八月二十五日

仙田和高様へ


ふと気になったのですが、仙田さんは私がお送りした手紙を保存していますか。

私は、仙田さんから送られてきた手紙をすべて机の抽斗ひきだし仕舞しまってあります。

時折思い出して、読み返すこともあります。といっても、まだほんの少しですが。

もしも私たちのやりとりがこれ以上続きましたら、抽斗に入りきらず、置き場に困ったのかもしれません。

私の手元にあるのは、当然ですが仙田さんの書かれた文章です。

私の方でいったいどのような手紙を送っていたのか、恥ずかしながら、たった半年前ですのに、うろ覚えなのです。

私は何を書いていたのでしょう。どうして、手紙を続けていたのでしょう。

仙田さんの手紙を読み返すたびに、懐かしみながら、胸の奥底で重たい石が沈んでいくようでした。

細々とながら、手紙のやり取りが続いたことをうれしい。

そして、この手紙はこれを限りに終わりにしたいと思います。


一つには、不穏な情勢があります。

一般市民の手紙も検閲されるようになって、もうひと月になりますね。

もしかしたら近い将来、気軽に手紙を送り合うこともできなくなってしまうかもしれない。

そうなっては、何もかもが手遅れです。

もう一つの理由は、私自身が限界を感じているからです。

すべてを打ち明けておかねばならないと思います。


私は門井波南ではありません。妹の、波留はると申します。


いくつか前のお手紙で、Y市での銃撃事件の話をしたかと思います。

実はその現場に、門井波南もおりました。父と二人で出歩いていたときに、事件に遭遇したのです。

夕刻時の、まだ明るい時間帯での銃撃戦ということもあり、現場は非常に混乱していたと聞いています。

その混乱の最中、父が目を離した一瞬の間に、波南は人混みに紛れ、いなくなってしまいました。

落ち着いてからすぐに、父は警察に連絡し、波南の行方を捜しました。

ご存知のとおり、父は軍部に所属しておりました。

職務内容は口外しない方ですので、詳しいことは知りませんでしたが、並みの兵卒でないことは薄々察しておりました。

だからなのか、多くの警察官が捜査に動員されました。Y市を離れ、都内や隣県にも調査隊が入ったときいています。

それらの努力にもかかわらず、成果は得られませんでした。

姉は失踪という扱いになり、手続きがなされました。

その後、父は軍部を離れました。

詳しいことはやはり話さなかったものの、おそらく姉の失踪がその精神に大きな影響を与えたことと思います。

それはまた、私も同じです。姉がいなくなってから、東北に身を移しても、しばらくは茫然としたままでいました。

そんな折に、貴方からの手紙が届いたのです。


今にして思えば、姉がいないことを素直にお伝えしておけばよかった。

こんなにも長いこと、手紙のやり取りが続くなんて思いもしなかった。

仙田さんにもご迷惑をおかけいたしました。

どうして私が姉のふりをしていたのか、おそらく仙田さんにしてみたら、そこが一番気になるところかと思います。

姉の不在を誰かに知られたくなかったから。

あるいはもっと浅ましく、姉のふりをするのが楽しかったから。

理由はいくらでも、思い浮かべられます。そのどれも、否定しきれません。

ただ、半年前の手紙の内容が思い出せないのと同じように、私は私自身の気持ちがどのようであったのか、断定できずにいます。

何を言っているのかと、仙田さんにしてみたら呆れを通り越してお怒りになることでしょう。

申し訳ないという気持ちはもちろんあります。

姉がいないことがわかり、それきりもう私からの手紙など見たくないということであれば、この手紙をすぐにでも破いてしまって結構です。

私がどうして姉のふりをしたのか。以下に書き記すのは徹頭徹尾てっとうてつび、私の個人的で身勝手な見解です。

独りよがりなこの文章は、決して私を擁護ようごするためでもなく、それでいて仙田さんをなぐさめるものにもならない。

それをわかっていながら、これを書き記す非礼をお許しください。


姉はいつも、どこか浮世離れしていました。

森や海や、空に浮かぶ星々。姉が興味を抱く対象はいつも、人ではありませんでした。

妹の私を含めて、人間という存在をを意識して避けて歩く。

そのような姉のことを、私はあまり好きではありませんでした。

それは、単純に憎い、というのとは違います。

私がいかにかかわろうとしても、姉はいつもするりと抜け出てしまう。

同じ場所には立ってくれない。いつも、姉は私の手の届かないところにいる。

