十二月十四日

植村様


ご無沙汰しております。件の手紙は無事に私の元へ届きました。

勝手なお願い事を聞き受けてくださり、大変感謝しております。


ひとつ、誤解されているようでしたので、その点を解消したいと思います。

私は確かに兵士を辞め、仙田の介護に勤めておりますが、それは決して押し付けられたことだとは思っていません。


私と仙田が島嶼地域の防衛任務に配属され、植村様の指揮下に入ったのがおよそ三年前のことです。

今にして思えば、仙田は単独行動を好む男で、ばっさり言ってしまえば根が暗く、扱いづらい男であったかと思われます。

部隊の多くの者とは馴染まず、植村様にもご迷惑をお掛けしたことでしょう。

仙田と組むことの多かった私には、多くの同僚から同情や、仙田への批判を耳にしました。

仙田は確かに変わり者です。無口かつ不愛想ぶあいそうで、好戦的。規律を乱すあやうい男のように見えていたことでしょう。

私の方からも、もっと周りと同調した方がよいのではないかと何度か忠告したこともあります。

仙田は首を縦に振りませんでした。意固地なのではありません。彼はおよそ他人というものに興味がないのです。

しかし、私はそんな仙田と組むことが決して嫌ではありませんでした。むしろ気楽だったとさえ言えるでしょう。

たとえば、任務の途中に誰かが仙田のことを本人に聞こえる距離で揶揄やゆしていたとします。

普通の人ならば顔をしかめるなり、反論するなり、何かしら行動を起こすと思うのです。

ところが仙田は何もしません。苦痛とも思わず、平然と任務を続けるのです。

その態度が、私にしてみればうらやましかった。私にはできないことだからです。

常に他人のことを気にしてしまう私にしてみれば、大袈裟かもしれませんが、仙田は憧れの存在でした。


また、仙田と打ち解け(そう思っていたのは私だけかもしれませんが)、話し合っているうちに、仙田の内面に触れることもありました。

彼はいつも、身をにして戦いたいと願っておりました。

戦争など誰も、起こって欲しいとは願っていません。そんなものだから、仙田は周りから浮いてしまったのです。

しかし、仙田は何も戦闘狂なのではありません。話しているうちにわかったのですが、彼は戦ったあとに、いつも死を思い浮かべていたようなのです。

破滅願望というのでしょうか。戦ってち死にして、それで初めて真っ当な人生になると本気で思っていたようなのです。

何か満たされない思いが、仙田の中にあったのだと思います。


彼には身寄りがなかったと聞いています。

孤児ではなく、父親は女に身を滅ぼし、母親はすでに仙田のことを忘れて別の人生を歩んでいるだとか。

仙田ももう、家族との縁を戻そうとは思っていないでしょう。

世の中に合わせられず、むしろそれに対して無視を決め込む。誰にも迷惑をかけず、一人の厭世えんせい者として生きていく。

それが仙田の願いであり、同時に足枷でもありました。

死にたいと願うのは、今の自分を否定したいからです。

仙田は世の中を嫌うことを通じて、その実自分自身をも嫌っていた。

私は仙田のことを憐れみました。

もちろん面と向かってそんなことは言えません。私がそんなことを言い出せば、仙田は拒絶することでしょう。

仙田は誰の助けを求めていません。彼は一人で生きていくつもりなのです。

それでも、私は仙田を見捨てることができませんでした。

抽象的に説明するよりも、島嶼地域での事故を思い返せば一目りょう然でしょう。


搬出用装置の操作ミス、一言で済んでしまうその事故で、仙田はき腕のひじから先を失いました。

戦闘で死にたいと願っていた仙田は、戦いでも何でもない、ただの事故で兵士を辞めざるをえなくなりました。

手術が終わった後の、どこにも焦点を合わせない廃人そのものの仙田の姿を私は忘れることができません。

自暴自棄じぼうじきになり、仙田は何度も自死を試みました。

厄介払いができるとほくそ笑んでいる同僚たちに背を向けて、私は不眠不休で仙田を止めました。

実際の防衛任務で、死の危険にさらされることはありませんでした。

しかしもし、あの島嶼地域が戦場となり、仙田が率先して無謀な戦闘行為に挑んでいたら、私は同じように仙田を止めていたことでしょう。

私は仙田を死なせたくありませんでした。

