第10話

 ■■■


 瑠羅は目を開いた。

 どうやら眠っていたらしい。夢を見ていた。懐かしい光景ではあるが、あまり良い思い出でないことも同様に確かだ。

 何しろ、アレこそが全ての元凶である。

 あの事件さえなければ、今も彼女はMAFIAで生活していたはずだ。そしてそれは、命の危険はあるにせよ、今より気楽なものだったに違いない。

「……あの頃は楽しかった」

 瑠羅は呟き、自らの体を見下ろした。あの頃とは違う、やたら見た目重視で実用性度外視の制服。全くもって趣味ではない。

 しかし、これからしばらくはこれを着て戦わなくてはならない。体に馴染ませておいたほうがよかろうと思った瑠羅は、静かに外へ出て行った。


 ▲■▲


 キャメロットの周りには、森がある。むしろ、森の中にログレスの城があると言った方がいいかも知れない。

 その森はマーリンの手によって魔法がかけられており、資格のない者がキャメロットへ入ることを防ぐ、城壁のような役割をもっている。

 だが、この森に宿る神秘はそれだけではない。

「っと……せいっ!」

 一閃。

 鎧に身を包んだ兵士が倒れる。

「これで十二人」

 正確には、兵士のような格好をした。魔術人形だ。これもやはりマーリンの手によるもので、本物の人間と寸分違わぬ肉体を持ってはいるが、生者を見つけると襲いかかるオートマタでしかない。

 要するに、侵入者を排除するためのシステム、というわけだ。そして同時に、ログレスの騎士達にとって、無限に広いこの森の、無数に存在するこの兵士というのは、戦闘の練習相手としては最適だった。

 何しろ、実際に斬る手応えはあるし、油断すれば逆に斬られる。本物に限りなく近い戦いができるのに、誰かを殺しているわけではない。殺人の罪悪感を一切感じないままに戦いの中で相手を斬り伏せることを、純粋に楽しめるのだ。

 こう言ってみると、まるで彼らが殺人を楽しんでいるかのようにも受け取れる。実際に人体を斬っているのだから、そう見えるのも無理はない。そうして人は言うだろう。

 人を殺して楽しむとは何事か。

 貴様等は高潔な騎士ではなかったのか。

 だが逆に考えて欲しい。自分が斬る側だとして、例えば上手く敵の攻撃をかわしてカウンターを決めたりしたらどうだろう。その時に「上手くやれた」という気持ちが生まれないと、どうして言えるだろうか。

