第18話 あとがき
1551年
砥石城陥落は北信濃の豪族たちにとって、衝撃の出来事だった
佐久、小県の豪族たちは、無血開城に近く、志賀・大井の残党も手厚く保護され
幸隆の凋落もあり、佐久平がまとまるのには、時間がいらなかった
5月
26日、戸石城は真田幸隆に預けられ、これにより晴信は佐久の反武田勢力を掃討し、
小県から北信濃へ向けて侵攻が可能になった。
自来也は飯綱山に帰り、継いだ千日太夫に忍術を伝授していたと言われている
1552年
上杉憲政の御嶽城が落ちて、武蔵国を完全に失うと、
箕輪長野氏は西上州の諸将とともに憲政から離反した。
これにより憲政の馬廻衆も離反し、憲政は居城平井城を退去、沼田氏など上杉方の勢力が強い上野国北部へ逃れることになる。
その後武田により海野家は再興される、兄の真田綱吉は海野衆として武田軍を支える事になる
武田は平瀬城を責め、小笠原は自害する。
1553年
第一次川中島の合戦
ここからは誰もが知っているだろう川中島の合戦に繋がっていく。
1555年
高梨氏が戦火を逃れようと、仏具を持ち去ってしまっていた善光寺を
武田晴信は寺ごと甲府に持ち帰る、ご神体(前立観音ではない)
を時の武将にたらいまわしにされ、仏教の寺として存在していくのだが
後に徳川家康によって再建されるのである。
1559年
戸隠は上杉、武田の取り合いになり山は壊滅、小川の地に逃れ
徳川家康の時代まで閉山する。
1561年
川中島合戦(最大の戦い、八幡原の戦い)がやってくる
1563年
幸隆は、信濃先方衆、上州先方衆として小県から吾妻にかけての攻略を命ぜられる。
父、兄を海野平の合戦のあと匿われていた羽尾幸全、長野業政らと闘うことになる。
幸隆の当面の課題は岩櫃城の斎藤氏の攻略にあった、
鎌原氏は早くから武田信玄に臣従していた
何より、鎌原幸定は幸隆の弟である
鎌原城の侵攻は兄弟軍での侵攻だった
羽根尾城、長野原城周辺で合戦となり(長野原合戦)、
羽尾幸全は戦死したとも、越後上杉氏を頼って落ち延びたとも
出家したともいわれる
幸隆は弟と共に岩櫃城、箕輪城を攻略し、吾妻一帯を支配した
1564年
菅平大笹街道保科関所
二頭の馬に乗った二人の僧兵が現れた
「善光寺の上杉軍は越後にのがれた、善光寺の仏具と伴に」
「合戦終わり と 相成った」
川中島の合戦の終わりが告げられた
1567年、幸隆は出家し水内に出家の報告を、当時廃墟の善光寺に病を押して出かける
第一話
1574年
砥石城にて幸隆病死する。
飯綱社の千日太夫は、武田晴信によって安曇郡から移された仁科氏が務め、
飯縄神領百石を支配することになる。
実田は真田家を名乗り、滋野本家を再興し、真田郷の復興を確立する。武田の南信、中信の平定は進み、
村上は越後上杉にのがれていく、矢沢(鞍馬天狗)は沼田を任され上野の要となり、兄は真田に帰るのである。
幸隆の子、三男、昌幸は武田に預けられ、孫の真田幸村が生まれる
真田丸を最後とする真田だが、戦国時代を代表する一族であったことは紛れもない事実だ。
砥石城陥落の 百五十年前
大文字一揆、大塔合戦の大手門攻撃総大将であった禰津遠光の配下に
実田七郎幸春とゆう侍がいた、春幸は海野幸氏の孫、叔父に小田切氏が
おり、真田は滋野氏の支流、禰津氏の馬回りだった。
真田幸隆を武田に推挙した禰津氏が鷹匠の元であり、まさに修験道つながりで有った。
真田は砥石城攻略後に幸隆が名乗り、真田郷の地名が知られる様になる。
実田はアラビア語(サー ナダ)嵐の朝霧、実田はモリヤ族だったのかもしれない
「六文銭」は真田幸隆が「六道」生きて帰らないとの決意「三途の川渡し銭」
を書いた旗頭だ。
忍術の封印を解いて、武田と共に天下取りに出る時、可愛い「結び雁金紋」を封印し、「六文銭」を使う様になるのである。
いつも境界になるのは、善光寺の南に流れる「犀川」(賽の河原)である
「賽の河原の石積」を知っているだろうか、その石積が大室古墳群の石積だとしたら、善光寺を冥土として三途の川を挟んで、川中島合戦の舞台はまさに賽の河原
三途の川渡し銭を六文銭にしたのは、育った水内に帰る事を願っていたのだろうか。
あの世の境も、この世の境もこの場所に有ったのだ。
今から1,200年前、信濃国に大陸系の帰化人
古代の名族大伴氏(おおともうじ)が栄え、牧の経営にかけては比類のない力を発揮していた。真田氏は大伴氏の流れをくむもので、滋野氏
を経由し、真田地籍に私牧を持つ豪族で、後に国牧をつくったものである
真田幸隆は真田牧で、牧場をしたかっただけだった
信濃国の東信にも、戦国時代末期の騒乱の嵐が吹き荒れていた
孫の真田幸村まで、大阪夏の陣まで山岳ゲリラ戦を続けるのである
歴史に書けない、お祓いの類から宗教、迷信、諜報、情報、動物、病原菌、薬物まで
ドロドロした戦術が確実に有った、北信州では飯綱水内の神、善光寺の仏教の裏で
僧兵「栗田氏」、飯綱社の「千日太夫」、戸隠の「天台」「曽同宗」修験道
北信濃三大修験場である戸隠神社・小菅神社・飯綱神社から
流れた菅平修験場まで、歴史の裏で生きる為の術がうごめいていた。
人は自然のバランスの中で生存しているのである
生存の為に皆が戦っている事を誰も教えてくれない
自分で気づいた人たちは、暴走していく
現在こんなに平和で70年間も戦国でない日本だが
よく思い起こしてくれ、真田の歴史は形を変え社会に溶け込み
なにも変わっていない事に気づくのである。
なぜなら
幸隆の耳に「それが 君の未来なんだよ」と昌幸に囁かせたのは「人の本質」だからである。
真田幸綱 じ~じ @mune_gg
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