百合短編小説 『弓道ガールと剣道ガールのシークレットエデン』

くさなぎ そうし

1. 『今だって、大緒の胸触りたいって思ってる!』

「射っ!!」


 袴を着ている男女が大声で四連拍手を行うと、場が湧きたつ。


小百合さゆり、さっすがっ! 次も絶対行けるよ!」


「いけいけ、小百合! お願い、あんただけでも全国大会に行ってぇ~」


 瞳を濡らしながら願う部員達。私も彼女の名前が呼びたい、だけど心の中だけで彼女の矢に強く願う。



 ……お願い。後、もう一本! 



 再び願い、小百合を見ると目があった。彼女はあの頃見せたように目を細めて自然に微笑んでいる。その瞬間にずっと長年温め続けていた赤い実が弾けてしまう。



 ……やっぱり、私、小百合のこと、好きみたい――。



  動揺している私を余所に、小百合は冷静に再び弓を構え矢を放つ。


  

  的にだけでなく、私にも――。




 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「今日、しゃのん、寄ってく?」


「いやー、ごめん。なんか呼び出しくらっちゃってさ。先に帰っててよ」


「そう。んじゃ先、帰るね」


 部活仲間の詩織しおりに謝りながら職員室に向かうと、そこには担任兼部活顧問の岩永いわなが先生と弓道部の小泉小百合こいずみ さゆりがいた。


「よしよし、二人とも集まったね! 本当に君たちはよく頑張ってくれた! 担任としても、体育顧問としても私は嬉しいよ!」


 ぐりぐりと岩永先生直伝の愛情表現を喰らいながらも、小百合は表情を崩さない。


「それで先生。お話というのはそれだけですか?」


「いやいや、そんな訳ないでしょ。冷たいなぁ、小泉は。大字おおもじはわかってるよね?」


「県大会に……関係してることですよね?」


 尋ねると、岩永先生は首を縦に振る。


「まあ、そうだねぇ。君達、テスト勉強なんて全然やってないでしょ。やっぱりそれじゃまずいわけ。赤点のまま、表に出す訳には行かないのよ」


「まあ、そうですよねぇ……」


 頭を掻きながらテストの行方を振り返る。五教科だけでなく、期末での成績は散々だった。だからこそ、大会に集中でき、結果を残すことができたのだが。


「それで! お二人には特別に補習授業を受けて補填して貰おうと思ってます。それで追試はなしって条件だから、当然飲むよね?」


「はい! もちろんです!」


 私が頷くと、小百合は納得がいかないのか声を上げない。


「小百合?」


「私は……嫌です。全然、練習量が足りてないので……このままじゃ、この先なんて……なので勉強なんかしてる暇ありません」


「え? 何いってんの? だから岩永先生は……」


「それでも無理です! 失礼します!」


 小百合はそういいながら職員室から勢いよく飛び出していく。扉から彼女の行方を眺めるが、すでにもう姿はない。


「あちゃー、あれは大分こじらせてますねぇ」


「そうねぇ。私の手に負えそうにないから頼むよ、大字」


 岩永先生はにやにやと含み笑いを見せながらいう。


「えー、私にも無理ですよぉ。どんだけ勉強嫌いなんですか、まったく……」


「元々、彼女、成績は悪くないのよ。ただ今は弓道に集中し過ぎてるんだと思う。ってことで頼むよ、大字。次期主将なんだから、連れてくるくらい訳ないでしょ?」


「まだなってないですってば! やめて下さいよ、そういうの」


 嫌がる私を余所に、岩永先生は私の肩を掴みながらゆっくりと力を入れていく。


「もうなることは決まってるんだからいいでしょ! 次の補修、小泉を連れて来ないと大字も受けさせないから。大体、小泉となんでしょ?」


「まあ、そうですけど……、そうだったんですけど……。今は全然話してないですし、無理ですって」


「まあ、頼むよ! 話はこれで終わり! 期待してますよ、剣道部のエースさん!」



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 

 ……うわ、まだ練習してる。



 弓道場に足を運ぶと、小百合は薄暗い中、一人だけで練習していた。どうやら矢は無限にある訳ではなく、何本か打った後は的の方へ取りに行かないといけないらしい。



 草履を履いて自ら的へ辿り着くと、小百合は矢の当たり具合を低い姿勢を維持して確かめている。まるで科学者が試験管を観察するように吟味しているようだ。



 ……弓道、本当に好きなんだな。



 小百合の真剣な表情にぐっと息を潜める。覗き見していたことがわかってしまえば、補修に来てくれないことはおろか、話も通じないことは今の私でもわかる。



 ……でも、離れられないよ。こんなもの見せられちゃ。



 誰もいない道場で小百合は手を抜かずに型を一つずつ整えていく。その所作は舞を踊っているように華憐で、武道に準ずる鋭い視線が私の胸を打つ。


美しい。まるでそこは小百合だけが存在するために作られたサンクチュアリィのようで、時が止まっている感じを受ける。



 ……小百合。どうして私から離れていったの?



