第9話
▲■▲
「そのくらいなら問題ないよ。僕に全て任せたまえ。しかしね、何事も他人にやってもらうには、それに見合う対価が必要だ」
ベディヴィアの話を聞き終えたマーリンは言った。
「意外だね、君がそんな倫理的な事を言うとは」
ベディヴィアは彼を笑ったが、マーリンがそれを気に留めた様子はなかった。相も変わらず柔和な笑顔のままだ。それはそれで気味が悪いが。
「失敬な。僕はいつでも倫理的だとも」
「よく言うよ。マフィアの前線基地、第四十三番駐屯地を破壊したのは君じゃないか。アレで一体どれだけの人間が死んだと思ってる?」
マーリンは少し驚いたように目を見張った。あの魔術師を驚かせてやったと思うと、少し気分がよかった。
「気付いていないとでも思ったかい? 気付かない訳がないだろう。私はあの件の、マフィアで言うところの『魔の四十三事件』唯一の生き残りだぞ。アレがあったから、力を求めた私が最終的にナイアルラトホテップを身に宿したんだ。そんな印象深い事件の犯人を、他でもないこの私が見紛うものか」
一気にそう捲し立てた。自分でも驚きだ。彼女の中でも、これは終わったことの部類に入る事件だった。それについて、こうもスラスラと言葉が出てくるとは。
「それは、済まないことをしたね。ただ、あの時既に彼の王に仕えていた僕としては、彼処に沢山の兵士がいるのは好ましくなかったし、当時のログレスではあれだけの軍勢に勝てるだけの能力はなかったからね。僕がやるしかなかったんだ」
マーリンは本当に申し訳なさそうに言った。
だが、彼の本心など他の誰であっても読み解くことは出来ない。本当に済まないと思っているかどうかなんてことが、ベディヴィアに分かるはずもないのだ。
「まあいいさ。今の私はマフィアの幹部でもなんでもない。ついでに、あの作戦が駄目になったおかげで折角の日本行きを無意味な作戦に浪費せず、有意義に観光に使えたことは大きい。それで、対価ってのは?」
ベディヴィアは唐突に話を戻した。
努めて軽い口調で訊いたが、内心かなり不安だった。どんな無理難題を言われるか分かったものではないし、それで肝心の頼みをきいて貰えないとなれば、ここへ戻ってきた意味がなくなるというものだ。
そんな彼女の心配を余所に、マーリンは普段の柔和な笑みを一瞬だけ引っ込めた。
「君には一つ、誓約をして欲しい」
「誓約?」
「そう。内容的には極めて単純なものだ。アーサーを裏切らない、とだけ誓ってくれればそれでいい」
なるほど、と内心で頷いた。
多くの者は知らないとはいえ、彼女は一度裏切っているのだ。そして、その事実を、ログレスの中核を成す円卓の騎士、及びその場にいたアグラヴェイン、全てを見通すマーリンは知っている。知ってしまえば、その可能性について考慮しないことは困難だろうし、そもそも騎士としての道に背く。
ベディヴィアの類まれなる戦力を目当てに騎士の道を曲げたアーサーに対し、トリスタンは「信じたくない」と評したらしいが、それは王の行動についてだったのか、それとも彼女についてのことだったのか。
いずれにしても、彼らから信用される為には、マーリンの前で裏切らないと誓う他ないのだ。
「ふん、いいだろう。私、円卓の騎士ベディヴィアは、今後一切アーサー王、ひいてはこのログレス王国に仇なすことはないと誓おう。ただし、これはあくまでもベディヴィアとしての私が自我を保っている場合の話だ。他が表に出て来ている時に関しては、一切保証出来ない」
マーリンは満足気に頷いた。
「構わないよ。それは君であって君ではないものだからね。ではこれで。僕は基本北の塔に引き篭っているから、用があればいつでも尋ねて来るといい」
スっと立ち上がるなり、マーリンの姿は掻き消えた。後に残されたベディヴィアは、礼儀としてドアくらい開けて出ていけと思ったが、次の瞬間には忘れた。
「……この軍服みたいな服はまあまあいいセンスしてるな。ロリータ風にすれば完璧なのに……」
彼女の呟きを聞く者は、誰もいなかった。
◆◇◆
沈黙だけが場に存在していた。
セプテムの拠点ビル、その七階スイートルームの、何故か一つしかないダブルベッド。その上に腰掛けた裕翔は気が付かなくても良い、或いは気が付きたくないことに気が付いた。
部屋が広い。
そして静かすぎる。
先程まで自分勝手に空間を共有させてきた彼女がいたおかげで、裕翔はそれに気が付かなかった。
