第8話
裕翔が戻ってから十分ほどで、瑠羅もまた食堂へ帰って来た。
出て行く時は魔術を使っていたが、帰りは徒歩だった。あまり表情が優れないので、何か上手くいかなかったのかと皆が思い、食堂に重い空気が流れていた。
瑠羅は結局、顔を少し見せただけで、そのまま向きを変えてどこかへ行ってしまった。これで何も無かったとは考えられない。だが、瑠羅が落ち込むような理由も思い付かない。
重量感マックスの空気のなか、裕翔が立ち上がった。
「俺、ちょっと見てくるよ」
「ああ、頼む」
聖司は短く答えた。
裕翔は気持ち早足でエレベーターに乗り込み、最上階の自分の部屋へ向かった。
やはり、鍵が開いている。内側から鍵がかかるようになっているのに、かけておかなかったらしい。
「入るぞ」
聞こえないかも知れないが、一応声をかける。そもそも自分の部屋に入るために、中の先客に声をかけるのはおかしいのだが。
入ってみると、果たして瑠羅はベッドの中にいた。否応なく顔が熱くなるのが分かる。
頭を振って雑念を払い、布団を剥ぎ取る。瑠羅はその下で丸くなっていた。長い髪に隠れて、顔は全く見えない。
「どうしたんだ、瑠羅」
瑠羅が顔を上げた。上げたには上げたのだが、結局のところ顔はその長い前髪で隠れていた。
「……嗚呼、裕翔か。いや、何でもないよ。何でもないんだ。私は大丈夫」
どう聞いても大丈夫な人の台詞ではない。
裕翔には寧ろ、問題ないと自分に言い聞かせているように聞こえた。
瑠羅が指をくいっと動かすと、裕翔が引き剥がした布団が何か見えない力で束ねられ、瑠羅の上に戻って広がった。
「絶対大丈夫じゃないだろ、お前」
瑠羅は返事をしなかった。
「言ってみろよ。笑わないから」
「……大丈夫って言ってるでしょ」
思いの外強情だった。
「大丈夫って言うなら、もっと心配かけないように振る舞えよ」
「………」
「お前が望むなら、聖司達にも言わない。ただ、せめて俺には教えてくれ」
「……本当に言わないね? 約束出来る?」
裕翔は頷いたが、瑠羅がまだ布団を被ったままだということをすぐに思い出し、「ああ、約束する」と答えた。
「約束破ったら、裕翔でも容赦しないよ。いいね?」
「勿論」
裕翔がそう答えると、ようやく瑠羅は顔を出した。
ようやく顔を見せた彼女は、泣いていた。
「裏口側の敵、全員殺したんだ」
瑠羅はそう言った。それが何故泣くことに繋がるのか、裕翔には分からなかった。
「君が逃がした魔術師も、マフィアの連中も区別なく鎌の贄にした。普段ならそれはなんてことないんだけどさ。今だけはそれが悲しいんだ」
「悲しい?」
裕翔は聞き返した。意味が分からない。人を殺すのは確かに悲しいことだ。人が人を、なら。
だが、瑠羅が殺る場合はその限りではない。彼女はそもそも人ではない。人でないものが人を死なせるのであれば、それは自然現象だ。殺人ではない。
それの何が悲しいというのだろう。その『自然現象』の側が。
「分からない? 分からないか。分からないよね」
瑠羅が言う。
「裕翔は鈍い人間だから仕方ないよ。仕方ないから教えてあげる」
そう言って瑠羅は立ち上がった。
「私は人間じゃない。それは間違いなく絶対だ。だから、君と一緒に生きることが出来ないんだ。それを実感してしまってね。だから悲しかったのさ」
何を言っているんだコイツは。
裕翔には理解出来なかった。全くもって意味が分からない。
「分からない? 本当に鈍いんだなぁ。いいかい、私は決して死なない。君はいずれ必ず死ぬ。その時点で私達に別れの運命が存在するけれど、そんなことは些細なことでしかない。問題はね、君がいつどこでどうやって死ぬか、私には分かっているという事だよ。私には、君の運命が見えている」
何を言っているんだコイツは。
いつしか、瑠羅の目から涙が引いていた。
「本当は、こういうことは教えるべきではないんだけどね。特別に教えてあげよう。さもなくば、君には理解出来ないだろうから。──君が死ぬのはね」
瑠羅はそこで一旦言葉を切った。一瞬逡巡するような素振りを見せた後、決然たる顔で裕翔を見据えた。
