第6話

 ◇◆■


「取り敢えず、言い訳を聞こうか」

 裕翔が言った。誰がどう見ても怒り心頭だった。

「直哉」

「他にどうにも出来なかった」

「敦」

「ミイラになるよりマシだと思った」

「聖司」

「アレしか武器を持ってなかった」

「瑠羅……はもういいや。玲」

「えっと……仕方なかった」

「ホントに怒るぞお前ら」

 裕翔は嘆息した。

 場所は元『トレース』アジトである。結局『トレース』を全滅させてしまったので、晴れてこのビルを新しいアジトとして使えるのだが、人を殺したくないし殺して欲しくない裕翔としては複雑な気分だった。

「まあいいじゃない。そもそも最終的にはぼく達以外全滅させなきゃいけないんだから」

 一真が言った。結局ゲブは死んでいなかったので、彼は裕翔のお説教対象外だった。瑠羅はもう諦められたので同じく対象外。

「そーそー。寧ろ三つ目の連中とやりあって一人も欠けてないことを喜ぼうよ」

「そう、それだ。なんで俺達七番目なんかが格上に勝てたんだ?」

 瑠羅が何気なく言ったことに、聖司が反応した。そこは確かに裕翔も気になるところではあった。

「簡単な話だ。そもそも『セプテム』正規メンバーだった聖司、敦、僕の三人は他の四十二人に比べて格下だけど、後から参加した玲、一真、裕翔についてはその限りじゃない。瑠羅は言うまでもなし。それに相手は最下位相手と思って油断してた。僕は裕翔のサポートがあった。聖司には強力な武器があった。敦には知識はないが直感があった。勝てても別におかしくはない」

 本を捲りながら直哉が言った。話しながら本を読むのはいつもの事なので、最早誰も気にしなかった。

「おいテメェ、オレに知識がねぇのは事実だが、それをここで言う必要があるか?」

「知識があれば、君がアヌビスの相手に向かないことは分かるだろう」

 敦は舌打ちした。

 相変わらず仲の悪い二人だった。もっとも、三年前に裕翔が来た時は、もっともっと仲が悪かったが。

 二人とも大人になったんだな、と裕翔は謎の保護者のような気持ちになる。

「ようやく落ち着けたね」

 ここぞとばかりに話を逸らそうとする玲。彼女はあの後結局ホルスの躰をこま切れ肉になるまで解体していたところを裕翔に保護された。

「確かにな」

 裕翔は怒ることを放棄した。どうせ言っても聞かないのだ。怒るだけ骨折り損のくたびれもうけだ。どうでもいいが骨折り損のくたびれもうけってなかなか洒落の利いた諺だと思う。心底どうでもいいが。

 それよりも、ようやくの休息。昨晩瑠羅が救難信号を出して以降、ほとんど休む時間がなかった。結果的に、一睡もしていない。一般人の目を避ける必要上完全に昼夜の逆転している人間しかいないので、いつもの事だったが。そもそも魔術師たる瑠羅が、睡眠時間を極限まで短くできる薬をつくったものだから、『セプテム』全体として寝る時間が極端に短かった。

「取り敢えず、しばらくは何も無いかな。次に何かが来るとすれば──魔術師か、もしくは『MAFIAマフィア』の連中だね」

 瑠羅が机の上で寝転びながら言った。

「まふぃあ?」

「玲、英語っぽくとは言わんが、もう少しカタカナっぽく発音したらどうだ」

 聞き返した玲は、聖司に発音を直される。ちなみに彼も英語は全く出来ない。敦も出来ない。裕翔も決して得意ではない。直哉は単語だけ凄いが、文章を作れない。読むことは楽勝。瑠羅は読み書き話すことが出来るらしい。玲は論外。もう一度言う。玲は論外。

「『魔術師Magician錬金術師Alchemist妖精類Fairys独立Independence 協定Agreement』、通称『MAFIA』。簡単に言えば、『魔術師とかそういう人間は、そうでない人の国家から独立するべきである』っていう過激な思想をお持ちの犯罪組織。私はそこの元幹部」

「おい、初耳だぞ」

 裕翔が詰め寄った。瑠羅は横になったまま手をひらひらと振った。

「だって言ってないもん。でもまあ、私がナイアルラトホテップだって知ってる君達になら言ってもいいかなって」

 瑠羅は「ル」を少し舌を巻くように発音した。綴りが確か「Nyarlathotep」なので、それが当然ではある。当然ではあるが、変なことに拘る奴だとも思う。

「……信用してくれてどーも」

 貰ったのもあまり嬉しくない情報だった。とはいえ仮にその『MAFIA』なる連中が襲って来た時に初めて知るよりはマシだと思うことにした。

「裏切り者扱いされてるだろうから、見つかったらヤバいだろうね。『MAFIA』にいた経歴のせいで魔術連盟にも指名手配されてるし。ナイアルラトホテップのことがバレてるかどうかはわかんないな。バレてたらかなりの賞金首だ。億は下らないと思うよ」

