第24話 最終話『百粒の涙、一粒の涙』

 右手は芹の右手首を掴んでいる。左手は落ちないように窓枠近くの壁を押さえつけている。

 珠菜は親友を部屋に引き上げようと、一心不乱に力を込める。

「芹が『あいつ』なんでしょ? みんなに命令して、私をいじめてたんでしょ……そうすることで、私を『誰か』から守ってくれてたんでしょ──?」

 御暁芹はまじまじと珠菜をみつめながら口を開く。「……心が、読めるの?」

「読めないよ」

 確証があったわけではない。ティーアが何気なく口にした、一つは不自然でも二つなら自然という言葉がきっかけとなったのだ。

 珠菜はずっと一つだと思っていた。『あいつ』という存在が一人で全ての悪を成しているのだと予想していた。しかし『あいつ』の行動は不可解だった。クラスメイトに命令して珠菜じぶんに嫌がらせをしていたのに、突然その矛先を芹に向けた。理由がわからなかった。

 全ての発端である芹の自殺も不可解だった。なぜ芹は自殺をしたのか。そもそも自殺だったのか。これについて珠菜の推測はこうだ。

 芹は本当に自殺をした。

 当然それは不本意極まりない選択だった。でもそうせざるを得ない事情があった。

『誰か』に負けたのだ。

 芹に胸を刺されたときのリトライで、彼女はこう言った。『必死にがんばってきた。だけどダメだった。私はあいつから珠菜を守れない』と。

 芹は珠菜を守るために行動していた。それは『あいつ』から守ろうとしてくれているのだと思った。けれども、そう考えると珠菜は『あいつ』の攻撃から一度も守られてはいなかった。