物憂げにベッドを見遣る。
ここで彼女と愛し合った時、間違いなく裕翔の状態は普通ではなかった。自分の意志で彼女を抱き締めた? そんなことがあるものか。どう考えてもおかしいだろう。というかなんだあの気色悪い台詞は。
思い返せば、あの時、彼女の眼は燃えるような赤色だった。それは彼女の切り札のような
しかし、それは魔術師達と対峙した際に消滅している。言うまでもなく、彼自身の
では、今胸に宿るこの感情は何だ。
再度瑠羅に会った時に何かまたされたのかも知れない。そう思って能力を発動させてみたが、何も変わらない。ならばこれは、自分の中に芽生えた本物の
裕翔を混沌に陥れた気持ちを、彼自身は知らなかった。否、知らないということにしたかった。
その時、ノックもなくドアが開けられた。そこから玲が顔を出す。別に驚くことではない。他人の部屋に入るのにノックをしないのは、玲の悪い癖だ。
「気持ちの整理、ついた?」
裕翔はかぶりを振った。
「そう簡単につくものじゃない。むしろ悪化したかな。今までアイツのことなんか意識したことなかったのにな。この三年間で、ただの一度も。なのになんで俺は悩んでるんだろうな」
自分でも驚くほど、裕翔の声は落ち着きに満ちていた。玲は何故か部屋に入らず、戸の隙間から顔だけを覗かせていたが、妙な姿勢であっても話はちゃんと聞いていたらしい。目の中に、憐れみの色が見える。
「本当は、分かってるんじゃない?」
玲が口を開いた。何を、とは訊けなかった。そも、この流れで何もへったくれもない。
そう、裕翔にも分かっているのだ。
この胸を掴まれるような痛みが何なのか。
この身に穴が空いたような喪失感が何なのか。
では何故、それを彼女に対して感じているのか。彼女が裕翔に施した魅了は、とっくにその効力をなくしているというのに。
それが、全く分からない。
「それってさ、分からなきゃいけないことかな?」
「え?」
裕翔が聞き返しても、玲は構わず話を続けた。
「私は別に、そうは思わないよ。人の気持ちを他人は理解出来ないって言うけど、自分にだって分からない時はあるんだよ。裕翔は私よりずっと頭がいいから、そうやって分かるまで考えちゃうのかもしれないけど、分からなくたっていいんだよ、なんでそう思うのかなんて。もちろんそれが重要な時だってあるだろうけど、今は違うでしょ。今考えるべきなのは、なんでそう思うのかじゃなくて、どうやってその想いをあの子に伝えるか、でしょ?」
相変わらず顔を覗かせるだけの妙な姿勢で、玲は一気に捲し立てた。
しばし沈黙した後、裕翔は降参した。玲の言うことには一理あったし、このまま考え続けたところで何の結果も得られないだろうということは、自分が一番よく分かっていた。
「分かったよ。だとしたら、俺がいるべきはここじゃなくて作戦室だな」
裕翔がそう言って立ち上がると、玲は満足そうに笑った。
「ところで玲、そう言うお前は聖司に気持ちを伝えたのか?」
「ううん。まだ自分の中でも気持ちがハッキリしてないから……って、なんで知ってるの!?」
みるみるうちに顔が赤くなる玲。それを指摘すると、物凄い勢いで顔を引っ込めた。
「瑠羅がいつだったか教えてくれた。知らないのは聖司だけだ。多分、アイツは今もまだ知らないだろうな」
裕翔は言いながら、部屋の中を検めた。
これといって見つかったものはない。ただ、ベッドのシーツがまだ濡れていることには気が付いた。
ここで彼女を抱いてから、まだ幾ばくも経っていない。気分的には、もう三日ほど経っているような感覚だったが。
「最悪……。もうあの子がピンチでも助けてあげない」
「それを聖司が聞いたら何て言うだろうな」
「うっ……」
直哉が不満をハッキリ示していても瑠羅を助けに行くと決めたのは聖司だし、何より彼女の正体を知って尚仲間だと言ってのけた男である。どんな反応をするかなど、火を見るよりも明らかだろう。
「……何もない。見事に全部持って行ったんだな」
本当に奈以亜瑠羅という少女がこの部屋に居たのか。そう訊きたくなる程に、彼女の痕跡は消されていた。髪の毛一本さえない。
ないならそれでいい。寧ろ、ない方がいい。
彼女のことを感じる為には、彼女に直接会う他ないのだから。
「行くぞ、作戦室。聖司はそこに?」
裕翔が訊くと、ドアが僅かに開き、隙間から玲が頷きを返した。
玲に構わずドアを開け、寝室を出る。一度キッチンに寄り、冷水を飲んで意識を覚醒させてから、作戦室へ向かう。
