梨兎 @nashiusagi

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