ばあちゃんの葬式

麦野陽

第1話

 弟が産まれる前の夏休み、俺はばあちゃんの家で過ごした。なんにもない田舎で、俺は毎日すごく退屈していた。そんな俺にばあちゃんは妖怪の話をした。俺はその話が嫌いだった。妖怪だのなんだの子どもの俺だって〝嘘〟だってわかる。何回も何回も同じ話をするから、俺はテレビで見た〝痴呆症〟のことを思い出しながら話を聞いた。そして、四年後の今日、俺は休みの日なのに制服を着てばあちゃんの家にいた。ばあちゃんが熱中症で倒れているのを新聞配達の人が見つけたらしい。このくそ暑いのにクーラーつけてないとか馬鹿じゃん。俺は心のなかで毒づきながら、出された麦茶を飲んだ。


「遠いところすみません」


「急なことで、ほんとにびっくりして……」


 母ちゃんと俺の知らないおばさんが玄関先で話している。ばあちゃんの家なのに、知らない人がたくさんいた。ばあちゃんが生きていたときよりも騒がしい家で、本人は仏間で顔に布をかけられて横になっている。


「今夜はお通夜で、明日お葬式だからね。二人とも制服汚さないでよ」


「はあい」


 六歳の弟は元気よく返事をした。いい子にしていたらおもちゃを買ってあげると言われているから弟は機嫌がいい。単純なやつだな。俺は弟が食べているスナック菓子に手を伸ばすと口に放りこんだ。


「それぼくの! 兄ちゃんのばか!」


「あーそんなこと言っていいのか。いい子にしてないとおもちゃ買ってもらえないぞ」


 俺はそう言ってさらに弟のスナック菓子に手を伸ばす。弟は俺の手と減っていく自分のスナック菓子を交互に見て、口をゆがませる。あ、やべ。思ったときには遅かった。火がついたように弟は泣き始め、それを聞きつけた母ちゃんはすっ飛んできて俺の頭を叩いた。


「いってえ!」


 かあちゃんのげんこつは痛い。俺は頭をおさえると母ちゃんを見上げた。


「あんた、いい子にしてないと来月からお小遣いあげないよ!」


「はあ? なんだよそれ」


 俺は母ちゃんに抗議の声をあげる。弟は母ちゃんの後ろでまだ泣いている。泣き虫め。俺は弟を睨みつけると一人庭へ出た。薄暗い道の先、小さな明かりがいくつも見える。その明かりはこの地域に住んでいる人たちだった。家の前にくると、人々は懐中電灯を消して受付にいるおじさんに頭を下げる。ばあちゃんの通夜は七時から始まった。いろんなところから、すすり泣く声や鼻をかむ音が聞こえる。いつもは怖い母ちゃんも泣いていて俺はびっくりした。周りにつられて弟も泣いたが、俺は泣かなかった。なにを言っているのかよくわからないお経を聞きながら、壁にかけられた時計を何度も見た。足の感覚がなくなった頃、ようやく通夜は終わった。帰る人もいたが、大半の人が残っていた。大人たちはばあちゃんが横になっている前に机を用意して、たくさんの御馳走をその机の上に並べた。腹が膨れると、俺は隣の部屋で持ってきていたゲームをして過ごした。お酒を飲んでいる大人たちは大騒ぎで、みんなさっきまで泣いていたのが嘘みたいに笑っていた。大人って変だ。俺は思いながら、ゲームをクリアするとそのまま横になった。


 どれくらい眠っていたのか。目を覚ますとふすまの向こうから話し声が聞こえた。俺は自分の携帯で時間を確認して眉間にしわを寄せた。夜中の二時。大人たちはまだ酒を飲んでいるのか。思ったが、ふすまの隙間から明かりは漏れていない。暗い部屋で酒は飲まないだろう。じゃあ、今聞こえているこの声はいったい誰の声だ。俺はふすまをそっと開いて敷居をまたぐ。


「今夜は火の当番、俺がするよ」


 おじさんが母ちゃんと話していたのを俺は思い出す。今夜は火を消してはならないと言っていたけれど、なんだよ誰も当番してないじゃん。いい加減だな。俺は携帯のライトで足元を照らしながら鼾をかいている大人たちを踏まないように歩いた。唯一の明かりであるばあちゃんの枕元のろうそくの火が風もないのに揺れている。ばあちゃんに近づくにつれ話し声は大きくなっていった。