 ゲームと同じだ。人が人を殺すゲーム。首尾よく討ち倒せば達成感がある。それは楽しさに通じる。

 何も変わらないのだ。

 違いがあるとすれば、画面の中か外か、ということだけだ。 殺されているのは人ではないし、そこに快楽を見出すことも罪ではない。

 それがこのログレスの森で行われる『兵士狩り』に対する。 騎士達の総意だった。

「十三、十四人」

 十四人目を突いた際、彼女の持つ槍の柄が折れた。仕方なく剣を抜くと、続けざまに更に二人を斬り伏せた。

「十五人、十六人――!」

 剣を納め、息を整える。その時、後ろに気配を感じた。

「よぉべディ。相変わらず絶好調だな。お前」

 背後から足音が聞えた時には一瞬身構えたが、すぐにそれが『兵士』のものでないと分かったので、剣の柄へ伸ばしかけた手を引っ込めた。

「モルドレッド、急に話しかけないでくれ。反射的に斬ったらどうする」

 モルドレッドは底意地の悪い笑みを受かべた。

「お前がこのオレを斬れるもんかよ」

 ベディヴィアは呆れ、ため息をついた。

「勝手に言ってろ。私は帰る」

「なんだ。帰っちまうのか。つまんねえな」

「生憎、私は槍の練習に来ていたんだ。槍が折れたんじゃ、話にならない」

 そりゃそうだな、とモルドレッドは笑い、そのまま足を森へ向けた。 その背に向けて問う。

「君はどこへ行くつもりだ?」

 モルドレッドは振り返った。

「はあ? 決まってんだろ、殺し仕事だよ」

「そうか。良い成果を期待するよ」

 それだけ答えて背を向ける。

 ベディヴィアは元来この男モルドレッドが嫌いだった。 話さないで済むなら、それに越したことはない。

 モルドレッドもそれなりに急いでいたのか、それ以上何も言わずにスタスタと歩いていった。

 道理で機嫌が良い訳だ。

 偽物ではない、本物の人間を殺しに行く。それは決して楽しむべきではないし、喜ぶべきことでもない。

 だが、彼らは殺すことを喜んでいる訳ではない。あくまでも主の役に立てることを喜び、上機嫌なのだ。反逆の騎士と謳われるモルドレッドでさえも。

 凄まじいカリスマ性だが、ベディヴィアにはちっとも理解できなかった。

 そもそも、自分の中に生じた「破壊したい」という欲求に耐え切れずに逃げたような場所の主だ。忠誠だってありはしない。必要があるからウーヌスの一員としての人格を再構成し、以前の仮面は押し隠す。そうやって戻って来たというのに、王のカリスマなどが効くものか。

 更に兵士を斬り殺す。キャメロットを護るためのシステムである以上、城に近付くほど数が多くなる。本来の目的を失った今、出て来る奴らは邪魔でしかなかった。

 これで、十七人。

 この兵士達とて決して弱くはないのだが、超一流の戦闘能力を持つ円卓の騎士が相手では、こうもあっけなく死んでしまう。結局、城に着く時には、更に五人の兵を斬っていた。

 城のベランダで夜風に当たる。『運動』で火照った顔に、春の冷たい夜風は心地良かった。

「む、先客がいたか」

 背後で声がした。

「ラーンスロットか。何しに来た? こんなところに」

 ベディヴィアは軽く訊いた。大した答えは期待していない。だというのにランスロットはまじめに答えようとしているようだった。

「ガウェインと、今後の方針について口論になってな。熱くなっていては上手く頭が働かんから、冷やしに来た」

 想像以上に深刻な理由だった。とはいってもベディヴィアはさほど興味を持たなかったのだが。

「なあベディヴィア。何故我等は戦っているのだ?」

 振られた話題がこれでなかったならば、直前までのように彼女は何の反応も示さなかっただろう。しかし、その質問を完璧な騎士とも言われるラーンスロットがしたという事実は、ベディヴィアの興味を引くには十分だった。

「それをどうして私に訊く?」

 ラーンスロットは少し考えるようにしてから答えた。

「貴公は王の慈悲によって生きてこのログレスに戻ってきた。離反している間は『セプテム』に、そして加入前は『MAFIA』にいた貴公は、様々な立場で戦って来ているはずだ。ならば『ログレス』以外の世を知らぬ私が尋ねる相手は貴公しかおるまい」

 ふんとベディヴィアは鼻を鳴らした。

「悪いけど、私だってそんなものは分からないさ。そもそも戦う理由なんて人それぞれでしょ。野心のためとか、仕える王のためとか、だとか。違うか――っと、危ない」

 ベディヴィアは大きく跳び上がり、ラーンスロットから距離をとった。一瞬前まで彼女がいた場所には、かの名剣アロンダイトが振り下ろされていた。

 ベディヴィアは舌打ちした。初めはマントに隠れて、そして暗いベランダであったこともあって気付かなかったが、ラーンスロットは完全に戦装束のままだった。対してベディヴィアは己の剣さえ持っていない。

