異聞 ベディヴィア編
私は黙考していた。
自分は『彼の王』に恋をしているのではないか、と。
そもそも恋とはなんだろう。
『
『
『■■■■■』だった私には分からない。
最後のそれは余計だった。もう半年も前に捨てた名だ。今更未練もない。
考えても分からないので、恋について考えるのはやめることにした。
違うことを考えよう。私自身のこととか。
例えば私には右腕がない。
これは生まれつきのことだが、かなりのコンプレックスだったりする。何しろ、私以外の『ログレス』──先日始まった実験とやらでの『ウーヌス』を含む──のメンバーは皆勿論五体満足だし、アーサー王をはじめ、ラーンスロット卿やガウェイン卿も両手で扱う比較的大きな剣を愛用していた。例外は、弓使いのトリスタン卿と盾持ちのガラハッド卿だが、私は剣使いである。
他の武器も使えるには使えるが、『ログレス』の一員として行動する時には使わないと決めていた。そもそも、私が邪神だと知れれば確実に彼らは私を殺しに来る。それは火を見るより明らかだ。故にそれらの武器を使う訳にはいかなかった。
私が『キャメロット』に参加する前──『MAFIA』の幹部をしていた時──でさえ、腕はコンプレックスだったが、その時は魔術で造った義腕があった。今は『隻腕であること』が求められているが故に、付ける訳にはいかなかった。
私の気持ちも知らずに隻腕であれとは、随分といい気なものだ。それについてアーサーを問い質したくても、彼は滅多に私達の前に姿を表さない。
そんなことを考えている私は今、円卓の席についている。別に何をするでもなく、ただ座っている。正確には、考え事だけはしていた。割とどうでも良くなったが。
『ログレス』の拠点、即ち『キャメロット』は、魔術的には何ら保護されていない。当然だ。ここには今
私が元『MAFIA』であることは皆知っていた。当然、魔術師であることも。何故それで私を引き入れようと思ったのか、私にはさっぱり分からないのだが、彼の王には彼の王なりの考えがあったのだろう。
嗚呼、
そこでトリスタンに相談したところ、それは恋だと告げられ、ここでは隠しておくべきだとも言われた。
そこで初めの思考に戻る訳である。
恋って、何だろう。所詮九歳児には分からないことなのか。
私は既に特例で米国の大学を卒業しているので、別に頭が悪いとは思わないが、それでもまだ九歳だ。分からないことの方が圧倒的に多い。
その中でも、恋だとか、愛だとか、そういうものが特に分からなかった。
トリスタンに言わせれば、それは究極の贈与だとか。見返りを求めるようなものは真の愛とは言えない、と。だからガウェインとラグネル姫のそれは真の愛ではないのだと言う。
さすが悲恋の物語で有名な騎士の名を冠するだけはある。言うことが違う。
私個人としてはガウェインについては何とも思ってないが、トリスタンの言うことも間違いないのかもしれない。
「おい、ベディ」
唐突に声をかけられた。
私をベディと呼ぶのは、ログレスに一人しかいない。叛逆の騎士モルドレッド卿だ。このログレスにおいてただ一人、私を子供扱いする奴だ。私は彼が好きではなかった。
「何してんだ、こんな所で」
「……考え事。それよりモルドレッド、私のことを呼ぶならきちんとベディヴィアと呼んでくれ」
モルドレッドは馬鹿にするように鼻で笑った。ナイアルラトホテップとしては腹立つことこの上ない。嘲笑するのは私の役目だというのに。
「一々細けぇなァ。女かテメェはよ。あ、女だったな」
「……喧嘩売ってるのか?」
私は隻腕であることを憂いたことはあっても、女であることを嫌だと思ったことはない。
ナイアルラトホテップの化身に女性が他にいないわけでもないし、女が男より劣るなどということは有り得ない。無論体のつくりが違うのだから男に出来て女に出来ないことはあるだろう。だからといって劣る理由にはならない。男とて子を産むことは出来ないだろう。それと同じだ。
だが、このログレスは騎士の集まりだ。通常、騎士になるのは男と決まっている。それなのに私が幼女姿を隠しもせず居座っているのが気に入らないのだろう。
「売ってるって言ったらどうする?」
一々癇に障る奴だ。
「売られた喧嘩は買い叩く主義だ。表へ出ろ。さもなくば貴様は腰抜けの卑怯者だ」
私は立ち上がって言った。
モルドレッドは顔にハッキリと喜びを湛えていた。彼のスキルを鑑みれば当然だろう。
ログレスには何も円卓の騎士しかいない訳では無い。アーサー王を始め、スキルを持つ騎士のことを『円卓の騎士』と呼んではいるが、騎士自体はもっと大勢いる。
どうでもいいことだが、円卓は十三席あるのに、騎士は七人しかいない。重ねて言うが、心底どうでもいい。
そもそも、この科学の時代に騎士というのがどうしようもなく
