第7話
◇■◇
目が覚めると、目の前には花があった。
正確には、花のように美しい顔があった。
冷静に状況を分析しよう。裕翔の腕の中に、何故か瑠羅が収まっている。
駄目だ。意味がわからない。どうしてこうなった。
「ん……嗚呼、ようやく起きたのか。おはよう、裕翔」
瑠羅が腕の中でもぞもぞと動きだした。
「ようやくって、今何時だ? そもそもなんでお前が俺の腕の中にいるんだ」
「今は午前三時。君が寝てからおよそ九時間だね。私が何故ここにいるのかについては、君が唐突に私を抱き締めたのであって、私が勝手にここに入り込んだ訳では無いと言っておこう」
そんなことしなくても逃げないのにね、と瑠羅は笑った。見覚えのある、というか寧ろ落ち着くほど意地の悪い笑みだった。
なんというか、いつも通りの瑠羅だなぁ、と。
「……で、なんでお前は服を着てないんだ?」
しかも下着すら着けていない。ストライクゾーンど真ん中の美少女が、生まれたままの姿で腕に収まっているのだから、裕翔としては精神衛生上大変宜しくない。
「せっかく一緒のベッドに入るんだから、服着てたら意味ないかなって。エッチなこと出来ないからね」
「出来ないも何も、するつもりがないが」
むぅ、と頬を膨らませる瑠羅。そうしていると本当にただの少女のようで和むが、実態がアレなので微妙な感じだ。
「取り敢えず、服は着ろ。二度と部屋に入れないぞ」
裕翔は明後日の方向を向きながら言った。
「もう着たから、見てもいいよ」
一瞬で答えが返ってきた。頭が痛い。
何故何も着ていない状態から、普通の洋服を着るまでの時間が一瞬なんだろうか。そう思いながら目線を瑠羅の方に戻した。
裸の瑠羅がいた。
「痛っ!」
裕翔は思わず殴っていた。
「か弱い女の子に手を上げるなんて、最低男の所業だよ」
「うるさい!なんで着たって言ってた癖にまだ何も着てないんだよ!」
「なんでって、裕翔に襲って貰うためだよ」
瑠羅は一瞬キョトンとした後、さも当然のようにそう言った。
その途端、裕翔の体が意志とは無関係に動きだした。瑠羅の肩を掴み、強引に押し倒す。瑠羅はなされるがままに仰向けになった。
「もう、強引なんだから……いいよ」
顔を赤らめて、控え目な声で言う。
「おいふざけんなスキル使うぞ」
裕翔がそう言うと、瞬時に体の自由が利くようになった。やはりコイツの仕業だった。
「むぅ、なんでこんな少女が準備万端で『いいよ』って言ってるのに突っ込んで来ないかなぁ。もしかして、考えたくないけど、私に魅力がないからとか……?」
瑠羅が泣き始めた。嘘泣きかもしれないのに、何だか悪いことをしたような気分になるから不思議だ。基本的に悪いことをしたのは瑠羅の方だと思うのだが。
「──魅力がないことはないさ」
裕翔は瑠羅を抱き締めた。今度は自分の意志で、明確に。
「それに、お前が俺を好きなのは男として嬉しいよ。でも節度ってもんがあるだろ」
「嬉しいって、思ってくれるの?」
瑠羅は涙声で言った。消え入りそうな声だったが、裕翔の方が恥ずかしさで消えたかった。
「思うさ。当たり前だろ。ただ、程度は考えろ」
「私のこと、好き?」
段々調子乗ってきたんじゃないかコイツ。なんだって裕翔がそんなことを答えなくてはならないのか。本当に恥ずかしくて死にそうだ。そもそも、全ての元凶はコイツだ。
「……好きだな」
「嬉しいっ!」
裕翔が答えた直後、勢いよく押し倒された。裕翔の上に覆い被さるように瑠羅が。
「ねえ裕翔。お願いがあるんだけど、聞いてくれない?」
瑠羅が小首を傾げて言う。嫌な予感しかしなかったが、聞くだけは聞いてやろうと思って答えた。
「……何?」
「えっと……その……」
言うなら言えよ。
裕翔は純粋にそう思った。頼むなら先に覚悟決めてから頼め、と。
「……抱いて」
「…………」
程度を考えろと言わなかっただろうか。それとも自分には彼女を抱くか抱くかしか選択肢がないのか。
「体の奥が疼いて仕方ないの……」
「…………」
沈思黙考。
逃げたい。隠れたい。
