言語性アレルギー ~Allergic language~
鏡ホタル
第1話
全身の血液が沸騰を始めたかのように熱を持って、体中の毛穴から汗が噴き出してくる。
眩暈で頭がくらくらとし、心臓の鼓動が耳の奥を大きく震わせる。
喉の奥に異物を突っ込んだような掻痒感を覚え、胃壁が破れ落ちそうな痛みを持つ。
それはまさしくアレルギー反応、アナフィラキシーの症状であった。
私は自分の制服の襟元を鷲づかみにし、呼吸を止めるように全身に力を入れてその痛みと痒みに耐える。
そのまま静止すること二十秒。ようやく症状が引いたことを感じた私は、丸めていた背中をゆっくりと慎重にもとの姿勢に戻した。
一昨日テレビで見たミーアキャットのような動きで周囲に「それ」がないことを確認した私は、思わず安堵のため息を漏らす。
私は、近年患者が増えていると言われるアレルギーを持っていた。
その名も、英語アレルギー、である。
英語で書かれた文を目にすると、酷い吐き気や全身痛、さらには眩暈に襲われる。
今も、英文の書かれたシャツを着た人が私の前を通り過ぎ、その文を読んでしまったが為に発作が起きたのである。そのシャツには、「I agree」という文字が大きく書かれていた。
私を含め英語アレルギー患者の多くは、英文を見てもその意味が全く理解できなければ、発作が起きることはない。
それでも、街で英文を目にする機会はそれなりに多かった。
八時十分、早くしなければ高校に遅れてしまう。
腕にはめた薄桃色の時計を一瞥してそう思った私は、出来るだけ周囲に視線を向けないように、学校への道を急いだ。
一限の授業はロシア語だった。ここ数年で患者が急増し、高校生の二十人に一人が英語アレルギーと言われるようになって以来、中学、高校の両方で正式に外国語の選択制度が導入された。アレルギー患者ではない大多数の人はやはり英語を選択していたが、そうでなくてもロシア語や中国語を選択する生徒も一定数存在し、今年のロシア語選択者は、二年生全生徒、四百人の中で三十八人だった。
外国語指導助手の若い白人女性教師の挨拶を聞き、私たちはそれを追って発音して席についた。
昨日予習の途中で眠り落ちてしまったことを思い出して慌てながらも、私は何とか教師の話を追いかける。
授業は他の学級で行われる英語の授業と同じように、スピーキングやリスニングを織り交ぜながらも淡々と進められる。
「
そう言って、教師が手に持った教科書をパタリと閉じると、見計らったかのように授業の終わりを告げる鐘が鳴り響いた。
「あ、あかり」
学校の前、国道沿いの通りで、小学生時代からの友達の姿を見つけて声をかける。
「ん、あ、奈緒、どうしたの」
言いながら、あかりは手に持っていた参考書を私に見せないようにして閉じた。手元から覗いて見えた背表紙には「高校生の総合英語」とあった。
「学校を出たところで後ろ姿が見えたから。それより歩きながら勉強? 二宮金次郎なの?」
「いや、ちょっとね。ほら、テストも近いしさ。奈緒もロシア語のテストあるんでしょ?」
そう言いながら、あかりは慣れたようにして背負ったままのリュックサックに参考書を戻した。
「そうだよー、ホントに。一年の時だって赤点ギリギリだったから勉強しないとまずいんだけどさー……」
「そっか、ロシア語選択も大変そうだね」
あかりが私の方を向いて優しく笑いかける。ああ、もう、ホント、優しいなあ。
「あかりがロシア語選択だったら、教えてもらえたのに」
冗談めかしてそう口にすると、
「ああ、うん、でもごめん、わたしは……」
申し訳なさそうな顔を浮かべるあかり。私は慌てて、
「あ、いや冗談、ごめん、気にしないで」
「あはは、いや、わたしこそごめんね」
何となく、それから私は黙ってしまった。
口を開くことはなく、それでも私はあかりに歩調を合わせて歩く。
小学生時代の旧知だからこそ、持つことのできる間だと思う。
しばらく歩いていると、不意にあかりが声をあげた。
「奈緒、右!」
「へっ?」