 クラスメイトたちは『あいつ』からの命令通り、珠菜に嫌がらせをつづけ、芹もそれを承知していたことになる。

 対象が誰であろうと芹はそういう悪意を容認するような人ではない。

 だから珠菜はこう考えた。芹は『あいつ』として『誰か』から自分を守るために、あえてそうしていたのではないかと。

 全ては珠菜の憶測にすぎない。それでも、正体不明の存在は『あいつ』の他にもう一人いる。そう考えたとき、ずっと固く閉ざされていた重い扉が開けた気がした。

「──自殺しろ、って言われたの」観念するように芹は白状する。

「え?」突然の告白に珠菜は、ぎょっとする。「誰に?」

 風が吹く。それだけのことで芹の手を掴む珠菜の腕に大きな負荷がかかる。

「芹……話はあとで、とにかく今は、なんとか、ここまであがって……きて」声を出すのもつらくなっていた。

「……無理だよ……ねえ珠菜、その手を離して、お願いだから……」

「むかし言ったよね……こんど勝手に死んだら、ころすって……」

 芹は目に涙を浮かべて、困ったように微笑む。

「そうだね。じゃあ珠菜……私に死ぬ許可をちょうだい」

「ぜったいに、あげない」歯を食いしばる。

 体全体がぎしぎしと音をたてはじめる。肩と腕が熱で切れてしまいそうなほど熱い。

「ねえ、珠菜」ここに未練を残さないために、芹は語る。「ずっと言いたかったことがあるの」

「……なに……?」

「……あのとき、すごく冷たい態度とっちゃったけど、本当は、すごく、うれしかったんだ」

「それいつのことだよ。芹といて嬉しかったことなんて、いつものことすぎてわからないよ」

 なぜか脚がガタガタと震えだす。肉体が限界をこえ、どうにかこの状況から離脱しようと錯乱しているかのようだった。

 珠菜は歯を食いしばる。目に力を入れる。とっくに感覚のない腕にそれでも意思をそそぐ。

 わかっていた。これは『ふり』だと。希望を持っているふり。

 わかっている。自分に芹を引き上げる力はない。おそらく、まもなく、限界それは訪れる。

 だから珠菜は芹に告げた。「……芹、ごめん……」

 あきらめを口にした親友に「……ありがとう、珠菜」と笑顔を送る。

 そして珠菜は手をはなす。左手を。室内に自分をつなぎとめるために窓枠を掴んでいた左手を放し、両手で芹の手を握りしめた。

「何してるの珠菜!」

「いっしょに……おちる」言いながら、体は窓から離れていく。

「ふざけないで、そんなの望んでない!」

 芹の叫びもむなしく、二人はおちた。


 べこん、という気の抜けた音が足下で鳴る。二人は綺麗に着地した。

 痛みはない。なぜなら五センチも落下していないからだ。

 透明なベランダのような場所に二人はいた。足下が透けて、ずっと下に病院の入り口が見えている。

「なにこれ? もう死んだの?」

「違うよ、これは」珠菜が手を前にのばすと、見えない壁とぶつかった。「──エアガラスだ」

 芹の父親が開発した透過率が高く、衝撃吸収性の高い特殊なガラス。かつて芹の父はインタビューでこう答えていた。いずれ街の景観を生かすかたちでこれを使いたいと。

「……まあ、そうよね」脱力して、芹はその場に座り込む。「普通、こういうのあるよね」

 そう言って、透明な床を手のひらでなでていた。


 病室に戻り、ふかふかのベッドに腰をおろして、全てを訊くことにした。

 あらためて芹は言う。「──自殺しろ、って言われたの」

 珠菜は問う。「誰から?」

「知らない人。メッセージで届いたの。番号はいつも違うけど間違いなく同じ人から。それでもし自殺しないなら珠菜に嫌がらせをするって──最初は無視してたんだけど、そしたら珠菜のノートを破ってる画像なんかも送ってくるようになって、ある日、これからこいつに珠菜を襲わせるって、男の人の画像が……」

「…………」思い出したくもないことを思い出す。

「二ヶ月前に茨楽さんが手のケガをしたことがあったでしょ? 脅迫がはじまったのはあの後からだった。だから、あのときあそこにいた誰かが犯人だと思った。それで全員に匿名でメッセージを送ってみたの。お前が珠城珠菜にしたことは知っている。黙っていてほしければこういうことをやれって──『宿題』って名目で珠菜に悪さをするよう指示したの。内容は全員違うもので、それを実行すれば相手を特定できると思ったの。でも──」

「──みんな、実行をした」

「そう。それで私、意味がわからなくなって」芹はうつむいて、強く両手を握っている。

 桔京は異物混入。香央は窃盗。羽祇はカンニング。御奈は口づけ。

 四人のクラスメイトは、既に珠菜に後ろ暗い過去を持っていた。

「あの人たちは、なんでも実行した。だから、ある日、私は偶然を装ってみんなと合流したの。あなたたちも誰かから珠菜をいじめるように命令されてるの──って、自分も仲間だと思ってもらうようにした」

「…………」

「いつの間にか私たちは謎の脅迫者のことを『あいつ』と呼ぶようになって、あいつはみんなに命令して珠菜をたくさん傷つけた──本当にごめんなさい」

「…………」

 気にしなくていい、そういう言葉はまだ言えない。

「そうしている間も『誰か』から私にメッセージは届いていたの。『誰か』のしていることは全部私がしたことにして、それを『あいつ』を経由してみんなにメッセージを送ったりもした。みんなの中に『誰か』がいるなら、何か反応するんじゃないかって。でも……」

「誰も反応しなかった」

「そう。それにみんなには『あいつ』から──私からの宿題を進んでやってるような人はいなかった。私は怖くなって、そもそもクラスの中に珠菜をいじめてる『誰か』なんていなくて、そうだとしたら私は単に人を使って珠菜をいじめてるだけで──どうすればいいのかわからなくなって、そうしたら昨日の朝……」つまり芹が自殺した日の朝。「──あの画像が届いたの」

「……ハラマキの」

 芹はうなずく。「もう限界だと思った。だから私は最後の賭けをしてみることにした。珠菜にしたことを黙っていてほしいなら放課後、私を殺せっていう宿題をみんなに出したの。そこまでする人はいないと思ったし、もしそこまでする人がいたら……」

「その人が『誰か』ということ」

「そう。だけど放課後の教室には、みんな集まってた。だから私はみんなにこれまでのことを全部話して、それから自殺しようと思った。『誰か』に負けるのはくやしいけど、そうすればもう珠菜に危害はないはずだし、卑怯だけど私が珠菜にしたことへの償いにもなると思った。でも、そのときにね」

「どうしたの?」

 芹は顔を上げて珠菜を見つめ、そして言う。

「なぜか教室に珠菜がいたの」

「……ねえ、芹、一言だけ言ってもいい?」

「うん」

「おおばか」

「──え?」

 珠菜は大きく腕を広げると、カマキリみたいに勢いよく芹を抱きしめ、万力みたいにぎちぎちと締めつけた。

「いたい、いたい──珠菜、いたいよ」

「それが私のことずっといじめてた人のいうセリフなの?」

「……ごめん、なさい」

 この痛みは受け入れるべきだと芹は覚悟をきめたが、珠菜は徐々に腕の力を抜いた。

「どうしていつもそうなんだよ。なんでいつも一人で勝手に決めて、一人で勝手に背負うんだよ。私のことなんだから相談してくれてもいいでしょ。もし今度こんなことしたら──」