 胸に燻ぶる思いが再燃していく。中学の頃の剣道部ではいつも一緒だった。朝から占いの話をしながら登校して、部活を終えてコンビニで買い食いをしながら先輩や顧問の悪口をいって、家についても気になる番組の感想をラインで言い合って……。


 家は別でも生き別れた姉妹だと思ってた。来世でも、結婚しても、離れ離れになっても一緒にいたいと思ってた。それなのに、どうして――。



「……大緒なお、そこにいるの?」



 草履の音がぴたっと止まり、小百合はぼそりという。壁越しに彼女の存在を感じ緊張が走る。


「……ごめん。話があったんだけど……邪魔しちゃった」


 小百合の前に立つと、彼女の道着が汗で透けているのがわかった。滴る汗を拭いながら彼女は弓を掴み直す。


「今、集中しているから……また今度でいい?」


「うん、ごめんね。……また今度」


 離れようとすると、小百合は無駄のない動作で再び的を狙い始めた。その仕草に昔の彼女は見えない。



 ……でも、今、話さなかったらもういえない。


 

 心の中で不安が渦巻いていく。高校に入ってほぼ一年半、小百合とは話せてない。きっかけが掴めなかった訳じゃない。嫌われることが怖くて、ずっと逃げていただけなのだ。


 ここで話せなかったら、卒業するまで、ずっと無理――。


「……大緒。邪魔なんだけど……?」


「ごめん、小百合……やっぱり少しだけでも、話できないかな? 帰り道、一緒だし……」


「…………」


「小百合、お願い……」


「……じゃあ終わるまで待ってて。何時になるかわからないけど……」


「うん、ありがと……」


 無言で弓道場を離れると、的に矢が当たる乾いた音が響いた。幼馴染と帰るだけなのに、不思議と体が震えた。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「……でさ、お願い。別にテストはないんだしさ」


 街灯の光をいくつも浴びながら小百合に話し掛けていくが、何も答えてくれない。自転車のチェーンの音がからからと鳴るだけで、彼女は一言も話そうとはしない。


「……夏期講習だって免除してくれてるしさ、岩永先生も困ってるし……」


「じゃあ、大緒だけ受けたら?」


 

 ……それができたら苦労しないよ。



 小さく心の中で毒づくと、彼女は頭を傾けながら言葉を続けた。


「もしかして、先生から催促された? 私も受けないと、受けさせないとか?」


「いや……そういう訳じゃないんだけど……」


「じゃあ、いいじゃん。大緒には関係ないでしょ」



……どうして、そこまで私を避けるの?



