異聞II 空蝉茉莉花編

 魔術師や、その他の人智を超えた存在が闊歩する世界のことを、俗に「神秘世界」と呼称する。世界と表現したが、これは別に私達人間が普通に生活している世界と何ら変わりはない。完全に地続き。神秘に関わらない人にもわかりやすく言うなら、神秘業界、みたいなものだ。

 そんな業界あってたまるか。

 そう思った人はMAFIAで充分やっていけるだろう。実際、魔術師とその他の人間では生活基盤が違いすぎる。それこそ文字通り世界を分けた方がいいほどだ。だからこそ、それを実現するためのMAFIAである。

 勿論、誰がどう見てもテロリスト組織だ。物心がついてから今までの人生の九割九分九厘をそこで過ごしている私が言うのだから間違いない。と言っても私はまだ九つ、今度ようやく十歳になるくらいだが。


 自己紹介が遅れた。私は空蝉茉莉花。米国でMAFIAの一員をやりつつ、ある大学の卒業生でもある。いくら飛び級が認められているとはいえども、私のこれは些か異常だ。それでも、私がその立場にいるのには理由がある。

 実のところ、私は大学における研究対象でもあるのだ。

 ミスカトニック大学といえば、聞いたことがある人もいるだろう。その図書館に眠る数々の魔導書を。その学生や教授たちが見舞われてきた恐怖と狂気を。

 そのミスカトニック大学では現在、決して公にはならないものとして、外宇宙アウタースペースの存在に関する研究が行われている。私はその研究対象であり、同時に学生として研究員でもある、という特例措置を取られていた。

 通常では外宇宙と言えば「地球の外」即ち所謂宇宙空間というくらいの意味だが、ここでは「宇宙の外」という意味だ。「『世界』の外」でもある。

 さて、察しの悪い方でも流石に気が付いているだろう。

 そう、つまり私は純粋な人間では無く、外宇宙の存在なのだ。正確には、彼等は直接こちらの宇宙に干渉することはできないので、あくまでもその化身である。

 この「外宇宙の存在」というのはつまるところ邪神と呼ばれるもので、別段人間の味方ではない。その私が何故こうして研究されているかといえば、私に邪神としての力が殆どないからだ。

 殆どないなら研究して何の意味があるのかと思われる方もいるかも知れない。しかしよく考えて欲しい。邪神は極めて強力な力を持っている(ことが多い)。それは人間など下等生物どころか存在していないに等しいレベルだ。彼等と比べてしまうと、もはや人間という生き物を観測することは出来ない。逆もまた然り、邪神の力が大きすぎて、人間からでは観測出来ないのだ。

 あとは純粋に、ちゃんと力を持った化身を研究しようものなら、即座に皆発狂してお終いである。実際に、そういう事例もあったらしい。

 そういうわけで、特に相手を狂わせることも出来ず、強大なパワー(物理)で辺りをメチャメチャにすることが出来るわけでもない私は都合が良かったのだ。

 と言っても、あくまでも殆どないのであって、全くのゼロではない。無論、そうでなければ研究する意味はそれこそない。

 私の持つ邪神としての能力は、身体の状態を変化させること、そして死んだ人間の姿や能力をコピー出来るというものだ。

 その力のもとになった邪神、即ち私の本体の名は——ナイアルラトホテップ。


 さて、時空を現実に戻そう。

 死んだ人間の力を得るという私の能力を活かす場所として、MAFIAは最高の環境だ。何しろ、標的になるのは常にそれなり以上の能力を持った魔術師だ。その力を回収できれば、私の魔術師としての能力は格段に向上する。

 そのために、私は多くの人を殺してきた。別に良心の呵責とかはない。その辺は、邪神的精神構造なのかもしれない。

 だから、MAFIA内でも私の地位はそれなりに高いところにある。一応、幹部と呼ばれる立場にあることは知っている。知っているということは、利用しない理由はないということだ。