「もう、我慢出来ない……。裕翔が寝てる間からずっと我慢してたんだもん」
瑠羅が飛びついてくる。本当に十三歳なのかと疑いたくなるが、そもそもヒトではないものの年齢など考えても仕方なかった。
──結局、その後二時間もの間、裕翔がひたすら抱かれ放題だった。
■◇◆
「これで名実ともに私は裕翔のものだよ。逆もまた然り」
「然りじゃねえよ」
裕翔は疲れ切っていた。もう体力の限界が近い。何故だ。坊やだからさ。
瑠羅は今もまた裕翔の腕の中にいる。能力を制御出来るようになった、というのはあくまで出力の話で、完全解放していない今でも瑠羅の魅了能力は打ち消しているはずなのだが、何故だか瑠羅が愛しかった。何か、更に強力な呪いか何かなのかもしれない。
その時、部屋の扉が開いた。
「大変だよ、裕翔!」
騒々しく駆け込んで来たのは玲だ。誰が玲をここへ行かせたのかは分からないが、何故女性である玲を男性の部屋に向かわせたのか疑問だ。阿呆なのか。
「寝てる場合じゃな──誰?」
「……私の楽しみを邪魔しに来るのはいつも君だよな、全く」
「その声……もしかして瑠羅!?」
瑠羅は非常に不機嫌そうだった。さっきまでの満ち足りた表情とは打って変わって、殺気すら振り撒いている。
「え、なんで瑠羅が裕翔のベッドにいるの? それに、なんで瑠羅は裸なの?」
「ノーコメント。そして他言無用。そもそも俺にも理解出来ない」
裕翔は即答した。瑠羅も首肯した。
「で、何が大変なの?」
瑠羅が布団の中で裕翔に身を寄せながら尋ねた。ほんのり温かい肌の柔らかさが、裕翔の顔に血を上らせる。
「取り囲まれた」
玲は端的に答えた。瑠羅が息を呑む気配が感じられた。おかげで裕翔は冷静さを取り戻した。
「見られてないだろうね?」
「それは大丈夫。警備室から直哉が見つけただけだから」
後で知ったことだが、裕翔がぐっすり眠っている間、直哉は警備システムを弄り回して、外に対する警戒態勢を整えていたらしい。真の天才に文系も理系もないのだろう。
そう言えば彼の大量の本はどこにしまわれているんだろうか。大方瑠羅が何かした収納ボックスか何かを持っているのだろうが。
「わかった。じゃあ私達も警備室へ行くよ。先に行って待ってて欲しいかな」
玲は頷きを一つ返すと、踵を返して駆け出した。
瑠羅が擦り寄ってくる。
「全く、空気の読めない敵さん方だよね」
「……そうだな」
お前と同じくらいだな、と裕翔は危うく言いそうになった。言ったら面倒なことになるのは明白だ。敦のように思ったら即言うという訳にもいかないのだ。常識人として。
「いや、私と寝た時点で常識人じゃないからね?」
「なんで俺の心読んでるんだよ」
「気にしたら負け」
そう言って瑠羅はベッドから抜け出した。あられもない姿が露わになったが、裕翔にとってはもう今更のことだった。そもそもさっき抱いたというか寧ろ抱かれたのだ。今更気にするようなことがあるだろうか。否、ない。反語。
「時に裕翔。この体は気に入った?」
「うん、いいと思う」
素直に答えた。別に裕翔は捻くれ者ではない(と思っている)ので、いいと思ったものを悪いと言うことはなかった。
「よしよし。じゃあ着替えたら行こうか」
「速く着替えろよ」
「着替えたよ」
なるほど、服も含めて好きな姿になれるらしい。相変わらずチートな女だ。
どうでもいいが、そのゴスロリはどうにかならないのか。似合ってるからいいのだが、昼間一緒に歩くと要らない視線を浴びるので嫌だった。
駆け足で警備室へ向かう。エレベーターが比較的高速なのが幸いして、すぐに到着した。
「──やっぱり来たか」
瑠羅が画面を見て呟いた。それだけで嫌な予感が的中したことを裕翔は悟った。
「正面にいるのは魔術連盟の連中だね。裏口はMAFIAが固めてる。三つ巴の睨み合いになったおかげで、即座に突入されることにならなかったって訳だ。幸運なのか不運なのか」
瑠羅が例によって意地の悪い笑みを浮かべながら言った。寧ろこっちの方が落ち着くと思い始めた裕翔はきっともうSAN値が残り少ない。