今まで溜まっていた心の声が、徐々に姿を現し始めていく。部活が違っても同じクラスなら、元通りになると甘く考えていた。


だが小百合は別のクラスにいる部活仲間とよくつるみ、私の方など見向きもしない。



私は小百合の言葉をずっと待っているのに。




「……小百合、どうして剣道、辞めたの?」




 坂道を下りながら小百合に呼びかける。


「いつも一緒にいたのに、高校でも一緒になれると思ってた――」



 好きな話題を好きなだけ、好きな時間に話せる親友。当たり前に思っていた、いつまでもこの関係が崩れるはずがないと思っていた。


 なのに小百合は一方的に、私がいない世界を選び、私をあっさり切り捨てた。



 彼氏ができた訳でもなく、ただ私だけを――。



「小百合がいなくなって、私、本当に辛かった。小百合がいたから、今までの私、楽しかったんだって気づいた」



「……大緒、私はここにいるよ?」



 小百合はそういって、目を細めながら私を見上げる。薄くて形のいい唇が少しだけ緩んでいく。


「私が知ってる小百合はここにいないよ。何にもなくてもおどけて、ちょっと不安そうな笑顔を見せてくれた、あの頃の小百合はどこにいったの?」



「……だからいるよ。ここに」



 小百合は再び自分の胸を挿す。


「でもね、今は封印してるの。私、人より体小さいし、体力ないし、人一倍頑張らないと、結果出せないから」


「じゃあ……試合が終わったらさ……」


「じゃあ、何? これからは元通り、仲良くしてってこと? それは無理。私、弓道部だから。同じ部活の仲間の方が大事だもん」


 小百合はそういって視線を反らしながら自転車に飛び乗った。坂の勢いで一気に公園の方まで下っていく。



「補修は受けない。試合が終わったらちゃんと追試、受けるから。だから大緒だけ出て」


「小百合……」


 私から加速して離れていく小百合に縋りたい。でも、彼女は決して受け入れてくれないだろう。


 漠然とした今の私の感情じゃ、小百合を留めることはできない。


「小百合、私、何か悪いことしたかな? それだったら謝るから。たまには一緒に帰ろうよ……」


「……大緒。さよなら」


小百合はペダルを漕ぎながら離れていく。ライトの電動音がフェードアウトして消えていく。


「私達、もう別の世界にいるんだよ。だから……ちゃんと離れてくれないと、困るよ」



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 退屈な補修を受けて2週間、先になんとか全国大会の切符を得た私は小百合の試合会場に足を運んでいた。


 今現在、小百合は7本中5本当てており、後1本で全国への切符が得られる所まで来ている。


「小百合、ラスト一本! 頑張って!!」


「小百合ー、行けー! あんたなら取れるよ!!」


 道場に似つかわしくない黄色い声援を受けながらも、小百合は表情を変えない。彼女の気持ちは目の前にある一本の矢だけ。


「小百合ー! お願い!!」


「小百合ー」


 感情を切り離したように射形を整えていく小百合。心を決めたのか迷いなく純粋に横顔見せてくれる彼女に心を寄せる。



 ……小百合、必ず決めて!  やっぱり、私、あんたのこと、好き!


 

 心の中で何度も呪文を唱えるように願うと、小百合と目があった。その瞬間、彼女は目を細め口元を緩めた。


 

 ……お願い! 当てて!!


 

 矢を口元に当てながらも小百合はその姿勢を維持して引き延ばしていく。エネルギーを溜めるように、皆の思いを集めるように弦が膨張を続けていく。


 

 一瞬にして放たれた矢は的のど真ん中にあたり、周りにいるギャラリーが声援を上げた。先ほど緩んでいた口元は再び鞘に入るように閉じられていた。




 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「小百合、おめでと!」


「……大緒、来てたの」



 小百合の後をつけて待っていた私は、彼女が一人になった所に声を掛けた。お互いに帰るバスは一時間に一本しかないからだ。



「うん、隠れて見てた。ほんとーによかった! 弓道のことなんて、よくわからなかったけど、小百合は凄かったよ!」


「そ、そう。あ、ありがと……」


 小百合はそういいながらも、足を交差させて私から目を反らす。ベンチもないこのバス停で姿を隠すことはできない。


「おめでとう、これで全国行けるね! それだけ伝えたかったの、ごめんね……もう、なるべく話しかけないから……」



遠ざかろうとすると、小百合が私の腕を掴んでいた。


「どこに行くの。ここからしか帰れないでしょ?」


「1時間ずらすよ。その、はなしかけちゃいそうだし……」


「いいよ、話し掛けて。ここでなら」


「……ありがと」


2人で夕暮れの中、待ちぼうけていると、ラインが来た。そこには小百合からのメッセージが書かれていた。


大緒、来てくれてありがと。


「小百合……」


彼女を見ると、白い肌が赤く染まっていた。夕暮れ分を差し引いても彼女の感情を覚える。


「……大緒も、その、おめでと……」


 小百合はそういって首を傾げる。


「私さ、ずっと大緒に憧れてた。剣道じゃ、大緒には絶対勝てないって思ってたの。だから……」


 小百合は心の声を零していく。


「だから……大緒に負けない何かを手に入れないといけないって思ってた。大緒と一緒に入れるようにするためにはどうしたらいいのか考えてた……」


「そうだったんだ……」


 小百合はどんな思いで私から離れることを選んだのだろう。


 一生懸命に練習して、私の前で笑わなくなった彼女の気持ちを考えると、胸の奥がずきずきと痛んでいく。


「うん、だって大緒、ずるいもん。ずっと前だけ見て、私のことなんて見てないように見えたから」


「ずっと見てたよ! 小百合のこと……」


「嘘! 私じゃなくて剣道を一緒にしてる私を見てた」


 小百合はそういって唇を噛む。


「私、ずっとずっと大緒のことが好きだった。同じ水泳クラブに入れたことも嬉しかったし、大嫌いな公文だって大緒がいたから行けてた。中学に入って剣道始めることができたのも、大緒のおかげだって思ってた。……大緒と最初に会った公園、覚えてる?」


