第2話 花火

 八月中旬の夕方。一人の青年が頭にヘッドホンをつけて薄暗い道を歩いていた。

 気温はさほど高いというわけではないが、昼に太陽の熱を吸収したアスファルトの熱で青年の周りは蒸し暑く、額にじわりと汗が滲んでいる。

「暑い……」

 そう呟いて半袖シャツの肩口で汗を拭う。

 何故青年が汗を流しながら歩いているのか。それは近くで開催される花火大会へ行くためだ。

青年は去年まで中学生だったこともあり、夜間に一人で外出するのを親から禁止されていて家の窓から花火を見るばかりだった。しかし、高校生になり親から許可を取ることができたので今年は花火を近くで見ようと思い、こうして歩いているというわけだ。

青年は久しぶりに間近で花火を見られると思うと、会場へ向かう足が少し速くなる。

しばらく歩いていると住宅が減っていき、かわりに人が増えてきた。浴衣を着ている人や子供連れの人が多いことから、青年は同じ花火を見に行く人だと理解した。

そして『車両通行禁止』の看板の横を抜け、何気なく港のほうを見る。そこには大きな物体が光り輝いていた。

青年は最初、橋がライトアップされているのかと思ったが港に大きな橋がないことを思い出す。

「船?」

 目を凝らして見ると、巨大な客船が光っていることがわかった。

 遠目からだが客船は近くの建物の二倍近くあり、人目を集めていた。

 だが光る物体の正体が客船だとわかると、青年は興味が薄れて「珍しいものを見たな」程度にしか思わなくなり、ヘッドホンから流れる音楽に耳を傾けた。

 それからしばらく歩くと花火を見るために人が集まっているところに着いたが、多くの人がアスファルトに座り込んでおり道は凄く歩きにくいものになっていた。

 いや、実際は普通に歩くだけのスペースはあるのだが、子供が走り回っていたり友達同士で固まって座っているなど障害物が多いのだ。だから青年は周りに神経を集中させながら人ごみの中を進む。

 その中で一ヵ所だけ開いているスペースを見つけることができ、そこに腰を下ろす。

 ヘッドホンを首にかけ、青年はいつの間にか黒く染まっていた空を見上げる。その青年の顔は表情こそあまり変わってはいなかったが、花火を楽しみにしているのが読み取れた。

 そして遠くから微かに聞こえてきた曲とともに夜空に一発の火の玉が打ち上げられ空の闇に消える。

夜空に大輪の花が咲いた。

その後少し遅れて辺りに爆発音が響き渡る。そしてそれを皮切りに海上から火の玉が一発二発と夜空に上っていき、様々な色の花火を咲かせていく。

「綺麗……」

 青年の近くに座っていた女性客が花火を見ながら呟く。

 そして海上からひときわ明るく燃える火の玉が打ち出され、遠くに見える塔の二倍くらいの高さの所で夜空に消える。

 火の玉が消えた下のほうで花火がいくつも上がっていたのだが、それを覆い隠すように特大の花火が現れた。

『おおっ!』

 その場にいる全員が声を上げた。青年も例に漏れず感嘆の声を上げた。それから先ほどより大きな爆発音が響いた。空気を震撼させ、まるで直接体内で響いているかのような音だった。

「すげぇ……」

 青年は小さく呟いた。しかしその呟きは花火が咲く音にかき消された。


 最初の花火が打ち上げられてどれくらいの時間が過ぎただろうか。

 花火が絶え間なく打ち上げられ、黒一色だった夜空を色鮮やかに染め上げる。

 中には空中でくるくる回転するものやハート型に笑顔マークなどもあった。

 赤や黄色、青や緑などたくさんの花火が夜空に綺麗に弾ける。それは青年の目にはとても綺麗に映り、ずっと見ていたいという感情に駆られる。

 だが、物事には必ず終わりの時が訪れるように、この花火もまた終わりを迎えようとしていた。

「でかいのが来るぞ!」

誰かが叫ぶ声がした。おそらく声の主が指しているのは天高く昇っている三つの火の玉のことだろう。

 三つの火の玉は上から順に消えていった。

 一瞬夜が明けた。

 しかし、実際には太陽は出ておらず周りもすぐに暗くなった。

 その後ドゴォ――ンという今日一番の爆発音が響き渡った。

 それから大きな火球が一発二発と連続で打ち上げられては、夜空に自分を強く主張するようにいくつもの大輪の花が咲き乱れていた。このとき青年は何も考えず、ただこの景色を瞳に焼き付けていた。


「……」

 花火大会が終了して帰路についていた青年はヘッドホンから聞こえるお気に入りのバラードを聴いていた。会場からあまり離れていないこの場所は少し火薬の臭いがして顔を少ししかめる。

「はぁ……」

 ため息を吐き出す少年の顔からは疲労が少し見えるがそれ以上に満足しているように見える。それは久しぶりに花火を間近で見られた嬉しさから来るものだろう。

 青年が夜空を見上げる。そこには先ほどの花火はなく黒い夜空に小さく光る星と淡く光る月だけだった。

「……」

 青年が瞼を閉じる。そこには色彩豊かな花火が映っていた。 

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