第6話 写真も貼れば壁紙となる


 屋敷を乗っ取ったヴァイオレットが真っ先にやったのは、関係各所に手紙を送ることだ。

 完璧令嬢らしく一通一通丁寧に、真心を込めて。送る相手によってレターセットやインクを変えた。

 それが五日前のことである。



「お嬢様、お手紙とお荷物が届いております」



 優雅に朝のティータイムを楽しむヴァイオレットの元に、侍女が音もなく歩み寄る。

 両手で持ったトレーには、手紙の山と小包みが一つ。ヴァイオレットは機嫌よくそれを受け取った。



「一、二、三………三十五、三十六。おや、二通足りないじゃないか」



 差出人名を確認しながら手紙を数えてみれば、出した数より少ない。

 その二通が、いったいどこか。すぐに分かったヴァイオレットは、ふぅんと鼻を鳴らし、そして笑った。



「まぁいい。あの程度で尻尾を出すようでは、こちらとしても狩りのしがいがない」


「よろしいのですか?」


「ああ、試しに軽く突いてみただけだからね。だが引き続き監視を頼むよ」


「畏まりました」


「だが、そうかぁ、まさかもう一通返ってこないとは……」



 ヴァイオレットは手紙の山から三通を選び出し、それぞれ封を開けた。

 三通全ての内容に目を通せば、全て自分の望んだ通りの言葉が綴られている。

 大変けっこう。なにせこの世には時は金なりという言葉があるぐらいだ。迅速に最善の選択ができてこそ、人の上に立つことが許される。

 しかしどうやら、一人、それができないくせに上に立っている者がいるようだ。



「リンゴはリンゴの木からしか落ちないとは、正にこのことだな」



 当然かと呟いて、ヴァイオレットはお茶を飲みながら開封した三通を見下ろした。


 それぞれの差出人は、貿易会社を設立し一代で財をなしたアトウッド子爵、国を支える柱の一本である宰相ことハミルトン伯爵、そしてこの国の頂点である国王。

 つまりは男爵令嬢に入れ込みヴァイオレットを糾弾した、ティモシー、ルシアン、そして元婚約者アレクシスの保護者達だ。

 内容はどれも『騒ぎを起こしたバカの処遇は好きにして構わない』とのこと。

 ヴァイオレットは先日王太后に追加されたルールを忠実に守り、彼らへの教育的指導をはじめる許可を各保護者に求めていたのである。


 結果、返ってきたのは三通。

 弟ヴィンセントについては家を出た父からすでに許可を得ているので、許可が下りたのは四人だ。

 だがしかし、愚かにも魔王に手を出し勝った気でいるバカはもう一人──オズワルド・シモンズがいる。



「シモンズ騎士団長殿は、ずいぶんと息子思いのいい父親のようじゃないか」



 ヴァイオレットはお茶受けのアップルパイにフォークを当てた。すると大した力もいらず、パイはざくりと両断される。



「ちょうど頼んでおいた品も届いたことだ。可愛い息子が幸せになるところを見せて、安心させてあげるとしよう」



 アップルパイは、一欠片も残さず魔王の胃に消えた。








 ティータイムの後、ヴァイオレットはとある屋敷を訪れた。

 一応は礼儀として早馬で訪問を報せていたとはいえ、急な訪問に変わりはない。しかしその屋敷の使用人達は玄関前で揃ってヴァイオレットを出迎え、玄関をくぐれば主であるグレンヴィル伯爵とその夫人に手厚く歓迎をされた。



