彼女たちを写すもの

ひじ

彼女たちを写すもの

「――ねえ、アナタの血液って何型?」


 耳を破壊するのが目的とでも訴えるようなビートが刻まれるクラブの片隅で、ルナは男の耳に唇を寄せて尋ねた。二人は一時間前にこの場所で出会った関係で、彼女曰く男はその日のフロア上で一番のイケメンだったのだ。


「そんな事を聞いてどうするんだい?」

「本で読んだのよ。極東では血液型で性格を診断する占いがあるんですって」

「気にしたこともなかったよ」


 何をばかげた事を、と言葉にする代わりに男は短く笑い、ヴォッカを煽る。その間もねっとりとした視線をルナのボディラインに這わせる事を忘れなかった。


「あなたは特別な感じがするから、AB型かしら?」

「それが本に書いてあった事なのか?」


 男の目線が胸元で止まっている事を知ってルナは頷き、空になったグラスを置いて腕を男のそれと絡ませた。わざとらしく上目遣いをし、半ば抱き着くように男の胸元に指を這わす。


「ねえ、もっとあなたの事を知りたいわ」


 そして彼のヴォッカの残りを全て口に含むと、口移しで飲ませたのだった。



  *****



――そして転がるようにしてルナは自分のフラットへ戻ってきた。傍らには先ほどの男がいる。飲みすぎたのか彼の意識は朦朧としていて、けれどある部分だけはいつでも準備出来ていると言うように主張していた。


 男がソファに倒れこむ。朦朧とした意識の中でも部屋をぐるりと見まわして間取りを確認した。大人の遊びに慣れきった彼にとって、今日の獲物の部屋を観察し素性を想像する事は最早癖となっているのだ。

 居間にはオープンキッチンと椅子が四脚差し込まれたダイニングテーブル、それになかなかのサイズのテレビ配置されている。周りには扉が四つあり、ひとつはついさっきルナと共にくぐった玄関の扉だ。ふたつめがシャワールームだとして、残りのふたつは部屋だろうか。正常に働いていない男の頭でも、その場所が一人暮らしの女には大き過ぎる事ぐらいは分かった。それに気になるのは、ひびの入った時計をいつまでも壁にかけているところだ。


「誰か……家族と住んでいるのかい?」

「シェアハウスしているのよ」


 ルナの綺麗なかんばせが歪められる。そんなに嫌いな相手ならさっさと引っ越せば良いのにと男が考えている間に、彼女が上に座ってきた。男は思わず高揚した声を上げる。


「上に乗る方が好きなの。……ねえ、今夜は楽しみましょう?」


 ルナは男の頰を撫でてから耳に舌を這わせた。男は自身の胸板に移動した彼女の細腕を今度は首に回させ、そのまま唇に吸い付く。ルナの熱い瞳と目が合ったところで、男の意識は途切れた。


 …………。


「――何よこの味!!」


 男の首筋に犬歯を立て、出てきた血を一滴飲んだところでルナは盛大に悪態をついた。


「獲物!? いらないなら私にちょうだい!」


 それを合図に隣の部屋から別の女が出てくる。ルナがステラと呼んだ彼女はルナの下で気絶している人物が男だと分かると、あからさまな嫌悪を表情に示した。


「男かよ……本当使えない」


 アンタこの前も、その前の時も男連れ込んで、良い加減にして欲しいわ。と続けながらステラは冷凍庫を開け、氷の入った袋を取り出した。そしてそのままポップコーンでも食べるかのように音を立てて氷を嚙み砕く。ちらちらと覗く犬歯はルナのように長く尖っていた。


「今は男が好きな期間なの!……それより聞いてよ、こいつO型Rh+の味がしたわ。このくそったれの短小モブ男が」


 ルナは道端の汚い軍手に注ぐような視線で男を見下ろしてふくらはぎを軽く蹴る。男は彼女の催眠術で眠いっている為、これくらいの衝撃で目覚める事はないと分かっていての行為だった。