「私に殺されて死ぬんだよ」
◆■◇
理解出来ない。
言葉は理解出来ても、それだけだ。何故そうなった。何故そう決まった。何故お前が俺を殺すんだ。何故何故何故何故何故。
「だから私は悲しかったし、改めて自分を人間ではないと自分で定義せざるを得ないのが辛いのさ。私の思考回路は未だに人間のそれだ。君も聞いただろう、空蝉茉莉花のものなんだ。だけど、近頃それが揺らぎ始めている。完全なナイアルラトホテップになろうとしているんだよ、私は。そうなった時、私が君を殺してしまわないと言い切ることは不可能だ。なにしろナイアルラトホテップにとって、君はただの人間。虚弱貧弱無知無能の人の子でしかないからだ」
何を言っているんだコイツは。
裕翔には微塵も理解出来ない。
「聖司の場合も、敦のことも、直哉のも、一真のときも、玲についても、いつ、どのような最期を迎えるか知っている。全て私が原因だ。そしてその運命は、私であってもそうそう変えられない」
悲しそうに、哀しそうに瑠羅は笑った。
見ている裕翔が辛くなるほどに。
「私はここを出て行くよ。この運命を変えられるのは、運命の輪から抜けた私だけだ。まだ一つだけ道はあるけど、そのためにはセプテムにいる訳にはいかない」
「そんな急に──」
「アイツらを殺すに際して急に見えてしまった運命なんだから仕方ない。それに、たった今急に思い付いた対処法だからね。成功する保証はないし。とりあえず私はウーヌスへ戻る。くれぐれもそこへ喧嘩を売るような真似だけはしないでくれ。私の苦労が水の泡になる」
そう言いながら、瑠羅は袖の中から様々なものを取り出した。どうやら何かを探しているらしい。ドラえもんか。
やがて瑠羅が出して来たのは、一振の細剣だった。剣帯に付いているが、どう見ても今の瑠羅には小さい。幼女体型だった時ならピッタリだったのだろうが、裕翔の好みに合わせた(?)今の体型では使えない。
そもそも、『ウーヌス』に戻ると言うなら体型を戻せばいいのではと思わなくもないが、瑠羅はそうしたくないらしい。わざわざ長さを調節している。
「じゃあね。もう二度と会わないことを祈ってるよ」
そのまま瑠羅の姿は掻き消えた。あまりの展開に、頭が追いつかない。
何はともあれ、このことを皆に伝えなければならない、と裕翔は階段を一気に駆け下りる。悠長なエレベーターを待つ気にはならなかった。例えそれが、ここへ来た時のまま、七階に停まっているとしても、階段で降りた方が速かった。
何も考えずに、作戦室もとい食堂に飛び込む。そうして捲し立てるように事の顛末を簡潔に伝えた。
「……そりゃあ、なんつーか……最悪だな」
少しの沈黙の後、聖司が言った。当然だ。あの瑠羅があろう事かウーヌスに戻るというのだ。四年振りにトップ集団に舞い戻ったとして、他でもない奈以亜瑠羅が他のメンバーに遅れをとるはずもない。これでは『ウーヌス』こそが事実上の勝者なのだと言っても過言ではない。
先程よりも遥かに重たい空気が場を支配したその時、食堂の窓を絶大な声が震わせた。
「……いぐないい……いぐないい……えええ・や・や・や・やはあはああはああ・ああ・ああ・ああ・んぐふああ・んぐふ・あああ・や・ややああ!」
それは瑠羅が恐らくマフィアの魔術師達と戦っているのだろうと思える時間にも聞こえてきた声だった。あの時は人のような、獣のような、どちらともつかない声だったが、今度は文言こそ同じであっても、明らかに人間の声だった。
「瑠羅だ……」
裕翔は呟いた。無意識だった。彼には直感的に分かったのだ。声の主が。その意味が。
「瑠羅が、泣いてるんだ」
それきり、誰も何も言わなかった。
▲■▲
市の中心部から少し外れた郊外に、その城はあった。
常人では見ることも、聞くことも、無論行くことも叶わぬ儚い虚構の城。選ばれた者のみが入ることを許される、栄誉の城、聖なる城。
それこそが、アーサー王率いる対魔術師組織『ログレス王国』の拠点、『キャメロット城』だった。
その門の前に、一人の少女が現れた。
「私だ。ベディヴィアだ。開門を頼む」