「裕翔、原典にSAN値の概念はないからな」
「お前もかよ」
直哉に言われずとも裕翔とてそれくらいは知っている。だが、原典を一切読んだことがなく、アナログゲームで知識を得た裕翔にとって、SAN値の概念は大変馴染み深いものだった。そして非常に分かりやすい。正気度を数値化しようと初めに考えた人は天才に違いない。
「裕翔は思ってることが顔に出る。ちょっとコツさえ掴めば読むのは簡単だ。それにしても、話には聞いていたが、本当に大きくなったな瑠羅」
「まぁね」
「それなら意中の男を落とすのも容易いだろうな。いや、もう事後か。流石だな」
いくらなんでもダダ漏れ過ぎないか。瑠羅も顔を赤らめてないで少しは隠して欲しい。
くだらないことを思っている場合ではない。頭を振って、余計な考えを振り払う。
「聖司達は?」
「食堂。作戦室代わりだとさ」
「行こう」
裕翔の掛け声に従い、一同が大食堂に集まった。聖司に請われ、瑠羅が説明する。
「恐らく私の魔力反応を追ってきたんだと思うね。ここは連盟とマフィアがそれぞれ拠点を置く
「魔術拠点化したから大丈夫なんじゃなかったのか?」
裕翔が言った。 努めて彼女のことを意識しないようにしながら。
「まあね。ただ、拠点化する前に掴まれてたんだとしたら、それもあんまり意味をなさないかな。確かに護りにはなるけど、私がここにいることはバレちゃうからね」
「じゃあどうすれば?」
一真が訊いた。この場の誰もがその答えを探していたが、誰も持ち合わせていなかった。
「逃げることは出来ないよ。逃げても同じだからね」
「なら迎え撃つしかねえよな」
聖司が言った。裕翔も頷く。
「ただ闇雲に戦っても仕方ない。これ以上ここを攻められないようにしなければ無意味だ」
本に目を向けたまま直哉が言う。
「どうすりゃいいんだ?」
敦が問う。誰も答えられない。
沈黙を破ったのは、裕翔だった。
「徹底的に叩きのめす。二度と来られないように」
「それだとまた反撃しに来ない?」
玲が異を唱えたが、裕翔は意に返さなかった。かぶりを振って玲の意見を退けた。
「正面での時間稼ぎは俺が何とかしよう。あとは瑠羅に任せる」
瑠羅は体を起こした。例によって机の上に横になっていたのだ。後で躾ておくべきだろうと裕翔は思った。
「あいあいさー。おまかせだよ」
立ち上がった瑠羅は、一瞬にしてその姿を消し去った。普通に出て行くことが出来ないのか、アイツは。
そんなことを思っている場合ではない。裕翔は席を立ち、正面ロビーへ向かって走り出した。
△◇△
正面玄関前に集まっていた魔術師は、全部で五人いた。
「……俺達に何の用だ?」
一応訊いてやるが、別に答えを求めていた訳では無い。「要件を聞いてやった」ということが大事なのだ、彼にとっては。
「
「それで俺がニャルラトホテプだったらどうすんだよお前ら。確かアレ変身できるんだろ?」
魔術師は嘲笑した。
「邪神の気配すら感じられない我々だと思うなよ。貴様がナイアルラトホテップでないことは分かっているし、空蝉茉莉花でないことも分かっている。そして、その二人がここにいることもな。隠さない方が身のためだぞ」
魔術師がそう言ったが、裕翔には馬耳東風も同然だった。逆に嘲笑うように言い返す。
「やってみろよ──やれるものなら」
「貴様、舐めるなッ!」
魔術師達はめいめいに攻撃してきたが、当然裕翔には効果がない。思わず笑いそうになるほど魔術師達は狼狽えた。
「そういや聞いてなかったな。なんでお前らその二人を探してるんだ?」
裕翔の呑気とも思える質問に、炎で攻撃してきた魔術師が答えた。
「知れた事。アレは人類にとっての悪。速やかに捕らえて処刑する必要がある」
「その根拠は?」
「は?」
魔術師が素っ頓狂な声を上げた。
そんなことを、ただの人間に問われるとはよもや思わなかったのだろう。これだから自分の意見がそのまま通ってしまうような権力者は駄目なのだ。少し考えれば分かるだろうに。
