第12話 「日輪学園」の怪

第十二章 「日輪学園」の怪



「あれみて」

 キリコがビルを指差す。双子ビル? いま隼人たちが出てきたビルと同じ構造建築。向こう側はすでに完成している。キリコがふりかえった。出てきたばかりのビルの上部。まだ建築半ばだ。屋上に巨大なクレーンが起動しているビルがニョキッと天高く聳えている。

 隣りのビルはまったく同じだ。幅も。高さも。容積も。クレーンは鉄骨をつり上げている。鉄骨には袖看板がすでについている。『日輪』の文字が読みとれる。隼人たち支局の入っているビルの至近距離だ。支局の地味なビルとは比較にならない。巨大だ。

 地下の駐車場には、工事関係の車があわただしく出入りしている。

 キリコと隼人は移動した。クレーンだけが動いてるのが見えている。あわてて、そのまま走り、ふたりは通りにでた。こんどこそ――はっきりと全容を視認できた。

 完成したほうのビルの正面には日章旗を模したような、太陽から無数の光の矢が飛び出しているシンボルマーク。そしてさらにそのしたに黄金色に輝く六文字。

「きいたことあるな『日輪学院本校』か」

「鹿沼でバックアップしてもらったポリスの阿久津さんがいってたじゃん。麻耶先生は日輪学院に生徒がみんな流れてしまったので。塾をやめようと、しばらく前からいっていたって」

「そうか、直人のレポートにも日輪学院のことはのっていた」

ピ…ピ…ピ…ピ…。

 信号音が速くなる。美智子の居場所のわかる探知音が小刻みに鳴る。キリコと隼人は学院の正面入り口から堂々のりこんだ。策を弄してはいられない。一刻を争う。この瞬間にも、美智子をさらなる危機がおそっている。 

 危ない。そう思うとふたりは夢中で学院のフロントにとびこんだ。

 業務はすでに開始している。受付嬢があわてて呼び止める。

「入学案内をいただけますか」

 キリコはさりげなく聞く。渡されたパンフレットにキリコは目を通している。

「日輪教の方ですか」

「そうよ。友だちの紹介なの」

 後ろで隼人が貧乏ゆすりをしている。

「おトイレなの? お水の飲み過ぎよ。あなた」

 あなた、と呼びかけて、キリコはほほ笑んでいる。

 隼人はおどけて受付嬢に会釈して奥へかけこむ。



 ここはどこ?

 美智子にはわからなかった。前の部屋とは、微妙にちがう。前の部屋よりは明るい。一応、ソファもテーブルもある。

「シタッパはテレビも映画もみない。あんたのことは知らなかった。唄子と同じジャンキーとでもおもったのだろう」

 なにもない、薄暗い部屋に監禁したことを詫びているのか? 日輪教の信徒となることを勧められた。なによ突然? なにをいわれているのか、わからない。

「日輪教の広告塔にならないか」

 どういうことなの?

 ここから早く出たい。

 まえの部屋で――。

 とっさの機転で、直人の詩のコピーの裏側にlipstickで『タスケテ』と書いた。窓から何枚もほおった。交番にとどけてください。

 だれかひろって!!!

 交番にとどけて。

 中山美智子。ネームも記した。

 神に祈った。


 唄子から携帯に連絡を受けた。

「美智子。お金もっと貸して」

 どこか遠くへ逃げる気なんだわ。警察に出頭することをすすめよう。それでも財布にお札をいれて……門をでた……。説得して自首させる。ところが屈強な男たちに車にひきずりこまれた。クロロホルムをかがされた。気づいた時は監禁されていた。薄暗い部屋には窓はない。イヤある。小さな窓がついている。仄かな明かりがおちてきていた。そこから助けを求める紙片を投げた。

 こんどの部屋も――似ている。最初に閉じ込められた部屋と……。倉庫にでも使うはずの部屋にちがいない。それとも拷問部屋。そう思わせるような、冷やかな壁にかこまれていた。

 恐怖のあまり美智子は戦慄した。寒さと空腹と恐ろしさがいりまじる。美智子のふるえはとまらない。部屋の隅になにかある。部屋の角になにかある。それに気づくまでにどれくらい時間が経過したか。美智子にはわからない。