私は言われて、反射的に右を向いた。右にあるのは、なんの変哲もない民家の外壁である。
私はそれから、数秒間動きを止めた。
「あかり、もう大丈夫?」
「うん、いいよ、奈緒。……英語のTシャツ、最近は少し減ってきたみたいだけど、本当にやめてほしいよね」
私の左側を、英語のプリントされたTシャツを着た人が自転車で通り過ぎたのだ。
「うん、今朝も大変だったよ。前面に「I agree」ってはっきり書いてあってね、せめて読みにくい字で書いてくれればいいのに」
「そうだね。本当に」
あかりはまるで自分の事のように、そう頷いてくれた。
英語アレルギーは高校生であれば二十人に一人が発症するあまり珍しくないアレルギーであるが、食物アレルギーなどと同様に、大人になると多くの人は症状が軽くなったり完治したりする。
だから英語アレルギーが認知されるようになったからといって、人口のほんの一部のために、街から英語が排斥されるようなことにはなってはいない。
むしろ、進むグローバル化、増える外国人観光客の影響で英語の書かれた看板の数はまずます増えているように感じる。
不意に、あかりのポケットに入った携帯電話がポップな着信音を響かせた。
「あれ、誰だろう」
画面を覗き込んだあかりは、納得したように頷いて画面を耳元に軽くあてた。
「はい、お母さん、どうしたの」
あかりの通話中、私はずっと足元の地面を見ていた。もちろん、余計な文字を見てしまわないためである。
足元では数匹の蟻が隊列を作って規律正しく進んでいた。
「はいはい、わかった、じゃあ切るね」
画面を閉じ、再びポケットに直したあかりは、わたしに向けて軽く手刀を切った。
「ごめん、わたしちょっと用事ができちゃった」
「どうしたの?」
あかりは申し訳なさそうにして苦笑いを浮かべる。
「弟を保育園まで迎えに行かないといけなくなったの。お母さんもお父さんも、今日は帰ってこないんだって。急に仕事でちょっと海外に行くことになったんだってさ」
「海外?」
海外。私だって、人並み程度には海外への憧れを持ったこともある。けれど、このアレルギーが治るまでは、それが叶うことはきっとないのだろう。
「そう。二泊四日だからすぐ帰ってくるらしいんだけどさ。だからごめん、今日はこれで」
「うん、大丈夫だよ、気にしないで」
それからあかりは、かつて彼女も通っていたという保育園の方向へと走り去って行った。
私は俯き、足元を見るようにして帰路につく。
私は電車通学ではないので、家まではさほど遠くはない。
というよりも、あえて電車通学しなくてもよい高校を選んだのだ。
多くの人が一か所に集まる場所の代表ともいえる電車。それに乗ることは、私にとってあまりにもリスクが高いのだ。
国道から一本、家の近く路地の中に入っていくと木造りの古めかしい家が並ぶ道が続く。もう家はすぐそこだ。
懐古に浸る趣味は持ち合わせていないけれど、古都らしい、美しい町だとは私でも思う。
「ただいまー」
木枠にすりガラスを嵌め込んだ質朴な扉を開きながら、声を張り上げた。
「あら、おかえりなさい」
エプロン姿の母が台所から顔を出した。
「おじいちゃんって、工房にいる?」
「ええ、いらっしゃると思うけど」
「そっか」
母にそう返事をし、私は家の隣の土地に作られた祖父の工房へ向かった。
私の祖父は、石工芸の職人をしている。どれほど前からなのかは知らないが、代々と受け継いできた仕事らしい。
しかしそれも、私の父がこの仕事を継がずに街の企業へと就職したことで、祖父の代で終止符が打たれることとなった。
祖父は、自分の生きたいように生きろ、と父の就職に反対はしなかったが、それでもその言葉の外に、自分の代で伝統を途切れさせてしまう無念さや寂しさがあることは、幼かった私にも分かっていた。
「おじいちゃん、ただいま」
祖父は答えない。ただ、目の前に鎮座する造りかけの石燈篭に意識のすべてを注いでいる。
祖父は、雨返しを掘っているところだった。
