猫の声が聞こえる少女

@ponax

第1話

夏は嫌いだった。


春夏秋冬、夏は特に「夏」を想起させるものが多すぎる。

夏らしさ、夏の象徴。

晴天の空、昇る入道雲、眩しすぎる太陽、それらどれもが夏らしい。

そこまで主張しなくても皆分かってんだよ今が夏だってことくらい、暑すぎなんだよ。


夏休みなんて最悪だ。

時間が腐るほどあって、どうしても一人でいる時間が増えてしまう。そうなると、一人でいると、「夏」が頭の中をちらつきはじめてしまう。


思い出してしまうんだ。あの夏のこと、夏休みのこと。夏が来るたびに。

5年前、暮れる炎天の下、女の子の滲んだ表情、瞳から溢れた頬に伝う一縷の、

気を抜くとすぐに頭の中で上映会が始まる。


だから、熱帯夜の中冷房もつけず窓を閉め切って、頭を沸騰させる。

何も考えないように、何も思い出すことがないように。

夏休みは毎年こうしてる。


だからだろうか、温暖化の影響で年々気温が上がっているからだろうか。ついに頭がいかれてしまったのだろうか。

だからなのだろうか


「昨日助けてくれたお礼をしにきました! に、にゃ?」


目の前に突然、女の子の幻覚が現れたのは


「あ、あや? 外した?」


目が合い、女の子が不安げに首を傾げたので、会釈みたいなものかと一応こちらも首を傾げておいた。


「……」

「……」


いや知らんけど。


堪らず、窓を見た。空は藍色に染まり、黄昏の終わりを知らせ、夜の始まりを告げていた。そろそろ夕飯の時間だった。


「母ちゃん飯ィ!」

「あ、ちょっとぉ なんで無視するの」

「えっ…」

幻覚であるはずの女の子に手を引かれ、口からハートマークが飛び出すかと思った。 

「それに、さっき居間覗いてきたけどおばさんいないみたいだったよ」

「おばさん…?」

「あ、や、」

俺の驚きに反して、普通に喋り続ける少女。直接干渉できるとか何こいつめんまか?

「ちょっ…何、え? お前幻覚じゃねぇの…? 」

「何言ってんの? ほら、手握ってんじゃん」

手元を見ると、握られていることよりもなぜか毛の深い手袋をしていることに気をとられた。

「なら不審者か?」

「ふし、は!? 違う、猫! 昨日君に助けてもらった猫!」

「えぇ…?」

何言ってんだこいつ…。猫ってなんだ、そもそもなんで女の子が俺の部屋にいるんだ、いやそれ以前にどっから入ってきた、女じゃなかったら今すぐ窓から飛び出してたところだぞ、俺が

「猫、猫…? 何言って…」

「…昨日、交差点に迷い込んで動けなくなってたのを助けてもらったんだけど」

「あ、あぁ… そいやいたな、車に轢かれそうになってた」

「そ、そう! その猫」

「が?」

「私」

「は」

「思い出した? それでね…」

暑さで頭が逝ったのは俺の方ではなかったらしい。

「や、どう見ても人間じゃねぇかお前…」

「ち、ちがっ どこに目つけてるの! 猫耳あるでしょ! ほ、ほら尻尾も…」

言って、女の子は腰を捻り、尻尾をこちらに突き出してくる。

見ると確かに手、足、耳、尻尾は柔らかそうな毛に包まれており、猫「らしい」といえば一応猫らしい。コスプレにしてはなかなかのクオリティ。

しかし、だからこそ気になる点がある。

「えと、どうやって生えてんだ…? その尻尾」

「え゛」

彼女の動きがピタリと固まる。

「い、いいじゃん別にそんなこと。えと、尾てい骨? とか?」

「ほぉ、尾てい骨」

確認させてもらおうと一歩踏み出すと、なぜか顔を赤くしてサッと尻尾を後ろに隠された。

「え、何」

「そっちこそ何!? 尾てい骨って言ったじゃん! こっち来ないで!」 

「分かった。尾てい骨から生えてたらお前を猫と認める」

「わ、こら、近づくな」

さらに距離を詰める。いや、やましい気持ちとか一切ねーから、まじねーから。

「こ、この…! やー! 裕ちゃんのえっち!」

何か今俺の名前を呼ばれた気がするがこの際どうでもいい。

今俺の体は、この娘の尻を見ること以外の行動をとらないようにプログラミングされている。

「も、もぉー!」

「……」

さっと回り込むと、スカートの下から尻尾が生えていた。むむ、これは致し方ありませ――

「ボディ!」

「おう!」

「そういうのいいから! 我は猫! 汝は恩人! それだけの話!」

スカートの下から覗こうとしたら、思いっきり腹を殴られた。

いや冷静に考えると当然ですね! 失礼致しやした!