彼女は門番にそう言った。その日の門番はガウェインの弟、アグラヴェイン卿の仕事だった。彼は先に王から「ベディヴィアが来たら開けろ」と言いつけられていたため、すぐさま門を開け、円卓の間に通した。
「円卓の騎士が第六位、ベディヴィア。只今帰還致しました」
ベディヴィアは片膝を地について服従の姿勢を見せ、そう言った。ガウェインやラーンスロット、トリスタンといった騎士達は、裏切り者の帰還に驚きを隠せず、また何か企んでいるのではないかと疑っているのがよく分かった。
「ご苦労。よくぞ無事に帰還した。それで、四年間の外遊の結果はどうだ? 少しは見識が広まったか?」
アーサーが、威厳のある深い声で問う。それを聞き、騎士達は上げかけた腰を下ろした。
(なるほど、そういうことか)
ベディヴィアは心中でほくそ笑んだ。アーサーにはアーサーの思惑があるのだろうが、今のベディヴィアにとってこれは好都合だ。
「は、無論です。まず私が思いますに、私の居りました『セプテム』は我らにとって脅威とはなり得ません。私がいなければ、早晩自滅するでしょう。外から見る限り、我らに勝ち得るのは精々が『ドゥオ』くらいのものです」
「ほう、だが『トレース』は『セプテム』に敗れたと聞くが」
ベディヴィアは誰にも聞こえないように舌打ちした。もう伝わっているとは。
「失礼ですが、それは誰からお聞きになりましたか?」
「マーリンだ」
「マーリンですって!? あの『善き魔術師』が、ここに?」
アーサーの淡々とした返答が、より一層彼女を驚かせた。
五年前にここへ初めて来た時以来、一度も彼とは会っていない。一年間、一度も姿を見せなかったのだ。
「余が呼んだのだ。『クィーンクゥェ』の全滅も彼から聞いた。もっとも、彼はその事実を教えてくれたのみで、具体的なことは何も聞いていないがな」
「なるほど。ではご存知ないのも無理はありません。まあ言ってしまえば、私がいましたから、負けるはずはありません」
「ふむ、それもそうよな」
お互いに簡単極まりない説明だったが、アーサーは納得したようだった。大して気にしていなかったのだろう。若しかすると予めそう予測していたのかも知れない。
「お前の部屋はそのままにしてある。部屋でゆっくり休むが良い」
「御意。では皆様、お先に失礼致します」
恭しく礼をして部屋を出る。表向きだけであっても、礼節というのは大切なものだ。余計な諍いを産まなくて済む。
アグラヴェイン卿から聞いたところによると、ベディヴィアの出奔は巧妙に隠されていたらしい。未だにベディヴィアが居ないことに気が付いていない者も多いとか。なにしろほとんどの騎士にとって、円卓の騎士とは雲の上の存在に等しい。姿を見かけなくても、別段不思議なことではないのだ。
知られていたところで大したことではないが、知らないのならそれでいい。何しろ年相応の身体にしたのだ。ベディヴィアが偶々今まで見つからなくて、偶々今日誰かと出会ったとて、何ら不自然ではないだろう。ベディヴィア本人としては、やはりその方が楽だった。
そんなことをつらつらと思ううち、結局誰にも会わずに部屋まで着いてしまった。
四年ぶりとなる部屋のドア。ベディヴィアは何ら躊躇わず、何の感慨もなく戸を開けた。
どうやら主人のいない部屋を放っておいた訳ではなく、清掃はなされているらしい。ここだけ時が止まったかのように、何ら変わらない。
ただし、ベッドの傍に、一人の青年が座っていることを除けば、だが。青年は白いローブに身を包み、身の丈ほどもある木製(の割には随分丈夫だが)の杖を肩に立て掛けている。
「久しぶり、ベディヴィエール」
「──マーリン」
彼は彼女のことを、ベディヴィエールと呼ぶ唯一の存在だった。見たところ、外見は人間と言う他ないのだが、何か別のモノが混ざっているのではないかと疑っていた。
「私はベディヴィアだ」
ややムッとして返す。
「同じことさ。僕はそんなことに微塵も興味ない。君もそうだろう、ナイアルラトホテップ?」
ベディヴィアは軽く笑った。