燈篭の傘の裏側部分につけられる段差で、雨水が火袋にまで伝ってしまわないようにするための加工である。
燈篭に実際に火を灯して用いていた時代の名残だと、祖父は言っていた。
私は工房に置かれた石の台の一つに腰かけ、その様子をぼんやりと眺める。
一方の祖父は、私の事など気にも留めずに目の前の石に向かい続ける。
この場所は、私が最も落着くことのできる場所だった。
当然、英語を目にしないように俯いている必要もない。
ただ、大きな石を削る音と、それに向き合う老爺の息遣いだけが規則的に響く。
それをただぼんやりと眺めているだけで、私は胸が楽になった。
だから、帰ってから日が沈むまで、私は毎日ここで微睡みのような穏やかな時を過ごしていた。
「起きなさい、奈緒、ご飯よ。ほら、こんなところで居たら風邪ひくわよ」
母の声が意識の遠くで聞こえ、私は目を覚ました。
目を覚ましたという事は、眠っていたという事である。あろうことか、祖父の工房で私はうたた寝をしてしまっていたらしい。
「え、あ、うん、わかった」
気が付けば工房の入り口からのぞく空は日が遠くへと落ちて、すっかりと暗くなっていた。
「あれ、おじいちゃんは」
「もう家に戻られたわ。奈緒も早く戻りなさいよ」
「はーい」
石の台で寝てしまったからか、肩が少し痛む。
体を軽く伸ばしながら、私は工房から家の玄関の前の路地に出た。
夜の路地というものは往々にして暗いもので、私は迫ってくる「それ」に、直前まで気づくことができなかった。
夜道を走る自転車である。
だから、小さな門灯に照らされたその人影を私が視界にとらえてしまったのは、不可抗力ともいえるものだった。
黒いTシャツに、はっきりと見える白い文字で書かれた「you are fool」の文字。
心の中で思わず私は、馬鹿はお前だ、と叫んでしまった。
今の通行人に罪がないのは承知しているが、それでも恨まずにはいられない。
そんなことを考えている間にも、頭痛、掻痒、眩暈が襲ってくる。
頭が熱をもち、汗が身体中から吹き出す。汗で濡れた皮膚に風邪で高熱を出した時のような寒気を感じる。
「どうしたの、奈緒、大丈夫?」
玄関から母が心配そうな表情を浮べて駆け出てきた。
「…うん………、大丈夫…、マシになってきた…、心配しないで」
「とりあえず、中に入りなさい」
母に肩を支えられて、玄関を上がる。
既に食卓には夕食の用意がなされていて、祖父は席の一つに座り、黙って新聞紙に視線を落としていた。
「あら、お義父さん、お待たせしました」
祖父は、母に体を支えられたたまの私に見て、それから軽く首を横に振った。
「もう大丈夫だよ、お母さん。私、手、洗ってくるね」
母から体を離した私は、俯いたまま洗面所へと向かった。
翌日は土曜日で、私は部屋にこもって大人しく授業の予習をしていた。
小さく口の中で単語の発音を繰り返し、ノートに写す。
私はこのロシア語のどこか可愛らしさのある文字の形が好きだ。
私がロシア語を選択した理由は、そんなどうしようもなく単純なものだった。
月曜日の分の予習が一段落したところで、扉をノックする音が響いた。
「奈緒、ちょっといいか」
扉越しに父の声が聞こえてくる。普段は街で働いていて、日付が変わる頃に帰ってくる父も、休日には家にいることが多かった。
「はい、お父さん、どうしたの?」
私は部屋の扉を開けて尋ねた。
「母さんから聞いたぞ、奈緒、お前、昨日発作を起こしたんだってな」
「え、ああ、うん」
発作が起きるのは、珍しい事ではない。一日に二回も発作を起こしたのは久しぶりだったが、発作自体は二、三日に一度のペースであるものだ。けれども、そのほとんどは学校や屋外で起きるもので、家族の前で発作を起こすことはここ二ヶ月ほどなかった。
そして私は、外で起きた発作について、家族には一切話していなかった。心配を懸けたくなかったから、だ。
「奈緒、ちょっと話いいか」
「あ、う......うん」
父は部屋の中央に置かれた足の低いテーブルの前に足を崩して座った。向かい側で、私は何とはなしに正座をする。