 美智子はその壁際にわだかまるものににじり寄った。毛布らしいぼろ布をかぶって――唄子がいた。

 美智子は唄子を揺り起こした。反応がない。死んではいない。体は温かい。

「唄子! 唄子‼ しかりして」

「ほかの部屋に移せ」

 さきほど、配下に指示した男が立っている。いつの間に部屋にはいってきたのかしら。巨体だ。

「ほかの部屋に移せ」

 また同じ言葉を同じ口調でいう。人間じゃないみたい。眼が赤く

 ひかっている。酷薄な薄い唇からよく光る犬歯がのぞいている。美智子は不気味なものを感じた。



「美智子。ごめんね。わたしたちこの三年間――クスリに手をだしてからずっとアイツラに監視されていたのよ。なにかこころあたりない」

「ウチにも、盗聴マイクが……」

 いおうとしたが美智子はためらった。この部屋だってヤッラのアジトだ。わたしたちは、いまも監視されている。盗聴されているかもしれないのだ。滅多なことはいえない。そっと相手の出方をまつだけだ。

「美智子はエライは……。わたしはあれからずっと……よ」

 唄子が泣きだした。

「ごめんね。あのとき、美智子に大麻をすすめるように夫にいわれたのよ。ごめん」

 美智子は寂しさに耐えきれず、クスリをやったことがあった。唄子にすすめられた。たまたま滞在していた鹿沼のジイチャンがいちはやく知って母にも内緒で忠告してくれた。麻薬の怖さを教えてくれた。ジイチャンの訓戒をきかずに、なんどもやっていたら、わたしも唄子のように依存症になっていたかもしれない。いや、確実になっていた。ひとは麻薬の誘惑にはよわい。それを身をもって知っている。それにしても、あのころから狙われていたのか!!

「おまの好きなクスリをたっぷりやったのに。アレで――ねんねしてれば、痛い目にあわずにいられのによ」

 黒服の男が入ってきたのはその時だった。唄子に話しかけている。

「パクられれば、女はすぐ仕入先をゲロルからな」

 唄子を拉致しておく。すでに逮捕されている唄子の夫、服飾デザ

イナーの大津健一を脅しているのだ。余計なことをシャベれば、唄子がひどい目にあう。暗に脅迫しているのだ。

 黒服が唄子を非情な目で見ている。薬物汚染。薬物に手をだす。薬物を摂取する。そんなことをすれば、身も心もぼろぼろになる。

 一瞬の快楽のためにじぶんの運命さえかえてしまうことになる。怖いことだ。薬物そのものを手にいれるということは、売人の背後にいるソシキにつながってしまう。目をつけられてしまう。

 非合法的の影のソシキに知られてしまうほうが、さらに怖いことなのだ、あのとき、美智子に教えてくれたのは翔太郎じいちゃんだった。

 いまその言葉が現実となっている。美智子が男に体当たりをした。

 狙いが外れた。男は唄子の顔を殴ろうとした。顔は女優の命だ。

 唄子の顔を殴らせるわけにはいかない。男に美智子は体をぶちつけた。男の拳は唄子の肩をヒットした。デビューしたときから……ずっと仲良しだった唄子だ。いろいろ世話になったセンパイだ。

「唄子をなぐるなら、わたしをなぐって」

「ジャマするな」

 男がほえた。

「わたしたちにとって、顔を傷つけられるのは、命にかかわることなの。わかっているの。やめて。おねがい」

 美智子が唄子を抱き起した。

 唄子は殴られたショックでふるえている。呻いている。

「死なないで。唄子」

「バカ。殴られたくらいで――死ぬか。ヤクがきれかけているんだ」

「ゴメンね。美智子。まきこんじまって。ごめん。美智子だけでも

逃げて」

 美智子を見上げる唄子の目に涙が光っていた。頬をつたって涙が流れた。

 唄子を放って置いて、自分だけ逃げることはできない。

 だいいち、どうやって逃げればいいの。あの紙だれか拾ってくれたかしら……。

 唄子の動悸が速まっている様子だ。

 男の言うように禁断症状だ。心拍がさらに速まっている。胸の鼓動が高まり、眼が裏返ってきた。

 絶えず、唄子の体と心をむしばんできたものの正体。

 これだった。

 ときおり、唄子が見せたエキセントリックな言動。あれはクスリの切れてきたための行動だった。なんとしても、唄子を助けだしたい。そしてね唄子には立ち直ってもらいたい。そのためなら、どんなことでもする。してあげたい。