「どういうつもりだ、ラーンスロット」

 あくまでも落ち着き払って質問したが、返って来たのはアロンダイトの一関のみ。

 会話にならない。

「うおおあああ!」

 雄叫びを上げ、息をつく暇さえ与えずに迫るランスロ ット。もはや逃げ道はない。

 ベディヴィアはもう一度大きく舌打ちをするなり、ベランダの外へ身を投げた。

 ベランダは城の四階にあったが、一般的なマンションの四階よりも、はるかに高所だ。それぞれの階の天井が高いのだから、さもありなんという訳だが。

 当然、普通の人間であればひとたまりもない。確実に死ぬと言っても過言ではない。

 しかし、ベディヴィアは普通の人間ではなかったし、ラーンスロットもまた、常人離れしていた。

 ベディヴィアが地面に着いた直後に、ラーンスロットもまた降りて来る。これは即ち、ベディヴィアが身を投げた直後に、それを追って飛び降りたことをはっきりと示すわけで、その迷いの無さは、正に円卓最強の騎士にふさわしいものだった。

「ラーンスロット、さては貴様、私達わたしを見たな?」

 尋ねたところで返答はない。分かり切ったことだ。

 分からないのは、何故あの時あの場で、あくまで「ログレスのベディヴィア」でしかなかった彼女の中に邪なるものを見い出したのか、ということだ。

 しかし、正気を失った本人に訊いたところで意味などない。今のラーンスロットには、恐らく目に映る者の全てが敵に見えているのだろう。

 今は自分しかその対象がいない。その状態で城に戻れば、厄介事は避けられない。

 そう判断したベディヴィアは、真っ直ぐ森へ駆け出した。自分の代わりに、ラーンスロットの注意を引いてくれる兵士を探すために。

 その眼は、迸る鮮血のように、或いは燃えさかる炎のように、赤く染まっていた。


 ▲△▲


「アンタ、魔術師だよな?」

 男が言った。

 男は腰に剣を提げ、背に黒い王冠をかぶった上下逆の竜と銀色の剣をあしらった、軍服のようなジャケットを羽織っていた。

「せやけど…そないなあんさんはどちら様です?」

 女が答える。

 女は時代がかった和装に身を包み、雨でもないのに番傘を手にしていた。

「これから死ぬ奴に名乗ってやる必要はねえなあ。だがまあ、騎士の礼儀として名乗りを上げといてやるよ――我が名はモルドレッド。王の中の王の息子にして、反逆の騎士。アンタ個人に恨みはないが、これも仕事だ。悪く思うな」

 瞬く間に抜剣し、女を斬りつけた――かに見えた。

 手応えはない。

「ウチはあおい京子きょうこや、名乗られたんなら名乗り返さんとなあ。それにしても、ほんまにおったんやなぁ、魔術師殺し」

 女はモルドレッドの背後にいた。憎たらしいほど落ち着き払って、うざったいゆったりした口調で名乗る。

「――何、しやがった?」

 確実に斬れるはずだった。

 直前まで葵は微動だにしていなかった。なのに、何故。何故、奴が後ろにいるのか。転移ではない。いくら魔術とはいえ、ノーモーションでは出来ない。それは絶対に絶対だ。

「なあんも。向こうて来たから、避けただけや」

 モルドレッドは舌打ちとともに駆けた。先程よりも尚速く。 外す理由など何一つない。

 しかし――

「遅いわぁ。遅すぎて欠伸出てまう」

 どんどん速度を上げていくが、一向に当たらない。

「無駄どす。あんさんでは当てられへん」

 斬る。斬る。

 否、ただ振っているだけとも言える。

「そないに遅い剣では、ウチは斬れまへんよ」

「おのれ魔術師風勢が!」

 怒り狂ったモルドレッドが剣を出し得る限りの最高速で振るうも、やはり葵にはかすりもしない。

「そこまでだ、モルドレッド。それどころではなくなった。直ちに城へ戻れ」

 辺りに、声だけが響いた。

「マーリンか!? だが――」

「ラーンスロットが突然暴走し、僕の結界を破壊した。不幸なことに、デュオがそれに気が付いてしまった。どうやら常に監視されていたらしい。君は今すぐ戻って城の防衛に専念するんだ」

