第17話 砥石城攻略
川中島の合戦の終わる 13年前
1551年
砥石崩れのわずか半年後、武田晴信も、対する村上義清も信じられない
驚くべき事態が起こるのである
砥石崩れと言われる一年戦争、武田軍「二度目で、最大」の屈辱を味わった翌年の春のことである
5月25日上洗馬神社春の大祭の日、
朝から神楽の行列が洗馬の谷のあぜ道を
槍を持ち、旗を揚げ、太鼓、鐘を鳴らし、小さな祠を担ぎ
子供が後につく行列が始まっていた。
武田の将を甲府まで敗走させ村上は油断していた
村上の本隊は小笠原がいる平瀬城に集結し
弟達は砥石城に居た志賀、大井の残党を平瀬城へ結集させ、高田氏を上野に戻していた。
砥石には足軽兵30、本城、枡形城には80程の村上軍しか居なかった。
準備は整っていた
綱手たちは本城に入る、盃ににガマガエル汁、肴に蓮汁の結晶を仕込み、
ナメクジを仕掛けた、本城は浮かれに浮かれ、枡形城でも春まつりの宴会は続いていた。
幸隆と忍者は太郎山から枡形城に入った
本城はすでに綱手と忍者が、正体をなくした村上の兵を制圧していた。
夜半に矢沢、常田の兵100が米山城から馬場を渡り、砥石城に向かう
村上の城門警護は門を開ける、
砥石の城門警護の兵と足軽達は矢沢、常田の軍と合流するのである。
砥石の城門に火が放たれ燃え始める、砥石の城門の火は、狭い馬場から米山城まで照らしていた
見渡す限り敵兵は居ないのである。足軽は敵索に出るが、
門の外には敵は居ない、村上の城門警護は敵に怯えていた
矢沢は城門に常田軍を残し
「本城へ 本城へ」と村上足軽と矢沢足軽を先導し本城へ
火をかけたのは混ざってしまった軍の中に居た
幸隆と忍者、綱手は、本城の腰曲輪の土塁の柵に六人の村上家臣と城主を縛り上げ、座らせていたのである。
矢沢、常田の足軽達は挙って降伏の声を上げ武器を下ろした、村上の足軽は矢沢、常田の兵に呼応する
村上足軽大将は正体の無い城主に呆れ、
槍がしらを下げたのである、矢沢、常田の茶番劇は砥石城が幸隆の城となるまで続く
武田晴信の真田家再興の約束は真田家と一部の家臣しか知らなかった。
砥石城は真田幸隆によって乗っ取られたのである
「砥石城一日一夜戦争」だ
五月二十六日
武田が北信の地、村上の壁を一夜にして破って見せたのである。
砥石城攻略後、砥石城を収め、真田幸隆が初めて世に知られる
今でも砥石城祉南門の石碑の近くに炭や焼土の痕跡が残るのである。
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