「で、君の望みを何でも叶えてあげるって言ってるの!」


「……」

右ストレートが思ったよりも綺麗に入ったせいか、声を絞り出すことすらできなかった。


*  *  *

とりあえず、お互い落ち着くために下に降りてお茶を淹れてきた。

「おかえりー」

「おーおーご機嫌だなぁおい」

部屋に戻ると猫娘は図々しく勝手に冷房をつけてベッドの上に寝転んで漫画を読んでいた。猫がねころ

「茶」

「ありがと」

漫画から目を逸らさずに礼を言う。俺ら初対面だよね? 違うの?

「冷めるぞ」

「一応猫なもんで、はい」

「あ、そ」

失礼な相手にはとことん失礼になれるどうも俺です。

構わず茶を啜っていると、猫娘は一区切りしたのかベッドから飛び降りてきて、テーブルを挟んだ俺の真向かいに座って茶を啜った。

「ぬるい」

「…で、何でも望みを叶えてくれるってか?」

「ん、そうだよ」

「何でも…」

何でも…か。いや流石の俺も分かっている。この小娘ができることなんてたかがしれているということなど。因みに何でこいつがそんなことを初対面の俺にしてくれるのかという疑問についてはもう考えないことにした。恩返しに来たネコちゃんなんだよネ。了解了解。

「あ、ちょっと待て、叶えてくれる望みって何個でもいいのか?」

「ん、いーよ。今日一日、私のこと好きにしても」

「えっ…」

えッッッッ 望みってもしかしてそっち系でもおーけー? 男の子の欲望ぶつけてもいいとかそんな感じ?

「あ、好きにって、その、別にそういう意味じゃ」

つい、目の前の女の子を凝視してしまう。

コスプレの部分は置いとくとして、よく見れば、いやよく見なくても結構可愛い。キョドらないのが不思議なくらい。どこか懐かしさを感じさせる振る舞いのおかげだろうか。

派手な瞳に端整な鼻立ちが大人っぽい印象を与え、ぷっくりとした可愛らしい唇がそれらを中和し、全体としてあどけない顔立ちになっている。

因みに身体は思ったより貧相。特に胸あたり。季節感があってよろしい!

「な、なに?」

目が合って、彼女の顔がほんのりと赤く染まった気がした。

「……」

思わずごくりと喉が鳴る。欲望と理性という名の悪魔と天使が今ちょうど俺の脳内で戦いを繰り広げていた。

『ぐへへ…何でもっていうなら大人の階段上らせて貰ったらどうだい?』

いや確かに悪魔くんの言う通りやなー。こんな機会次に来るのは来来来世×5くらいやろからなぁ

『おまちください!』

おぉ、天使ちゃんはどう思う?

『どうせなら猫の交尾っぽくしてもらってはどうでしょう!』

どうでしょうじゃねぇよ俺の中には理性ってもんがねぇのか

「……」

「ちょ、ちょっと、何か目つきがやらしーんですけど…」

「はっ」

身体を引いて、そっとガードするように腕で体を隠される。

いかんいかん、俺もラノベ主人公を目指している端くれ、いかなる時も紳士でなければならない。そう、煩悩を捨て去りの水の心を得たかの賢者、青ブタシリーズ主人公のように…