「急な訪問、誠に申し訳ありません」



 今日のヴァイオレットは公爵令嬢らしい装い。スカートをつまみ上げて非礼を詫びようとすれば、慌てて伯爵が構わないとヴァイオレットを止めた。



「こうして君が我が家に来てくれて、私も妻も本当に嬉しいんだ。学園でのことは聞いたよ。君は私達にとっては恩人だ、できることがあれば何でも言ってほしい」


「お心遣い痛み入ります。それで、彼女の様子はどうでしょう?」


「あの子なら相変わらずよ。今は貴女が来てくれると報せを聞いて、用意を──」


「レティ!」



 夫人の言葉を遮る、弾むような高い声が玄関ホールに響いた。



「ああっ、ヴァイオレット!会いたかったわ!」



 階段を駆け下りてくるのはクローディア・グレンヴィル。この家の娘だ。

 艶やかな赤毛をなびかせ、まるで生き別れの家族に会えたかのような笑顔で両手を広げて駆け寄ってくる。その姿にやれやれと思いながらもヴァイオレットも軽く腕を広げた。

 すると次に来たのは衝撃と息苦しさ。ヴァイオレットはクローディアに抱きしめられ、その同い年とは思えない豊かな胸が顔に押し付けられたのだ。



「うぶっ」



 ヴァイオレット自身も実年齢とかけ離れた体型をしているが、クローディアの場合はツルペタ幼児体型とは真逆。ボンッキュッボンッに形を与えたらこうなりそうと思わせる、見事な女体美だった。

 自分にはないご立派な二山に顔を挟まれ、ヴァイオレットは思わず呻く。だがいつものことなので、特に慌てることもなくクローディアの背中を軽くタップして解放を促した。



「もうっ!レティ、あなたっていつも突然来るわね。大慌てで支度をしたのよ!」


「ごめん、ごめん。元気だった?」


「あなたが来てくれるって聞いて元気が出たわ」



 流し目で男を落としそうな色気ある容姿をしているのに、その笑みは幼い少女のそれだ。



「さあ、早く私の部屋に行きましょう。お茶の用意をしてあるの」


「そんなに引っ張らなくても、逃げたりなんかしないよ」



 妖艶という言葉の似合う美女がはしゃぎ、愛らしいという言葉の似合う少女の手を引かれながら嗜める。

 すべてがあべこべだが、それは二人にとっていつものことで、二人を見送る伯爵夫妻と使用人達にとっては見慣れた光景だ。驚く者も止める者もいない。

 ヴァイオレットとクローディアは、幼い頃からの一番の友人だった。



「そうだわ。ねぇレティ、アレクシス殿下とのことは本当なの?」



 公爵邸ほどではないけれど、十二分に広い伯爵邸。クローディアの私室はその最深部にあり、そこに用意された茶席につくなりクローディアが言った。



「おや、誰にどこまで聞いたんだい?」


「お父様から、殿下がレティとの婚約を解消すると宣言されたと聞いただけよ。お父様は……ええっと、誰から聞いたと仰っていたかしら?ガードナー伯爵?あらっスコット侯爵だったかしら?」