「一億円?」

「んーん、ドル」

「………」

 かなりの重犯罪者じゃないか。そう思ったが何も言わなかった。言う気分にもならなかった。裕翔はもう疲れ切っていた。

 彼らが今いる七階建てのビルは、元はどうやらホテルだったらしい。そのロビーだったところでくつろいでいるわけだ。だが、上のフロアにまだ使えそうな部屋があるならそこを使いたい。こんなロビーではなく、ベッドで休みたいと思うのは当然だ。

「俺ちょっと上に使える部屋がないか見てくる」

 そう言って裕翔は立ち上がった。

「いっぱいあるようなら教えてくれ。俺らはここにいるから」

 聖司が言った。裕翔は片手をあげてそれに応じ、階段を昇って行った。


 ◇■◇


 二階は客室ではなかった。食堂と大浴場が占めている。

 この廃ホテルで風呂に入れたらそれこそ事件だな、と思いながら裕翔は通過した。

「ねえ、エレベーターあるよ?」

「……なんでお前がここにいるんだよ」

 裕翔は眉間を指で押さえた。振り返ると、何故かまた右腕の義腕を外した瑠羅がいた。

「? 裕翔と一緒に寝ようと思って」

「ふざけんな馬鹿」

 瑠羅は首を傾げた。何故自分が罵倒されたのか分からないらしい。

「駄目かな? キスまでした仲だから、大丈夫だと思うんだけど」

「どこが大丈夫だ阿呆」

 言いながら、自分の頬が熱くなっているのを自覚していた。

 別に初めてだったわけではない。キス自体は初めてではないが、今までした相手の中で、文句なしに一番の美幼女が相手だったのでかなり恥ずかしかった。

 何が恥ずかしかったって、キスを「した」のではなくて「された」ことだろう。中学時代の同級生のせいでもあったが。曰く、「女の子にキスさせるなんて甲斐性なしだよね」だとか。知るかボケと当時は思ったものだが、いざ実際にその立場になると、それを思い出して恥ずかしい。それもこんな美少女もとい美幼女に、だ。言い直すと犯罪感がマシマシである。九歳児の体系なので、見た目は幼女であることに間違いはない。

 とはいえ、いくら美幼女でも彼女はニャルラトホテプ、無貌の神だ。直哉曰く、どんな姿になれてもおかしくないんだとか。だとしたら今見ているこの姿とて本来の姿ではないかもしれない。そんな正体不明を(恋愛という意味で)好きになれるほど裕翔のSAN値は今のところ低くなかった。

「で、エレベーターがあったとしても電気が来てないんだから意味無いだろ」

 エレベーターの前で立ち止まって言った。わざわざ立ち止まってやる辺り、裕翔もなかなかのお人好しだ。

「うん? さっき地下の自家発電機動かしてきたから大丈夫だと思うよ。壊れてなかったし」

 とんでもないことを告げる。裕翔が一階を離れた時にはまだローテーブルの上で寝そべっていたはずだ。それが裕翔が二階に着く前に地下へ行って、二階まで追いかけてきたのか。何故か目を輝かせて。

 しかしまあ考えても分かるはずがない。諦めてエレベーターのボタンを押した。

「そうして黙っていれば普通に十三歳らしいのに……って待て。お前その格好どうした」

 二人でエレベーターに乗り込んでから裕翔は気が付いた。瑠羅の身長が伸びている。幼さ満載だった顔も歳相応になっているし、絶壁だった(当たり前だ)胸も下品でないくらいに大きくなっている。玲より若干大きいところに拘りを感じる。さらに、。義腕ではない、本物の右腕が。

