第3話 夏の日

「お兄ちゃん遊ぼう!!」


 それは暑い夏の昼下がり、僕の家に小さな小さな台風がやってきました。

 明るい茶髪のショートカット。左耳上で結った小さな三つ編みが可愛らしい。

 見るだけで柔らかいであろうと判断できる肌は、元気で活発な彼女を表すように少しだけ日に焼けており、それをデニムのショートパンツとノースリーブのポロシャツで覆っていた。

 そんな随分と可愛らしい小型の台風――僕の従妹、宮園春香が襖をスパーンとあけて僕の部屋へ襲来してきた。

 部屋で何をする事もなくごろりと横になっていた僕を見止めると、テテッと駆け寄り身体を揺さぶってきた。


「ねぇねぇ、遊ぼうよ!!」

「えぇ……面倒くさい」

「せっかくのお休みなんだよ? 寝てばっかりじゃつまんないよー」

「うへぇ……」


 僕が渋るとさっきより強く身体を揺さぶってくる。うーん、流石は女の子といったところか。力が弱い。まぁつまり、この揺れがさながら揺り籠の様な働きをしてだね――。


「…………ぐぅ」

「もー!! 寝ないでよー!!」


 身体を揺する事が逆効果だという事が分かったのか、今度は小さな手でぺちぺちと叩く行動に移った。流石にこれは地味に痛い。

 僕はせっかくの夏休み。それもレポートからも部活からも親からも解放されたこの貴重な時間を堪能したかったけど……仕方ない。諦めてチビスケの相手をしてやるか。

 僕はなお続いていたチビスケの手を払いのけて上体を起こした。


「はぁ、せっかくの休みだというのにこのチビスケは……」

「だってせっかくお兄ちゃんが休みなんだよ?」

「僕は休みの日は何もせず光合成して過ごすのが常なの」

「コウゴウセイ? もー、また難しい事言って遊んでくれないんでしょ!!」

「ちょっと待て高校一年生。光合成は中学の範囲だぞ」


 何この子、高校一年生にもなって光合成知らないの? 地元の中学が遅れてるのか、それともチビスケが時代に取り残されているのか……。まぁ後者だろうね、僕が中学生の時ならったし。

 従妹の馬鹿さに呆れを通り越して少しだけ悲しくなり、慰めるようにチビスケの頭を撫でる。


「お兄ちゃん、何でワタシの頭撫でてるの?」

「いや、ちょっとな……」


 お前の頭があまりにも可哀想だったから、とは言わないでおこう。言ったら多分怒ってまたぺちぺち叩いてくるだろうし。

 僕が暫く撫でていると、最初こそ小首を傾げていたけれど、次第に気持ちよさそうに目を細める。

 昔からそうだけど、コイツは頭撫でると気持ちよさそうというか幸せそうに眼を細めるよね。前世は犬だったのか?

 そんな下らない事を考えながらチビスケの頭を撫で続ける。

 何分経過した頃からかは分からないが、プルプルとチビスケの身体が震え始めた。何? 噴火でもするの? それともトイレ?

 そんな疑問を抱きつつも撫で続けていると、遂にチビスケがその震えから解き放たれ、僕に襲いかかってきた。


「やぁー!!」

「ちょまっ――ってぇえええええええええ!!」


 何をとち狂ったのかは分からないが、身体全身をばねにして僕に飛びついてきた。

 普段運動不足の俺は当然その反動に耐え切れず、見事に受け身を取り損ねて後頭部と畳が熱いヴェーゼを交わす事となった。

 …………いってぇ。


「おいチビスケ、何してくれんだ……」

「飛びつきたくなったから飛びついただけだよ!!」

「おうそのドヤ顔やめろ。頬引っ張るぞ」

「いひゃいいひゃい!! ほうひっはっへるひゃん!!」

「おぉー柔らかいなー。伸びる伸びる」


 僕を敷布団のようにして乗っかるチビスケの頬を左右に引っ張る。

 餅のように柔らかく、すべすべしたチビスケの頬は僕が想像した以上にむにょんむにょん形状を変える事ができるようだ。いやー面白いなぁ。

 伸ばしたり押したりしてチビスケの頬で遊ぶ。当のチビスケ本人は「むー」だの「うー」だのと抗議の声を上げているが、手で静止をかけないあたり遊びだという事を認識しているのだろう。

 ならば僕もこの手を止める道理はない! 全力でむにむにさせてもらおう!!