「そういうわけでボス、ちょっと外行ってきても?」

 何がそういうわけなのか分からないと思うので説明すると、昨日ロンドンからある有名な魔術師がここニューヨークにやってきたという情報が入ったのである。だからちょっと興味があったわけだ。

 私はいま普通にニューヨークにいる。MAFIAの本部がどこにあるかは流石に言えないが、私くらいの立場だと、多少フラフラしていても問題はない。

 にも拘わらず私がボスに許可を求めた理由はただ一つ。場合によっては、その魔術師を殺害しようと思っているから。

「……魔術連盟を徒に刺激するのは賛成できないが、個人的な戦闘の範囲内なら許可する。あくまでも私事としてだ」

 まあそうなるか。

 魔術連盟というのは言うまでもなく魔術師共の組織であり、MAFIAが最も恐れる組織でもある。奴等がその総力を以てこちらを潰そうと思えば、それさえも可能だろう。勿論、双方に甚大な被害が出るのは言うまでもない。そして全く関係ないところにも。

 私が会いに行こうとしているのは、そのボスに当たる人物の弟子だ。流石にそちらのボスの方が凄い能力をもっているのだが、弟子の方も負けてはいない。

 それがどの程度のものか説明するには、魔術とはどういうものなのかを説明しなければならない。少し退屈かもしれないが、聞いて欲しい。

 我々、魔術、即ち魔法技術を扱う者を総称して魔術師と呼ぶ。広義には神秘を扱う者全てを指すらしい(魔術連盟の『魔術』は広義の方だとか)が、ここでは狭義の魔術師について話す。多くの魔術師の研究の目的は「神に到達すること」だ。元々この世界の魔術とは、神の力を再現するべく生み出されたものだ。

 だが、神になろうと言っても、一人で全てのことが出来る神になるのは難しい。そこで、その者の持つ“属性”というものが重要になって来る。属性には大きく分けて四種類、細かく分けるとそれこそ無限にある。元素系列、上位系列、下位系列、系列外の四つにわけて考えるのが普通だ。

 元素系列は四つ。火、水、風、土。所謂四大元素だ。この属性を持つ者は、生まれついてのエリートと言っていい。私はこのうちの一つ、土の属性を持っている。

 上位系列は多数。精神とか、操作とか、そいう大雑把な括りの属性だ。上位系列の属性を持つ者は、下位系列の魔術をも使うことが出来る。わかりやすく具体例を出すと、主に心の作用を操る「精神」という属性は上位系列になるが、心を操るうちの一つである「魅了」は下位になる。

 下位系列は無数。下位とは言うが、上位互換となる上位系列がはっきりしない属性の方が多いのではないかとも思う。99%以上の魔術師が、この下位系列しか持たない。

 系列外は不明。極々稀に、元素系列よりもなお稀に持っている者がいる。あまりに異質なため、多くのことは未だに分かっていないものが多い。

 魔術師はこれらのうち少なくて一つ、多くて三つの属性を持つとされている。

 さて、私は確かに生まれついてのエリートではあるのだが、そもそもそういう家系の生まれだから別に驚くようなことではない。魔術属性は遺伝と大きな関わりがある。しかし、今話題に挙げている魔術師は、そのような家系でないにも関わらず、元素系列の四つ全ての属性を持っているという。加えて上位系列のものも相当数。彼女に出来ないことの方が少ないと言わしめる程だ。

 これがまず一つ目の凄さだ。

 続いて、魔術を発動させる方法について。

 通常魔術師は、体内に存在する魔術神経と呼ばれるものに魔力を通すことで魔術を発動させる。しかしこの魔術神経には、意図せず魔術を使用してしまわないように、制限が付いている。感情が高ぶってついうっかり大爆発、とかになったら色々と悲惨だから、制限されているに越したことはない。