その数少ないスキル保持者のうちの一人たるベディヴィアのスキルは『隻腕である場合に限り、力が九倍になる』というとんでもないものだ。元々の力が弱いので、九倍になってもラーンスロットとさして変わらないのだが。
対するモルドレッドのスキルは使い所があまりにも限られている。何しろ『味方と戦う時に限り、力が二倍になる』のだ。仲間割れ以外でいつ使うのか。
二倍になった力がスキル使用時の私やガウェイン、普段のラーンスロットと変わらないというのは一体どういうことか。かなり作為的なものを感じる。
そうすると、トリスタンもガラハッドもラーンスロットと同じだけの力を持っていないと変だが、そんなことはないので気のせいかもしれない。
キャメロットの門を出た直後、一瞬前まで私の頭があったところを剣が掠めた。モルドレッドの奴、早く斬り合いたくて仕方ないらしい。
私は腰の鞘から細剣を抜いた。片手で扱える、比較的軽い剣だ。銃が登場し、鎧がその役目を終えた頃に主流だったらしい。斬るより刺す、という使い方をする。
モルドレッドの剣は、幅広の両手剣。斬ると言うより、鎧ごと叩き割る感覚に近いらしいが、そもそも私は両手で持てないので分からない。恐らく剣の重さで鎧を破壊するのだろう。当然、私の剣で受け止めようものなら間違いなく折れてしまう。
「まあそう焦るなよ、モルドレッド。審判を誰かに頼まなくちゃ」
「審判だぁ? そんなもん要らねえだろ」
全くもって度し難い。円卓の騎士二人が本気で斬り合えば、どちらかが死ぬまで終わらないだろうに。それではログレス全体の損害だ。それが分からないらしい。
説明してやる気もないが。
間抜けを無視して辺りに意識を向けると、一人の騎士がやって来るのが分かった。
剣をしまい、その騎士の元へ向かう。
「いい所に来た、アグラヴェイン卿。モルドレッドと一試合するから、審判を頼むよ。勝負あったと思ったら止めてくれ」
アグラヴェインは顔いっぱいに困惑を浮かべた。彼はガウェインの弟だが、ガウェイン程の武勇は持ち合わせていなかった。
「自分が、ですか?」
「そうとも。さぁ、モルドレッドが待ち侘びている」
私は彼を急かして試合支度を終えた。
同時に
モルドレッドにしても根本的には騎士である。礼をせずに本気で斬るつもりはなかったのだろう。先程のあまりにも弱い奇襲と比べて、今の方が余程迫力のある剣戟を繰り出している。その一つとして私には当たらないが。
よけたり、剣で受け流したり、互いに互いの攻撃をくらうことなく、ただ時間だけが過ぎていく。
何度か私の剣が相手の腕を切ったはずだが、モルドレッドはほとんど傷を気に留めた様子はなかった。
だが、素早さにものを言わせ、息をつく暇も与えず斬り続ける私に、次第にモルドレッドはついてこられなくなってきていた。彼の剣は重すぎて、私と同じ速度で操るのは不可能なのだ。
具体的には、私の剣が右腕がない関係で1キログラム程度なのに対し、モルドレッドの剣は3キログラムある。私の剣の倍以上の重さだ。力が同等なのに、それを同じように扱えとは無理な話だ。
「そこまでッ!」
アグラヴェインが叫んだ。
私の剣はモルドレッドの首元にあり、モルドレッドの剣は私の頭上にあった。モルドレッドが剣を振り下ろすより、私が首を落とす方が速いだろう。
「どういうつもりだ、アグラヴェイン」
モルドレッドが剣を下ろして言った。それを見てから私は剣を鞘に収めた。
「ベディヴィア卿の指示通り、勝負あったと見なせたので止めました」
「勝負あっただと? 俺もアイツも死んでいないのに、それで終わりだと言うのか?」
モルドレッドが激昂して剣を振り上げた。アグラヴェインは青ざめたが、それでも剣に手をかけた。
「止めろ、モルドレッド。それ以上は余が許さぬ」
声が響いた。
城壁の上に、我らが王がガウェインを従えて立っていた。
私とアグラヴェインはすぐさま地に膝をついて王に敬意を表したが、モルドレッドはしなかった。ただ、剣をゆっくり下ろしたのみだ。
「ログレスにおいて私闘は禁じたはずだ、モルドレッド。だというのにベディヴィアに喧嘩をふっかけたのは貴様らしいではないか」
モルドレッドは舌打ちした。今のところ、彼はアーサーに敵わないのだ。叛逆の騎士といえども、勝ち目のない叛逆はしない。
「二人とも下がれ。貴様は謹慎だ、モルドレッド」
渋々、といった調子でモルドレッドは剣を収め、そのまま荒々しく城内へ戻っていった。当分は大人しくしていることだろう。
「ベディヴィア、貴様も貴様だ。モルドレッドが喧嘩を売ったからといって、買う必要はない。アグラヴェインまで巻き込む必要は尚なかったはずだ」
「……申し訳ございません」
私がアーサーに会うのは一ヵ月ぶりだった。一ヵ月あけて初めての言葉が叱責とは、私もよくよく運のない女だ。
