Operation:Stabat Mater

アイダカズキ

第0話 Girl meet Women

 街灯から商店街のショーウィンドウ、歩道の敷石に至るまで、壊れていないものを見つける方が難しい光景だった。あらゆるものが砕かれ、ひび割れ、焼け焦げ、その全てが小糠雨で燻っている。花屋、パン屋、ブティック、カーショップ、旅行案内所、ネットカフェ、カプセルホテル、映画館、コンサートホール。すべての建物が無数の弾痕を穿たれ、爆発物による破壊を被っている。まるで絶え間ない空爆で壊滅しかけた紛争国の市街地だが、それにしては死体の数が一つもないのが奇妙な印象を抱かせる。

 街は燃え、雨は降り、ただ人の姿だけがない。


 ――視点が変わる。


 砕かれたアスファルトを、さらに細かく砕く耳障りなキャタピラ音が響く。

 長大な砲身に半球型の砲塔、アルマジロの体表のようにびっしりと車体を覆う追加装甲。およそスマートとは程遠い印象だが、そのぶん重量感と威圧感に溢れたシルエットはまぎれもなく旧共産国製の戦車だった。じれったいほどにゆっくりと進む戦車の周囲を固めるのは、自動小銃を油断なく前方や上方に向けて警戒しながら進む随伴歩兵たちだ。

 やや遅れて後方を、機関砲と対戦車ミサイルを搭載した歩兵戦闘車がゆっくりと進む。本来なら車内に収容しているはずの機関銃手や対戦車ミサイル歩兵は降車させ、周囲に展開させている。本来ならセオリー破りなのだが地雷や対戦車兵器による攻撃を受ければ車内の兵士もろとも全滅しかねないから、あながち間違いとも言い切れない。

 車両の動きに合わせ、兵士たちは声もなく進む。


 ――視点が変わる。


 小高い丘の上で、音もなく動き回る一群がある。

 兵士であることには違いないのだが、それにしても異様な一群だった。全員がHMDヘッドマウントディスプレイ付き防弾ヘルメットとガスマスクを装着し、戦闘服とボディアーマーの上から拘束具じみた金属製の装具を身につけ、さらにコードとチューブを何本も生やした医療機器のようなバックパックを背負っているおかげで、人間サイズの昆虫が立っているようにも見える。銃らしきものも装備しているが、それもまた異様だった。銃と言うよりは弁当箱にコードを生やし、ピストルのグリップを無理やり取り付けたような代物だ。

 異様な兵士たちの一人が地に置いたフットボール大の金属塊が、次々と音もなく舞い上がっていく。塗料の缶にファンを取り付けたような形状のそれは、小型無人偵察機の群れだ。


 ――視点が変わる。


 兵士の一人が上方を指さして警告を発する。そぼ降る雨にほぼまぎれ、黒い点にしか見えなかったが、奇妙に重量感のない頼りなげなその飛び方は明らかに鳥や航空機の類ではない。

 戦車と歩兵戦闘車の周囲に散っていた随伴歩兵たちが手近な遮蔽物に身を隠し、間髪入れずに機関銃手が銃口を上空へ向ける。銃口の跳ね上がりを抑えるために連射ではなく、3発ずつのバースト射撃。足元の石畳に空薬莢が落ちる奇妙に澄んだ音が響く。

 無人偵察機は銃撃を受けてもしばらく持ちこたえていたが、やがて耐えきれずに煙を上げて石ころのように落ちた。


 ――視点が変わる。


 無人偵察機から送られていた映像が途絶えたのを見て、電子書籍リーダーのような携帯端末を覗き込んでいた昆虫じみた兵士たちの一人がタッチパネルに新たなコマンドを打ち込む。


 ――視点が変わる。


 市街地中心から離れた廃車置き場の一角。赤錆に覆われた廃車の山の中に、カムフラージュネットで巧妙に隠された金属の箱が置かれている。

 偽装が施されていなければダストボックスにしか見えないそれの一部が展開した。パウダー・ガス・ジェネレーターによるコールド発射で内蔵のミサイルを垂直に発射。遥か上空でロケットブースターに点火したミサイルが目標を補足、GPS誘導に従い軌道を修正する。


 ――視点が変わる。


 甲高い風切り音を聞いた随伴歩兵が警告を発するが、すでに手遅れだった。天高くから飛来したミサイルは戦車の最も薄い部分、上部装甲を貫通。炸薬でなく、その運動エネルギーによって内側から戦車の砲塔が爆裂、四散する。