その様子を見て父は、言葉を探すように何も置かれていない机に少しの間視線を落とし、それから意を決したようにおもむろに口を開いた。
「お前は、これからの事をどう考えているんだ」
父の言葉は、いつになく真剣で、それゆえに私は質問の意図も、どう答えを返していいかも分からなかった。
「これからって、何の事?」
質問に質問で返すと、父は真面目な表情を少し崩して苦笑いを浮かべる。
「それはつまり、お前の、将来の事だ」
「将来……、えっと、まだわからない、かな」
そんなこと、急に聞かれたって答えられるわけがない。高校二年生になって、もう進む方向を定めていかなければならない時期なのは頭では理解している。けれど、私にとって『将来』は、まだずっと先のことのように思えてならないのだ。
「そうか……」
腕を軽く組むようにして、父は言葉の続きを探す。
「私の、アレルギーの話じゃないの?」
「ああ、そうだな、その話だ」
父は話の切り出し方を間違えた、とばかりに、軽く咳払いをして、改めて尋ねなおした。
「奈緒、お前は、街へ出る気はないのか」
「街って、私が?」
それは思いがけない提案だった。なぜなら、中学一年の頃私が英語のアレルギーを発症してから、私にできるだけ街に出ないようにと繰り返していたのは、他ならぬ父だったからだ。
「そうだ。もちろん、今は発作の症状が酷いから難しいかもしれないが、患者の多くは十八歳前後に症状がある程度軽くなると聞く。だから高校を卒業したら、街に移ることもできるはずだ」
「ここに残るのでは駄目なの?」
私は父の話の意図がいまだつかめず、眉を顰めて問い返した。
「いや、それでも構わないが……、奈緒、アレルギーって何か知ってるか?」
また話が急に変わった。よくわからないその態度に、私は少しイライラとしてしまう。
「アレルギーはアレルギーじゃないの」
父はふう、と小さく息をついた。その仕草に、遠回しに無知さを非難されているように感じて、私はムッとした。
「アレルギーっていうのは、体の中の免疫、つまり、有害なものを排除する機能が、無害なものにまで働いてしまっている状態のことを言うんだ」
教科書を読み上げる教師のような父は淡々と言う。
「それで、それがどうしたの。まさか、ショック療法とかつもり?」
私は辟易として言葉を返す。
「違う、そうじゃないんだ。英語アレルギーを発症したってことは、お前の体が英語を有害なものとして拒絶したってことだ、わかるな?」
まるで拗ねた子供のように横を向いて小さく頷く。その仕草を見てなのか、一瞬言葉を詰まらせた父は、しかし慎重に言葉を探すように口を開く。
「つまりな、この古い町、この伝統に取り憑かれたような町が、お前の英語アレルギーの原因なんだ。わかるか?」
「何……?、どういうこと、それ。……お爺ちゃんとか、町の人がいけないっていうの?」
私は思わず声を荒げてしまった。
確かに、この町の一帯は、同じ地域の他の場所に比べても古めかしい。ややもすれば、前時代的ともいえるかもしれない。だがそれは町の人が伝統を守るように努めているからに他ならない。
祖父だって、街の会社に勤める人が定年といって仕事を辞める年齢をとうに過ぎているのに、独り、石を削り続けている。
「いや、悪いとは言ってない。ただ、この町に縛られ続けるのは、お前にとって良いことじゃないだろう」
そこで父はまた言葉を切って、少し私の方から視線を外した。
「なにそれ、意味わかんないし」
私は内心のいら立ちを隠すこともせずに視線をとがらせる。それを見た父がどうしたものかと悩むような表情を見せ、それから一つ息を吸った。
「父さんだって、お前の、奈緒のアレルギーのこと、いろいろと調べたんだよ。アレルギーの原因は、英語への忌避、旧日本人的な意識への固執らしい。だから、お前が街へでも出てその意識を変えない限りはお前のアレルギーは治らないんだよ。十八になれば治るっていう話は、実際のところはその歳で地元を出る人間が多いからだそうだ。分かるよな、俺が言っている意味が」
