第2話 もしかして、幽霊、とかじゃないよね?

 着いた場所は、校舎四階にある空き教室だった。

 入る際、ヒカリは何気なく鍵を取り出し、閉め切られた扉を開けている。

「鍵は?」

「職員室から」

「それって、盗んできたってこと?」

「そう。まあ、これぐらい造作もないことだから」

 ヒカリは鍵を制服のスカートにあるポケットに突っ込んだ。

「さて」

 ヒカリは両腕を組むと、後ろで山積みになっている机のひとつに寄りかかった。

「何から聞きたい?」

「何からって、その、僕が感じる違和感とか、後、美鈴はどこに行ったとか……」

「様子からして、あなたは鴨宮美鈴のことが気になるみたいね」

 ヒカリの指摘に、僕は抗おうとしなかった。

 言ってることは当たっている。

 幼なじみで、いつも気にかけていた美鈴がいないというのは、不安で仕方がない、先ほどまではヒカリの存在により、頭の整理がついていけなかった。なので、美鈴の心配をする余裕がなかったらしい。だが、ヒカリが今の状況を教えてくれるとなると、話は変わる。直接訪ねるのは躊躇してしまったが、内心はどうなのか知りたい気持ちでいっぱいだった。

「安心して。鴨宮美鈴は死んでなんかはいない。この世界にいないだけ」

「この世界って、美鈴はどこにもいないってこと? だったら、死んだのと変わらないんじゃ……」

「この世界ではって話よ」

 ヒカリは言うなり、ため息をこぼす。

「鴨宮美鈴は、この世界から分裂した別の世界にいる」

「分裂した? 別の世界?」

 意味を掴めない単語が飛び交い、僕は話についていけない。

「とりあえずは、鴨宮美鈴は無事。ただ、会うことはすぐにできない」

「美鈴は、その、何で、別の世界に?」

「神様がそうやったのよ」

 ヒカリはおもむろに答える。

「分裂のやり方があまりにも強引過ぎた。だから、あなたや鴨宮美鈴以外にも、何らかの弊害を受けた人間は他にもいる」

「分裂する前、僕と美鈴は?」

「同じ世界にいた。この世界にね」

 ヒカリは言うなり、寄りかかっていた机から離れると、空き教室の窓際まで近づく。

「あなたが感じてる違和感だけど、まず、周りの人間の記憶からは、鴨宮美鈴の存在がなかったことになってる」

「それって、美鈴の友達や家族とかも?」

「ええ。家族に至っては、そんな子がいなかったことになってる」

「ちょっと待って」

 僕は手のひらを突き出して、ヒカリの話を遮った。

「何?」

「だったら、何で、僕だけ、美鈴のことを覚えてるわけ?」

「あなただけじゃない」

「僕だけじゃない?」

「そう。さっきも言ったけど、何らかの弊害を受けた人間は他にもいる。だから、あなたみたいに、誰かがいないことに気づいてる人間もいる」

「そう、なんだ……」

「今、そういう人間のフォローをするために、わたしたちが動いている」

「君たちって一体」

「神様に仕える者たち。あなたにはそう答えることしかできない」

 ヒカリは声をこぼすと、僕の方を指差してくる。

「で、わたしはあなた、佐々波時也と鴨宮美鈴のフォローをしに現れたってわけ」

「フォローって、僕らを助けてくれるってこと?」

「助ける、というのとはちょっと違う。言うなら、あなたたちがそれぞれの世界で混乱をきたさないように制御するといったところ」

「まるで、機械を扱うような言い方だね」

「そうね。ごめん、今の言い方は悪かったかもしれない」

 ヒカリは申し訳なさで顔をやりづらくなったのか、背を向けてしまった。

「何はともあれ、わたしはあなたや鴨宮美鈴をフォローしないといけない」

「とりあえず、冷静になれってこと?」

「口ではそう簡単に言えても、実際には難しいと思う。ひとまずは、あなたを安心させるために、鴨宮美鈴と再会させないといけない」

「けど、会うことはすぐにできないんだよね?」

「すぐにはできなくても、早ければ、今夜には可能になる」

「それはまた、唐突だね」

「引き合わせる方法はわかってる。けど、それまでには色々と調整とかしないといけないから」

 ヒカリは閉まっていたガラス窓を開けると、前へ体を乗り出す。休み時間だからか、他の教室から漏れる生徒らの声が外を通じて聞こえてくる。

「だから、それまでは待ってほしい」

「待てないって言ったら?」

「それは無理な注文」

 ヒカリはかぶりを振りつつ、僕の方へ正面を移してくる。

「あなたは鴨宮美鈴が好きなの?」

 唐突な質問に、僕は内心に問いかけてみるも、答えが出てこない。

「わからない。でも、美鈴は小さい頃から一緒だから。後、近くで見守ってあげないといけないから」

「いわゆる、お兄さんみたいなポジションなのね」

「そうかもしれない、多分」

「でも、それがいつか恋愛感情に発展することもあるかもしれない。もしくは鴨宮美鈴の方が既にそうなっているとか」

「そうなの?」

「それはわからない。わたし、あなたと鴨宮美鈴のことはそこまで詳しく調べてるわけじゃないから」