「唐突に『アレは人類にとっての悪』だなんて言われても、そんなこと信じられる訳ないだろ。根拠を示して貰わないと。さもなければ、お前達は偽善者だな」
「貴様……言わせておけば!」
「違うか? 『世の中のため』だの『人類のため』だの、綺麗事大いに結構だ。勝手に言ってろ。だが、結局のところ『お前達にとって』不利益なものを排除しようとしているようにしか見えない。それが偽善でなくて何だと言うんだ?」
裕翔の剣幕に、魔術師は一瞬たじろいだ。それを確認してから、なおも続ける。
「お前達魔術師が、彼女をあんな風にしたんだぞ。それを、何の権利があってお前達の都合で処刑などしようとするんだ。それも同じ人間に向かって、だ」
おもむろに魔術師の一人が手を挙げた。それに合わせて大地が蠢動し、裕翔を押し潰さんと迫るが、裕翔の体に触れた瞬間にすべからく元に戻った。
「無駄だ。返ってお前達の首領に伝えるといい。お前達魔術師がここへ来る限り、この俺が、『神秘殺し』が立ちはだかるとな。魔術師如きでは俺に傷一つ付けることは出来ない」
そう言い残して裕翔は踵を返した。
その時には既に、魔術師の気配は消えていた。
△■△
「何だ、君達か」
敵の姿を一目見るなり瑠羅はそう言った。何故か宙に浮いて見下ろしている。
先程の防犯カメラからの映像では、顔まで確認することが出来なかったので、誰が来ているのか分からなかった。
だが、実際に出てみると、そこに居たのは全員が既知の相手だ。それもそのはずで、彼らは全員瑠羅の元部下である。
だからといって、友好的な目的のために来たわけではないだろう。全員が
魔術師の使う銃ほど恐ろしい武器はない。銃弾に魔術を付与して、銃の威力を高めたり出来る。熟練の者なら魔術そのものを撃ち出すことだって可能だ。
また、銃によって個々の戦闘力をある程度均一化することで、頭数だけは多い構成員達を兵士として使うことが出来るようになっていた。数の暴力、というわけだ。
事実、正面にいるのは恐らく五人だが、こちらは二十人以上はいる。
「我々は既に君の部下ではない。君が行方不明になって以降暫くの間、
この部隊の隊長だと思われる青年が言った。五年前の時点で十四だったから、今は十九歳か。当時から優秀な魔術犯罪者だった。瑠羅を除けば、最年少での幹部会入りだろう。未成年での幹部会入りなど、並大抵の奴に出来ることではない。
しかし瑠羅はそれを鼻で笑った。
「フッ。いい台詞だ。感動的だな。だが無意味だ」
「………」
「私はもうマフィアに興味も未練もない。君達のしようとしていることは全くの無意味だと断言しよう。無意味、無理無駄無謀。時間の浪費だということも分からないのかな?」
幹部の青年の表情が僅かに変化した。気に触ったらしいが、特に気にしない。
「やってみなければ分からない、かい? 口癖だったね。じゃあやってみようか。見せてあげよう。無限の姿と慄然たる魂をもつ恐怖こそ、ナイアルラトホテップなのだとね」
そう言って瑠羅は地に降り立った。そして、禁断の呪文を口にする。
「にゃる・しゅたん。にゃる・がしゃんな」
それでおしまい。全ての終わりが訪れる。
瑠羅の体が不気味に蠢き、生物として有り得ない変貌を遂げる。その腕は伸縮する冒涜的な触腕と化し、その両手は鉤爪を具えた異形のものに変わった。顔のあった場所には、円錐状の頭部と呼ぶのもおぞましい物体が鎮座している。肌から人間らしい肌色が消え去り、代わりに漆黒のゴム状皮膚が覆っている。
「これはもはや、人間じゃない……」
幹部の青年が呟き、片手を挙げて部下へ指示を出した。黒服の男達が、一斉に銃を構える。
「いぐないい!いぐないい!えええ・や・や・や・やはあはああはああ・ああ・ああ・ああ・んぐふああ・んぐふ・あああ・や・ややああ!」
瑠羅だったものが叫ぶ。それは人と獣の入り混じった、なんとも言えぬ声色だった。
青年の手が下ろされる。それを合図に、黒服の銃が同時に火を噴く。