 このストッパーを外すために行うのが詠唱だ。自分に「今からこの魔術を使うぞ」と言い聞かせる、ある種の自己暗示ともいえる。

 しかしこれでは魔術を使う度に詠唱しなくてはならない。しかも、複雑で強力な魔術になるとその分詠唱も長くなる。

 それを解決するために用いられるのが、魔術陣と魔術式の二つだ。

 魔術陣は通常、魔術を行使する際に、効果の表れる場所を示すものとして現れる。いわば的だ。だから、普通に魔術を使う時には気にする必要は特にない。だが、魔術を使っていないのに魔術陣を手作業で描くとどうなるか。それは、疑似的に「魔術は発動しているが、魔力が来ていないために何の効果も発揮していない」という状態になる。そして、魔術陣とそれを描いた術者の間には、魔力の経路パスが出来る。これにはストッパーがないため、事前に魔術陣を用意出来れば、あるいはその場でサッと描くことが出来れば、詠唱なしで魔術を使える。

 一方の魔術式についてだが、こちらは些か毛色が異なる。まず、魔術式とは魔術を文字で表したものである。例えるならば、プログラミングにおけるソースコード。これにはパスが発生しないため、直接触れて魔力を流し込まなければならない。しかも、使えるのは一度きり。

 魔術陣の方が便利だと思うだろう、これだけ聞けば。しかし魔術式にはそれの利点があって、何と自分の持っていない属性の魔術も使えるのだ。だからなのか、魔術師の界隈では羊皮紙にこの魔術式を書いた“魔術巻物スクロール”というものが売られている。先述の通り書いた者とのパスがないため、購入者が好きに使えるのだ。

 では今度の彼女の凄いところはというと、理論上彼女は一切声を出さなくとも魔術を行使出来るのだ。彼女の持つ特殊な能力は「自分の発した音を詠唱の代わりとして用いることが出来る」というもので、この音というのには、極小のものも、極々短い音も含まれるのだ。そして彼女は聞くところによると自身の聴力を強化して、ちょっと指を動かすだけで、超大規模の魔術が使えるというのだ。いや、これは流石に話半分に聞くとして、その詠唱に関する能力の存在自体は確実性の高いものだ。

 この二つのことを総合すると、彼女は(普通多くても三つまでしか持てないのに)大量の属性を、しかも(一つ持っているだけでエリートとされる)元素系列を四つ全て持っていて、その上全く詠唱に時間をかけることなく魔術を使える、というのだ。

 しかし、正直私は彼女の能力をコピーすることにさほど魅力を感じてはいない。というのも、私自身が使える魔術はそんなに大したものじゃないので、詠唱する機会はさほどない上に、邪神の能力でコピーすると、それは魔術と同じように発動する癖に魔術ではなくなってしまうので、詠唱を必要としない。そして、今まで殺してきた魔術師の能力があれば、やはり大抵の事は出来る。

 だからまあ、完全に興味本位だ。噂の魔術師がどんな人物なのか、と。あとは、強いて言うなら組織にとっての脅威の排除か。

 なんという名前だったか。

 そう、確か——

「橋姫紫音って言ったっけ」

 私は後ろから話しかけた。目の前の少女——と言っても私より三つか四つ年上に見える——は一瞬右回りに振り返ろうとして動きを止め、左回りに振り返った。右目は閉じられている。

「私は空蝉茉莉花。よろしく」

 何も言わないので名乗ってみたが、やはり何も言わない。名前がそれで合っていたかも教えてくれない。まあ、振り返ったくらいだから合っているのだろう。

 私は無視については特に気にもせず、コートの内側から小型の拳銃を取り出した。隠し持っておくのに丁度良いサイズだ。

 私の行動を一切無視していたら面白かったが、流石にそういう訳ではないらしい。彼女は左の手首、恐らくは腕時計に手をかざし、やはり小型拳銃を手にした。武器を召喚する魔術が仕込んであったのだろう。驚くようなことではない。

 反撃される前に仕留めてしまいたいと思ったので、即座に引き金を引いた。弾は当たらなかった。それだけでもだいぶショックなのだが、彼女は間違いなく私の銃から弾が出る前に回避していた。ダブルショック。未来が見えているとしか思えない。