不意に父の声の調子が厳しくなって、私は何も言葉を返すことができなかった。
「そんな、そんなこと、知らない!」
そう叫ぶように言って、私は部屋から逃げ出す。
後ろに遠ざかる父から聞こえたのは、呆れたようなため息だけであった。
不意に早くなった鼓動を押さえながら、私は祖父の工房に向かった。
祖父はいつもと同じ場所で、ただいつもと同じように石を削っていた。
私は工房におかれた石の台に、震える胸を押さえて腰を下ろした。
石工芸工房、と書かれた、枠が錆びペンキの剥がれた看板を見て、私は幼い頃祖父に言われた言葉を思い出していた。
伝統は、それを守ろうとする者が居なくなれば、価値を失う。
誰にも守られず、ただ古いだけの伝統など、もはや伝統ではない。ただガラクタだ、と。
昔は意味を解せなかった言葉が、どうしてか心に波紋を呼び起こした。
私は祖父の姿を眺めながら、ただじっと、あの時の言葉を反芻していた。
石工芸を継ぐ気はない、とはっきり祖父に断言したときの父の表情が、ふっと頭で弾ける。
それからまた私は今日もここでただ水の流れのように密度の小さな時間を過ごした。
週末が開けて月曜日になっても、私はまだ父と言葉を交わすことができていなかった。
平日中は父と話す機会はほとんどない。次の週末までは顔を合わせないだろう。そう思っても、私は父におはようと声をかける事すらできなかった。
「親子喧嘩?」
月曜日の昼休み。中庭の隅にある階段でお弁当箱を広げて隣に座るあかりが、私の顔を覗き込むようにして尋ねた。
「まあ、そんなところかな」
私はどうしても言葉を濁してしまう。
父が私の事を心配しているのは十分承知だ。
だけど、一方的に部屋に入ってきて突然説教みたいなことをするなんて。私はまだ、心の中で父の事を完全には許し切れていなかった。
「そっか……やっぱりそういうのってあるんだ。わたし、お説教なんて長い間してもらってないよ」
「それは、あかりが説教されるようなことをしないからでしょ?」
「そんなことないよ」
あかりは目を細めて首を振った。
「お父さんもお母さんも、わたしの将来に大した興味なんてないんだよ」
そんなことないと思うよ、と私はあかりに言ったけれど、返ってきたのはありがとうの言葉だけだった。
それからあかりはふっと顔を上げて、話を戻そうとするように私に言った。
「奈緒は、町に残りたいの?」
小さく頷いて返す。
「だったら、そうお父さんに言えばいいんじゃないの」
「それは、そうかもしれないけど」
それからあかりは、顎に指をあててそれから少し考えるような姿勢をとった。
「じゃあ奈緒、将来の夢は?」
「え?」
私は思わず聞き返して、それから妙な引っ掛かりを覚えた。この質問、つい最近された覚えがある。
「この町に残るんだったら、お爺さんの仕事、継ぐの?」
予想もしない言葉だったが、それは考えてみれば当たり前の事であった。
私が都会に出ず、町に残るとなれば、祖父の仕事を継ぐのかという疑問が出てくるのは自然な事だ。
あの町には、もはや家の仕事を継ぐ以外の働き口は無いに等しいだろう。父は、私の考えを否定するために部屋に来たんじゃない。本当に父が問いたかったのは、そういうことだったのだ。
「……そっか」
私は独り言のように呟く。
「ありがとね、あかり」
突然の私の言葉にあかりは戸惑うような表情を見せたが、それでも優しく頷いてくれた。
月曜日の放課後、鞄を部屋に置き家を駆けて出た私は、隣に立つ工房でいつものように石と向き合う祖父を見つけると、意を決して声をかけた。
「お爺ちゃん、私、お爺ちゃんの仕事、継ぎたいの」
石の前で佇む寡黙な祖父の顔は、暗くてはっきりと見えない。けれどその目は、多分少しだけ笑っていたのだと思う。
言語性アレルギー ~Allergic language~ 鏡ホタル @mira_hotaru
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