「それにしてもお前のほっぺは柔らかいな……。表情筋ちゃんとあるのか?」

「え? ほっぺたにも筋肉ってあるの!?」

「あるぞー。此処の口角を上げる筋肉が無いとまず笑顔は作れないからな」

「そうなんだ……。えへー」

「何いきなり笑ってるんだ?」

「ちゃんとワタシ笑えてる?」

「…………あぁ、笑えてるよ」


 僕の胸の上でニヘラとだらしなく頬を緩めるチビスケ。この笑い方じゃ逆に筋肉が使てないんじゃないかと思うが、まぁツッコむまい。

 暫くチビスケの二ヘラとした笑みを頭を撫でてやりつつ眺めていたが、流石にずっと胸の上に乗られてたら苦しいのでチビスケを一度どかして上体を起こす。

 

「ねぇねぇ、ワタシお腹すいた!」

「そのくらい自分で用意しろよ高校一年生……」

「自慢じゃないけど料理はできないもんね!!」

「本当に自慢になんないぞ、それ……」


 この年頃の高校生なら平均的に、言い方変えれば程よく育った胸を張りながら言い放つチビスケ。僕はやはりチビスケの頭の残念さに落胆のため息を吐きつつ、ちらりと部屋の柱にかけた時計に視線を移す。

 十二時四十分か……微妙な時間だな。ガッツリ昼飯を食べたいとも思わないし……かといって素麺とか作ってもコイツは文句言うだろうなぁ。


「チビスケ、何が食べたい?」

「んー……。お兄ちゃんが作ってくれるなら何でもいいかなぁ」

「じゃ、素麺でも文句言うなよ」

「素麺以外なら何でもいい!!」


 まぁ分かってたけどな。というか僕も素麺はここ一週間食べ続けてるからごめんなんだけど……。

 

「……取り敢えず台所で材料を見積もって考えるとするか」

「わーい」

「勿論お前にも手伝ってもらうから」

「わぁ……」

「働かざる者食うべからずだ。当然の対価だと思え」


 そう言って立ち上がる。ずっと寝てしかなかったから一瞬身体がバランス感覚を狂わせたが、すぐに狂いを修正する。

 チビスケはあの柔らかい頬を膨らませて全力で不満をアピールしているが、無視。そこまで手伝いを頼むつもりもないので、寧ろ少しの労働で飯が食えることに感謝して欲しいくらいなんだが。

 チビスケを置いてふらっと台所へ足を運ぶ。

 両親は今日は二人で旅行に行くとかで居ない。だから当然と言えばそうだけど昼食は用意されていない。

 パンやご飯の残りなどが無いか探してみるが欠片も見当たらない。インスタントラーメンはそもそもあまり買わないので家にはない。


「野菜もないし……どうしようか」


 冷蔵庫を少し漁りながら考えていると、ふとあるものを見つけた。

 僕は暫くそれを見つめて頭のなかである程度メニューを組み立てる。

 そしてある程度固めると、他の材料を確認し、机の上に次々に並べていく。


「ミカンに粉砂糖にサラダ油に……春巻きの皮?」

「そ、これが今日の昼飯」

「えぇー……」


 チビスケが明らかに不審な目で僕を見ている。確かにこれだけの材料だと何も作れないように見えるからしょうがない感はあるな。まぁ、これで作るんですけど。

 兎に角ここでいちいち献立発表してる時間が無駄だからさっさと料理を始めるとするか。


「おいチビスケ、取り敢えずお前はミカンの皮を剥く係りな」

「剥く係りって……もしかしてそこに山になってるミカン全部?」

「アホ抜かせ。取り敢えず春巻きの皮が三十枚あるから……五か六個向いてくれればそれでいい」

「はーい」

 

 そう返事をして手を洗い、チビスケはさっそくミカンの皮を剥き始めた。料理という事を考えてかちゃんと手洗いをするあたり、しっかり育ってきたんだなとちょっと感慨深くなる。