 珠菜は、強い瞳を芹に向ける。

「──ころす?」芹は言う。

 珠菜は首を何度も左右に振る。「なにがなんでも生きてもらう」

「なにそれ」芹は吹き出す。「意味わかんない」

 少しだけ、二人は笑いあった。

「……そういえば芹、一つ訊きたいんだけど。その、私に近づいてきた男の人と芹が楽しそうに映ってる画像を見たんだけど、あれはなに?」

「ああ、あれ」途端に芹は乾いた口調になる。「あの人のつけてるネクタイのピンに見覚えがあったから調べてみたら教育委員会の役員だけがもらえるものらしくて、委員会のホームページを見たらあいつをみつけて、それっぽい言葉でおびき出して、あの写真を撮ったあとに近くで待機してもらってた警察官の人に逮捕してもらったから、今ごろ刑務所の中なんじゃない?」

「ははっ」珠菜は乾いた笑いをもらす。「さすが芹」

「そういう珠菜こそ、昨日のあれはなんだったの?」

「昨日のあれ?」

「地面から出したやつよ。あれって工学部の秘密兵器でしょ? ナントカアザラシ」

「ウマアザラシ、ね」

「あれは屋上に置いてあるんじゃなかったの? どうして地面にあるって知ってたの?」

「それはなんていうか……芹が教えてくれたんだよ」

「私?」

「上に意識を向けさせて、実は下にあるってやつ。フェイク、だったかな?」

 芹は眉間にしわをよせて、納得できない様子でいる。

 理由は他にもある。珠菜が暴走して窓から地面に落ちたとき、数人の生徒が近づいてきた。そのなかに工学部の緑の服を着た生徒が一名いた。工学部の部員は全員屋上付近で警備についているはずなのに、なぜだろうと引っかかった。

 また、着地点には立ち入り禁止の看板や侵入を禁じるパイロンが並べられ、大量の石灰が盛られていた。その石灰に衝突したあとで正体不明の大きな視線を感じた。魂を感じない、それでいて大きなそれは、ウマアザラシの瞳を想起させた。そこで珠菜は仮説を立てた。

 ウマアザラシは屋上ではなく校庭の下に隠されているのではないか。何かあったときに対応できるよう、一人だけその近くを部員に見張らせていたのではないか。

 さらにウマアザラシの構造について。

 本番の数日前にうっかりその姿をお披露目してしまった巨大なウマアザラシは銃声のような破裂音の後、一瞬で巨大化したという。珠菜はこれに似たメカニズムを知っている。

 自動車のエアバッグだ。

 工学部の活動には大手自動車メーカーが協力してくれている。だから、ウマアザラシを一気に巨大化させる仕組みにエアバッグと同等かそれに近い技術が応用されているのではと予測を立てた。