 しかも、撃ち返してきた彼女の弾は、見事に私の右手に当たった。機械の義手なので拳銃が飛んで行った以外は特に被害はないのだが、これでは私の立場がない。せめて一発くらい当てておきたいものだ。

 だからといって、弾き飛ばされた拳銃を拾いに行くような真似はしない。私は魔術師だ。魔術師なら魔術で戦えと思うかもしれないが、相手が卓越した魔術師であるならば、それは悪手だ。魔術師にとって、魔術とは決して脅威ではない。下手をすると、相手に攻略のヒントを与えるだけで終わることすらある。だから私達のような者は魔術を込めた武具を用いるのが普通だ。私の場合はそれが拳銃だったというだけ。当たれば効果を発動するが、当たらなければどうということはない。

 私は魔術を発動した。攻撃の為ではなく、次の銃を取り出すためのものを。といっても、正確には魔術ではない。そう、邪神の能力で手に入れた力だ。先日、このニューヨークで見つけた稀有な魔術。その属性は、系列外の「虚数」というものだ。

 背後に虚数空間への穴が開く。そこからグリップだけ飛び出した銃を、左手で取り出した。

 私の利き手は左だ。もともと生まれつき右腕がなかった私には、仕方のないことだ。勿論今は右腕はある。魔術機械の義手が。およそ左と同じように動かせる。けれど、やはり利き腕の方がやりやすいことに変わりはない。

 取り出したのは大口径のリボルバー。自動拳銃オートマチックと違って、撃つ分には左手でも問題ない。44マグナムといえばこれ、というほど有名なものだ。映画のおかげで。

 装弾数は六発。これで仕留める。

 という矢先、私の携帯が鳴った。最悪だ。この携帯が鳴るのは緊急時だけ。出ないという訳にはいかない。出なければ私の首が物理的に飛ぶことになる。

 発信者を見ると、なんとまあMAFIAのボスである。

 渋々、勿論そんなことは声音には乗せずに、私は受話ボタンを押した。

「はい、私です。首領ボス、如何しました?」

『緊急の案件がある。至急私の部屋まで来るように』

「了解」

 MAFIAにおいて、首領の命令は絶対だ。来いと言われたのなら、理由を聞く前にまず行く必要がある。首領はその答えに満足したのか、詳しく話してくれることもなく通話を切られた。

 しかし、私の眼前には橋姫紫音がいる。このまま引き下がるという訳にはいかない。ならばボスを待たせることなく、目の前の脅威を排除するのが最善だ。

「事情が変わったから、すぐに仕留めさせてもらうよ」

 そう言いながら、私は背後に再び開いた虚数空間から細剣レイピアを取り出した。もっとも、私の使うのは広い括りではレイピアだが、厳密にはスモールソードである。邪道ではあるが、利き手たる左手に剣を握り、右手には先程のリボルバー。

 体勢を整え、一気に飛び出す。

 しかし躱される。はやり未来が見えているのだろう。これは厄介だ。

「貴女、MAFIAの者ね?」

 橋姫は冷静にそう言った。しかし私はこれに正直に答えるわけにはいかない。首領から先に釘を刺されているから。なので、口の端で笑って誤魔化した。多分誤魔化されてはくれていないし、なんなら私のこの反応から答えを導き出していることだろう。

 いよいよもって早急に始末しなくてはならないか。

 そう考えて私は再度踏み込み、弾丸のように剣を突き出した。仮に未来が見えているとしても、立て続けに攻撃すれば、いずれついていけなくなるだろうと踏んでの攻撃だった。息を吐く暇も与えないくらいのつもりで連続攻撃をしかけると、予想通り徐々に追い込みつつあるという実感があった。