口にするのも悍ましい生命体に、その弾全てが命中する。駄目押しとばかりに、青年が魔術を叩き込む。それはその恐ろしい物体を間違いなく焼き殺した。
怪物がゆっくりと後ろ向きに倒れ込む。
「だから言っただろう。やってみなければ分からない、と──何?」
化け物が倒れた後の、その背後の壁。そこに、血で書かれたような紅い文字が書かれていく。まるで、何者かがタイプライターで文字を打ち込んでいるかのように、一文字ずつ。
すぐにそれが英語であることに気が付いた青年は、一文が出来上がるのを待って読み上げた。
「There are three conditions that a monster is it.」
読み上げている内に、次々と文字が書かれ、文章を成す。
「It must not speak a word of human.」
事態の異常さに、男達の中から騒めきが起こる。
「It must be unidentified.」
小さかった騒めきは、やがて一つの大きな波となり、場の空気を支配する。
「It is meaningless unless they are invulnerable.」
最後の一文。三つ目の条件。それを読んだ瞬間、青年の全身を衝撃が貫いた。
否、貫いたのは、真紅の大鎌だ。
「だから言ったでしょ。無駄だって」
人間の姿をした奈以亜瑠羅が、そこにいた。彼女にしては珍しく、その顔には何の感情も浮かんでいない。
「ナイアルラトホテップを甘く見たね。君もあの場にいたというのに。残念だよ、
青年──本名、空蝉大輝──は斃れた。誰がどう見ても致命傷だ。
「さぁて私に銃を向けた悪い子ちゃん達、覚悟は出来てるんだろうね?」
瑠羅が振り返り、先程とは一転して喜色満面で言う。
「ば、莫迦な! 怪物は確かに死んだはず」
黒服の言葉に、瑠羅は笑った。意地悪な笑みを浮かべるのではなく、声を上げて笑った。
「あっはははは! あのねぇ、死ぬような奴は最初から怪物じゃあないんだよ」
「し、しかし、あの物体は──」
「アレが不死身なんじゃないよ。
一歩ずつ踏みしめるように、ゆっくりと黒服に近付く。鎌を両手で掴み、一歩ごとに背中まである黒髪を蠢かしながら。
「ひ……」
黒服達から恐怖の声が漏れる。それこそが、瑠羅にとって至高のご褒美だった。
スッと流れるように黒服の一人に肉薄し、鎌の一振りで、その身体を真っ二つに斬り裂いた。
そのまま鎌を振るい、二人、三人と斬り倒していく。バタバタと仲間が斬られ惨死する様を見て、男達はさらに恐怖する。
あまりにも、普段見る死体と違い過ぎるのだ。いつもなら、銃殺されていたり、精々が爆死だ。
前者なら体の損傷は少ない。後者の場合は、そもそも人の形をしていないので何とも思わない。辺りが血の海なのも気にならない。
だが今回は違う。目の前で血を吹いて倒れ、人の形を保ったまま二つに分断されているのだ。不死身だという奴を相手に、どう戦えばよいのか分からない。さらに指揮官たる大輝が真っ先に殺られたことで、部隊全体の士気が下がってしまったことも問題だった。
この間にもズタズタと切り裂かれ、既に部隊の半数が冥土へと旅立っていた。残された者は、原始的で冒涜的な死への恐怖との戦いを続けるしかない。
ピチャ、ピチャ、と音を立てて悪魔のような何かが歩いてくる。それは屈強な男達を震え上がらせるに十分だった。
男達の内の或る者は、恐怖に耐え切れず、意味の無い叫び声を上げながら、手にした銃で自らの頭を撃ち抜いた。
一人の行動は、全体に伝播する。特にこの追い詰められた状況では、尚更。他の黒服も同様に、死という究極の忘却の彼方へ、自らの手で誘って逝った。
瑠羅が手を離すと、いつもの様に大鎌は霧散した。彼女以外誰もこれがどういうシステムなのか知らないが、言ってしまえば彼女はただ鎌(及びその他諸々の大きなもの)を目に見えないほどの細かい粒子に分解して自身の周りに侍らせているだけだった。クトゥルー神話中においても、似たことをする種族がいる。その応用だった。
ちなみに『