 モルドレッドは舌打ちした。ラーンスロットの奴、自分を抑えることも出来ないのか。それで最優の騎士とは笑わせる。

 だが内心、安心してもいた。何せ自分の攻撃は一切当たらない。今は相手がただ逃げているから良いものの、向こうが反撃して来たなら間違なく狩られるだろう。

「おい、命拾いしたな」

 モルドレッドはそう言って葵に背を向けたが、負け惜しみ以外の何物でもなかった。

「こないなん命拾いの内に入りまへんえ」

 葵が笑う。だがそれに応えたのは、モルドレッドではなかった。

「そうとも。君は命拾いをしていない」

 葵の胸を貫いた、黄金のようにきらめく剣が引き抜かれる。血が噴水のようにふき出し、辺りを朱に染め上げる。

 声も上げずに葵は倒れた。

「なんだ、来てたのかよ」

 モルドレッドが振り返ったので、マーリンは応じた。

「君が徒歩で帰るのを待っていられる程余裕のある状況じゃない。ベディヴィアがラーンスロットを押さえておけなくなるのも時間の問題だし、そうなると五人でデュオの相手をしないといけないからね」

 そう言いながらマーリンは手にした剣を元の杖に戻した。聖剣をかたどっただけで、実際にはただの杖だったのだ。もっとも、これこそマーリンが杖を携行している理由に他ならないのだが。マーリンが杖の柄で地面を突いた瞬間、二人の姿は消え去った。

 後に残された葵は身じろぎ一つ出来なかった。


 ◆◇◆


 日の落ちた街を、影のように駆け抜ける。その最中、全員の端末が震動した。

 見ると、文書ファイルが送信されていた。実験参加者の現状についての通達、と題されたそれは、誰だか分からない『教授』から送信されていた。


『諸君の働きにより、脱落者が幾人も出た為、これを送信する。

 現段階で端末から生体信号が送信されておらず、死亡とみなされたのは、No.6、15〜21、23〜26、28〜35、38、40、42、46の24人である。

 残り25名については、死亡とみなし次第通告する。』


 文書には、そう綴られていた。

「ったく。胸クソ悪い文書きやがる。コイツを真っ先に殺しておくべきだったかもな」

 敦が吐き捨てた。

 意外にも、それを肯定したのは直哉だった。

「それも悪くない。例え他のグループを全滅させなくても、首謀者がいなくなれば終わる可能性があった。とはいえ今はもう遅いだろう。グループ同士の殺し合いが始まってしまった」

 敦は腹立たしげに舌打ちした。

 手遅れ。全てが後手に回っていて、気が付いた時にはもう何もかもがどうしようもなくなっている。そんな気分に、裕翔はなった。

 目的地は未だ遠い。

 苛立ったからといって立ち止まっている時間はない。だというのに、敦は立ち止まった。先頭が止まったので、皆も止まってしまう。

「どうした、敦」

 直哉が怪訝そうに訊くと、敦はのどからしぼり出すような声で答えた。

「いやがったぜ。まるでオレ達を待っていたみてえだ」

 裕翔も前方を見たが、確かにそれらしい人影は見えるものの、 はっきり標的の彼女だとまでは認識できない。他のメンバーもそうなのだろう。似たり寄ったりの表情をしている。もしここに鏡があったなら、裕翔はその内にやはり同じ表情を浮かべた自分自身を見ることになる。

 その人影は、裕翔達が進行を止めたことに気付いてか、歩み寄って来ていた。

 影が近付くにつれてその姿がはっきりしてくる。

 闇に紛れるような黒い細身のパンツと対照的な白いブラウス。そしてその上から無造作に羽織ったキャメルのトレンチコート。

 そこにいたのは紛れもなく玉鬘綾女の一番弟子、麒麟児とまで謳われた、橋姫紫音その人だった。

「ごきげんよう、セプテムの方々」

 橋姫が口を開いた。

 辺りに人の姿はない。既に橋姫によって人払いの魔術がかけられているのだろう。

 人に見られる恐れがない以上、両者が戦うのを妨げるものは何一つとして存在しない。少なくとも、目に見える範囲では。それでいながら戦闘にもつれ込まないということは、目には見えぬところに理由があるからに他ならない。