エレベーターは相変わらず速い。降りる分には階段の方が少し早いが。段をすっ飛ばして降りられる故の、僅かな差だ。
何時間か前に瑠羅と二人きりで乗った金属の箱に、違う人間、違う女性と乗るのは少し居心地が悪かった。
作戦室になってしまった食堂には、聖司のみならず、直哉も席についていた。例のごとく読書に耽っていたが、何を読んでいるのかと表紙を覗き見る前にこちらに気付き、しまいこんでしまった。
「一真が敦を呼びに行ってるが、時間が惜しい。始めるぞ」
聖司にそう言われ、先程の襲撃時に座った席に腰を下ろした。
一度この場は解散したはずだが、その後で本格的な行動の決意ができたらしい、と裕翔は内心で呟いた。それなら素直に端末を使えばいいではないか、と思って直哉を見遣ると、流石はセプテム一の天才児、それだけで通じたようだった。
「瑠羅と特に親しくしていた君については、こちらから呼び立てるのではなく、自発的に是非とも来て欲しかったからな。敦は寝ていて気が付かないようだから、一真に直接行ってもらったってわけだ」
「なんで寝てるってわかるんだよ」
「簡単な話だ。僕はさっきこのホテルの監視カメラを弄った。その時いくつかを部屋の中にも付けたからだ。とは言っても、玲と瑠羅、即ち君の部屋には付けていないから心配は要らない。その部屋の中で何か異常があっても分からないのが難点だが、だからと言って女性の部屋を覗く趣味は僕にはない」
なくていいだろう、そんなものは。隣の玲が安心したように肩の緊張を解いた。直前まで明らかに強張っていたから、見られていることを心配したのだろう。
「それで、具体的にはどうするんだ?」
裕翔が先を促した。
「焦る気持ちはわかるが、少し待って欲しい。その前に、彼女について一つ仮説を思い付いた」
「仮説?」
「そう。三年以上も瑠羅を見てきた君達なら理解してくれると思うんだが、彼女、性格や言動に一貫性がないだろう? だが、そのどれもが本当であることはわかる。そこで僕は初め彼女は多重人格なのではないかと思っていた。しかし、それにしては記憶が欠落している様子は見受けられない。ここで仮説だ。つまり、彼女は意図的に、若しくは無意識のうちに『人格』、というより『思考の優先順位』を切り替えているのではないか、と。これによって、僕達『セプテム』が最優先だったり、自分自身が最優先だったり、或いは裕翔がそうだったりするのではないかという訳だ。ここまでの話を踏まえて、これを聞いて欲しい」
直哉がスマートフォンを操作すると、複数の声が聞こえてきた。瑠羅のものと、別の男性のもの。内容から察するに、『ウーヌス』から逃げた時のものらしい。
「ここだ」
直哉は一時停止を押し、さらに少し巻き戻してから再開した。
『いや何、君がせっかく
録音の中の瑠羅はそう言っていた。
「恐らく、ここで彼女は意識を切り替えた。『セプテムの奈以亜瑠羅』から『ウーヌスのベディヴィア』へ。そう考えると辻褄が合うんだ。普段の、敵には冷酷な彼女は奈以亜瑠羅。同じように、ウーヌスの仲間としてのベディヴィア。それから、裕翔だけは見せただろうと思うが、きっと本名としてのそれもあるはずだ。そして、瑠羅が僕たちに対してさえ殺気を振りまいていた時があっただろう? あれが恐らく、彼女の邪神、ナイアルラトホテップだ。もしあの状態の彼女を怒らせたりしようものなら、僕達は間違いなく発狂させられた挙句殺されていたね」
そこまで語り終わった時、勢いよく食堂の扉が開かれた。駆けこんできたのは敦と一真。心なしか疲れた表情をしている。
「悪い、遅くなった」
「ここまでの話は聞いていたね?」
直哉が妙なことを言った。しかし敦はニヤリと笑って手を少し挙げて応えた。
「おかげさんでな」
言い終わるのと同時くらいに、直哉と一真は何か手首の端末を操作する。
これで分かった。二人の端末は、通話状態になっていたのだ。寝ぼけているだろう敦と、呼びに行ってくれていた一真が話を聞けるように、と。だから直哉は録音を聞かせるためにわざわざスマホを使わなければならなかった。
「では続けよう」
直哉が厳かに言った。セプテムのメンバーは、皆一様に頷いた。
「現在彼女はウーヌスに戻っている。僕の仮説が正しければ、今の彼女は瑠羅ではなくベディヴィアだ。となると、僕らは彼女にとって仲間ではなく、敵として認識されることだろう。無策で行けば、確実に返り討ちになる。それを分かってもらうためにも、この仮説を——といっても、殆ど確信しているが——話しておく必要があった」