 別に僕がコイツを育てたわけじゃないけど、やっぱりずっと一緒に育ってきたからこそ感じる何かがあるなぁ……。


「っと、僕もさっさと準備しよう」


 包丁とまな板を水で軽くすすぎ、チビスケが剥いたミカンを持っていく。

 そして細かく分けた後に包丁で二センチ程の大きさに切っていく。うーん、五個って言ったが、一個でも結構な量あるな……。


「チビスケ、悪いけどミカン剥くのは三個に変更な」

「え、でももう四個剥いちゃったよ」

「マジか……」


 四個は流石に使わないかもな……。そう考えて、剥いてしまった四個目をどう仕様かと悩んでいると、すっと細い指に挟まれたミカンが目の前に差し出された。

 その指の先には案の定チビスケが立っており、にこにこと笑みを浮かべながら僕に……正確には僕の口へミカンを近づけていた。


「はい、あーん」

「あーんって……」


 別に恥ずかしい事ではないが、一人で食べてくれればそれで済むような気がするんだけど……。

 暫く食べずにいてもチビスケはミカンを引っ込める気が無いようで、にこにこ笑顔のまま更にずいっと僕に近づけてくる。


「あーん」

「…………ん」


 観念してチビスケの手からミカンを食べる。流石に夏に出回ってるミカンなので甘いだけではなかったが、酸味が特別強いという訳でもなく美味しかった。


「じゃできるまでテーブルで残ったミカンでも食べておけ」

「はいはーい」


 テテテとミカンを持って小走りでテーブルへ向かうチビスケ。そこでミカンを食べてる姿は実に幸せそうで、見てるこっちも幸せな気分になってきた。

 そういえば昔からミカンを食べる時はあんな幸せそうな顔をしてたっけ。昔から成長していない事を嘆けばいいのか喜べばいいのか……。


「ま、これは嬉しい成長って事でいいか」


 あんまり考えていても作業が進まないので、今は考えない事にした。

 待たせると今度はあのチビスケは文句を言うからな。早めに作ってやるか。

 スッ、スッと包丁でミカンを二センチほどの大きさに切っていく。その間でフライパンを加熱しておき、すぐに次の作業ができるようにしておく。

 ミカンを全部切り終わった所で、先程温めておいたフライパンにミカンと砂糖を大匙10杯ほど入れて中火で加熱する。

 暫く軽く混ぜながら加熱して、砂糖がある程度溶けたところでブランデーを小さじ二杯ほど投入し、水分がなくなるまで煮詰める。

 …………うん、中々いい香りじゃないか。

 煮詰め終わったモノをある程度覚ましたのち、春巻きの皮の上に乗せ、対角線状に巻いてその両端をキャンディーの袋さながらねじって中に閉じ込める。

 それを三十回程繰り返し、出来上がったものをクッキングペーパーをひいたプレートに乗せ、一つ一つ薄くサラダ油を塗っていく。この時に塗りすぎや薄すぎに気を付け、全部を均等に塗るように気をける。


「ふぅ……疲れる……」


 若干神経質になる作業を終えて少し脱力する。

 ここまでスムーズに作業が進んだが、チビスケはどうしてるかとちらりとテーブルの方を見やる。するとチビスケとばちっと視線が合った。

 ……ずっと見てたのかよ。

 そう思うと少しだけ恥ずかしくなった。


「後は焼くだけだからもう少し待ってろよ、チビスケ」

「楽しみに待ってるよー」


 そう言われたらもう少し頑張るしかないよな。

 少しだけもらったエールに答えてこの料理の最終工程に入る。

 と言っても、そんなに難しい事はしない。五百ワットのオーブントースターで焼くだけなのだから。

 気合をいれといてそれだけかよと思うかもしれないが、元々別々のレシピを無理やり混合させたものなので、焼き加減についてよく観察しておかなければならないのだ。割と面倒くさい。