 ――視点が変わる。


 市街地上空をゆっくりと旋回する自律制御の無人偵察ヘリが、小型無人偵察機が収集してきた情報を分析、選別して後方へ送信し続けている。


 ――視点が変わる。


 丘の上の昆虫じみた兵士たちが動き出した。背後の森から姿を現したのは、長大な砲塔に似合わない、やけに寸詰まりの車体を持つ戦車が数台。角ばった車体はまるで子供がいい加減に組み合わせた積木のようで、車体の表面はステルス塗装を施されているのか、艶のない鼠色だ。


 ――視点が変わる。


 一瞬にして味方の戦車を失ったことに衝撃を受けながらも、随伴歩兵たちもそれなり以上の訓練を受けた精鋭だった。小隊長の号令で遮蔽物の影からそれぞれの火器を突き出し、次なる攻撃に備える。

 雨と、まだ燻っている爆煙を掻き分けて、新たな「敵」が彼らの目前に現れた。

 大きさは乗用車サイズ。象の鼻のように突き出た機関砲の砲身と、車体の大半を占める四輪駆動のタイヤがやけに目立つ、子供の遊ぶおもちゃの車じみた代物 だった。機関砲塔の上部から伸びるシャフトの頂点に取り付けられたセンサーが、まるで別種の生き物のようにめまぐるしく旋回している。

 ユーモラスと言えないこともないその見かけに歩兵たちは油断しなかった。自動小銃の軽快な連射音、重機関銃の腹に響く連射音。火線が一直線に伸び、車体に甲高い火花を散らす。

 容赦ない反撃が来た。歩兵の手持ち火器と比べ物にならない重々しい機関砲の轟音。遮蔽物ごと歩兵の胴が貫通され、手足が吹き飛ぶ。機関砲に加えて同軸機 銃、さらに車体側面の40ミリ擲弾発射機まで火を噴き出した。まるでホースで水を撒くような勢いで浴びせられる銃弾と砲弾に、歩兵たちの必死の抵抗がすり 潰されていく。

 兵士たちを支援するために前進してきた歩兵戦闘車の車体に大穴が開いた。瞬きする間もなく内側から膨れ上がり、爆裂する。しかも前方からの攻撃ではない。

 歩兵たちが愕然として振り向く。背後から現れたのは、寸詰まりの不格好な戦車を従えた昆虫じみた兵士たちの一群だった。

 手持ち火器においても、新たに現れた兵士たちの方が遥かに火力は上だった。彼らが使うのは電子チップを内蔵し、最適な高さで爆発して殺傷力を高めるエア バースト・グレネードだった。トリガーを引くたびに挽き肉ができる、とでも言わんばかりの、もはや戦闘とすら呼べない一方的な殺戮だった。

 やぶ れかぶれになった歩兵がそれでも対戦車ミサイルの発射機を担ぎ上げ、撃つ。一直線に飛んだミサイルは、しかし戦車の側面から射出された黒い粒に撃ち抜か れ、はるか手前で爆発した。動態センサーで飛翔物を感知、ペレットを撃ち出して阻止するアクティブ防御システムだ。それで勝敗は決した。生き残った兵士た ちは戦意を失い、次々と武器を捨てて投降を始めた。

 昆虫じみた兵士の一人がヘルメットとマスクを外す。下から現れた顔は、若いというより幼かった。緊張の解けた、無邪気な笑顔。


 ――そこで画面は暗転する。


「……どうだったかね?」

 3Dプロジェクターの投影が消え、代わりに天井の照明が照らされる。どうと言われても、と言うのが彼女の…………国防大学を卒業し、一般幹部候補生課程を 終えたばかりの穂摘ほづみゆう少尉の、偽らざる感想だった。いきなり呼び出されて何の説明もなしに見せられたものの感想を聞かれても困る。結果、彼女の答えは実 に玉虫色なものとなった。

「よくできていますね」

 今の映像の中に登場した兵器は、どれも自衛軍の観閲式でも見たことのないような兵器 ばかりだった。広報映画の類なのだろう、と察しはつく。広報だから見栄えのする場面ばかりなのは当然であるし、兵器に対するフェティシズムは彼女にはジェ ンダーを抜きにしても今一つわかりかねる代物だった。だとすれば内容よりも、映像の出来を褒めておくのが無難だった。嘘をついたわけではない。面白味のない美 人画を褒める要領だ。