 お互いに。

「貴方達が私の見立て通りなら、決戦の前に不安材料を取り除きに来るだろうと思ってね。先回りさせてもらったわ。ああ、別に邪魔をしたい訳じゃないのよ。一つ提案があってね。貴方達、私と取引しない?」

 やはり、橋姫には彼女なりの思惑があるようだ。

「……取引ということは、お前にとっての利点がなければ成り立たないという訳だ。狙いは何だ? お前は何を求めている?」

 誰も何も言わないので、仕方なく裕翔が応じた。 橋姫はそれを聞くなり静かに笑った。よく注意していなければ分からない程静かに。

「私は今ある男を追っていてね。そいつと最後の対決をするに際しての準備がしたい。そこで君達にやってもらいたいのが、まず魔術師狩りを全滅させること。次にナイアルラトホテップの排除。そして私が指定する場所に空蝉茉莉花を連れて来ること。この三つよ」

 魔術師はさらりと言うが、どれにしてもかなりの難易度である。

 それに――

「そんなことだったら、お前自身がやった方が早いんじゃないのか?」

「そうしたいのは山々なんだけどね。その男に弟子を人質に取られてるから、私自身は動けないのよ。だからこうして信条を曲げて取引なんか持ちかけてるワケ。心配しなくとも、貴方達にNoと答える権利はないわよ。私は魔術犯罪捜査と、それに基づく治安維持についての全権を委認されているわ。その気になれば、今のところ私しか知らない情報を全魔術師に伝えることもできるし、あるいはこの場で貴方達を殺してしまうこともできるから」

 彼女の言葉に、嘘やハッタリはない。つい昨日、二人があっという間に倒されたばかりなのだから、嫌でもそれが分かる。彼女に対抗できるメンバーがいるとすれば、それは瑠羅以外にいないだろう。

「……一つ、条件がある」

 裕翔が言うと、橋姫はやや驚いたように目を見開いた。まさか裕翔達の方から条件を追加してくるとは思ってもみなかったのだろう。

 何しろ元よりやろうと思っていることに、少しばかり内容が増えるだけで盗られたものを返してもらえるのだから、むしろこれ以上の好条件など、求める方がおかしいだろう。

 それでも裕翔は押し通そうとした。

「聞くだけは聞いてあげるわ。何が望み?」

 呆れ顔で橋姫は応じた。

「空蝉茉莉花、彼女を追うのを止めてやってくれ」

 裕翔の言葉に、魔術師は硬直した。

「……貴方正気? 彼女は魔術連盟始まって以来の凶悪犯罪者よ? 判明しているだけで二百人は殺してるのよ? それを野放しになんて、出来るわけないじゃない」

 予想通りの反応だ。

 出来ないのはあくまでも彼女が重犯罪者だからであって、橋姫にその権限がないからではない。今一番重要なのはそこだ。やることが出来ないのか、やれてもしないのか。それによってとれる対応が変わってくる。

「彼女は俺達の仲間だ。彼女の敵は俺達の敵だ。お前達魔術師が彼女を害する心算なら、我々は全力をもってそれを阻止することになる。ここで俺達が全員殺されるとしても、それは変わらないし、そうなれば困るのはむしろお前だろう?」

「……貴方達、死ぬのが怖くないの?」

 意外な言葉が飛び出した。死ぬのが怖くないか、とは。だがそんなことは考えるまでもなく決まっている。

「死ぬこと自体は怖くない。俺が恐れているのは、彼女を救えないまま死ぬことだ。だからお前に頼むんだ。彼女を連盟から救ってやってくれと。その後のことは俺が責任を持つ。だがこればかりは、お前にしか出来ないんだ。彼女をこれ以上脅かさないと約束してくれれば、俺は邪神だって倒してやる」

 裕翔ははっきりと答えた。

 橋姫は沈黙している。無理からぬことだとは思う。彼女はあくまでも人間で、大衆にとっての正義を重視していて、そして魔術犯罪を取り締まる立場の人間だ。そう易々と、邪神を庇うことなど出来はしない。だがここでそれを認めなければ、自分のタスクが増えるばかりか、人質となった弟子が危険にさらされることになる。

