【情】



風の噂で死んだと聞いた。しばらくおれの中の時は止まり、全くもって意味がわからなかった。


ずっと憧れだった。おれたちは多くの人の憧れで、お前はおれの憧れだった。人気者のふたり。ぴったりなコンビ。仲の良いライバル。周りはそう口にした。何かにつけて比べられ、ふたりについてまことしやかにはやし立てられた。おれはそんなことなど微塵も興味がなかった。


背が高く色は白く華奢で顔立ちも良く、賢く紳士的で人当たりが良い。皆がおれたちをそう称した。お前は本当にその通りだったし、おれもあるいは。顔こそ違えど、なんだか似ているふたり。双子か、はたまた兄弟か。中身が正反対なことを知るのはおれたちだけだった。おれはそんなことなど微塵も興味がなかった。


女はたくさん寄ってきたように思う。だからといって男と仲が悪いわけでもなかった。世渡りはうまい方だったかもしれない。ただ、人からよく思われようと思ったことは無い。当たり障りなく接していただけ。いつのまにかここまで来てしまっただけ。そうしたらいつのまにか八方美人と言われるようになっていた。おれはそんなことなど微塵も興味がなかった。


女でも男でも、人が寄ってくるのは大抵おれに何かを期待してのことだった。おれを本当に見ていたやつなどいなかった。おれになにかしてやれることがあるならしようとした。何かを手に入れたら人は欲張りになるらしい。次から次。施しが当たり前。もう無理だと告げれば、与えられるのは恨みだけ。人間の汚いところばかり見てきた。おれはそんなことなど微塵も興味がなかった。


おれは本当に微塵も興味がなかった。こんなもんだと思っていた。お前と出会う前から世界は汚かった。見たくなかった。お前と出会ってもそれは変わる事がなかった。目を塞いだ。お前が導いてくれた。お前だけがおれの世界で唯一汚くないものだった。それ以外のものは塵同然だった。だからお前以外に微塵も興味がなかった。











おれのように面倒事を避けたつもりで引き受けてドジを踏むことなどお前はしなかった。社交的に見られる俺よりよほど器用に立ち回った。物腰柔らかにあの笑顔で断ることが出来た。時にはそうしておれを守った。


おれのように誰彼かまわず付き合うことはお前はしなかった。狭く浅く。穏やかだが明確に壁があった。それはきっとおれにも。こちらにも踏み込んでこないかわりに誰も踏み込めない所があった。ただ、時に、本当に時々おれをそこへ入れてくれた。


おれのように浅はかに傷つくことなどお前はしなかった。静物画か彫刻のようにただ静かにそこに在った。

おれはただお前にだけ感情を出す事が出来た。お前は受け止めてくれた。いつ何時も変わらないということはおれにとってとんでもなく貴重だった。


あまり周りと関わらず、何も寄せ付けないようなお前が、なぜおれといてくれるか分からなかった。尋ねても、私にとって君は面白い観察対象だよ、と嘯くお前がいつまでも分からなかった。おれに何も求めていないのは汚い世界でお前だけで、どうして何も無いおれといてくれるのか分からなかった。


お前はそこに在るだけで、おれに干渉しようとはしてこなかった。どこにもいかないという安心感はあったが、それ以上近づけることもないと分かっていた。ずっと壊せない一定の距離感。背中合わせ。正反対なお前が最初に話しかけてくれなければ関わることは一生無かっただろうと思う。


おれはいつだってお前が必要だった。無意識にお前の代わりを探していたかもしれない。お前以外の人間になど期待し得なかったが、きっとお前の影は探していた。またダメだったと帰ってくることを、お前が赦してくれるのを知っていたから。これは甘えだったのかもしれない。









いつまでもお前に甘えていては駄目だと思った。はじめて、おれの内面を見つめてくれるひとに出会った。どこかお前に似ていた。愛せるかもしれないと思った。お前を忘れなければと思った。おれが抱くお前への感情はもう、周りがおれたちに見ているようなものでなく、コンビなんて、友なんてものでなく。名前のつくような関係を全て通り越していた。