「ひっ」


 俺より少し背が高いだろうか。ばあちゃんの周りを五体の黒い影が囲っていた。その影は人の形をしているみたいに見える。ゆらゆらしていて輪郭もぼやけているから、はっきりしないけれど、俺にはそう見えた。慌てて俺は自分の口を塞いだけれど遅かった。黒い人の影は一斉に俺を見た。俺は叫びだしたいのを必死でこらえて後ずさった。影たちには大きな目が一つしかなかった。その目は暗い部屋の中でもわかるくらい光を発していた。こんなに明るいなら、ここまで来る間に気づきそうなのに。彼らは目を閉じて話していたのだろうか。考えて俺は首を傾げた。確かに話し声が聞こえたのだ。でも彼らには口がない。じゃあ、あの声は? 大きな一つの目はゆっくり瞬きをすると、俺には興味がないという様子でばあちゃんに向きなおった。そして、話し声がまた聞こえ始めた。どうやって話しているのかはわからないが、他に話しているのは彼ら以外ありえないだろうと俺は思った。だって、ばあちゃんは死んでいるし、こんな声じゃない。考えて俺は首を傾げる。あれ、ばあちゃんの声ってどんな声だっけ。


 フラッシュ機能をオンにして、俺は携帯のカメラのシャッターを押した。一枚、二枚、三枚。明日弟に見せよう。きっとあいつ泣くだろうな。俺は携帯をポケットにしまうと、ギョッとした。ばあちゃんが宙に浮いていたからだ。黒い影に囲われたまま、ばあちゃんは縁側へと進んでいく。ふすまが勢いよく開かれ、蒸された夜風が部屋になだれこんだ。ろうそくの火は消え、月明りの下にばあちゃんはいた。俺は手近にいた大人を揺さぶったが、起きる気配はない。黒い人影はそのままばあちゃんをどこかへ運ぼうとしている。 


「お、おい!」


 俺は玄関にまわり、自分のスニーカーをはいて外に出た。するとすぐ目の前を黒い影に担がれたばあちゃんが通り過ぎていった。辺りは真っ暗だったが、ばあちゃんの周りだけ車のライトで照らしているみたいに明るかった。遠ざかっていく明かりに俺はついていくか迷ったが、葬式にばあちゃんがいなかったら母ちゃんたちが困る。それに好奇心もあった。携帯の電池の残量を確認すると、俺はばあちゃんを追いかけることにした。本当に人が住んでいる町なのか。不安になるくらい人の気配がなかった。夜だからというのもあるかもしれないけれど、俺が住んでいる町ではありえないことだった。蛙と蝉の鳴き声以外聞こえない道をしばらく歩く。ライトに照らされる景色はどんどん山へと近づいていた。


「もしかして、この山に入るのか」


 俺は迫ってくるいっそう深い闇にたじろいだ。幸い、黒い人影たちは俺を襲うことはなかった。けれど、ここにきて俺は急に怖くなった。こんなところにばあちゃんを連れてきていったいなにをするつもりなんだ。


 俺の不安をよそに黒い人影たちはばあちゃんを担いだまま、どんどん山道に入っていく。俺は自分の携帯で足元を照らしながら山道にはいった。黒い人影たちの明かりは近づいたり、遠ざかったりする。追いついているのかいないのか、俺にはだんだんわからなくなってきた。何度もつまづき、なにかが腕や足をひっかいた。それでも、額の汗を拭いながら俺はばあちゃんを追いかけ続けた。どれくらい歩いただろう。すこし広い場所にでた。ここが山のてっぺんなのか? 俺は思ったが、まだ道が続いているあたりここはまだてっぺんではなさそうだ。きっと太陽が出ていたら、景色がいいんだろうけれど、あいにく田舎の夜は町の明かりが少ない。黒い人影たちが発する明かりは強くあたりを照らした。