「唄子!! 唄子」

 唄子を麻薬の脅威から、汚染からひきもどさなければ――。

「おまえら、ウザイんだよ」

 男が近寄ってくる。目が狂気をおび、ギラギラ赤く光っている。

 タスケテ。

 直人。

 助けて。

 直人。

 たすけて。

 直人。

 男の牙が伸びる。

 白く光っている。

 鋭く尖っている。

 じっと美智子の首筋を見ている。

 凝視している。吸いたいのだ。

 わたしの血を吸う気だ。

 恐怖。強烈な恐怖。

 こんどは美智子の胸が張り裂けそうだ。鼓動が高鳴る。



 ピピピピピピピ。

 ケイタイのGPS機能が音をたてている。そんなわけはない。赤い点で彼女の所在を明示してる。でも、ピンポイントではない。だいいち、音をたてているのはぼくの心拍だ。

 ピピピではない。

 ドッドッドッという心拍だ。

 幻聴に悩まされている。

 幻覚がみえる。そんなことはない。これは現実だ。これが現実なのだ。

 美智子がいる。まちがいなくいる。耳鳴りや幻なんかじゃない――。

 美智子どこにいる。どこにいる。

 廊下の面したドアを開く。部屋をのぞく。

 いない。

 開く。

 のぞく。

 いない。

 あせる。

 この瞬間にも彼女に危機が迫っている。そう思う。焦燥感にさいなまれる。無事でいてくれ。無事で――。

 廊下を走る。

 走る。

 走る。

 心拍がさらに速くなる。高くなる。切羽詰まる。いや、心拍は彼女のモノだ。彼女の心拍とシンクロしている。まちがいない。彼女はここにいる。美智子が拷問にあって苦しんでいる。そう思えてしまう。はやく助けなければ。

 隼人は走る。

 どこにいるのだ。

 どこだ。

 美智子どこだ。

 美智子、

 美智子、

 美智子、

 と、こころで叫んでいる。

 どこだ。

 どこだ。

 ピピピ。

 ドッドッドッ。

 美智子の呻きに聞こえる。心拍がさらに小刻みにひびく。

 廊下のはずれに地下への階段がある。隼人は必死だった。

 周囲への配慮など、おかまいなし。

 階段をダダダっと駆け下りる。

 扉がある。

 開ける。

 だれもいない。

 部屋の隅に直人の婚約指輪が落ちていた。

 薄暗い部屋で指輪(リング)の周りだけが光っている。



 隼人はリングを拾い上げた。寒い。隼人は震えていた。寒い。どうしたというのだ。いままで、寒くなんかなかったのに。とつぜん、静けさを破って拍手が起きた。そしてあの男が立っていた。凄まじい鬼気をはなっている。

 冷えびえとした部屋の空気がさらに冷たくなった。日光でサル彦が戦ったモノ。鹿沼で「マヤ塾」を襲ったモノ。そして、男はニタニタと笑っている。

「覚えやすいだろう。おれたちはみなおなじ体をしている。見ることのできる能力のあるものだけが。こういうふうに変化したおれたちを見る」

 隼人の目前で男は鬼神の姿になった。悪魔の姿になった。吸血鬼の姿になった。

「さあ、リクエストを受け付けますよ。どの姿がお好きですか」

「美智子はどこだ。返してもらう」

 隼人が叫ぶ。美智子をどこに隠した。美智子はどこにいる。

 はやく、元気な姿を見たい。

 はやく、美しい笑顔が見たい。

 はやく、精気にあふれた声をききたい。

 はやく、会いたい。

「おやおや、そんなに威張れた立場ですか」

「隼人、ゴメン」

 キリコが部屋にころげこむ。両腕をジャンパーの上からテープで拘束されている。ふいをつかれたのだろう。おトイレを借りる芝居はバレバレだった。

「どうだ。おれたちと組まないか。おれたちを見極められるのは。榊、黒髪、麻耶の一族のものだけだ。ほかのだれも、おれたちの正体はわからない。どうだ。隣のビルは日輪教の総本山になる。おれたちの権勢を見せつけてやろう。おれたちが組めば天下無敵だ」

「だめ。隼人だまされないで。こいつら口がうまいから、だまされないで」

「なにウジャウジャいってるんだ。キリコ、血をぬきとるぞ」

「そうよ。それがあんたらオニガミの本音だよ。あんたらアタイたちを餌くらいにしか思っていないんだっぺ」

「おおう。食欲をそそる言葉だな」

「王仁さま。あの女を連れてきますか」

 かれらの会話にしびれをきらしたように王仁の配下がいう。 

「総本山の落成式に。日本アカデミ賞主演女優賞の中山美智子に。司会をつとめてもらいたくてな。動く広告塔になってもらいたいのだ」

「だまされないで。隼人」

「狙いは、それだけか。誘拐した目的はそれだけか!!」

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