「これにて失礼致します」
アーサーへ最敬礼し、ガウェインにも礼をして私は部屋へ戻った。
戸を閉めた途端に、胸の奥から笑いが込み上げてくる。しばらくは我慢していたが、やがて堪えることが出来なくなった。
「ははははは!あははははっ!」
あまりの可笑しさに、笑いが止まらなかった。私はなんて莫迦なのだろうか。
「はは、あははははっ!あははははは!」
狂ったように笑う。最早私にはそうする他なかった。
嗚呼、私はなんという勘違いをしていたのか。
アーサーの声を聞いた瞬間、顔を見た瞬間、唐突に私は全てを理解した。
私は彼に恋していたのではない。恋などという、そんな高等なものでは断じてない。
私は、
「あはは、はあ、はあ」
笑い過ぎて、息が切れてきた。逆に言えば、息が切れるほど笑っていたということだ。これ程笑ったのはいつ以来だろうか。少なくとも思い出せる範囲では一度もない。
彼のことを思えば、確かに気分が高揚する。何故なら私が彼を獲物としか見られないから。その胸の高鳴りを、恋と勘違いするなんて、あまりにも馬鹿げていて笑いが止まらない。
だが、息が切れて冷静になったことで分かることが一つ。
今の私では、アーサーには勝てない。彼とログレスを壊し狂わせる為には、アーサーだけでなく、他の円卓の騎士や円卓につく事の出来ぬ騎士達全てを相手取らなければならない。
それは無理だ。今の私では。
ならば私は
そう心で言いながら、私は袖の中から一振りの赤い鎌を取り出した。
化身の一つ、
赤の女王と言っても、多くの人が思い付く『
ちなみに私の袖の中は魔術とスキルの併用によって異空間と通じてるので、収納力は抜群だ。ただ、取り出すのに時間がかかるという欠点がある。
さて、せっかくベディヴィアではなくナイアルラトホテップとして外へ出るのだ。どうせなら服も変えてしまおう。
武器に合わせて赤の女王の服といきたいところだが、それではあまりにも赤すぎるし、そもそもそんな気分でも無い。さりとて今のようなボーイッシュな服を着ていたい訳でもない。
結局、黒いゴスロリにした。ちょうど着てみたかったのだ。
ついでに髪型までツインテールに変える。これに大した意味は無い。本当についでだ。髪色まで変えようかとも思ったが、せっかくの艶やかな黒髪ロングヘアが台無しなのでやめた。
まあ、髪に大した拘りはないが。二年ほど後になって怒られる未来が一瞬見えたが、気にしないことにした。
ブーツは……変えなくていいか、面倒くさいから。それに、このブーツは意外と動きやすいので気に入っていた。
おっと、腕輪を忘れていた。
私は右袖の中から触手を伸ばして鎌を掴み、左手首に付けられた首輪を破壊した。外せないなら壊せばいい。それだけの話だ。それはそれとしてこれは使えそうなので持って行こう。ベルトの部分だけを壊したので、本体は全くの無事だ。
なるほど、リーダーの指の静脈をスキャンすると開くようになってたんだな、これ。道理で私が引っ張っても外れない訳だ。無論触手で。
その他必要なものを袖の中にしまい込み、準備完了だ。意気揚々と部屋を出て、城内を抜け、誰にも会わずに門まで来られてしまった。誰かに見つかるかと思っていたのだが、皆部屋に引き篭っているのだろうか。
その時、後ろで足音がした。私が耳ざとく聞きつけたのではない。寧ろ、その足音の主が私に聞かせたのだという印象だった。
「何処へ行く気だ、ベディヴィア」
やはりと言うか、なんというか。かけられた声の主はアーサーだった。何度も聞いた王の声だ。聞き違えるはずもない。
私は振り返って答えた。
「何処か貴方の知らない所へ」
言いながら左手首を見せつける。『ウーヌス』からの脱退。それは即ち円卓の騎士からの脱退を示す。
これには多少なりとも驚いた様子だった。本来なら彼しか外せないのだから、当然だろう。まさか壊して外したとは思うまい。
「……そうか」
アーサーはそれだけ言った。
私は鎌を持ち直し、また歩きだした。アーサーも、ガウェインをはじめとした彼の従者も、私を追ってくることはなかった。
アーサーの姿が見えないほど遠くまで行ってから、肉体を一度作り直した。ほとんど今までのまま、右腕を持った体に。
義腕ではない、生の腕の感触。右手から伝わる感覚。どれをとっても素晴らしいものだった。余計に気分が高揚する。
さぁ、このまま何処へ行こうか。
旅の目的なら決まっている。ならばまずは、みなみのうお座のα星、フォーマルハウトへ向かおうか。この身体なら、宇宙へ行こうが炎に包まれた恒星に行こうが問題ない。そこに棲むクトゥグアは天敵だけど、大丈夫。
だって、今の私は絶好調なんだもの。
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