やはり彼にはバレている。予想通りではあるが。伝説の魔法使いマーリンの名を冠する男だ。そのくらい見抜けなければ嘘だろう。そして彼にバレているということは、アーサーに伝わっていることは間違いない。
「まあいいさ。私の部屋に何の用?」
紅茶を淹れる準備をしながら、ベディヴィアは訊いた。当然マーリンの分はない。淹れてやる必要などないと思っていた。
善なる魔術師マーリンは、このログレスにおいて信仰の対象のようになっている。だが、ベディヴィアがそんなことを気にするはずもなかった。彼女が恭しい態度を取る相手がいるとすれば、それは精々アーサーくらいのものだ。表向きだけだが。
マーリンもマーリンで、彼女のそのような考えは見通しているので、別段気にはしていないようだった。
「君のいない間に決まったことをおさらいしておこうと思ってね。例えばほら、見てご覧」
そう言ってマーリンは九枚の紙を渡してきた。それぞれ何かを示すアイコンのような、簡潔な模様が描かれている。
「これは?」
「ログレスの全員に用意した紋章さ。もっとも、円卓の騎士以外の者は同じ模様だけどね。デザインしたのはガウェイン卿だ。それぞれ誰だか当ててみたまえ」
言われて手元の紙を見る。一枚目に描かれていたのは、特にこれといった特徴のない盾と剣だった。流石にそこまでヒントがないものから予測するのは困難だ。だが、この無個性こそ、共通の紋章としては役立つだろう。
「よってこれは円卓ではない者の紋章」
次の紙には、金の王冠を戴いた竜と、鞘に収められた聖剣エクスカリバーが。言うまでもなく、アーサー王のもの。
太陽と聖剣ガラティン──太陽の力を宿している──はガウェイン。
湖と聖剣アロンダイト──決して刃こぼれしないという──はラーンスロット。
女性のシルエット──イゾルデなのだろう──と竪琴を改造した弓フェイルノートはトリスタン。
聖盾と呪われた剣──ベイリン卿が湖の乙女を斬った剣──はガラハッド。
黒い王冠を戴く逆位置の竜と、王権の象徴たる銀剣クラレント──彼が盗み出した──はモルドレッド。
湖と抜き身の聖剣エクスカリバー──湖に返したことからだろう──ベディヴィア。
そして──。
「これは君のだな、マーリン」
瞬く間に紙飛行機に変えて投げ返したそれには、赤い竜と白い竜、そして杖とエクスカリバーが描かれていた。
「その通り。まあ、着ける必要が無ければこの通り、どこにも身に付けてないけどね」
「君らしい。それで、どうやって身に付ける?」
ベディヴィアが問うと、マーリンは笑顔で杖を振った。ベッドの上に、バッジ、ジャケット、マントが現れた。いずれも先程見た彼女自身の紋章(ガウェイン作)があしらわれていた。
「騎士は常にバッジを着けること。戦闘用ジャケットは
マーリンがつらつらと述べる。当然だが訊かれなくても説明するつもりだったのだろう。スラスラと言葉が紡がれていく。
「君は着けないのか? そのバッジとやら」
「僕は騎士ではないから、一応義務付けられてはいない。アーサーの意向次第だな」
王の意向くらい確認しておけと思ったが、口には出さなかった。とはいえ、そもそもこの青年に隠し事など(ベディヴィアでさえも)不可能であり、思った時には既に伝わっていると言っても過言ではないのだが、実際に口に出すかどうかで印象というのはだいぶ変わる。そう考えた上での沈黙だった。
既にこのキャメロットに戻るまでの間に着替えは終えていたので、現状するべきであるバッジの装着だけ終え、紅茶を口にした。
「他には?」
「とりあえず急ぎの要件はないかな。今後は僕もキャメロットに留まるつもりだし」
「そう」
ベディヴィアはもう一口紅茶を飲んだが、ほとんど味が分からなかった。
「ところでベディヴィエール。僕に話があるんじゃないかい?」
穏やかに、マーリンが言った。
「本当に何でもお見通しだな、君は」
そう呟き、決意の表情でじっと目前の魔術師を見据える。
「君にしか頼めないことがある」
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