「この形疲れちゃった」


 はっきりとした声が聞こえて、俺はとっさに木に隠れた。俺以外にも誰かいるのだろうか。息をひそめていると、さらに声が聞こえた。


「戻ろ戻ろ」


 ライトが急になくなり、あたりは真っ暗になった。黒い人影が消えた? 俺は目をこらしてじっと暗闇を見つめる。こんな一瞬の間に消えるわけがない。それに戻るっていったい。


「あら、あなた変身がうまいのね」


 声をかけられ振り返ると、女の人が立っていた。母ちゃんと同じくらいの年に見える女の人は俺の姿を上から下までなめるようにじっと見ている。


「変身って」


 思わず訊き返しそうになって俺は口をつぐんだ。こんな時間にこんな場所でこの人はいったいなにをしているんだ。


「あたしなんて、ほら見て。気がゆるむとしっぽが出ちゃうの」


「しっぽ」


 俺は呟くと、女の人のお尻を見た。暗くてあまりよくわからないけれど、しっぽのようなものがふわふわと揺れているのが見える。その時だった。ドンドンドンと地響きのような音がして女の人は目を見開いた。


「まあ、大変! お葬式が始まっちゃう!」


 ドンドンドン。女の人は俺の手をぎゅっと掴む。びっくりして手を振り払おうとしたけれど、女の人の力は強かった。


「ほらお太鼓がなったわ。あなたも行くんでしょう。だってわたしたちはみんなお世話になったものね」


「え、ちょっと待って」


 ドンドンドン。三回目の太鼓が強く鳴り、女の人は俺の手をひいて走り出す。広場に近づくと急に視界が明るくなった。まるで昼間のようだ。俺は首を傾げた。おかしい。さっきまでこの広場を俺は見ていたのだ。そのときは真っ暗だった。それがどうしてこんなに明るい。それに。俺は何度も目をこすった。喪服に身を包んだ人々が大勢いる。いくら暗くてもこんなに人がいるなら気がつかないはずがない。


「ああ、間に合ったわ」


 女の人はそう言うと、ポケットから葉っぱを取り出した。葉っぱ? よくよく周りを見てみると、喪服を着た人たちはみんな手に葉っぱを持っていた。前方に目をむけると、ばあちゃんが宙に浮いている。異様な光景のたし算に俺は頭が痛くなってきた。


「さあさ、みなさん準備はよろしいか」


 壇上で男の人が声をあげた。あらゆるところから声があがり、男の人は満足そうに自分の頭に葉っぱを一枚乗せた。音楽が流れ始め喪服姿の人たちはばあちゃんの周りに集まっていく。太鼓は音楽に合わせて大きく鳴り、葉っぱを頭に乗せた人たちは笑顔で踊りに加わっていく。とにかくばあちゃんを取り戻さないといけない。俺は輪の流れに入ろうとした。けれど、入れなかった。人々の勢いに弾かれてしまうのだ。どうすることもできないまま、俺は茫然と宙に浮かび続けるばあちゃんを見ていた。すると、恭しく壇上の男の人がばあちゃんの頭になにかを乗せた。


「それではみなさんご一緒にい!」


 壇上の男の人が手を合わせるのと同時に、輪の流れにいる人たちも手を合わせる。そして大きくジャンプした。


「ぽんっ!」


 人々が声をあげるとばあちゃんは消えた。かわりに狸が宙に浮いている。ばあちゃんだけではない。さっきまでいた人々はみんな消えてしまった。そこにもここにも狸、狸、狸。人と同じ大きさの狸が二足歩行で拍手をしている。


「ほら、あなたも戻りましょうよ」


 一匹の狸が俺の肩を叩いた。


「いや、俺は」


 後ずさる俺の手を掴むと狸はじりじりと顔を近づけて牙を見せた。


「ほら早くして! みんな待ってるでしょ」


 無理やり葉っぱを乗せられ、俺は狸たちに囲まれる。俺は壇上に目をむけ、ばあちゃんの姿を確認しようとした。けれど、そこにばあちゃんの姿はなく、探そうにもいったいどれがばあちゃんなのか分からない。


「ちょっと待ってくれ俺は」


「それではご一緒にい!」


 壇上の狸の声が高らかに響き、周りの狸が手を合わせる。


「ぽんっ!」   

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