 そして珠菜は思い出す。かつて爆風でエアバッグを誤作動させた青年の物語を。

「……私、思ったんだ。私がこれまで経験してきたことのいくつかは、昨日の芹を助けるためにあったんじゃないのかなって」

 そう言われると、芹は少し頬を紅くして、かゆくもない頭をかいた。

「……珠菜、なんだかよくわからないけど、ちょっと成長した?」

「そうかもしれない」珠菜は照れくさそうに微笑む。「たぶん百秒を百回ぶんくらい」


 珠菜と芹が学校に戻ったのは夏祭が終わって五日後のことだった。

 一つわかったのは、あの懐中時計には雷酸水銀らいさんすいぎんというものが仕込まれていたのだという。

 軽い衝撃でも爆発しやすく、侵入者撃退のために工学部が見つけやすい場所に置いていたのだという。なお現在、工学部は全員自宅謹慎を言いわたされていた。

 放課後、珠菜と芹はみんなを呼んでことの経緯いきさつを全て話した。芹は何度も頭を下げた。

 みんなは珠菜に頭を下げた。もう解決したことだから引きずらないでほしいと珠菜は伝えた。

 ただし、そこには一人の少女の姿がなかった。

 あの日から学校にきていないのだという。遠くの病院に入院したという噂もあった。

 自分で自分の耳を切り落としたという噂もあった。

 そこで芹はあることに気づいて、はっとした。

 そういえば、あれからずっと『誰か』からのメッセージが届いていないことに。


 みんなと別れ、学校の倉庫の裏へと珠菜と芹は歩いていた。

 そこで無惨な最期をむかえてしまったハラマキを、せめてもっといい場所で眠らせてあげるために。

 芹はずっとうつむいて、そのまま消えそうな顔をしていた。責任を感じているのだろう。

 その額を珠菜は指先で優しく小突く。

「ダメだよ芹。今、落ち込む努力してるでしょ?」珠菜は口元を緩めてみせた。「心配しないで。私なら大丈夫だから、ね」

 それを見て芹の心は一層、締めつけられる。本当に大丈夫なら、なぜ目を離した隙に泣きそうな瞳をしているのか。

 倉庫の裏に着くと、そこには何もなかった。

「……どうして?」と珠菜はこぼす。

 既に処分されてしまったのか。悪い予感がわき上がったそのとき、背中に家族の声を聞いた。

 振り返ると──。

「ハラマキ」

 声を上げて、膝をつき、駆け寄ってきた家族を抱きしめる。

 体に傷はない。弱っている様子もない。

「ハラマキ──よかった、本当によかった」

 再会をわかちあうように、ハラマキはむじゃきに珠菜の頬をなめた。

「ありがとうございます──神様」

 その日、珠菜は、はじめて天に感謝を捧げた。


 学校を出て、普段は通らない道を歩く。久しぶりの散歩を長く楽しみたいからだ。

 そうして、小さな橋のある河原までやってきた。

「なつかしいわね」と芹は言う。

「なつかしい?」珠菜は小首をかしげる。

「思い出さない? 私たちがはじめて会ったときのこと」

「え? 私と芹って、ここで会ったんだっけ?」

「ここじゃないけど、はじめて会ったとき、ここにきたの。覚えてないの?」

 信号機は哺乳類ほにゅうるいの仲間であると真顔で言われたみたいに、芹は相手の頭が心配になる。

「ええっと、それは、その……」そこで言葉は終わり、珠菜は笑顔を作る。

 親友は知っている。親友がこの笑顔になるときは思考が停止しているのだ。

 それを見て、芹も笑顔を作る。

 親友は知っている。親友がこの笑顔になるときは、極めて不機嫌なときだ。

「もういい。今日は一人で帰る」

 芹は脚を大きく開いて、速やかに珠菜と距離をとりはじめる。

「待ってよ芹。そうだハラマキ、一緒に芹をつかまえよう、せーの」

「あっ、こら。二人とも何するの。珠菜、鞄を返してよ。ハラマキ、スカートひっぱらないでよ──もう」

 夏の放課後に、おそろいの笑顔が三つ。新しい今を歩きはじめる。




   最終話『百粒の涙、一粒の涙』


 妖精が引きちぎられる音がした。

 妖精が引きちぎられる音。小さな命が無惨に切り刻まれる音。

 少女は手に持つ花の茎を、恐怖で折ってしまいそうだった。

 ほんの数十秒前まで幸せだったのに、どうしてこうなってしまったのか。

 機嫌よく散歩していると、もうすぐ八歳の誕生日ということを知っていた知り合いの花屋さんから一足早くユリの花を一本プレゼントしてもらった。

 嬉しさが増してさらに歩くと、近くから同い年くらいの女の子たちの声がした。

 なんとなく、その子たちを驚かしたくなって、少女は忍び足になる。

 女の子たちの声が近づく。あと少し、その角を曲がった先に彼女たちはいる。

「ねえ、返したほうがいいんじゃない?」

「心配しなくていいって、それより面白いもの見せてあげるよ」

「……そんな危ないもの、どこから持ってきたの?」

 おだやかではない気配を察知して、少女の足はとまる。

 そして、妖精が引きちぎられる音がした。

「すごい、まだ生きてる。ねえ見てよ、おもしろいよ、これ」

 ガラガラと、からすみたいな笑い声。

「……かわいそうだよ。見つかったら、ぜったい怒られるよ」

「見つかるわけないよ。それにあの金持ちとは学校も違うし」

「……私、今日はもう帰るね」