 しかし、何事も完璧に上手くいくことはそうそうない。一撃で仕留められなかった以上、彼女が術式を組む時間はいくらでもあるはずだ。

 と、そこまで考えて、私は慄然とした。駄目だ。彼女は既に術式を組み終わっている。

 彼女は既に声を発した。それは詠唱の完了を意味するはずだ。

 しまったと思った矢先、彼女の方から猛烈な勢いで火球が飛んできた。私の脚力をもってしても避けられない程だ。

 咄嗟に右腕で庇うが、それでどうにかなるものではない。右腕に仕込んである防御魔術まで使ってようやく凌ぎ切ったが、既に橋姫の姿はなかった。

 魔力の痕跡が続いていないから、恐らく転移したのだろう。私は舌打ちした。転移した相手を探すのは、私にとって至難の業だ。だが、これ以上時間をかけては余計面倒なことになってしまう。今回は大人しく負けを認め、首領からの呼び出しに応じることを第一に考えた方がいいだろう。

 荒んだ気持ちのまま、私はMAFIA本部へ転移した。

「止まれ!」

 首領の部屋の前には、当然ボディーガードか門番かといった役割を務める者が数人いる。いるのは別に結構だが、この私に対して命令するのは頂けない。

 私は拳銃を向けた。

「私に命令するな」

 相手が引き金を引く瞬間に、私の銃が火を噴く。私の方が一瞬早い。弾丸を頭蓋に叩き込まれた警備は、痙攣しながら斃れた。その痙攣によって引き金が引かれ、天井に弾痕を無駄に創り出していく。

 死体をそのままにして、私は入室した。

「また殺したのか」

「はい、殺しました」

 当然じゃないか。私に命令していいのは私と首領だけだ。首領の警護だからといって、私に命令していい理由にはならない。

 だから、殺した。

 MAFIAでは、より上位の立場にある者の言が絶対だ。この場合は、幹部である私ということになる。従わない者を処刑する権利はある。

 だから、殺した。

 それに、撃たなければこちらが撃たれる可能性があった。いくら私が半分以上化け物だといっても、肉体的な耐久力はヒトと大して変わらない。撃たれれば死に得る。

 だから、殺した。

 そもそも、殺すことが私の利用価値だ。

 だから、殺した。

「分かった。咎めるつもりもない」

 首領はそう言って、私に座るよう勧めた。

「今回来てもらったのは他でもなく、仕事の為だ。君には即刻日本へ飛んでもらう」

「日本へ? 日本の何処です?」

「第四十三番駐屯地だ」

「……古巣とはいえ、よりによって夏山市に行けだなんて、あのクソったれな魔術連盟に何か仕掛けるつもりですか?」

「いや、近頃どうも妙な魔術の働きがあった。連盟の仕業とは考え難い。主たる任務はその調査だ。もし何か我らの至上命題に反することがあった場合は、これを排除せよ」

「ヤー」

 私は緩い敬礼と共に立ち上がり、そのまま退室した。

 ここまでの私の態度を見て貰えば分かる通り、私にMAFIAへの忠誠心はない。

 いくらかの恩義があるから仕方なく協力している、といったところだ。それが無ければとっくに見限っている。

 確かに彼らのやり方は私のやり方に非常に近しく、ある意味ではやり易い場所ではある。

 しかし、そもそもここは思想を持ったテロリスト集団だ。ところが私にはその思想がない。はっきり言って、何言ってんだこいつら、というのが正直な感想だ。

 ある意味では、彼等の言い分にも正当性はある。神秘に関わる人間と関わらない人間とをはっきり分けるのは、神秘を秘匿するという点では申し分ない。神秘は秘されることで力を保つのだから、これを重視するのも重要なことではある。

 だが、魔術に限らず神秘とは、人の想い、想像、思い込みから生まれるものだ。それも基本的には、神秘に関わらない人間によるもので。

 ではそれらをきっちり分けてしまうとどうなるかと言うと、簡単に言えば神秘の力が一気に落ちる。

 更には、新たな神秘使いが、元々神秘と関わりのなかった集団に生まれる可能性が高い。

 だから、根本的にMAFIAのやっていることは無意味なのだ。

「やれやれ……。もうちょっと気楽にやればいいのに」

 廊下に転がっている男達を見ながら、思わず呟いた。まあ彼らが気楽にやったところで、こうなる運命は変わらなかったのだろうが。

 コソリとも足音のしない、毛足の長いカーペットの上を歩きながら、小さな声で魔術を組み立てる。

 使用した魔術は「転移」だ。視界が一瞬で変わる。

「お、おいアンタ。今どっから出てきやがった」

 痩せこけた中年の浮浪者が声をかけてくる。運悪く、私が転移してくる場所のそばに居たのだろう。ある意味気の毒な奴だ。こういう奴は殺してやった方がそいつのためにも世界のためにもいい。