そのような、姉の性質は、耐え難く、そして同時に、興味をかれる存在でもあったのです。


姉の天体観測の趣味はかねてより知っておりました。

その趣味に同行する仙田さんのことも、何度か伝え聞いておりました。

仙田さんは否定されるかもしれませんが、私は仙田さんが姉に惹かれていたものと思っていました。

確信を抱いたのは、いつか私が同行させていただいた、K公園での天体観測のときです。

あの日の姉と仙田さんは、とても様になっていて、私は徹底して脇役でした。

いつも以上に、姉に遠くに押しやられているように感じていました。

私は仙田さんのことも気になっていたのです。いったい姉のどこを見て、あの人に惹かれていたのだろうか、と。

正直に申し上げれば、私は仙田さんのことも苦手だったのです。

仙田さんはもちろん、姉とは違います。それなのに、どこか姉に通じるものを感じてしまっていたのです。

そのような事情もあり、姉あての手紙が届いたとき、その文面を見て、意外にも柔らかい態度であることに驚きました。

これがあの仙田さんなのだろうか。そしてこの文章を受け取る予定だったのは本当に私の姉だったのだろうか。

ひとえに詮索せんさく好きな、意地汚い心だったと自負しています。怒っていただいていいと思います。実際に私は調子に乗っておりました。

姉の不在をいいことに、私は実に回りくどい方法で、姉のことを知ろうとしていたのです。

そんなもの最初に姉に直接聞いていれば何も問題なかったのに、自分の弱さを、手紙に仮託かたくしてごまかしておりました。

重ね重ね、仙田さんには大変ご迷惑をおかけいたしました。


お話したいことがもうひとつあります。

今まで打ち明けるべきか迷い、結局隠していたことです。

これが明るみになって、一番困るのは私の父だと思います。

そちらでは検閲もあるということなので、当然この文章も事前に目に入ってしまいますでしょう。

父に怒られることは決まっています。それでも、どうしても打ち明けたい事情がありますので、これもまた以下のとおり書き記します。

昨年の、確か夏頃。ですのでちょうど一年前のことになります。

蒸し暑い夜に寝付けなかった私は、深夜に自室を抜け出し、水でも飲もうと台所を目指しておりました。

その途中、父の部屋から話し声が聞こえてきました。

話している内容は当然わかりませんでした。それはどこか、異国の言葉のように感じられました。

その声は、明らかに父のものでした。


父は、私たちに職務の話は一切しませんでした。

しかし、その声を聞いたときから、私にはひとつの閃きが思い浮かびました。

父の職務は、間諜だったのではないでしょうか。

これは私の思い付きであり、証拠もなにもありません。

私自身も、自分へ向けてのちょっとした冗談として、思い浮かんだものでした。

しかし、姉の不在が判明してからの、父の対応、そして軍からの脱退を見て、この閃きが再び脳裏によみがえりました。

姉はもしかしたら、何か軍事的な機略に巻き込まれたのではないでしょうか。

私の妄想かもしれません。ですが、このように考えると、父の態度にも説明がつきやすいかと思うのです。

実は父は今、この村からさらに奥まった、山の中で暮らしております。

精神ともに疲れたから、と言って、真意は私にも教えてくださりませんでした。

これをこの場に書いてしまうことは、父に対する大きな裏切りかと思います。

ただそれでも、私は仙田さんを信じて、どうしてもお伝えしたい。

実は一年前の、父の話し声の中で、ただひとつ、U地域という言葉が耳に残っていたのです。

U地域は軍事的には目立つ場所ではないと、仙田さんはおっしゃっていましたよね。

実際私も、調べてみるまでは詳しく知りませんでした。

ですが、どうして一年も前に父は、わざわざ異国の言葉でその基地の名を口にしていたのでしょうか。

もしもそれが工作員に内通されているようでしたら、危害は大きいのではないでしょうか。


私はこの手紙を貴方様にお伝えしたい。

たとえ届かなくても、検閲する者がご覧になれば、これを伝えてほしいのです。

父に事情を確認することも可能かと思います。私が説き伏せます。

たとえ怒られても、そのときはそのときです。

このようにして手紙が通じたのはやはり縁だと思っております。

せめて最後に、あなたの一助になれれば幸いです。


二〇××年 八月二十五日 門井波留

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る