第2話 身体的暴力行為
あなたが買い物をするために、家を出て歩いていると、向こうから歩いてくる男がいる。男とすれ違いざまに、突如、あなたは男に腹を殴られたとする。男は笑いながら立ち去ったとする。あなたは痛みとショックで苦しみ、立ち上がれないとする。
このような行為は言うまでもなく犯罪であり、刑事事件の対象となる。通報し、事件として扱われる可能性が高く、メディアが報道するかもしれない。
第208条
暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったときは、2年以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。
これは道路であっても、歩道であっても、学校であっても、コンビニの中であっても、かわりはない。人が人を暴行すること、それにより傷害を負わせることは明確に犯罪として規定されていることに議論の余地はないので、そのような被害に遭い、または遭い続けているのであれば、ただちに110番で交番に通報や、交番または最寄りの警察署で通報する必要がある。
証拠はあればあるだけよい。少なくとも客観的証拠は被害を警察に訴える際、重要となる。可能であれば被害に遭いそうだ、というタイミングで携帯電話、スマートフォンの動画撮影を開始した状態でポケットに忍ばせて記録するとか、せめてボイスレコーダで録音はしておいたほうがよい。その際、加害者の名前を呼ぶとか、「痛い」といった発言も録音することで加害行為や被害が客観的にも認識されやすくなるであろう。ボイスレコーダはボールペンタイプやきわめて小型のものがいくらでも数千円で手に入るし、見た目ではふつうのメガネと全く変わらない、動画録画可能なメガネ型カメラがAmazonで簡単に購入できる。高価なものではない。MicroSDカードを含めても5,000円前後あれば充分だ。
そしてやはり危惧しなければいけないのは、厄介な「いじめ」という概念である。このような、殴る、蹴る、それによって怪我をした、という事実は冒頭に挙げた、道で殴られた、という犯罪行為となんら変わることはない。事件の場所が小学校だったから、中学校や高校の中だから、刑法は適用されないという定めはない。場所がどこであれ、状況がどうであれ、人は人を暴行してはならないし、怪我を負わせてはならない。
それが「いじめ」であるかどうかを考えることは、余計なことである。被害者は加害行為を通報する権利がある。殴られた、それによって鼻血が出た、傷を負ってしまった。そのことをまず学校の教師に報告して、校長や教育委員会が通報するかどうかを判断する、というような過程は、学校内の問題であって、被害者と加害者の問題では、ない。重要なことは、「いじめ」について対処を望む時、それがいじめであるかどうかをあなた、被害者が判断しようとしてはいけないということだ。
なぜ殴ったのか、なぜターゲットにしたのか、という「いじめ問題」は事件の調査のなかであなたではない誰かが明らかにしていくことである。
継続的な暴力的行為や精神的行為を受け続けており、それをあなたが交番であれ、警察署であれ、弁護士であれ、相談し被害を訴えることで、ことが大きくなってしまうこともあなたにとっては躊躇する最も大きな理由の一つだろう。両親や家族に知られることになるかもしれない。それだけは避けたいのも事実であることは理解できる。しかし、虐待行為を受け続けること、受け入れ続けることで、2010年以降の警察庁の統計で年間300人以上が殺されている(自殺)。国は、よほどの証拠が揃っていて、証言があり、「どう判断しても『いじめ』による自殺と認めざるを得ない」、もっと言えば「絶対に『いじめ』が原因で自殺したと認めることは避けたいが、これだけの証拠がある以上、逃れられない」という件数だけでも年間300件以上、年間300人以上いるのだから、「学校での『いじめ』が自殺の原因かどうか確実には特定できない」と認定されてしまった自殺者数がどれだけいるか考えなければいけない。あえて「いじめ」という言葉は使わないが、主として学校内での継続的、精神的暴力を受け続けていて苦しんでいるのであれば、あなたは命を失う可能性がある。