 ルナの様子を見つめながら、ステラは皮肉めいたように唇の片端を釣り上げた。


「食事に“だけは”うるさいんだから。……氷いる?」

「貰うわ。でもビッチって言わないで、博愛主義なだけなの」

「何も言ってないけど?」


 挑発的なステラの言葉に、ルナは言い返しそうと口を開く。けれどステラが弾いた氷が一直線にルナの口の中へ飛び込み、彼女は黙らざるを得なかった。

 口の中の氷が溶けきるのを感じながらルナはキッチンへ向かい、袋から最後の氷をつまむ。今度はステラが不満顔で口を開いたが、何かを言う前にしたり顔で氷を食べてやった。


「とにかく」


 ルナは冷蔵庫を開け、何か他に美味しそうな物が転がってないか覗き込んだ。食べかけのレバーによく冷えたニンニク抜きのトマトソースがあったけれど、今はどちらの気分でもない。


「手伝って。私の能力じゃあこんな重いもの運べない」

「おねだりの仕方を忘れちゃったのかしら?」


 冷蔵庫から視線を外しステラを見上げると、彼女を腕をきつく組んでルナを見下ろしていた。ルナは静かに冷蔵庫を閉じ、ソファへ置いていた自身のバッグを取り上げる。そして唯一の内容物であった輸血パックを無造作にテーブルへ放り投げた。今度は彼女が鼻で笑う番だ。


「食べたくないの?」


 ステラは苛立ちを込めて舌打ちをすると、未だにソファで眠る男へと近付いていく。そして男の腕を掴み、マッチ棒を扱うような簡単さで肘をへし折ったのだった。ルナは慌ててステラを止める。


「小分けにして保存しちゃった方が簡単じゃない」

「こいつ美味しくないんだってば!」

「誰がそんな事気にするのよ?」

「私が食事当番の時は殺しはナシって約束でしょ!!」


 どうしても食い下がるルナにステラは「はいはい分かったわよ、もう」とうんざりした溜息をつく。ステラにとっては人間の、しかも男などに気を遣うなど面倒で仕方ないけれど。二十一世紀に入ってからは死んだ人間を隠し通しておく事もまた難しく面倒なのは事実だった。


 二人は男の両肩をそれぞれ支えると、そのまま移動して近くのゴミ捨て場に転がしておいてやった。

 そして自分達の部屋に道すがら、ルナはぐちゃぐちゃになった髪を必死で撫で付ける。けれどどうしても出かける前のようには戻ってくれない。


「ねえステラ、もう一度メイクしてくれない?」


 先ほどの小生意気な態度とは打って変わり、今度は猫なで声で言い方も丁寧だ。ルナは自分の上目遣いに自信があったし、実際に自分が可愛かったからステラに噛まれてしまった事も知っている。もういつだったか覚えてもいないくらい昔の事だけれど、ルナにとっては先週の出来事のように感じられた。

 ステラもまたルナが自分の魅力を知っててわざとそんな態度をしているなんて事は分かりきっていたけれど、それでもルナが彼女の好みの顔をしているのは認めざるを得ない。(「性癖なんて、変えれるものなら今頃とっくに変えてるわよ」――ステラ)


「またクラブへ行くの?」

「今夜こそAB型Rh-のイケメンが現れる予感がするのよ」


 だから、ね、お願い! とご機嫌に腕まで絡ませてくるルナにステラは渋々了承し、家に着くなり新しく化粧を施して髪型を整えてやった。よりにもよって男漁りの片棒を担がされるなんて屈辱だけれど、これが一緒に住む上での約束なのだから仕方ない。


 身なりを整え気を良くしたルナはもう一度夜の街へと繰り出して行った。

 しかし三十分もしない内に彼女は再び帰宅すると、鼻息も荒くステラの首元に掴みかかったのだ。色とりどりに塗られたルナの爪が青白いステラの肌に食い込む。


「アンタねぇ……何よこれ!!」


 ルナが己の額を指差す。そこには大きく「ビッチです」と落書きがしてあったのだ。彼女の怒りを他所に、ステラは我ながら綺麗に書けたなと感心する。


「あら、あなた見えない筈でしょ? よく分かったわね」

「見えなくても周囲の反応で分かるに決まってるでしょ!!」


 ルナがかぶりを振って殴りかかってきたが、ステラにとって避けるのは容易い事だった。拳がソファにめり込む。


「今日こそ殺してやるわ」

「博愛主義が聞いて呆れるわね」


 ルナは超能力を使ってキッチンの包丁を浮かし、ステラの元へと飛ばした。しかしそれも全て捕らえられ、逆に目にも留まらぬ速さで投げ返されてしまう。包丁が髪の毛を数本切り取って行く事に苛立っている間に、ステラが今度は巨大な黒い犬に変化していた。襲いかかる鋭利な鉤爪が首筋に触れる直前、ルナも自身をコウモリの姿に霧散させて回避する。咄嗟の事でステラは勢いを殺し切れず、ダイニングテーブルに突っ込んでいった。あまりの光景にルナは人間の姿に戻り、お腹を抱えて笑い声を上げる。けれどそれも、ステラが折れた椅子の脚を手に持つ姿を見るまでだった。何と言ってもそれは杭のように鋭く、しかも木製なのだ。