 ヒカリは口にすると、足を動かし始める。話は済んだということだろう。廊下へ続く扉の方へ向かっていく。

「とりあえず、君は人間じゃない。そして、僕や美鈴を再会させてくれる神に仕える者ということでいいんだよね?」

「そうね。まあ、しばらくはこの世界と分裂した世界を行き来するから、あなたとはそれなりの付き合いになるかもしれない」

 ヒカリは言い残すと、空き教室を出る。

 てっきり、そのまま去っていくかと思いきや、まだ中にいる僕に対して。

「あなた、ここにまだいる? わたしはもう、教室に戻るから、ここの鍵を閉めたいんだけど」

 と声をかけてきた。前の黒板上にある丸時計を見れば、休み時間はもうすぐ終わりそうだ。

「ううん。出るから、ちょっと待って」

 僕は返事をするなり、急いで廊下に移った。

 ヒカリは僕の方へ目をやるなり、いつの間にか手にしていた鍵で扉を閉める。

「ここの空き教室はほとんど誰も来ないみたいだから、こういう人目につきたくない話をするにはちょうどいいところみたい」

 ヒカリは制服のスカートにあるポケットへ鍵を戻すと、廊下を歩き始める。

 僕は横につき、彼女の銀髪を何気なく覗き込む。

「何?」

「いや、その、こんな髪の色の子がいたら、クラスのみんな、注目するはずだけどなあって思って」

「それはない」

「何で?」

「わたしは、あのクラスに前からいる存在になっているから。鴨宮美鈴の代わりに」

「だから、みんな、他のクラスメイトと同じような感じで見てるってこと?」

「それはちょっと違う」

 廊下を進み、階段を降り始めたところで、ヒカリは視線をやる。

「わたしは空気みたいな存在。そうするように、この世界では設定している」

「そんなこと、できるの?」

「できる。元はと言えば、神様が強引に世界を分裂させてしまったのだから、その神様の力を借りて」

 淡々と声をこぼすヒカリ。途中すれ違う男子生徒らは、ヒカリに興味深げな視線を送ろうとせず、雑談しているだけだった。

「そういえば」

「何?」

「何で、その、神様は強引に世界を分裂したの?」

「わからない」

 言葉を返すヒカリは戸惑うような表情をした。

「むしろ、わたしがそれを知りたいぐらい」

「そう、なんだ……」

「でも、神様の行いを知ろうとするのは罪深いこと」

「罪深いって……。理由を知らずに色々と君たちは動いてるわけ?」

「神様に仕える者として、それは当然の行いだから」

 ヒカリの口調ははっきりしていた。

「あなたはとりあえず、世界が分裂したことや鴨宮美鈴がいないことを他の人たちに喋らないで。といっても、大半は信じてくれないと思うけど」

「だろうね。とりあえず、わかったけど」

 うなずいたところで、僕とヒカリは自分の教室がある階にたどり着いた。

「わたしはこれから、あなたと鴨宮美鈴を再会させるために、早退する」

「準備とか?」

「そう。あなたは特に何もしなくていい。ただ、いつも通りの日常を過ごしていればいいから。再会させるタイミングになったら、わたしから呼びに行く」

「呼びに行くって、連絡先とか知らないよね?」

「それは必要ない」

 ヒカリは首を横に振った。

 と、電子音のチャイムが校内に鳴り響き、休み時間は終わったことがわかる。

「あなたは早く教室に戻って。いないと、教師やクラスメイトから何か聞かれたりして、面倒になると思う」

「君は?」

「わたしは大丈夫。ついでに言うと、さっきの空き教室の鍵も戻しておくから大丈夫」

 ヒカリは口にすると、おもむろに階段を降り始める。他の生徒らが各教室へ戻っていく中で、僕はまた声をかけようとしたのが。

 瞬きした間だろうか、ヒカリの姿は消えてしまった。

 僕は目を擦って、周りを確かめたものの、姿はなかった。

「もしかして、幽霊、とかじゃないよね?」

 僕は身震いしそうになりつつも、まずは遅れないように教室へ戻った。

 席に座り、机から教科書やノートを取り出してから、僕は隣の席へ視線を移す。

 そこには誰も座っていない椅子と机があるだけだった。なぜか、ヒカリが読んでいたはずの文庫本がない。

「ねえ」

 僕はとっさに、後ろの席にいるクラスメイトの男子に話しかけた。

「何だ?」

「僕の横の席だけど」

「ああ、神野さんか。何か、体調不良とかで早退したみたいだけどな」

「へえー、そうなんだ」

 どうも、ヒカリは事実をある程度書き換えることができるようだ。神様の力を借りたかどうかわからないけど。

「おっ、先生来たな」

 男子の声に、僕が黒板の方へ振り向けば、次の授業、数学の男性教師が現れていた。すかさず、日直当番の女子が、「起立」と号令をかけ、僕も含めて、生徒全員が立ち上がる。

 礼が終わり、クラスメイトらが座り始めると、授業は何事もなく始まっていく。

 僕は隣にある空席を見つつ、幽霊ではないヒカリが現実としていることを改めて感じた。

 次に会ったら、文庫本のことでも聞いてみよう。

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