 そうだろう、というように彼女を呼び出した担当教官は頷く。まるで自分の子供を褒められたような調子だ。

「あまり大っぴらには言えないが、劇場映画並みの手間暇がかかっているらしい。広報がずいぶんと頑張ったんだろうな。――まあ、その頑張りに免じて多少の 演出過剰は見逃してやってくれ。登場した次世代戦車も、無人垂直ミサイル発射システムも、実はまだ映像の中だけの代物でね」

 彼はそう言うと悠理にはさっぱりわからない理由でくすくす笑ったが、すぐに表情を改めた。

「さて、時間を割いてもらったのは他でもない。君の今後の進路だ」

「……はい」

 腰かけたまま背筋が伸びてしまった悠理の前で、担当教官は電子ペーパーを展開する。

「率直に言おう。君の成績は非常に優秀だ。特に通信・電子技術については言うことなし、と各教官からのお言葉も頂戴した。体力面での不安は残るが……」

 そう言われても別に悔しくはなかった。悠理は別にG・I・ジェーンになりたいわけではないのだ。

「これなら君の望む兵科に、ほぼ間違いなく進むことができるだろう」

「ありがとうございます」

「ただし」

 担当教官の顔が引き締まる。ますます背筋を伸ばしてしまった悠理の前で、彼は厳かと言っていい口調で告げた。

「君の希望をかなえたいのはやまやまだが、私としては敢えてここを推したい。――陸上自衛軍開発軍開発実験団・新型特殊装備共同運用小隊。まだ3個小隊程度の小規模な実験部隊だが、ここで開発された技術はいずれ全陸上自衛軍の根幹を成すことになる。そこに行ってもらいたい」 

 数秒の間、悠理の瞬きの回数が倍に増えた。

「……私がですか!?」

 青天の霹靂だった。思わず先ほどの広報映画の内容を頭の中で再生してしまう。

「できるかぎり希望の兵科に配属させていただける、という話でしたが……」

「言った」

 担当教官は渋い顔で、あるいは渋さを装った顔で言った。

「だが君は得難い逸材であるし、それに極秘裏の実験部隊という性質上、大々的に人員を集めるわけにもいかないんだ。君の成績をどのように知ったかはわからないが、先方から是非にと言って聞かない。おまけに学校長はすでに承諾済みでね……」

「そんな……」

 何とも複雑な気分だった。優秀だから見染められたということなのだろうが、喜びには程遠い。しかも断れないようにしておいてから話を持ってくるなどというやり口で、だ。人買いそのものではないか。

 国防大学を卒業してから今日に至るまで、悠理は軍という組織の尊敬すべき部分と、それを上回る軽蔑すべき部分をたっぷりと見せられた。国家という存在がこ の世にあるかぎり軍隊は不可欠である、とは渋々ながらも認めつつあったが(だから様々なすったもんだの末に結局『自衛隊』は『自衛軍』となったのだ)、果 たして自分がその中にいつまでも身を置いていていいのだろうか、という疑問はいつもつきまとっていた。あまり長くとどまりすぎていては、そのうちおかしい ことをおかしいと思う神経すら麻痺してしまうのではないか、という危惧もあった。弟が義務教育を終えて学業の心配をする必要がなくなり、必要な技術を身に つけられたら軍を退役して民間で技師として働こう、と思っていたのだからなおさらだ。

 通信・電子技術を学び始めたのも民間で生かせる技術とした らそのあたりだろう、というある意味苦肉の策だった(ミサイル管制技術や潜水艦の操舵技術が生かせる民間企業はあまりないだろう)。

 困惑している悠理の前で、担当教官は頭を下げた。

「重ねて言うが、君の希望をできるだけかなえると言ったのは嘘ではない。機密実験部隊の性質上、家族への通話はかなり制限されるし、外出の機会も少なくな るだろうが……無理を通した分、可能なかぎりの便宜は図る。舌の根も乾かないうちに面目ないんだが、君の希望だけを聞くわけにはいかないんだ。それは本当 に申し訳なく思う。ただ、この決定は君の能力が買われた証でもあるんだ。そのことは誇ってくれていい」

 担当教官はさらに頭を下げたが、悠理は天井を仰ぎたくなった。選択の余地を奪っておいて選択の自由を与えるとは。これだから軍隊は――と言うか、組織は嫌だ。合理的な計算で個人を切り捨てておきながら、肝心の場面では「俺の顔を立ててくれ」と人間に戻るのだ。