「そ、それは反則よ!」

「自分で噛んだ奴の……責任は……自分で、取るわ……!」


 ステラは腕を振り上げ、再びルナに飛びかかる。ルナは思わずステラの腕の間をすり抜け、キッチンへ走った。視界に飛び込んできた全ての引き出しを開け何かないか必死でかき回していると、ふと銀のスプーンを二本見つける。スプーンの丸い方を両手にひとつずつ掴むと、彼女は目をぎゅっと瞑り、持ち手で十字架を作って顔の前に掲げたのだった。


「ぎゃあぁぁぁぁぁぁああッ!!」


 焼ける両目を押さえながら、ステラはその場に蹲る。スプーンを床に落としてから、ルナはゆっくりを瞼を開けた。ほんの少しだけ申し訳ない気持ちがあったけれど、自分が死ぬよりはよっぽどマシだ。



 それからケンカは夜明けまで続いた。

 二人が息を切らす頃には壁にいくつか穴が増え、ほとんどの家具が破壊されていた。


「夜明けね……仕事に行かなきゃ」


 壁から落ちてひびの増えた時計を見やり、ステラは溜息混じりに告げる。ルナは「朝日を浴びて死ね」と呪いの言葉を呟いたが、ステラは嘲笑うだけだった。


「あら、私がデイウォーカーだって事はご存知だと思っていたけれど?」


 ステラはルナよりもずっと長い年月を生きている為、吸血鬼の中でも多少の日光であれば凌げるだけの力があるデイウォーカーと呼ばれる種族に進化している。

 冗談の通じないヤツね、とルナは心の中で小言を唱えつつ、声に出して状況を悪化させるのも馬鹿げているのでステラを睨みつけるに留めた。

 そんな視線にうんざりして目を回しつつ、ステラはまな板の隣の化粧ポーチを掴む。


「今日こそ清楚で可愛い理想の女の子を眷属にしてあなたを叩き出してあげるわ」

「三日前にも丸っと同じ事言ってたわよ。これで683回目」

「頼むから私の言葉をいちいち数えるの止めてくれない!?」


 ルナはその言葉を無視し、ツンとそっぽを向いた。

 ステラは嫌味なくらいに大きな溜息をついてから(「この人、人生であと何回溜息つけば気が済むのかしら!?」――ルナ)


「ほらこっち来て、早く私にメイクして」


といっそわざとらしいくらい落ち着いた様子でポーチをルナに差し出した。せめてもの反抗で、ルナはポーチを受け取る前にステラを見下ろす。


「おねだりの仕方を忘れちゃったのかしら?」

「お・ね・が・い・し・ま・す!!」


 言葉と共にポーチを投げつけられ、ルナは舌打ちをしながら受け止める。そして先ほどまでまな板の隣にあったこれはどっちがいつ投げた物なのだろうとぼんやり考えた。


「あんまりチーク濃くしないでよね」

「分かってるわよ。ステラこそ眉間のシワ引っ込めて。ファンデがよれちゃうでしょ」


 お互いに仏頂面のまま、作業が始まる。二人はお互いの化粧の仕方が嫌いで仕方なかった。ステラはルナのメイクが下品だと思っているし、ルナはステラの施すメイクの所為で本来の見た目よりも二歳も年増に見られると言って聞かなかった。けれどいつか互いに理想の眷属候補を見つけるその日まで、鏡に映らない彼女達が着飾る方法はこれしかないのだから仕方がない。


「先にイケメンをゲットしてアンタを追い出すのは私なんだから」


と心中ひとりごちながら、ルナはステラの顔にファンデーションを叩き込む。本来ならその前に日焼け止めを塗ってやらないといけないのだが、わざと忘れてやった。

 夕方帰宅するステラの顔が目も当てられないくらい真っ赤に焼けてしまっているのを想像すると、ついつい湧き上がる笑いを噛み殺すのに苦労してしまうのだった。

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