第9話

「市川、よく頑張ったな」

顧問が渡してきたのは夏の100m自由形で優勝した私の賞状だった。学校が始まってまだ少ししか経っていないのに随分前のことのように思える。

「ありがとうございます。」

「団体戦は惜しかったな。」

「…そうですね。」

正直団体戦が何位だったのかもよく覚えていないが賞状を貰えない順位だったのだろう。

「お前団体戦は苦手なのか?」

「…いいえ、団体でも個人でも自分のやるべきことはひとつですから。」

自然と口から滑り出た言葉に我ながら満足した。

伝えたいことを伝えることができた、という当たり前の営みに口が綻ばずにはいられないのだ。

─私は泳ぐ。結局それしか答えがないのだ。

「…お前少し変わったな。」

顧問は嬉しそうに私を見つめた。

「夏の合宿は私にとっていい経験になりましたので。」


職員室から出ると伊月先輩が窓辺にもたれて待っていた。

「あ、終わった?」

「…何で居るんですか。ストーカーやめてください。」

「ストーカーじゃないよー彼氏だもんー。」

「えっ。」

「…えっ。…え!?」

慌てた顔で伊月先輩が私の肩を掴む。

「えっ、だって好きって言ったじゃん!俺彼氏でしょ!?彼氏だよね!うん!彼氏!彼氏です!」

「職員室前では静かにしてください。」

「さ、魚ちゃぁん…」

「…あまは、です。」


不意に伊月先輩が伸ばした手が私の髪に触れた。

その瞳が細く愛しげに光って──。

「…プールに入りたいです。」

「…えっ。」

そうだ、とっくに放課後だったことを忘れていた。

「早く行きましょう。プールが逃げます。」

「逃げないよ!でも俺は逃げるよ?」

「伊月先輩は逃げないですよ。いつも待っててくれるじゃないですか。」

「…………もー!!魚ちゃんほんとそういうとこ…!」

ふたりで廊下を走り出す。

私は泳ぐこの世界をどこまでも。水の中を。陸の上を。貴方の隣でどこまでも。

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人と魚と姫 @843Rd4M

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