 瑠羅は彼女にしては珍しく、邪気のない笑みを浮かべた。残念ながら、今日の裕翔にとっては珍しくなかった。

「十三歳らしくしてみたの。どう? 似合う?」

 似合わないはずがない。なにしろ美幼女が美少女になったのだから。

 が、全くもって意味が分からない。つい一瞬前まで幼女だったではないか。

「身体を作り直せば、生まれつき右腕がなくても問題なくなるのは分かってたからさ。どうせなら裕翔好みの姿になろうと思って」

「……へぇ」

 エレベーターのドアが開く。ここから客室だ。

「思ったんだけどさ」

 瑠羅が口を開いた。

「スイートルームを使えばいいんじゃないかな? ここのスイートは凄いらしいよ」

 何故三階に着いてから言うんだ。

 しかし、その発想はなかった。ここは営業していないホテルだ。別にスイートルームをタダで利用しても問題あるまい。快適に過ごせるほど綺麗な状態であれば、だが。


 七階のスイートルームへ行ってみると、果たしてそこは、本当に見事と言う他なかった。

 調度はどれも一級品。しかも部屋が一つしかない。他のフロアは各階四部屋ずつあったはずだが、ここはその四部屋分の面積があるということになる。全く素晴らしいとしか言い様のない内装。ふかふかのベッド。もう何年もそんな良いところで寝た覚えはない。両親が死んでからだから、約六年か。スプリングの効いたベッドとは!

 無論スイートなので寝室だけではない。居間も綺麗で快適だし、ソファは前のアジトに置いてあったものより断然柔らかい。

 そもそも裕翔はここをスイートルームと呼ぶことさえ抵抗があった。ホテルというよりアパートの一室のようだ。何しろ簡易的だがキッチンもある。お湯くらいなら沸かして何か飲めるという訳だ。しかも全てがIHクッキングヒーター。さらには長期滞在用の洗濯機や大型のテレビまである。映らないだろうし、見るものもないが。なるほど瑠羅が凄いと言うわけだ。

 最早何故こんな良いところが潰れたのか分からないレベルである。経営がまずかったのか、それともそもそもこんな所に人が来ないのか。裕翔には何となく後者な気がした。

 だが、こうなると一つ問題がある。まさかスイートが一部屋になってるとは思わなかった。これでは誰か一人、もしくは二人しか使えない。そもそも何故ベッドが一つしかないのか。しかもダブルベッド。他のベッドはどこへ行った。

 男同士でダブルベッドというのもぞっとしない話だ。むしろ裕翔はぞっとする。日本語は難しい。

 参考までに言っておくと、「ぞっとしない」というのは「面白くない・感心しない」という意味で、「ぞっとする」のは「寒気がするほど恐ろしいこと」を表す。するとしないとでだいぶ意味が変わるように思えるが、「ぞっと」の部分は同じ語である。やはり日本語は難しい。

 閑話休題。

 こうなればリーダーたる聖司がここを使うか。もしくは女性二人。

 しかし正直なところ、裕翔自身もこの部屋が使いたかった。何しろこんな快適空間である。使えるなら使いたいに決まっている。

 結局、裕翔は手首の端末を操作して、メンバーを全員呼んだ。

「──こういう次第なんだけど、この部屋、誰が使う?」

 裕翔が全員に向けて訊いた。

「俺はパス。普通の部屋でいい。寧ろ普通の部屋がいい」

 聖司が真っ先にそう言った。ちょっと意外だった。割とこういうの好きそうだったんだが。

「こんな豪華じゃ落ち着かねぇよ」

 敦も言った。彼ならそうだろうと思っていた。そもそも彼は質素な方が好みなのだ。

「本が読めるなら別にどこでも」

 直哉は本から顔も上げなかった。相変わらずだから別に気にしない。

「わたしも、どこでもいいかな」

 玲も言った。押しが弱いのはいつもの事だが、少し心配ではある。そんな押しの弱さでは、いつまで経っても想いは相手に届かないだろう。お節介な瑠羅のせいで、本人達以外は皆知っていたが。

「下の階がいいな。三階とか。いざって時に窓から飛び降りられる位の高さ」

 一真が言った。一番よく自分達の状況を考えた発言だった。ただし、彼の場合飛び降りられる高さについて考える必要はない。何しろ屋上から地上まで、彼の能力を使ってゆっくり降りたのだから。

「飛び降りられる高さ……六十階くらいまでなら余裕でいけるな」

 瑠羅は放っておくことにした。何を言っているのか分からない。いつの間にかまた幼女姿になっている。

 どうやら皆は価値観が違うらしい。

「えーと、じゃあここは俺が使ってもいい感じか?」

「勿論。んじゃ俺達も部屋探してくるぞ。決まったら皆部屋番号教えてくれ」

 聖司がそう言って部屋から出て行き、他の皆もそれに続いてぞろぞろと階下へ降りて行った。

「はぁ……」

 仰向けにベッドに倒れ込んだ。一晩であまりにも色々あったので、どうしようもなく疲労していた。

「ふぅ、この建物を拠点化したよ。これで他の誰もこの建物に手出しできない」

 瑠羅がそう言った。なんでも魔術師は自らの「魔術拠点」なるものを作ることが出来るらしい。他の魔術師から見つからなくなったり、他の魔術師が魔術を使うのを阻害したりと、拠点で出来ることは多岐にわたるんだとか。無論全て瑠羅の受け売りである。