しかし、逃げる手段も、助けを求める場所も、探すことができる。本書を読みすすめたうえで、決断するのは、他の誰でもない、あなただけである。あなたが「助けてください」と言わない限り、人は助けてくれないし、家族も気付いてはくれない。「助けてください」と求める決断をして、はじめて、あなたは救われる可能性を得る。
教師と生徒の間の暴力行為
2000年台に入り、携帯電話、スマートフォンの普及により簡単に動画の保存、公開がきわめて身近なものとなった。それにより注目されてきたのが、生徒同士の暴力行為ではなく、生徒による教師に対しての暴力行為である。
ワイドショー等で生徒が教室で遊び半分で教師を小突く、蹴るといった映像を覚えている人も多いだろう。
2017年、福岡県で発生した学校内での暴力事件(博多学園事件)は、ただの暴力をふるった暴行事件にとどまらず、教師が負傷、それも全治一か月の怪我を負ったことで、暴行事件ではなくより罪の重い傷害事件として警察は扱い捜査を行い、加害者を逮捕した。朝日新聞の記事によれば、この事件は授業中暴力行為が行われ、教師はその日に被害届を提出。その翌日には警察は16歳の加害者を逮捕している。裁判所への逮捕状の請求、発行、捜査の時間を考えてもきわめて早い対処である。
後、加害者は短期間で釈放されており、学校は謝罪文を公開した。内容は当該暴力行為がYouTube、Twitterで拡散されてしまった、SNSの利用の危険性について指導をしてきたが、防ぐことができなかったことが残念でならない。今後はITモラルを持たせる教育を行うので理解を求めるというものであるが、この謝罪の見解についてどう思うだろうか考えていただきたい。
ここでは「教師と生徒」という関係ではあるが、学校内で発生した暴力事件は、加害者である生徒と被害者である教師の問題であるというスタンスを学校は示している。「生徒が犯罪を犯した責任が学校にある」という認識ではない。学校内であれ、どこであれ、暴力行為があれば、被害者が警察に被害届を提出、受理され、翌日には検挙される。警察も動く時はきちんと動くという時代になっているということを示す重要なケースである。さらに、加害者の保護者は「将来があるから逮捕するとは思わなかった」と説明会で発言しているが、学校内での継続的身体的、精神的暴力行為によりあなたが受けている苦痛、苦悩、将来への影響と加害者の将来を比較しても、加害者、容疑者の将来を優先する意味はない。あなたの命に関わることでもあるし、このケースのように被害届の提出を決断し、立件していくことが、これからの学校のような集団の場のスタンダードとなっていくこと、他の被害者たちの命や人生を救っていくことにも繋がっていく。とはいえそれは結果論であり、今苦しんでいるあなたは、あなた自身の命のことを考えるべきだ。
SNS・YouTubeの利用
暴力行為の場合は、それが継続的に行われている場合は録画による記録ができる可能性がある。身と心を守るために、手段を選んでいるわけにもいかない。警察等機関への提出するための証拠として記録する必要もあるが、記録した暴力行為の様子をSNS・YouTubeで公開し、炎上させることで世論に頼ることも有効な手段のひとつといえる。この場合、万が一、ネットで公開することで「加害者の」名誉を毀損したと逆に後に法的問題となる可能性を考慮し、可能ならば加害者が特定できないよう映像を加工したうえで公開するのが無難だ。目的は「いじめ」が発生しており、救いを求めていることを訴えることであって、加害者を晒し続けることではない(それを望む被害者も少なくないだろうが。2017年のケースでは自動的に動画の視聴者が加害者を特定してくれているようである)。
なるべく被害者が公開したことが明らかだとわかるかたちではないほうが良いだろう(YouTube等にアップロードされているように、「いじめの現場をクラスの誰かが撮影していた」という様子のように)。1対1の状況のような場合での証拠動画の記録に成功したならば、証拠としては充分だし、警察に証拠として提出するか、または弁護士に預け、委任し一任するのも手である。
完全『いじめ』対策マニュアル 赤キトーカ @akaitohma
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