 私は男の方へは目もくれず、その頭を撃ち抜いた。

 その途端、馴染みのある感覚が押し寄せた。死者の力を手に入れる時のものだ。

 これが発動したということは、この男は私の持っていない力を持っていたということになる。

 どんな力だったのか感知する。その結果私を襲ったのは驚愕だった。

「おいおい、こんな浮浪者が……」

 思わず、足元に転がる死体をまじまじと見つめてしまった。それほどの驚きだったのだ。

 浮浪者が持っていて良い力ではない。そもそも、この力を行使出来れば浮浪者になどなり得ない。

「自分の能力スキルすら気付いてなかったのか……」

 ちょっと同情するレベルの無能だ。しかしまあ、そのおかげで私がその力を手に入れられたとも言える。男の無能ぶりに感謝しなくてはなるまい。

 私は自分の荷物を検めた。困ったことに(分かっていたが)この新しい能力スキルを使う為に必要なアイテムの持ち合わせがなかった。

 溜息ひとつ。

「持ってるわけないだろそんなもの」

 口に出すと、苛立ちは少し軽くなった。

 持ってないのは仕方がない。というか、一般の人は持ってないだろう。しかし、どこに行けば売っているかは知ってる。一々苛立つような問題でもない。

 目的地まで行く前に、それを買っていこう。


 MAFIAには世界各地に小さな拠点がある。その中の一つ、第四十三番駐屯地。日本にある駐屯地の中で最も大規模で、魔術連盟と対立する上で極めて重要な場所だ。元は何かの倉庫だったらしく、かなり大きな建物だ。

 一応私は幹部なので、足を踏み入れるだけで組織に忠実な部下達が一斉に忠誠の姿勢を見せてくれる。全く嬉しくないし楽しくもないが、一応形だけはそれに応えておく。

 私は辺りを見回した。なにしろ途中参加だから、まずは現場責任者から説明を受けたいところだ。

 というか、並み居る幹部の中でも特に戦闘に特化した私が召集されたくらいなのだから、もう揉め事になっているか、或いはそうするつもりかの二択だ。

「空蝉殿」

 声をかけられた。振り返って見れば、コイツが現場責任者だ。名前は覚えていない。興味もない。

「やあ、ご苦労さま。取り敢えず現状の説明が欲しいんだけど」

 歩きながら、なるべく優しく言った。これから共に仕事をする仲間を怯えさせても何の利点も無い。

「はい。現状我々は郊外の森、現地民が『大鏡の山』と呼んでいる地域を調査しており、大規模な結界魔術を発見しました。隠密行動に長けた者を送り込んだところ、内部には堅牢な城が築かれているということでした。現在結界を破り制圧するための準備を行っています」

「なるほどね」

 ほら言った通り。戦闘用意中だ。調査やら隠密やらが必要なら私を呼ぶことはない。その手のことは不得手だ。

「じゃあ、その城ってのは我々の至上命題に反すると判断したんだね?」

「はい。そこに住む者達が外へ出て人目を憚らずに何らかの神秘を行使するのが目撃されています。加えて、何らかの軍事的施設である可能性が報告されておりますので、魔術連盟が関与していない以上、早期に対処した方が良いと考えております」

「連盟が関与していない確証もあるんだね?」

「はい。加盟員と交戦しているのを数度に渡って確認しています」

 私はその現場責任者とのやり取りに満足した。

 ここまで話す間に私達は一番奥の部屋に着いていた。私は部屋の奥の椅子に座った。

「作戦の概要は立ってるの?」

「いいえ。城内の偵察が済んでいませんので、制圧の手筈も整えられませんし、どれ程の戦力が要るかもまだ不明です」

 まだそんな状態なのに私を召集したのか、とちょっとだけ思ったが、多分首領は具体的な状況までは分かってないのだろう。戦闘になりそうだということで私を呼んだに過ぎないのだと思う。責めるのは筋違いだ。