「うーん。また全員殺しちゃったかな? まあいいか。裕翔はもう怒らないし」
誰がどう見ても全くどこも良くないのだが、瑠羅はそんなことを気にするような精神は持ち合わせていない。いるはずもない。
故に特に気にせず踵を返して戻ろうとした。
「待ち、たまえ……何故だ、茉莉花……」
その時、大輝が声を上げた。死んだと思っていた瑠羅は少なからず驚いたが、臆面にも出さず首だけをそちらへ向けた。
「何故、ボク達を──」
「何故ってそりゃ、
大輝は心持ち目を見張った。無理もない。優秀な妹だと思っていた相手が、違うと言うのだ。魔力反応は妹のものだというのに。他人ならともかく、肉親の、それも他の誰よりも長く一緒にいた家族の反応を見間違えるほど無能ではない。
「確かに私は空蝉茉莉花の
「やってみなければ、分からないだろう。ボクは駄目でも、他の誰かなら……。運命とは、自分で切り開くもの……だから、ボクはマフィアに、いるんだ」
瑠羅は口をへの字に曲げた。致命傷だというのによく喋る奴だ。もう一度刺しておいた方がいいかも知れない。
「分かってないね。運命っていうのはね、人が変えられないから運命なんだ。人間がどんな行動を取ろうが、そこへ行き着く。それが、それこそが
瑠羅は袖の中からタロットカードの束を取り出した。ただし、そのデッキは大アルカナのカードしかないが。
デッキの中から一枚抜き出す。そこには、文字や模様の描かれたオレンジ色の円と、その上に座る水色のスフィンクスをはじめ、計七種の生き物が描かれていた。『
「
カードをまた袖の中にしまい、再び鎌を取り出した。
「だから、そこで覗き見てる無粋な
厳密に言えばもう一人、舘田裕翔がいるが、当然のことながら瑠羅は彼を敵とは思っていなかった。仮に彼にスキルを使われたとしても、それはそれで諦めるだろう。かなり悲しいが。
瑠羅の呼びかけに反応して、魔術師五人が姿を表した。正面にいた奴らだと、瑠羅は瞬時に見抜いた。
「何だ、彼からの伝言は伝えてくれたの?」
「我々の行動は使い魔を通して向こうに中継されているのでね。全くその必要はない。あの少年が言った時には既に伝わっている」
「あ、そ。じゃあ殺していいね」
瑠羅が鎌を振るう。それだけで魔術師の一人が倒れた。胸が大きく斬られている。
そのまま一気に三人斬り倒す。斬られた者は、何かを思考する間も無く地獄へ落ちて行った。
最後の一人の喉元に鎌を押し当てながら、瑠羅は魔術連盟への最後通告をした。
「見ての通りだ。
そのまま鎌をスッと動かし、その鋭い刃で首を刈り取った。
通常の鎌であれば、刃は内側にのみ付いているが、瑠羅の大鎌は対人用の武装として、外側にも刃が備えられている。その外側の刃で切ってみせたのだった。
瑠羅は再度大輝に向き直った。慈愛とも取れる顔で、目の前まで歩み寄る。
「君の運命は、今日ここで終わっている。助かる道はどこにもない。最期に何か言っておくことはあるかい? 聞いてあげるよ」
しゃがみ込みながら言った。
「……君にとっては、運命とは……決まり切ったもの、なのかも……知れない。でもボクら人間……にとっては、やってみ……なければ、分からない、ことなんだ。だから……ボクは、ボクを蔑ろに……する家を捨てて、マフィアで出世した……んだ。やってみたから……今のボクが……あるんだ」
大輝は息も絶え絶えにそう言った。瑠羅は興味を失った。最期までそんなつまらないことを言うとは思わなかった。
「そ、じゃあ
立ち上がり、裏口のドアへ向かって歩き出した。放って置いても何ら問題はない。どうやっても彼は死ぬ。それは決まり切ったことなのだから。
ドアノブに手をかけた時、後ろから声がした。最期の力を振り絞るような、か細い声だった。
「嗚呼…茉莉花……その右腕、似合って──」
それきり、全ての音が途絶えた。
瑠羅は全く振り返らず、足音一つ立てずにビルへ戻って行った。
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