古びたトンネル
芝樹 享
古びたトンネル
いつの頃からだろうか。山の中腹に古びたトンネルがあった。そこには怪しい噂がある。戦中、戦後の開発に飲まれ昭和二桁の間もない頃には、存在していたかもしれない。
ひとつの忌まわしい事件がトンネル内で起きた。
村と村を結ぶ唯一の通路として掘られたトンネルだったが、事件をきっかけに次第に使われることはなくなっていた。近くの山を切り崩し、舗装道路が開通したこともひとつの要因だろう。その事件も地元の者しかしらず、世代が変わるにつれ、忘れ去られてしまった。
トンネル内部には、事件を封印するためか、一体の小さな地蔵が佇んでいる。誰が置いたのだろうか、漆黒の闇の中で、天井の隙間からぽたりと滴る水滴をあび、静かに見守っているようだった。
数十年経った今でも、トンネルを通過するものは、かならず地蔵に手を合わせ拝んでいく。
「いいか、
「オジイ、どうしてさ。みんな、あのトンネルを使っているよ」
山を挟んで小さな集落に住んでいる公太は、両親と離れて暮らす母方の父親へ会いに行ったときのことだった。
「どうしてもだ!」
力強い声に、真面目な顔で孫に向きあう。
肩を揺すり、公太は口を
「どうしてだよ! ねぇ、どうして?」
「お前にはまだ死んで欲しくねぇ。どうしてもあのトンネルを使わなきゃならないときは、ジイちゃんと一緒に行ってやる!」
「オジイがいないときには、どうすればいいの?」
祖父はゴソゴソと
「これを持っていろ! トンネルを抜けるときはかならず、それを身につけるんだぞ!」
お守りを渡されても、公太は納得がいかない表情を浮かべている。
「けど、どうしてさ。ほんの数百メートルなのに?」
「あそこにはな、魔界に通じている扉があると言われておる。わしが小さい頃にあのトンネルで呪術を
うさんくさい話とばかりに、公太はまともに祖父の言葉を受け取っていない。
「え、マカイ? そんなのどこにあるのさ」
「お前は知らなくていい……」
それっきり祖父はトンネルの話をしようとはしなかった。
十年後、祖父は病気になり病に伏せてしまう。数日後には地元の病院に入院することになった。
公太は晴れて隣町の大学へと入学した。祖父の病状のことを聞きつけ、一度は地元へと帰りたかった。
まもなく祖父の病状が悪化し、
思ったよりも長引き、アパートを出たのが夕方、薄暗くなりだした頃だった。こともあろうに、バイクのガス欠が近かった。
運の悪いことに、山から峠を越えたあたりで、エンジンをかけても動かなくなってしまう。
「おい、うそだろ! マジかよっ! かかってくれよ!」
しかたなく、バイクを押しながら歩くことに。
「まいったなぁ」と呟いた。
———ついてない、こんなときに。
ほとんど人が足を踏み入れない道なため、草木に覆われて辺りは少し薄暗かった。淡い街灯が、周囲をやっと識別できるぐらいの明るさだ。
ようやく、バイクを押しながら、公太は例のトンネルの入り口まで着いた。
岩肌がコケに覆われ緑色に変色している。暗闇からは生ぬるい空気が、頬に当たる。トンネルの奥からか、鈍く低い響きの音が人のうめき声に聞こえてきた。人を寄せ付けようとは到底思えない風だった。
今さら、後戻りはできない、と決意をかため、震える脚を手で叩いた。
公太はゴクリ、と息を飲んだ。
当然、この時に祖父から貰った『お守り袋』は持ってなどいない。
両壁には、天井から巨大な亀裂が走っている。何十年と放置され、補修がされていないことが明らかだった。
崩落したらひとたまりもないな、と思いながら公太は先に見える出口へと急いだ。
ちょうど、トンネルの真ん中辺りに差し掛かったところで、右壁に一瞬だが人影が映り込む。
「!!?」
よくみると、小さい地蔵のようだった。公太はホッと胸をなで下ろす。
「これがオジイが言ってた地蔵か? どうみても普通の地蔵様……だよな?」
公太は近寄り、地蔵の顔をよく眺めてみる。僅かな光りに当てられ、祖父の顔に似ているように思った。
――オジイ……。
ふと、反対側の壁を見たときだ。天井まで届く扉らしき影が浮かんでいることに気づく。
「な、……んで、なんでこんなところに、扉が!? もしかして、オジイが言っていた……?」
全身の気が一気に吸い取られていくような感覚におそわれる。
公太は、近づこうとするが
突然、小刻みに観音扉が、震え始める。突然の音に公太もビクリ、と硬直しきった身体が悲鳴を上げるかのように震わせた。
震えだした観音扉は、収まる気配をみせることなく、なおも震え続けている。今にも何かが扉から出てきそうな勢いだった。音はトンネル中に響き渡る。震動があり、強弱を繰り返した。
公太は硬直し恐怖を感じた。「逃げないと。一刻も早くその場から離れないと」そう思うのだが、一向に足が鉛のように重く前に進みづらい。全神経を両足に集中して一歩ずつ前に進む。
―――しっかりしろ!
なんとかして、公太は観音扉の前からトンネルの出口に向かって、歩き始める。
扉からの音が、急に止むと静寂な漆黒の闇で満たされる。同時だっただろうか、観音扉がバンッ、と勢いよく開き、奥から無数の手が公太に向かって迫ってくる。
「!!」
背筋が凍ると同時に声にならない声をだし、出口へと一目散に駆け出した。無数の手腕が暗闇からおそってくる。ただ、ただ無数の手が公太へと迫ってくる。
公太の足は前に進んでいるはずだが、一向に出口に近づけない。そのうちに無数の手が伸び、公太の顔や胴体を捕まえ、押し戻そうとする。
「はなせっ! 離せよ!!」
扉の枠は蛍光塗料が塗られたように緑色にぼんやりと光っていた。扉の中からはうめき声や
「い、いやだ! オレは……オレはまだ、まだ死にたくないっ!!」
漆黒の闇の中にふたつの真っ赤な瞳が公太をとらえる。瞳が鋭くひかり、巨大な手が公太を鷲づかみし、引き釣り込もうとする。公太は、もはや右腕だけが扉の外にあった。それでも必死に抵抗した。
---このまま……おれは死ぬ……のか
漆黒の暗闇の中で、公太は感じた。扉の外から腕を強く引っ張る存在があることに気づいた。
―――誰なのだろう……?
意識を取り戻した公太は、トンネルの外にいることに気づく。薄暗い山の中腹で、右腕に残っている何かの名残を確かめた。
振り返ろうとするが、もうトンネルに入る気にはなれなかった。
携帯が突然に震えだす。ぴくりと反応しポケットから取り出した公太は、母親の言葉に耳を疑った。
腕を差し伸べてくれた存在は……、やはりと、公太は生きていることに感謝した。
翌月、そのトンネルは修復不可能と判断され、閉鎖がきまる。
完
古びたトンネル 芝樹 享 @sibaki2017
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