 忘れちゃったわと無邪気に笑う親友に、ヴァイオレットはお茶を飲んでから笑い返した。



「細かいことはいいさ。そうだよ、殿下から婚約関係の解消を言い渡されたのは事実だ」


「じゃあ殿下が……ええっと、なんて言ったかしら……なんとかっていう男爵家の妾の子と婚約するというのも本当なの?」


「殿下はそのつもりらしいが……。はてさて、あいにくボクはエミリー・マーシャル男爵令嬢と会話をしたことがないから、彼女の意思については知らないねぇ」



 まあ、あの場で黙っていたということは彼女も同じ気持ちなんだろう。たぶん。

 ヴァイオレットは数日前の学園での最後の夜を思い出し、そう言葉を続けて焼き菓子を一つ口に放り込む。

 それをモグモグと咀嚼し飲み込むのと、クローディアがテーブルに両手をついて立ち上がるのは同時だった。



「ひどい!」



 ガチャン、と茶器がひっくり返る。



「こんなにひどい話はないわ!」



 クローディアは両手で顔を覆い、立ったままわあっと泣き出した。

 それと同時にヴァイオレットは紅茶の水たまりの中からベルをつまみ上げ、水滴を払うついでに鳴らす。

 するとすぐに伯爵家の使用人達が足音もなく入室し、悲惨な状態のテーブルをてきぱきと片付け始めた。

 わんわんと泣く伯爵令嬢には、誰も声をかけない。



「レティは今までずっと王子妃教育を頑張ってきたのに!レティがどれだけすごいか、私は知っているわ!」



 ひっくり返った茶器。紅茶でぐちゃぐちゃになった焼き菓子。茶色く染まったクロス。すべてを物音ひとつたてずに撤去する。

 そしてこれまた物音ひとつたてずに、同じ白いクロスを敷き、バターの香りのする焼き菓子を置き、同じデザインの茶器にお茶を注ぐ。

 ズズーッと鼻水をすする伯爵令嬢には、誰もハンカチを差し出さない。



「それなのにどうして男爵家の、それも妾なんかの子に譲らないといけないの!こんなにひどい話はないわ!」



 クローディアが涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を上げて叫ぶ頃には、茶席は元通り、使用人達は一人残らず部屋から出ていっていた。



「グスッ……あら?わたし、さっき、おちゃを……あれ?」


「お茶がどうかしたのかい?それよりもディア、これで涙をお拭き」



 首を傾げるクローディアに、ヴァイオレットはハンカチを差し出した。

 そのハンカチは、使用人達が最後に渡してきたものだ。毎度毎度うちのお嬢様が面倒をおかけします、という意味で深々と頭を下げられながら。


 クローディア・グレンヴィルに、友人はヴァイオレットしかいない。そしてその唯一無二の友人を思うあまり、暴走するのは昔からよくあることだった。

 だからヴァイオレットも、使用人達も、その対応には慣れている。

 むしろ慣れすぎていて、昔はいかに早くクローディアを宥めるかが重要だったが、最近ではいかにクローディアに気付かれずに後始末をするかという方向にシフトしていたのであった。