相変わらず、直哉の頭の回転は凄まじい。裕翔達にはない豊富な知識を活用して思考しているのだろう。このような仮説、裕翔にも思いつかなかった。
「なあ直哉、敵の
今まで黙って静観していた聖司が尋ねたが、直哉はかぶりを振った。
「詳しいことは何も。ただ、モデルが『アーサー王伝説』だということしか」
今度は玲が手を挙げた。
「アーサー王って人間でしょ? それがどうして神話モデルの能力より上位なの?」
言われてみればそうだ。聖司、敦、直哉の三人は北欧神話がモデルだし、先頃倒した『トレース』はエジプト神話がモデルだった。では何故、人間でしかないはずのアーサー王やその臣下の騎士達が第一位なのか。
「……予想するしかないが、神話の力をモデルにした能力は、ヒトの肉体で扱えるように、かなり制限されているのに対して、アイツらの能力は伝説そのままの力なんじゃないか?」
「僕も同意見だ、裕翔。ただし、表現を改めるべきだろうな。彼等は恐らく『伝説における当人と同じことが出来るようになる能力』を持っている。だが、ヒトとして特異な何かがあるのはアーサー王を含めても数人だけだ。それではグループは作れないから、寧ろ身体能力を強化するとか、そういったことだけで伝説の再現が出来る連中だと考えた方がいいだろう」
恐るべき集団だ。精々身体能力を幾らか強化しただけで、他のどのグループより強いというのか。
「現状分かっているメンバーは四人。アーサー王、ガウェイン、ラーンスロット、そしてベディヴィアだ。残りの三人は予想する必要がある」
今日の直哉はよく喋る。あれでいて案外仲間思いであった彼のことだ、瑠羅が抜けたことが堪えているのかもしれない。
どのみち、彼以上にかの伝説のことをよく知っている者はここにはいない。残りの三人を予想することなど、彼にしか出来ない。そう考えれば直哉がやる気に満ちていることはありがたい。
唐突に、ここまでの流れをぶった切るように、裕翔の携帯が鳴った。滅多に鳴ることがないので、自分のものだとは気が付かなかったほどだ。だが、確かに裕翔の携帯が電話の着信を告げている。画面を見れば、やはりと言うべきか『奈以亜瑠羅』の文字が。
躊躇いなく、通話ボタンを押した。すぐさまスピーカーモードにして机の上に置く。
『もしもし、皆聞こえてる?』
些か気の抜けるのような、いつもの瑠羅の声。いつも通りということが、今は一番異常だ。
『そっちの話は聞かせて貰ったよ。嗚呼、心配しなくても、これ以上聞き耳を立てる気はない。敵地偵察は私の趣味じゃないからね。さて、九割九分、直哉の言う通りだよ。今の私はまだ「セプテムの奈以亜瑠羅」だからこうして君達と会話出来るけど、それももうすぐ終わりだ。私は今キャメロットの城にいる。つまるところ、ウーヌスの拠点さ。この通話が終わったら、名実ともに私は君達の味方ではなくなる。知っての通り、私は敵には容赦しない。君達が相手であったとしてもだ。それから、邪神としての私から一つ訂正だ。先刻直哉は私が発狂させて殺すかのように言っていたけれど、それは違う。私は敵と認識したものをわざわざ発狂させたりはしない。君達人間が勝手に発狂する。私はあくまでも、残酷に、冷酷に、凄惨に、尚且つ時間をかけてじっくりと殺してやるだけさ。さて、これで忠告はしたからな。これから先、君達が死ぬことがあってもそれは君達の責任だ。私の知ったことじゃない。虚弱貧弱無知無能の人の子の分際で状況をどうにかできると思うなら、是非ともやってみ給え。期待しているよ』
一方的に通話は切れた。いつにもまして長話である。瑠羅もまた、この状況で少なからず興奮状態にあるのだろう。
「……行こう」
裕翔が殆ど呟くように言った。
誰も声は出さなかったが、めいめいに支度を始めた。空気が重苦しい。
「一応聞いておくが、いいんだな?」
皆の支度が終わった頃、聖司が声を上げた。いつになく低く力強い声だった。
「勿論だ」
裕翔は答えた。他の者も、はっきりと頷いた。
「よし、これが最後の戦いかもしれねえ。気合入れて行くぞ。出発だ!」
珍しく、聖司がそんなことを言った。
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