生きていてほしかった。

たとえ腕がなくなり、身寄りもなく、目的さえも失うとしても、仙田には別の生き方があると知ってほしかった。

振り返れば、私はつくづく自分勝手な男です。書いていて改めてそう思います。


ある日、門井波南様からの手紙が届きました。

最初のうち、仙田は手紙の存在を隠していたのですが、どうにも様子がおかしいので私の方から問い質し、白状させました。

手紙を見て、私は無邪気に喜びました。てっきり仙田は孤独な男だと思っていたのですが、故郷に知人が残っていたのかと感動さえしたのです。

そんな私に仙田は殴りかかってきました。何やら高尚なことを叫んでいた気がしますが、まあ、恥ずかしかったのでしょう。

医療班が駆けつけてくる乱闘騒ぎの末、波南には絶対に返事をしないなどと言い切ったのです。

自棄やけになっている最中さなか、過去の知人からの手紙で繊細せんさいな郷愁に耽る余裕もなかったのでしょう。

彼は孤独に生きて孤独に死ぬことを決め込んでいました。

しかし、仙田の抵抗はその日をさかいに弱まりました。

いえ、実際には波南様の手紙が届いてから、仙田は前ほど強い自殺願望を見せなくなっていたのです。

波南様と仙田との関係を絶ってしまうのは、とてももったいないことのように思いました。

また自分勝手なことを、といい加減呆れられるかと思うのですが、私も仙田を生かすために必死だったのです。

私は仙田に波南様の宛先を教えてくれるように懇願しました。

仙田に書く気がないならば、私が書こうと提案したのです。

仙田には鼻で笑い飛ばされました。それでも何度か繰り返しているうちに、仙田はしたり顔で、私に住所を教えてくれたのです。

『俺たちは星を見る約束をした』

仙田が教えてくれたのはこの一言だけでした。

それ以外のどんな情報も知らない私が、まるで旧知の仲であるかのような体で、違和感のないように手紙でのやり取りを続ける。

私はこれを仙田からの挑戦と受け取り、仙田のふりをして手紙を書きました。

波南様と仙田との関係などわかりませんでしたので、過去の話をしてくれるように促したり、なんとか取り繕っておりました。

返信に迷い、言葉を選ぶ。私の悩み苦しんでいる様を、仙田は楽しんでいる様子でした。

楽しむことを充実と言い換えるならば、それは私の望みが叶ったといえるのかもしれません。

しかし、その結果、私が苦しむのでは本末転倒です。冗談じゃありません。

仙田からもっと多くの情報を探ろうとしてたびたび喧嘩けんかをし、医療班を騒がせたことは申し訳なく思います。


さて、ご存知のとおり、手紙のやりとりをしているうちに、手紙の相手が波南様ではなく、妹の波留様だとわかりました。

思えば不思議なことです。お互いに別の理由で、手紙の送り主だと偽っていたのですから。

その最中、波南様の父、つまり元諜報員の門井様の行方もわかることになりました。

私はこの事実を植村様と共有し、U基地の防衛に連絡を取り、工作員との戦闘を回避することに成功しました。

私どもが好き勝手に始めてしまった、この奇妙な手紙のやり取りが、国の防衛に役に立てた。これは僥倖というよりほかありません。

仙田とて驚きが隠せない様子でした。

自暴自棄になっていた、何も役に立てないと思っていた自分が、間接的ではあれ、皆の役に立てた。

放心している様子の仙田と波留様を引き合わせることにも成功しました。

以来、仙田は一度も破滅願望を口にしていません。

生来の皮肉屋は治らずとも、前よりは一層前向きになったように見受けられます。


経緯いきさつを交えて長い手紙になってしまいました。

仙田は確かに負傷しました。しかし、それはすでに過去のことです。

植村様の気に病むことはありません。

彼は今、生きようとしています。

そして私は、そのような彼を支えることをそれなりに楽しんでいます。

仙田は、早ければ来月早々には退院できるはずです。

そのときは植村様の元へ連れ出したいと考えています。

差し支えなければ、可能な日取りを教えていただければと思います。

いつものことながら勝手で申し訳ございませんが、どうぞ、よろしくお願いします。


二〇××年十二月十四日 三上春海


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