「うん、坂の下の公園でしょ」


「……そこで最初になんていったか覚えてる?」


「ごめん、そこまでは……」



「大緒、私をにしてくれるっていったんだよ?」



「はい?」


 戸惑いながら小百合を見つめる。だが彼女は瞳をぐらつかせながら私を食い入るように覗き込んでいる。


「私にとって大緒は友達じゃないの……好きなの、大緒のこと。自分が自分じゃいられなくなるくらい……」


「うん、私も同じだよ……」


 即答すると、小百合は顔を歪ませて涙を零し始めた。


「嘘……」


「嘘じゃない!!」


 心の中でずっともやもやしていた気持ちを吐露する。


「私もね、ずっと考えてたの。私にとって小百合って何だろうって。小百合といる時からずっと考えてた。生き別れた姉妹、家が違うだけで直接話せなくても小百合とは繋がっていられるって、ずっとスマホ持ってた……」


「そんなの、私だって一緒だよ」


 小百合は相槌を打ちながら応える。


「寝る前は大緒のメッセージ以外は入らないように着拒してたし、大緒を待ち受けにして寝てた……朝起きて、キスしてからじゃないと画面変えないようにしてたんだから」


「私だって、お風呂入ってる時、小百合のこと、考えて浸かってた。シャンプーしてる時だって、トリートメントしてる時だって、小百合の綺麗な髪、想像しながら洗ってた」


「私だって大緒の体、想像しながら体洗ってた! 今日は素振りの回数多かったから、筋肉痛になってるだろうし、マッサージしてあげたいなって思ってた!!」


「私だって」


「私だって!!」


 気づけば、乗るはずだったバスが過ぎ去っていく。それでも私達は収まらず、胸に貯まっていた想いを告げていく。


「今だって、大緒の胸触りたいって思ってる!」


「私だって、小百合のこと、抱きしめたいよ!」


「じゃあ抱きしめて! 思いっきり!!」


 鞄を捨て去り小百合の体を包むと、彼女は思いっきり私の胸に顔を押し込んできた。


「いい匂い……ずっとずっとこうしたかった……大緒」


「私も。多分、色んなこと考えて過ぎてた……」



 力を込めて小百合を抱きしめると、彼女も負けじと力を込めてくる。


 女同士はおかしい。世間一般の常識が私達の築き上げてきた絆を友情だと勘違いさせて遠ざけていた。でもこの気持ちは変えることはできない。



 この気持ちはまぎれもなく、愛情だ――。



「私、汗臭くない?」


「大丈夫。小百合のは好き。いい匂い」


 日が落ち、彼女の顔に影が映る。きっとこの先、また迷うことがあるかもしれない。


 それでも今は小百合が必要だと確信してる。たとえ全てを失ったとしても――剣道を失ったとしても、小百合にいて欲しい。



「小百合、私と……」


「大緒、私と……」



 続きの言葉は出ずに、お互いに押し黙ってしまう。お互いにいいたいし、いって欲しい。その気持ちから沈黙が続いていく。



 突然、小百合の背が伸びて私の口元に何かが届く。それが口づけだとわかると、心の中の何かが解放されていく。


「これが私が大緒を好きだっていう証明。伝わった?」


「……うん」


 感情が爆発し、妙な気が高まっていく。目の前には大好きな小百合がいて、ここには縛るものがなくて……何も隠すことなんてない。


 彼女の瞳が闇の中で輝くと、私はもう口をすべらせていた。



「小百合、今日はうちに泊まってよ? 昔みたいに」


「嫌! 絶対に嫌っ!!」



 小百合は眉間に皺を寄せながらいう。



「……私から告白したんだから、今日は私の家に来て。じゃないと許さない」



「……はい」



「うん、素直でよろしい」



 そういって小百合は私の短い髪に指を絡ませながら、弄ぶ。ぎらついた瞳には嘲笑が含まれているが抗う術はない。



 今日は何をいっても小百合のターンだ。先に勝利の盃を交わした勝つ方法はない。



「……今日は寝かさないから、大緒。覚悟しといてね?」」



「……うん。頑張って……耐え……ます」



 小百合の不敵な笑みにやられながら、再びバスを待つが足が震えてまっすぐに立てない。



 ……次のバスまでに後1時間。それまで耐えられるだろうか。



 いや、無理だろう。私は心の中で敗北宣言をして茫然と立ち尽くす。ベンチもないこの場所は二人だけの楽園なのだから、後は小百合のみぞ知る世界へと変わるだろう。






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