「教官、どうか頭を上げてください」

「では」

 現金にも表情を明るくした担当教官を見て、悠理は溜め息をつきたくなった。

「…………拝命します」

 結局、悠理はそう言うしかなかった。外出が制限されることもだが、家族との連絡を取れなくなるのはもっと痛かった(両親はもちろん、弟も強がりこそ言うだ ろうが、相当寂しがるだろう)。だが他に選択肢がないことも確かだった。可能な限りの便宜は図る、という言葉を信用するしかなかった。

 ――だがこの担当教官は結局、悠理との約束をほとんど反故にすることになった。外出はほとんど取れなくなり、実家との通 話すら事前許可が必要となった(それもたびたび突っぱねられる始末で、便宜うんぬんの話をすれば逆に説教を喰らいかねない雰囲気だった)。しかもこの時点では、彼女の苦難はまだ始まってすらいなかったのである。


 穂摘悠理の人生はこうして狂い始めた、と言うのはたやすい。だが悠理も、そしてこれから彼女 が出会うことになるもう一人の女も、たとえ人生をやり直せたところで迷わず同じ選択肢を選ぶ類の女性だった。二人の出会いも、そしてその後の運命も不可避のものであった。彼女たちは自らその運命を手繰り寄せた――そう言った方が正しいだろう。


 お前を産み落とした時は泣き声ひとつ上げなかったから死産かと思ったよ、と少女は母親に言われた。悲しいのどうのという以前に途方に暮れたよ、今じゃ死体を始末するのにも金がかかるってのにさ、と。

 彼女を売った母親から。

 事の最中には、彼女はいつも目をつぶっていた。彼女の腹の上でせわしく腰を使った末に果てた男が、汚物でも拭くような手つきで腹の上に札をばら撒いて立ち 去るまで。

 一度あまりの痛さに泣いて大暴れしたら、歯が折れるまで殴られて数日間寝込んだ(当然、その間の金はもらえなかった)から、これはなかなかに現実的な手段だった。

 愛想のねえ小娘だ、と文句をつける客もいたが、それも店側があてがう相手を考えれば済む問題だった。死体のように横たわる小娘を好む客は、この街にいくらでもいたからだ。

 しかし今日は、今日ばかりは、目をつぶって済みそうになかった。

 ――品のないなりに贅を尽くした調度一式をそろえた室内が、豚の血でもぶちまけたような有様になっていた。

 男は死んでいた。もう二度と生き返らない。少女の目の前に立つ白人の女が、胸と腹に二発ずつ拳銃弾を叩き込んだからだ。

 もう二度と動かない男に、女はそれでも微動だにせず銃口を向けていた。精密機械を思わせる正確さで。

 にも関わらず、少女は女が明らかに動揺していることを感じ取った。

 少女の視線を頬に感じたのか、女が初めて顔を上げた。まるでそこにいる少女に初めて気づいたかのように。猫科の肉食獣めいた黄緑色の瞳が、正面から少女を見た。

 銃口はやはり微動だにしなかった。一瞬、ほんの一瞬だが、女は目の前の少女を撃つかどうか、脳内で検討し吟味したに違いない――だが、女は結局、そうしなかった。

「……私も殺すの?」

 そのかすれた声が自分のものだと気づくのに、しばらくかかった。

 女は途方に暮れたような表情をした。まるで思いもよらない質問をされた、とでもいうように。

「殺す理由がない。それより……」部屋の隅に顎をしゃくり、

「お友達の様子を心配してやったらどうだい」

 その言葉に、少女は弾かれたように部屋の片隅に横たわるもう一人の少女へ駆け寄った。彼女は生きていた。ただし、辛うじて。革ベルトのようなもので打たれたのか、無残な青痣と蚯蚓腫れが全身を覆い尽くしている。羨ましくてたまらなかった白い肌の上を。