「加熱時間十分……っと。スタート」


 ダイアルを十の所で捻るのをやめて手を放す。ジーという音と共に、トースターの中が仄かに赤くなっていく。

 五分も加熱すると、春巻きの皮が焼ける香ばしい香りがトースターの隙間からにじみ出てきて胃袋を刺激する。

 それから更に五分後、チンという甲高い音共に焼き上がったものを取り出す。すると辺り一帯に香ばしさとミカンの柔らかな香りが広がった。


「…………いい匂い」


 結構離れているはずのチビスケが鼻ざとく嗅ぎ付ける。まぁ、好感触の様なので取り敢えずは安心か。

 最後の仕上げとして取り出したものを皿の上に盛りつけて、粉砂糖を振りかける。

 さぁ、完成だ。チビスケに食わせてやるか。

 盛り付けた大皿を持ってチビスケの待つテーブルへ歩いていく。

 ことりとテーブルの上に置くと、チビスケが目を輝かせて僕に問いかける。


「わぁ、すっごい美味しそう!! なにこれ!!」

「これは簡易オレンジパイだ。本格的なオレンジパイじゃないから味は保証できないが……まぁ、おあがりよ」

「はーいっ!!」


 元気よく返事をしたチビスケは、その幼い顔に笑みを浮かべながらとても自然な動作で僕の膝の上。正確には胡坐をかいた所に身体を収めるように座ってきた。

 僕脚に彼女の柔らかい肉の感触が伝わってくる。背中も完全に僕に預けるように座ってるから顔のすぐ下にチビスケの頭がある。


「……邪魔なんだけど」

「気にしない気にしない!」

「ならせめてこのアホ毛だけでもどうにかしてくれないか? さっきから視界にちらちらして目障り」

「アホ毛なんだから無理だよ。ね、それよりオレンジパイ食べさせてよ」

「ご自分の手でつかんで食べてください」

「むぅー……。あーん」


 少し膨れた様子で、振り返るように顔だけこちらに向けた状態で口を開く。

 暫く放置してみる。すると一分もたたないうちにもう一度「あーーん」と最速されるではありませんか。

 きっとこのまま放置し続けてもこの最速が続くだけだと長年の経験から判断した僕は、仕方なくできたてのオレンジパイを一つ手に取り、自分の息で少しだけ冷ましてからチビスケの口へ運ぶ。


「おら、あーん」

「あーむ。むぐむぐ……んんー!! おいひい!!」

「はいはいどーも。でも感想は口の中のが無くなってから言ってくれよ」

「むーい」


 何だよむーいって……。返事としては成立してなさすぎでしょ。

 行儀の悪い従妹に呆れつつ自分もオレンジパイを一つ頬張る。

 ……ふむ、春巻きの皮だから通常のパイ生地より薄くて触感は違うな。ミカンの甘酸っぱさと生地の香ばしさが結構ばらついてる……。

 美味しくないわけじゃないけど、もう少し何か手を加えてみるべきだったかな。今後作る機会があるか分からないけど、一応反省点として胸に刻んでおこう。

 

「お兄ちゃん、もう一個ちょうだい」

「…………だから自分で食えといっとろうに」


 それでも食べさせてやるあたり僕もこのチビスケに甘い所があるな。結局襲撃されたからこうして面倒見てやってるし……。まぁいいか。退屈よりは数段ましだ。

 そして結局最後の一個まで僕はチビスケの食事補助の役職に就いたのは言うまでもないだろう。


「ごちそうさま! 美味しかったよお兄ちゃんっ」

「おそまつさま」

 

 どうやらあのオレンジパイがお気に召したようで、作った側としてはなによりですよ。

 後食べ終わったからって全体重を僕に預けるのやめてくれませんかね? 少し重いんですが。

 そう抗議してみるものの、チビスケはどこ吹く風でご機嫌に鼻歌なんぞ歌ってやがる。この曲は確か数年前流行ったアイドルの曲だったな。名前は忘れたけど。

 もう何を言っても無駄だなと判断した僕は、脚の間に座るチビスケを後ろから軽く抱きしめて虚空を眺めてぼーっとする。

 あぁ、コイツ温いな。風邪とかそんなんじゃなくて生きてる温度が温い。そこらへんに売ってる湯たんぽより有能かもしれないな。やわっこいし、中々冷めないし……。

 夏だけど、コイツを抱きしめてると何となく和むので更にぎゅっと力を込める。

 チビスケは更にギュっとされた事が嬉しかったのか、抱きしめてる僕の腕に手を添えて鼻歌を歌いつつ僕の胸に頭をこすり付ける。

 こういう所を見ると何か犬っぽいなーって思うよね。で、可愛いから更に抱きしめたくなるよね。


「……お兄ちゃん」

「…………なんだ?」

「……大好きだよ」

「…………僕もだよ」

「…………ん♪」


 それから僕たちは昼寝するまで一言も言葉を交わすことなく過ごした。

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たんぺん!! カゲショウ @kagesyou

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