「良かったね。この快適空間が失われることはそうそうないよ」

 そう言ってベッドに入ってくる。予想通りというかなんというか、やはりまた歳相応の姿になっていた。

「何考えてんだお前。ここは俺が使うって決まっただろ」

「? 私も一緒に決まってるでしょ?」

 暴論。オマケに根拠の無い決めつけ。加えて何故人の入っているベッドに潜り込もうとするのか。

「だってほら、一真も言ってたでしょ。何かあった時に飛び降りられる高さじゃないと、って。君はここから飛び降りたら間違いなく死ぬけど、私が一緒にいればその限りじゃないからね」

「拠点にすれば大丈夫なんじゃないのか」

 瑠羅は被りを振った。

「そんなことはないよ。神と融合した私くらいの魔術師であれば、魔術拠点に侵入するとか、一時的に無効化するくらいなら出来るよ。ほら、私も夢浮橋紫音にやってみせたでしょ? 敵に玉鬘綾女がいる限り、安全とは言えない。この部屋はさらに何重か結界を張ったから安全度は高いけど、窓くらいしか逃げ道がないからね」

 一応考えてはいるのか、と裕翔は少し見直した。

「そういうわけで入るね」

「よしわかった。スキル発ど──」

「待って待って待って待って私が悪かったからそれは、それだけはやめて!」

 瑠羅が顔面蒼白になった。クトゥグアの前にいた時と同じような顔色だ。

 先程の戦いの際から──無我夢中であったとはいえ──スキルの制御に成功した裕翔が瑠羅に触っても彼女が消滅することはない。だが、スキルを発動した時はその限りではないのだ。触れば即座に存在を抹消する。クトゥグアが消えた今、ニャルラトテップである瑠羅が恐れる唯一無二のものだと言っても過言ではないだろう。

「そういう時に言うべきことは?」

 瑠羅は今やベッドの脇でかなり縮こまっていた。震える声で、瑠羅は謝った。

「ご、ごめんなさい」

 絶世の美少女に涙目で謝られて、それでも怒れるほど裕翔は思春期男子をやめていない。怒る気を失ったので、裕翔は少し横へずれてやった。

「ほら、仕方ないな」

「! いいの?」

「……気が変わらないうちに入るなら入れ」

 そう言って瑠羅に背を向けた。

 背後から衣擦れの音がする。非常に嫌な予感がするが、理性が振り向くなと告げている。

「えへへー」

 気の抜けた声がする。次いで少女特有の甘い匂い。肌の温もり。背中に当たる柔らかいもの。

「……調子に乗り過ぎだ、馬鹿」

 裕翔は呟いた。瑠羅には聞こえなかったのだろう。そのまま腕が前に回されてきた。

「………なぁ、瑠羅」

「ん?」

「お前、端末デバイスどうした?」

「失くした」

 頭が痛くなってきた。それがなければ連絡が取れない。魔術師同士ならともかく、瑠羅だけが魔術師なのだから。

 その一方で、一つ納得したことがあった。敵がクトゥグアと分かった後も救援を求めなかった理由のことだ。簡単な話だった。

 そもそも求めることが出来なかったのだから。だから彼女は天敵の前で立ち竦んでいたのだし、裕翔が助けたら腰が抜けるほど安心したという訳だ。それで懐かれても──もっと身も蓋もない言い方をするならば、惚れられても──裕翔としては大変困るのだが。一目惚れよりマシ、くらいのものだ。

「だ、だって仕方ないでしょ。君達が私の右腕持って帰ってきてくれなかったんだから。あっちの手首に着けてたのに」

 筋は通っている。さっきの発言から考えて瑠羅は生まれつき右腕がなかったようだし、そうなれば自然と利き手は左になる。そうであれば、腕時計を右側に着けるのは極めて自然だ。不運にも、その右腕を根元から切り落とされただけで。

「それは、まあ仕方ないな」

「そうでしょ? でもまあ、何とかするよ」

 心配にしかならない請け負いだが、ここは信じるしかない。かなりの独走癖がある瑠羅の首輪がなくなったというのはすぐにでも聖司に報告すべきだと思ったが、疲れ切った体がこれ以上の行動を許さなかった。

 とはいえ、彼女の行動が見せているように瑠羅が裕翔に惚れているのだとすれば、その相手を裏切ることはしないだろう、くらいは考えて、そのまま眠りについた。

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