第4話

4.








その日、僕は最初の仕事に取り掛かったばかりだった。





もう、隙間の空間亀裂をのぞき込むことにそれほどためらいはなかった。


案の定、空間亀裂の向うに一人の女性が見えた。


向う側は全体的に赤黒かった。彼女は逆巻く炎に囲まれていた。


彼女はくるんだ毛布を胸に抱いたまま、体が燃えていた。


髪にまで炎が燃え移ったその時だった。




僕は彼女と目が合ってしまった。




亀裂の中の女性は、僕の方に向かって勢いよく、くるんだ毛布を差し出した。



彼女は何かを叫んでいた。



必死の形相で、何かを僕に叫んでいた。




何かを僕に渡したいのだ。



僕は思わず、手を伸ばした。




しかし、空間亀裂があまりに狭いので、僕は亀裂を広げようと思い、周囲に転がっ


ていた錆びた鉄パイプやゴミ箱、空き缶や紙くずなど、なんでもかんでも空間亀裂


に放り込んだ。



すると、空間亀裂のエッジ部分が科学反応を起こして、放り込むなり全て消え去っ


た。


そうしているうちに、空間亀裂は少し大きくなったようだった。


向う側の火事の熱風が、こちらに吹き込んできて僕は怯んだ。


と、女性がくるんだ毛布をこちらに向かって投げた。


毛布は少し火がついていたが、亀裂の縁にあたり、シュワッと音を立てて消えた。



消えた毛布の中から泣き叫んでいる赤ん坊が現れ、僕の胸にドンと当たった。


僕は急いで両手を添えて赤ん坊を支えた。




女性の方を見ると、彼女はホッとしたのか、炎の中燃え上がりながら少し微笑んだ


ようだった。








と、次の瞬間、彼女はボロボロと崩れてしまった。







僕は茫然と眺めていた。


もう、身体は限界を超え、常識も超えて燃え尽きていたのだ。


この子、我が子をなんとか助けたい一心で、魂だけとなってでも、やっと持ちこた


えていただけだったのだ。




赤ん坊は、母親が亡くなったことを感じているのか、ずっと泣き叫んでいる。


僕は少し力と込め、ギュッと抱きしめた。


そして、赤ん坊にケガがないか確かめた。


額に少し火傷があるだけのようだ。


丁度、髪の生え際のあたりに・・・・。











「どうしてマニュアルを破ったんですか!?」


事務所の一角に、僕は座り、腕組みをした神楽野さんが冷たく僕のことを見下ろし


ていた。




「手を差し出せば、届きそうだったので・・・・・。」




「説明しなくても分かるでしょう。あなたは解雇されました。」



神楽野さんは冷たく憐れむような表情で言った。




「あなたは、ただ決まったルールに従っていれば良かったんですよ。」



神楽野さんは、事務所の人と一緒に、僕が連れてきた赤ん坊を連れてどこかに行ってしまった。


泣き疲れて寝ている赤ん坊の顔が、なぜか見覚えがあるように思えた。



額の右側の髪の生え際の火傷が赤茶けて鮮明だった。


僕は漫画の怒りマークに似ている自分の額の傷跡を掻いた。


考えてみたら自分の傷も右の生え際だった。




炎に巻き込まれて、僕に子供を渡してからすぐに崩れ落ちてしまった母親の、ホッ


としたような目を思い出した。


あの目に、どこか親近感を感じる。



それは彼女の必死な母性を感じたからだろうか。


それとも、「隙間の目」が、異次元人でも宇宙人でもなく、この世のどこかに存在


する、可哀想な存在だということを僕が認識するようになったからか。






僕はシェアハウスに戻ることにした。


新しい仕事を見つけることができるだろうか。


特殊環境整備局に僕の悪い勤務記録が残っているだろうことが心配になった。





シェアハウスに戻ると、住人や近所の人々が、ハウスの外に集まりざわついてい


た。



「108号室のお爺さんが部屋で自殺したみたいよ。


ここで10年近く住んでいたのに・・・・。


さっき、警察が来て大騒ぎだったんだよ。」



住人の一人が、僕を見つけて駆け寄り教えてくれた。




「どうして・・・・。」



僕は驚いた。



あんな、何にも傷ついたり悲しんだりしなさそうな、ふてぶてしい爺さんが、自殺


なんて。


彼もやはり寂しかったのだろうか。



そしてやはり、爺さんも、「隙間の目」となってどこかを見つめていたのだろう


か。



彼のハゲ頭を思い浮かべながら、彼はもしかして、もしかしたら自分の未来の姿で


はないかと思った。


そういえば、彼も頭に火傷の跡があった。





僕は奇妙な時間のループに閉じ込められたような気がした。



火災の中から救出した赤ん坊のことを考える。



あの子は寂しい子供時代を経て、社会に放り出される。


そして、そのまま臭いシェアハウスの部屋に住み、就職する。



しかし就職した職場で変な仕事ばかりして子供を救出する。


また救出されたその子供は再び寂しい成長の時間を経て、臭いシェアハウスに住


み、社会に出ていく。


その子は再び、誰かを助けることになるだろう。



やがて、年老いて、住み慣れたシェアハウスで自殺するのだろうか・・・・。




僕の人生はここで延々と繰り返されているのだろうか。



この奇妙な繰り返しの中でこれからも平凡に、理解できないことには目をつぶっ


て、波風たてず生きるべきだろうか。






その夜、僕はぼーっと暗い部屋の中に座っていた。






僕は、何も希望のないまま、このシェアハウスからも、自分の人生からも、何から


も逃げ出せず、このままここで、心を腐らせて生きていくのだろうか。





いや、いっそのこと今、終わらせたらどうだろう?






窓のないシェアハウスの部屋の壁に、小さなひっかき傷があった。





僕は目の焦点を合わせるでもなく、そこに目をやっていた。





小さな傷は、徐々に大きくなっていった。







それは例の空間亀裂の隙間だった。






僕はふらふらと立ちあがって、その亀裂に近づいた。





向う側をよく見たくて、亀裂に顔を寄せて向う側を見つめた。


繁華街らしき場所の道路が見える。


時々、向う側を歩く人と目が合うと、皆びっくりしている。




こちらに対して、嫌悪感丸出しの目で見ている。




僕も、空間パテの仕事をしながらあんな目で見ていたのだ。



そして、急いで塞いでいたのだ。






見てはいけない、知ってはいけない。






早く塞いで無かった事にしないといけない、と。






やはり、僕が今覗いているこの隙間も、向う側の世界からすると、早く塞がなけれ


ばいけない亀裂だと思われているだろう。





僕が見てきた隙間の空間は、大体暗く危険で破滅的で、悲しく見えた。






僕は今、その空間の中にいる。








僕は、足場を組み、金属板で囲み、残っていた空間パテのスプレーを使って、目の


前の空間亀裂を埋めた。





そして、身の回りの物だけ持って、シェアハウスを出た。










END


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亀裂 @yumeto-ri

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