「ヴァイオレット、あなた、どうしてそんなに落ち着いているの?悔しくないの?」



 止まらない涙に、ハンカチはぐしょ濡れ。

 ヴァイオレットは二枚目を手渡した。当然これも使用人達から渡されていたものである。



「悔しいもなにも、ボクは殿下を愛してなんかいないからね。昔からそう言っていただろう?」


「でもぉ……」


「ディア、落ち着いて考えてごらん。ボクは殿下を愛していなかった、それは向こうも同じだ」



 ヴァイオレットはにっこりと、優しい微笑みを浮かべる。



「つまりあれは、周りに強要された愛のない婚約。あのまま関係を続けていたら、ボクと殿下は、愛のない結婚をすることになっていたんだよ」



 瞬間、クローディアの涙が止まった。

 ヴァイオレットはさらに言葉を続ける。



「だが殿下は、血筋なんて関係なく、心から愛する人と出会えたんだ」


「心から、愛する人……」


「そう。由緒正しい公爵令嬢と、妾腹の男爵令嬢。誰だって前者を取った方が有益だと分かるのに、殿下は自分にとって不利益になろうとも後者を──真実の愛を選んだ」


「真実の愛……」


「殿下はその先が茨の道だとしても、愛する人と生きることを選んだんだよ。クローディア、これはとっても素晴らしいことだと思わないかい?」



 ゆっくりと、言葉の一つ一つを丁寧に、自分の計画通りに婚約破棄をされた魔王が歌う。

 すると美女の皮を被った純真無垢な女の子は、その言葉を反芻し────



「ええ、そうね!素晴らしいことだわ!」



 パァッと顔を輝かせて大きく頷いた。



「それじゃあレティは、愛し合う二人のために身を引いたのね!さすがだわ!あなたって本当に素敵!」



 ずっと立ったままだったクローディアは、ようやく椅子に座った。

 自分が泣き叫んでいる間に淹れ直されたお茶を飲み、ほうっと息を吐く。その頬はバラ色だ。



「周りに反対されながらも愛し合う二人。身分の差なんて関係ない真実の愛。ああ、なんて素敵なのかしら」


「次に殿下にお会いした時は、心から祝福して、二人の恋路の味方になってあげるといい」



 クローディアは立派な胸の前でキュッと手を握り、もう一度大きく頷いた。



「ところでディア、キミがボクから聞きたいのは、殿下のことではないだろう?」



 言いながら、ヴァイオレットは膝に乗せていたものをテーブルに置く。

 外出前に手紙と共に届いた小包みだ。配達中に解けぬようきつく結ばれた麻紐を解き、包装紙を開けば、さらに黒い箱が現れる。

 それを見た途端、クローディアは「もしかして」と期待に満ちた目で箱を凝視した。



「ボクが手ぶらで来るわけがないだろう」


「嬉しい!ありがとう、ヴァイオレット!」



 箱を受け取ったクローディアは、今日一番の、まるで誕生日プレゼントに大きなクマのぬいぐるみをもらった少女のような笑みを浮かべた。

 喜ぶ親友に、ヴァイオレットも笑む。──にんまりと。



「開けてもいい?」


「もちろん」


「どうしましょう、心臓がすごくドキドキしてる。この瞬間はいつも緊張してしまうわ」



 と言いつつ、クローディアはためらいなく蓋を開けた。

 そして響いたのは、



「あっ、あぁ〜イイッ!すごくイイわ!なんて素晴らしいのかしら!」



 真昼間の茶席、それも十代の貴族令嬢の茶席にあるまじき艶っぽい声だった。

 その声を上げた張本人は、声の通り少女ではなく女の顔。うっとりと光悦の表情で箱の中身を見る。



「気に入った?」


「ええ、とっても。私はお父様の言いつけで学園には入学できなかったから、中でのことは分からないもの。それを話で聞くだけじゃなくて、写真で見られるんですもの……本当に素敵だわ」



 箱の中身は、すべて写真。

 ヴァイオレットが──在学中に学園に放った撮影部隊が──撮った、百枚を優に超える写真である。

 しかし写っているのはヴァイオレットではない。

 もちろん枚数が枚数だけに写っているものもあるが、あくまで隅に写り込んでいる程度。中心に写るのは、すべて同じ人物だ。

 それを一枚一枚じっくりと、うっとりと見ていくクローディアの口から吐息が漏れる。



「いつ何時も凛々しくて、雄々しく、それでいて気品溢れるお姿。さすがオズワルド様だわ……」



 そう、箱の中身はすべてオズワルド・シモンズの写真。

 朝に寮の自室で目覚めた瞬間。着替え。食事。授業中。授業の合間に廊下を歩く姿に、騎士団長の息子らしく剣の鍛錬に勤しむ姿。入浴中に、トイレに、寝顔まで。一部は休日に街に買い物に行く様子や、学園内のイベントで着飾った姿もある。

 おはようからおやすみまでをおさめた、プライベートもへったくれもないオール盗撮写真である。



「学園に入学できたら、レティともオズワルド様とも、毎日一緒にいられるのに。私だけ仲間はずれなんて寂しいわ」



 そしてこのクローディア・グレンヴィルという伯爵令嬢は、オズワルドを深く深く愛していた。

 どれくらい愛しているかというと、



「でも困ったわね。せっかくレティがくれたオズワルド様のお写真なのに、もうこの部屋には貼る隙間がないわ」



 写真や肖像画、使用済み銀食器を標本のように入れた額などを、オズワルド関連グッズを私室の壁にびっしりと隙間なく飾るぐらいに。

 病的に、オズワルドを愛していた。



「はははっ、大丈夫だよディア。上を見てごらん。壁がダメなら、天井に貼ればいいのさ」


「まあ!私ったら、どうして気づかなかったのかしら。さすがはレティね!」



 名案だと、花の笑みを浮かべるヤンデレ令嬢。

 魔王の友人が、まともなわけがなかった。



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そして彼女は月に微笑む 三崎かづき @kaduki08

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