「待ってよ。今日はあんたの家に泊まりにいくって言ったでしょ?」

「でも──ちゃん、お風呂のときとか寝てるときに、へんなとこ、さわるもん」

「あんなのあそびだよ、あそび」

「でも……」

「ねえ、もしあのあそびのこと親とかに言ったら──すからね」

「……う、うん」

 ぎざぎざしていた。

 指でさわったらケガをして血が出てしまいそうなほど、その声はぎざぎざしていた。

 女の子たちの気配が遠ざかり、少女はそっと角を曲がると、奇妙なにおいが鼻に刺さった。そしてその先で、小さな生命が最期をむかえようとしていた。

 愕然がくぜんとして、その存在に近寄っていく。

 赤い水たまりに膝をついて、抱き上げる。

 口を開いたまましばらく言葉を失い、それからようやく出てきた声は。

「……ごめんね……ごめんね……ごめんね……」

 救うことができたかもしれないのに。何もできずにいた自分。終わったあとで、あやまることしかできない。聞こえるはずもないのに。

 一粒、一粒、涙がこぼれる。チックタックと秒針を刻むように正確に。

 その涙が、小さな存在の口に入って、その存在は最後にこう言った。


 ニャ──お


「それ、あなたがやったの?」

 背後からの声に驚いて振り向くと、綺麗な女の子が立っていた。

 無表情のようで、だけど、怒っているようにも、泣いているようにも見えた。

「違うよ……あなたは、この子のこと知ってるの?」

「…………」

 少女からの問いに少女は答えない。

 少女は小さな存在を抱えたまま立ち上がり、どこかへ歩きはじめた。

「ちょっと、それ持ってどこいくの?」

「ちゃんと、眠らせてあげるの」

 そう言って、少女は進む。その後を少女は追う。

 二人は無言でしばらく歩いた。

 小さな橋のある河原にたどりつき、手で土を掘って、花屋さんでもらったユリの花をお腹にのせて土をかぶせて、手をあわせた。

 沈んだ顔で帰ろうとする少女の手を、少女は握ってとめる。

「少し、話をしない?」

 それから二人は何気ない会話をかわした。

 他愛ない話題ばかりだったものの、少女の表情はゆっくりと明るさを取り戻した。

 少しだけど、お互いを知ることもできた。年は同じだけど学校は違った。

「ねえ、もしもだけど、私があなたの学校にいたら楽しいと思わない?」

「──なんで?」

「べ、別に深い意味はないけど、あなたちょっとぼけっとしてるし、心配だから見張っててあげようかなって思ってみただけよ」

「ふうん」

 そう言ったあとで、少女のお腹が鳴る。

「お腹すいてるの? これ食べる?」そう言って少女は、ポケットの中から英字のプリントされた上質な紙で包装されたお菓子をわたした。

 受け取って包装を解くと、深い緑色のクッキーが一枚出てきた。

 珍しい色のお菓子だなと思いながら口に入れると、次の瞬間、両手で口をふさいだ。

「どうしたの? 口にあわなかった? 無理して食べなくていいわよ」

 そうではないと、少女は首を横に振る。

「おいしい、すぎる」

 未体験の味わいに、この感動を逃してはならないと、思わず口を塞いだのだ。

「そんなに気に入ったなら、もう一枚あるけど、食べる?」

「いいの?」

 お年玉をもう一度あげるといわれたみたいに、少女は目を輝かせた。

「……どうぞ」

 やっぱりあげない、と冗談でも口にしようものなら、噛みつかれる気がした。

 幸せな笑みを浮かべてクッキーを受け取ると、少女のポケットから児童用の携帯電話が鳴った。電話を耳にあてて、会話をはじめる。

 通話を終えると、親が心配しているからそろそろ帰ると言った。

「……ねえ、最後に一ついい?」

「なに?」

「土に埋めてあげたあの子のことだけど……あの子がああなったときのことで、何か覚えていることはない?」

 少女はあごに手をあてて、うーんと何かを思い出そうとする。

 そういえば、あの子に近づこうとしたあのとき、あの場所にはなかったはずなのに、ふと、ただよってきたあれは、例えるならそう「……くだもののにおい?」

「え?」

「うーん。でも気のせいかも。ごめん、覚えてない」

「……わかった。ありがとう」

「じゃあ、またね」

 言いながら、手を振って少女は帰路につく。

「うん。またね」少女も小さく手を振ってこたえる。

 次の日曜日に遊ぼうと約束したのだ。


 少女の背中を見送って、その姿が完全に見えなくなったのを確認して、少女は河原に──あの子の眠っている場所まで戻った。

「変なやつだったね。でも、悪いやつじゃないよね」

 少女は土に向かって語りはじめる。

「まったく。私が一生懸命探してあげてたのに、どうしてこんなことになったのよ。いっとくけど、全然心配なんかしてなかったんだからね。私、全然泣かなかったんだからね。今だって……いまだって……ぜんぜん……ないて、ないんだから……」

 左手の小指を右手で、ぎゅっと握りしめながら少女はつぶやく。

「……ごめんね、ティーア」

 ちいさなうそつきの正直なしずくが、ひとつだけ、土をなでた。




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