 そして右目のあった場所は虚ろな穴となり、生々しい鮮血が涙のように滴り落ちている。髑髏を容易に連想させるその無残な顔に、少女は震え上がった。

「友達と一緒に逃げな。今なら……」

「……友達じゃない」

 女が眉をひそめたのがわかった。

「じゃ、何だい?」

「命の恩人。私をかばってこうなった」

 傍らの豪奢なベッドから白いシーツを無理やり引き剥がし、死にかけた少女の体を覆った。

「それに、私たちを助けようと思ってそう言っているんだったら、無駄よ」

「なぜ」

「あなたがそいつを撃ち殺したから」

 女は沈黙した。

「あの獣どもが親玉を殺されて見逃してくれるはずがないもの。私もこの子も、細切れ肉にされて殺される。生まれてきたことを後悔するような目に遭わされた挙句」

 死にかけた少女の、失われた右目から流れ出す血は停まらない。滴り落ちる鮮血が趣味の悪い色彩の絨毯を汚していく。

「それに、逃げた先でまた同じ目に遭うんだったら、どこに逃げたって同じ」

 言って、死にかけた少女をシーツの上から抱き締めた。

「あなたの国の思惑も、あなたの任務とやらも、知りたくない。逃げるんなら一人で逃げて。もう逃げたくないの」

 下の階はすでに騒がしくなりつつある。殺した男の部下たちが上階の騒ぎをいぶかしんで様子を確かめに来るのに、そう時間はかからないだろう。

 しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのは白人の女の方だった。

「……いや、駄目だね。その答えじゃあたしは納得しないよ」

「放っておいて、って言ってるの。ここにいると、あなたも死ぬわよ」

「死ぬよ。いつかはね。ねえ、あんたは何を怯えているんだい? 男にずたずたにされて生きようと、男をずたずたにしてから死のうと、死ぬ時は死ぬし、いつか必ず死ぬ。だったら何が怖いんだい?」

 女の言葉が奇妙なほど胸に浸み入ってきた。少女は少し黙って、胸の中でその言葉を吟味してみた。――

「もう少しましな死に方をしたかったら、そいつの手から銃を取りな」

 女が顎をしゃくってみせた先には、自動小銃を手にしたまま事切れた護衛の死体があった。護衛に雇われるだけあっていかにも軍隊経験者らしい立派な体格の男 だったが、その頑健な肉体も磨き上げられた技量も、眉間から侵入した銃弾一発ですべて台無しとなっていた。他の護衛たちも同様に一発で仕留められていて、 女の技量を改めて実感せざるを得なかった。

 少女は戸惑って目の前の女を見上げた。言葉の意味はわかったが、それを自分に言う意図がわからなかった。この人は、私に何を期待しているのだろう?

「早く。時間がない」

 女の声は静かだったが、それまで耳にしたどんな男の怒声よりも凄味があった。少女は死にかけた娘をそっと横たえてから、護衛の死体に駆け寄った。

 死後硬直を起こしている護衛の指を自動小銃から引き剥がすのは一苦労だった。血で滑る銃把をどうにか握り締めるのはさらに一苦労だった。

 自動小銃を手にして女に駆け寄ると、首を振られた。

「あたしは、いらない。……こう構えるんだ」

 足音ひとつ立てずに少女の背後に回り込むと、銃の構え方を矯正された。

「銃床を肩にしっかり当てるんだ。もう少し腰を落として。ここに頬をつけて。そう、もう少し腕を伸ばしな。視線はここに合わせて……」

 話している拍子に、女の胸が背中に当たった。やや硬いが、確かに乳房の感触を覚える。男とも女ともつかない人だ、と思っていただけに、何かとても不思議な気分になった。

 女は女で、自分自身に戸惑ったような顔つきになった。ほんの少しだけ二人は見つめ合った。部屋の外の怒声はさらに近づきつつある。

「安全装置は外してある。後は引き金を引くだけでいい。反動がそれなりにあるから、身体全体で吸収するように。あたしの方には向けるな。簡単だろ?」

 女は魚の釣り方でも説明するかのように言った。そのような口調で言われると、確かに簡単なことのように思えてきた。女がこちらに向ける顔は、微笑んでいるように見えた――もしかすると、自分も笑っていたのかも知れない。

「奴らの数は?」

「30人ぐらい。でも本当に危ないのは7、8人ぐらい。たぶん警官か軍人崩れ」

「じゃ、そいつらから先に殺そう。そうすれば後が楽になる」

 女はそう言うと、まるでドアボーイのようにドアを開けた。ドアノブに手をかけていたらしい男が一人、不意を突かれて二、三歩つんのめった。

 お、と間の抜けた声を上げた男の頭に向けて、女は無造作に一発、撃った。奇妙なほどきれいな放物線を描いて鮮血が噴き上がる。糸を切られた人形よりあっけなく、命を断ち切られた男の身体が崩れ落ちた。

 怒声とともに室内へ雪崩れ込んでくる男たちに向けて、少女は教わった通りに引き金を引き絞った。


 少女は叫んだ。意識もせずに、腹の底から叫び声が迸っていた。それが彼女にとって本当の「産声」だったのかも知れない。

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Operation:Stabat Mater アイダカズキ @Shadowontheida

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