「す、すま…」

「…」

しかし詫びを入れようとしたところ、彼女の様子がどこかおかしく、思わず口を噤んだ。

「別にいいけど…」

「え?」

見ると、顔を赤らめ、恥ずかしさを誤魔化すように俯いて自分の尻尾をくるくると弄っている。

「ど、どうせっ 普段から女の子と触れ合う機会なんて全くないんでしょ?」

「ぉい」

「だからっ その、モテない君のために、私があの…」

俯いたまま瞳だけを上げ、上目遣いの瞳と視線が交わる。

潤んで熱を帯びた視線が身体の奥底まで届き、鼓動が駆け足を始めた。


「半径5m以内で息することを許してあげる!」


「俺どんだけ卑屈な奴だと思われてんの…」

『何でも』の限界範囲が判明した瞬間だった。


*  *  *


「…クソがァ!」

「ふふん、ゲームはやっぱり私のが上手いみたいだね」

えっちなお願いは無理だと判明した後、彼女が俺の部屋に置いてあるゲームをしたいと言い出して、今に至る。

「もう一戦やろ? ね、もう一戦!」

「…俺これ以上負けると悔しくて死んじゃう」

それからかれこれ4時間ほどゲームをやっている。

どこかに彼女の興味を逸らす手段はないものかと、部屋を見渡す。

時計を見ると、二つの針がてっぺんを指していることに気付いた。

「あ、こんな時間だけどお前帰らなくていいのか」

「え、あ! やばっ ママに怒られる」

「ママ?」

「お、お母さん猫の事!」

もうその設定やめてもいいんじゃないすか? 猫の手袋もゲームやる前豪快に外したわけだし…

「…ならもう帰れ。なんなら家まで送るし」

「うん…。あ、でもまだ…」

言うが、申し訳なさそうに視線を落として立ち上がろうとしない。

言葉を待っていると、数秒の後、口を開いた。

「まだ、君の望み叶えてない…」

「…、なんだ」

そんなことか。家出少女か何かかと思ってえろいことまで考えた俺がバカみたいじゃん。

「いいよ別に、大して期待してない」

「それじゃ私の気が済まないの! 何か、何かない?」

「本当の望みなんて自分に分かるもんじゃねーんだよ、多分」

「そうはいっても…」

何を言っても引き下がってくれる様子がないので、アプローチを変えることにしてみた。

「…それに、お前が俺の頭かき乱してくれたおかげで、一瞬だけでも夏を忘れることができた。それで十分だよ」


「…どゆこと?」


刹那、彼女の表情に陰りがさす。

「え? いや」

「夏が、嫌いなの?」

墓穴でも掘ってしまったのかと話題を変えようとしたが、身を乗り出して追及してくる。

「…夏に、何か嫌なことでもあった?」

「…え」

急にどうしたのだ。夏の話題を出した途端、今までとは一変、重苦しい空気が流れ始めた。

ごまかしが許されない雰囲気に、思わず喋り出してしまう。夏が嫌いな理由。


「別に…よくある話だよ。5年前、隣に住んでた幼馴染の女の子と大喧嘩したんだ」

「あ…」

「喧嘩なんてしょっちゅうしてたんだけど、そん時は本気でムカついて、悪口言う代わりに初めて「嫌い」って言ったんだよ、そいつに」

「……」

「「嫌い」なんて言葉、悪口の一環だと思ってたから、何の気なしだったんだよ、ホントに。でも、その子泣いたんだ。今まで涙一つ見せなかったような子が、「嫌い」の言葉一つで」

「それで俺、ビビってさ。慌てて逃げたんだ。そのあと後悔したけど、次会った時謝ればいいやって」

「……」

女の子は目も逸らさず、俺の話を静かに聞いてくれた。

「次は来なかった」

瞳に俺の表情が映っていたから、彼女の感情なんて知る由もなかった。

「転校しちゃったんだ、その子。何も言わずに、ひどいよな。俺も、その子も。あんなに仲良かったのにさ」

「…逃げたから言えなかったんじゃん」

彼女がボソリと何事かを呟いた。

「今ではどう思ってるの?」

「え?」

「その子の事。会って謝りたい? 仲直りしたい? …それとも、もう忘れたい?」

「あぁ…そうだな」

5年前を思う。あの子は今、どんな風に成長しているだろうか。願わくば、目の前の女性のような美少女になっていることを望む。

「会って、伝えたいことがある」

「…何?」

「あれから俺も少しは大人になって、色んな言葉を知った、想いを言葉で伝えられることも知ったし、あの子に抱いていた感情にもちゃんと言葉がある事を知った」

「……」

「離れてから、初めて知った。ずっと一緒だったから、分からなかった」

でもあの子ならきっと、どんな成長を遂げてもきっと立派な女性になっていることに違いない。


「好きだったんだ、ずっと。それを伝えたい」


心臓の音がよく聞こえた。うるさすぎる気がした。俺だけのものだろうか。

静寂が耳に付き、女の子が黙り込んでいるのに気づいて我に返った。

「…あ、いや」

「……」

「ま、まぁ、その子はもう俺の事なんて覚えてないだろうけ、」


瞬間だった。


ふわりとシャンプーの香りがしたと思った時には全てが終わっていた。

驚いているのに声が出ず、手を伸ばそうにも身体は固まっていて。

そんな俺を置いて彼女は立ち上がり、陽炎みたいに揺らめき振り返る。


目が合うと、逸らされて。頬を朱に染め、はにかんだ。


「夏、」

「…え?」


「好きになれるといいね」


そっと指先で自分の唇に触れてみる。


少しだけ、濡れていた。






































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