恋人ができたと言ってもお前は馬鹿にせずいつものようにそうかと言った。どうせ、なんて言葉、お前が口にしたことはいちども無かった。いざ上手くいったら喜んでくれそうだったから、いつもそれが嬉しくて悲しかった。

「私は君が幸せならそれで良いんだが」といういつものを最後にお前に会っていない。


結果として幸せではなかった。最初は良かった。だが賢い彼女は、おれが彼女を見ていないと見抜いた。言われて初めて気が付いた。心に残ったのは後悔だけ。初めてちゃんとおれを見てくれた人を、おれはちゃんと見ることができなかった。皮肉にも最後の言葉は、

「私は君が幸せならそれで良いけど」だった。


お前の元へ帰ろうと決めた。わりとすぐ。悩む暇はなかった。お前がいつもそこに在ることを、忘れた日は無かった。会いに行ったら今度はもうそこを動くつもりは無かった。無かったのに、在るはずのものはもうそこに無かった。お前がいつもそこに在ると、それが当たり前だと、今までどんなに傲慢にお前を扱っていたのか思い知った。




探した。どこもかしこも。見つからなかった。周りはおれの豹変ぶりに驚き、或る人は哀れみ、或る人は世話を焼こうとした。それらを全て薙ぎ払ってひたすらに探して、それでも見つからなかったのに。風の噂で所在を知るなんて。


ずっと憧れだった。近付きたかったが、近付けないと分かっていた。お前の事が分からなかった。分かりたくて、近づきたくて、でもおれの世界で汚くないのはお前だけだったから。汚したくなかった。己の汚れを拒絶されたくなかった。ともに居ても、汚さないように、一定を保ったのはおれの方だったのかもしれなかった。


何をしていたんだろう。踠けばよかったのに。もっと知ろうとしていれば分かったかもしれないのに。お前がどうしておれに関わってくれたのか。お前がどうしていつもおれを待っていてくれたのか。それなのにお前がどうしてお前の事をおれに教えてくれなかったのか。お前がおれをどう思っていたのか。お前がどうしてこんな山奥でひとり死を選んだのか。そして、お前が、何故、どうして、おれにだけ手紙を残したのか。


手紙というものほどでもない、すまない、の一文だけ。たったこれだけ。おれの名前と、それだけ。宛先の住所も自分の名前もない。見たらわかる、出すつもりのない手紙。


お前は…お前というやつは、おれがお前を探すと分かっていたろう。そうだろう。口にしなかっただけでまたいつもの通りおれがお前を求めると踏んでいただろう。当たりだ大馬鹿者めが。

そして。お前はあれだけの長い間おれを哀れんでいたのか。可哀想だと。自分がいないと困りそうだから傍に居たのか。ひとりにしてすまないと?だから申し訳ないと?そんな気持ちでおれといたのか。おれに縛られていたんではないのか。お前はおれ以上に何にも興味がないように見えた。ずっとこうしたかったのか?おれの為にこらえていたのか?死ぬのを?それ以外にどう捉えれば良い。


お前は何に殺されたんだ。或いは死に救われたのか。

前者ならばおれはそれを許さない。追い詰め死以上の苦しみを与える。それだけの事だ。だが後者ならばおれはそれまであいつを地獄へ繋ぎ止める鎖だったのではないのか。おれがもう大丈夫だろうと安心して空へ飛び立ったのか。馬鹿、


どちらにせよお前が居ないことは確かだ。それはおれにとって酸素が、水が、大地が無いのと等しかった。

今まで遭ってきたどんな酷い目も、今では本当に大したことが無い。もう本当に何にも微塵も興味がなかった。失望という程度ではおさまらなかった。絶望していた。これまでにないほど何も見えない。むしろ心地よく、清々しいほどだった。どんな顔で謝ろう。何をすれば許して貰えるだろうか。また傍にいられるだろうか。…意識が途切れる手前、お前のすまない、の意味がようやく分かった気がした。









愛とは。

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盲目 凪澄 @NAGISUMI

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