「取り敢えず早急に偵察を済ませることだな。私はその辺苦手だから任せるよ。情報が集まったら知らせて貰えれば――」

 にわかに外が騒がしくなったので、私は思わず口を噤んだ。ここが騒がしくなるというのはきっと碌なことではない。ここにいる者達は不必要に騒ぐような馬鹿ではないはずだから。

 そういう理由があって、私達はやや慌てて部屋を飛び出した。

 嫌な予感は的中した。

 白いローブに身を包んだ男が、宙に浮いていた。

 手には身の丈ほどの杖。

 奇怪な侵入者に、銃弾が飛ぶ。しかしまるで手応えがない。すり抜けているようだ。

 幻術か。

 そう思った時、男の持つ杖が輝き始めた。それも、熱を伴って。

 私は部屋に飛び込んだ。直後眩い光が辺りを包んだ。私は明すぎて何も見えない中、手探りで右腕に仕込んだ術式の一つを発動させた。

 対熱防御術式、即ち、耐熱フィールドだ。

 部屋の外から、焼かれる男達の断末魔が聞こえてきていたが、やがて静かになった。そして光も消えた。

 光は、私の皮膚を焼いていた。部屋の壁は融けてなくなっていた。耐熱術式がいくらか緩和してくれていたものの、完全ではなかったらしい。

 私は、気を失った。


 気が付くと、そこはMAFIAが運営する病院だった。

「………」

 上体を起こす。体中が悲鳴をあげたが、そんなことに構っている余裕はなかった。右腕は外されていたが、正規の手順で外さなかったからか、それともこうなったから外したのか、肩が損傷していた。

 病室には私しかいない。私は全身を包帯に巻かれたまま、ベッドを抜け出した。

 転移で向かった先は、私が実家の代わりに住居としている家屋だ。そこには、巨大な魔術陣が描かれている。

 全て、準備は済んでいる。私に何かあった場合、ここの処理は兄の大樹がしてくれる。だから、今まさにそこにいるのは分かっている。もっとも、あのボンクラな兄が、私の転移に気が付いたとは思えないが。

「大樹兄さん」

 二階からドタドタと降りてくる音が聞こえた。大樹兄さんは私の姿を見つけるなり目を剥いた。

「茉莉花! 抜け出してきたのか!」

「呑気に治療を受けている場合じゃない。この陣を使うから、退避するんだ。今すぐに!」

 私が怒鳴ると、大樹兄さんはすぐに出て行った。叫んだせいで全身が痛むが、支障はない。

 魔術陣に触れて魔力を流す。

「……にゃる、しゅたん」

 全身の魔力を吸われるような感覚。それに負けじと呪文を紡ぐ。

「にゃる・がしゃんな!」

 魔術陣が輝きを放つ。やがてそれは闇の如き穴へと変わり、そこから膨大な量の魔力が吐き出される。それは瞬く間に私の体を包み込み、包帯の下に侵入する。

 全身の表面を、何か悍ましいモノが這い回る。はじめのうちは痛みしか感じられなかったが、次第に痛みは引き、快感に変わっていく。

 によって包帯が解かれたのが分かった。そしてそのは私の中に入ってきた。

 快楽の波が絶頂に達し、全身がうち震える。

 全ては完了した。

 思わず笑みを浮かべた。

 魔力が溢れる。

 溢れた魔力は私の体をそっと包み、洋服に姿を変えた。私好みの、露出が多くて動きやすい黒尽くめに。

 傷は完治している。体の調子は以前よりずっといい。

「いぐない……いぐないぃ……」

 私にも分からない言葉が口から零れたが、ちっとも構わなかった。


 こうして――

 ――ナイアルラトホテップが地上に顕現した。

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