「……こっちからも一つ条件を追加するわ。神秘殺し、館田祐翔。貴方が彼女を連れて来なさい。貴方なら、彼女に対する抑止力になるから、それが出来たら、対応してあげるわよ。貴方が、神秘の無効化が意味を成さない戦場で、最後まで生き残れたら、ね」

 そう言って橋姫は踵を返した。呆気にとられる裕翔達からいくらか離れてから、ふと思い出したように振り返り、

「エルダーサイン、上手く使いなさい」

 と最後の助言をした。そして、空気に溶けるように消えた。

「あー、えっと、思いがけず上手くいって良かったね」

 一真が言った。彼は可愛想なことに、橋姫の気配が完全に消えるまで、ずっと震えていた。すっかりトラウマ化している。

 裕翔は頷いた。思いがけず。一真の言う通りだ。あんな交渉が成功するはずもなく、本来なら実力行使もやむなしと考えていたくらいなのだ。

「……だがよお。いくら何でもその場にオレ達の心臓ビン詰め置いて行くのはどうかと思うぜ」

「問題ない。あれは持ち主が手に取って自分の胸に押し込めば元に戻るはずだ。ビンから出されていたらもっと厄介だったが、 その点は幸運だったな」

 敦のボヤきに、直哉が応じる。いつもの光景。

 いずれ夢か幻のように消えてなくなる、今だけの日常。だが、そこにいなければならない者が欠けている。それを取り戻さなければ、真の日常は帰って来ない。

 そんなことをぼんやり思いながら二人が戻すのを見ていると、遠くから爆発音が聞こえてきた。

「一真、ちょっと上行って見てくれねえか?」

 ほぼ形骸化したリーダーこと聖司の指示に従って、一真は能力を駆使して側にあるビルの屋上まで飛び上がる。 「お、燃えてる。あれは……城だね。城が燃えてるよ」

 一真が叫び、直哉がそれを受けて手を顎に添えた。いわゆる「考える人」のポーズではあるが、顎に手を当てて考えることに何の意味があるのか、裕翔は知らない。

「戦闘は既に始まっているようだな」

 ややあって直哉が呟いた。

 本来この町に城などありはしない。一真が見たのは紛れもなくウーヌスの拠点、キャメロットの城だ。

 そこに倒すべき敵と、救うべき仲間が同居しているのだ。

 時間は多くない。彼女が完全に邪神になる前に事を終えなくてはならないのだから。

 ふと、心臓の入っていたビンの置いてあったところに、一枚の小さな封筒が置かれていることに気が付いた。辺りが暗いこともあって、よく注意していないと見落としかねない。

 拾い上げてみると、何時間が前に見た手紙と同じ字で、「全て終わったら開けなさい」とのみ書かれている。

 裕翔がそれをポケットへしまっていると、一真が地上へ降りて来た。

「提案なんだけどさ、ボクの能力でみんなをあのお城まで飛ばすってのはどう?」

「良い案だな。それでいこう」

 聖司が一も二もなく賛成した。裕翔も同意見だ。それなら、 移動時間はかなり短くなる。慣れていないと少し大変だが、そこはもう諦める他ない。そもそも、そんなことで音を上げるようでは、とても網羅の救出など出来はしない。 他のメンバーからも反対の声は上がらず、一真がスキルを発動させた。

 体にかかっていた重力が消え、地を軽く蹴っただけで大きく跳び上がり、落ちていかない。やがて上向きに少しずつ動き出す。一真が上向きに加速度をかけたのだ。 周囲のどの建物よりも高く、飛行の妨げになるものが一切ないところまで上昇する。

 自身の目で、燃え上がる城を見据える。

「じゃあ行くよ。衝撃に備えて――Go!」

 一真のかけ声と供に、裕翔達は高速で空を駆け抜けた。

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神秘殺し 竜山藍音 @Aoto_dazai036

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