小さな妖精と大学生
天川ほとり
第1話
わたしはとある大学に所属する普通の大学生だ。
親元を離れ、下宿をすることになったアパートの二階端の部屋。6畳のトイレバスがセパレートタイプの普通の大学生らしい部屋である。
女の子だからと可愛くアレンジすることもなく、地味だが使い勝手の良いタンスと大家さんが用意してくれた冷蔵庫と洗濯機。あと、テレビは買った。ほんの少し大きいサイズのそれは専らアニメやらドラマを録るためのものだ。
サークルには入っていない。
いや、一時的に入っていたものの人間関係に疲れて辞めた。運動部だし、勉強で躓いたのも理由の一つだ。
毎日少し退屈な日々を、平和に過ごしていたわたし。
だから、それを見つけたのも退屈な日々の有りがちな日常の中でだった。
それを見つけたのは押し入れの中だ。
収納用の押し入れを掃除して、中身を整理しようとした休日の昼間。押し入れの隅っこに変なものがあった。
小さな小さな扉。
緑色の細工の細かいそれは、まるで子供の玩具にありそうな見た目だった。
前の人の忘れ物かな?
摘まんで取り出そうとしてみたけど、なかなか取れない。どうやら壁とくっついて閉まっているらしい。
変なの。押し入れの中で人形遊びでもしてたのかな? ボンドでくっ付けたら取れなくなったのかも。
諦めて中に入れていた荷物を出して埃を取り、押し入れの中にも掃除機を掛けてから中に戻す。
うちの掃除機は手持ちタイプの小さなやつで、吸引力は低い。収納に困らないからと買った、電化製品の会社が出しているものではない、家具屋の商品だった。
ちょいと五月蝿いけど、昼間なら隣の人にまで聞こえても大丈夫だ。
ざーっと一通り掛けて、扉の近くまで掃除機を持ってきたときだった。
吸い込まれるようにして、扉が開いた。ボンドで付けただけなら壁が現れるはずだったその先にぽつんっと太っちょの何かがいた。
「何するのさ。いきなりドアを開けるなんてデリカシーがないんじゃないの?」
ぷくぷく太ったそれは、女の子のようだった。緑色の、脂肪に膨らまされたシワのよったワンピースを着ている。大きさがまさしく扉に似合った小指ほどのサイズしかない。栗色の髪と緑色の目が日本人というより、外国の人っぽい感じがする。
なんだこいつ。
掃除機を掛けたまま、わたしはもう一方の手を伸ばしてそれを捕まえた。
「何するの!? 食べるの!? 美味しくないわよ!!」
きーきー騒いで暴れるそれを摘まみ上げたまま、わたしは掃除機のスイッチを切った。
どうしよう、これ。
戸惑ったけれど、掃除がまだ終わってない。
押し入れの荷物が溢れたまま眠るのは何だか気に入らないので、小さな女の子を後回しにすることにして台所から持ってきたティーカップにそれを入れて、まずは荷物を戻すことにした。
扉は塞がなくても荷物は全部仕舞えそう。
何となく帰り道を開けておかないといけない気がしてから、荷物を扉とは反対側に寄せて並べていく。まだ夏だから、しばらく冬服はしまっていて良いだろうか。それとも、上着だけは残しておくべき?
面倒くさがりなもので、何枚か寒いとき用に上着をハンガーに掛けて押し入れの上の方にある棒に引っ掛けておく。
よし、片付け終わり。
一段落したら喉が渇いたので、冷蔵庫に冷やしておいた缶ジュースを開ける。
ああ、一仕事したあとのオレンジジュースって何でこんなに美味しいんだろう。
そう思っていると、てしてしとわたしの手を誰かが叩いた。
「何でそんなに冷静な訳!?」
「いや、前に母さんが小さいおじさんを見たって言ってたことがあって、その類いならあっさり消えちゃうかなー、と」
「消えるわけないでしょ! 物体が消えるとこ見たことあるわけ? 生き物が瞬間移動出来ると信じてるの?」
どうやら、ティーカップの縁に手を掛けてよじ登ろうとして、カップが重さで転倒したらしい。ころんと転げたカップがテーブルの上に載っていた。
「えっと、よくここまで来れたね」
「大変だったんだから! カップの中に放置とか、テーブルの上から床までどれだけ高いと思ってるのよ!」
見た目の割りに運動が出来るタイプのようだ。落ちたのかと思ったが、テーブルの足にしがみついてゆっくりと降りてきたらしい。
「えっと、それで、何だっけ?」
「いや、常識的に初対面ならまず自己紹介でしょ!? 私のこと、気にならないの?」
「気になるかと言えば、気になるけど別に」
ショックだったらしい。ふらふらと後ろに下がって、膝を付いた。つんっと押したら転がりそうなほど丸いな、この子。
「わ、私はミリーよ! この部屋に先に住んでる先輩なんだから!」
「じゃあ先輩、家賃払ってます?」
「妖精に家賃払わせるの!?」
無理だろうな。硬貨も持てるか怪しいレベルの小ささだ。
わたしなりのジョークが通じないので、とりあえずわたしも自己紹介をすることにした。
「わたしは
「ミズキね! そのダイガクセイってのは寿命が4年くらいしかない生き物のことで合ってる?」
寿命が4年。面白い考え方だ。確かに大学生でいられるのは4年だけ。ときどき1年2年伸びる人もいるけど。
「多分そう。ミリーは、妖精なの?」
そう問いかけると、ふふんっと小さな胸を張る女の子。小さいのは胸に限った話では無いわけだけど、身体の大きさからすれば大きいのかもしれない。
いや、妖精的に言うなら全体的にデカい、というか丸い、だろうか。
「そうよ! ニホンジンは好きなんでしょ? 少しくらいなら撫でても良いわよ。その代わり……」
ちらっとミリーの小さな緑色の目が動く。位置からしてちょうどわたしの持っているオレンジジュースの缶を見ているのだろうか。
「それ、ちょっと寄越しなさいよ。さっきから甘くて良い匂いがして、気になってるんだから」
どうやらオレンジジュースが欲しいらしい。別に撫でたいとも思わなかったけど、そのそわそわした感じに負けてしまって、台所からペットボトルの蓋を持ってきて、それを器にジュースを注ぐ。
きらきらっと緑色の目を光らせてジュースを見守る彼女にどうぞと言えば、恐る恐る口にして気に入ったのか液面に口を着けるようにして飲んでいた。
見た目の通り、甘いものに目がなさそうな女の子だなーと思いながらわたしも残った缶ジュースを喉に流し込んだ。
小さな妖精と大学生 天川ほとり @hotori250
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