世界がおわる前に、きみと辿りたい幾つかの場所

祥之るう子

第三話 祈りのともしび

 木々が生い茂る山の中。

 かつては舗装された道路だったという道を走る一台の車。

 車内には一組の男女がいる。


 運転席で、オフロードに強い愛車のハンドルを握る青年――クロハ。

 その隣で窓の外を、少女のようなキラキラした瞳で眺めている女性――シラツユ。


 二人は今、海を目指していた。


 空は眩しいくらいの晴天。

 愛車の燃料も飲用水も、残量に余裕がある。

 これで、山の向こうの海まで道が続いているというのだから、行かない手はないと、シラツユが熱弁をふるったのだ。

「せっかくのお天気なんだし、絶対見に行くべきだよ!」

 シラツユの黒髪のポニーテールが揺れる。

「この辺りの海は汚染されていて、泳いだりできないぞ」

 少し困ったようにクロハが言った。

「わかってる! 見るだけだから!」


 この世界は、かつて大規模な戦争があり、その際に使われたバイオ兵器によって、大地も海も、手当たり次第に破壊され、汚染され尽くしたのだという。

 この辺りの海は、特にひどく汚染されたらしい。それでも、戦争が終わった直後よりは、時間の経過によりかなり回復したそうだが、海水浴を楽しめるような海にはほど遠い。


「ねえ、クロハ、お願い」

 シラツユは必死な瞳でクロハを見上げる。クロハはそれを横目でチラリと見て、小さく笑った。

「仕方ないな。見るだけだぞ」

「ありがとうクロハ!」

 シラツユは両手を上げて喜んだ。

 クロハは海水に近い砂浜ではなく、断崖絶壁の上の岬を目指すことにした。地図に、ちょうど良さそうな場所があったのだ。

 曲がりくねった道や、奇跡的に埋まっていなかったトンネルを抜けて、最後に坂道を上る。

 丘の上は視界を遮るもののない草原だった。

 空は青く澄んでいて、足元では一面に広がる緑が海風に揺れている。

 シラツユは車を降りると、崖のぎりぎりまで駆け出した。


「海だーッ!」

「危ないぞ」

 クロハは苦笑いをしながらシラツユを追う。

 二人の眼前には、一面の青色と、青色の中に浮かぶ小さな島々があった。空の青より濃い、海の青が、ときどき白い波を弾かせて、地平の果てまで続いている。地平線では空と海が混ざりあっているようだった。

「うーん……きれいだなー……」

 シラツユは両腕を広げて、思いきりのびをした。


 ずっとずっと昔、この辺りは海ではなく陸地だったらしい。バイオ戦争よりも以前の大昔に海水が上昇して、この辺り一帯が海に沈み、背の高い山の上だけが離島になって残ったのだという。


「ねえクロハ。あの島、なんだか他のと違うね」

 シラツユが島の一つを指して言った。

 クロハが見てみると、他の島よりも二まわりほど大きなその島は、周囲が切り立った崖になっていて、緑に覆われた中心部に、岩山が一つそびえ立っていた。

「そうだな」

「あれ、洞窟かなあ? 穴があいてるみたい」

 シラツユが目をこらす。

 遠目なのでよく分からないが、岩山にはいくつか洞窟のような穴が開いているようだった。

 クロハは双眼鏡を取りに戻ろうと、車の方へ振り向いた。


 ――その時。


「誰だ、お前たち」


 不意にしわがれた声が響いた。

 クロハとシラツユは、弾かれたように声の方を振り返った。

 そこには、男が立っていた。


 ――人?


 クロハとシラツユの旅で、人間に出会うことはほとんどない。

 場合によっては襲われて、荷物を奪われる恐れもある。

 クロハは、車から離れたことを後悔しつつ、素早くシラツユをかばうように立って、右手を木刀にかけた。

 男に、針のように鋭い視線を向ける。

 男はクロハより年上に見えた。白髪まじりの髪。肌は浅黒く、口許と眉間には深いしわが刻まれている。意思の強そうな眉と、こちらを困惑したように見つめている青い瞳。

 汚れたシャツと作業用の手袋、防水加工が施されていると一目で解る、黒く光る革のパンツとブーツをはいていた。

「お前たち、ナオが探してきた技術者……じゃないのか」

 男は、警戒心をむき出しにしているクロハに向かって、不安げに訊ねた。

「ナオ?」

 シラツユが呟いた。クロハは、少し大きな声を出した。

「何のことだ。俺たちはただの通りすがりだ」

 男は、クロハの返答を聞くと、目に見えて落胆した表情になり、がっくりと肩を落とした。

「何だ。ただの通りすがりか。ならば早く立ち去れ。海が汚れているのは知っているだろう」

 そう言うと、男はクロハたちに背を向けて歩きだした。

 クロハはまだ警戒を解かずに、男の背中を見つめていた。


「ねえ、クロハ」

 シラツユが男が歩いていく先を見るように促した。

 そこには、小屋と、丸太で出来たやぐらが見えた。そしてそのすぐ近くには、海に向かってのびる石の道があった。

 石の道は、大きな丸太で補強され、海の上へと続いていたが、途中で唐突に途切れていた。

 さらにその先を見ると、上半分が崩れてしまった太く大きな石の柱が、数本、点在している。


「――橋?」


 それらは、造りかけの橋に見えた。


「さっきの人が造ってるのかな? ねえ、行って聞いてみようよ!」

「えっ……おい、シラツユ……」

 危ないかもしれないぞとクロハが言うより早く、シラツユは車の助手席に乗り込んでしまった。

 先ほどの男は、こちらを攻撃してくるようなそぶりはなかった。少し話すくらいなら大丈夫かもしれない。

 クロハは、覚悟を決めて運転席に乗り込んだ。


 車を小屋の横に停車させて降りてみると、男は造りかけの橋の上にいて、大きな石を運んでいた。

 小屋の周囲には、男が持っている石と同じような形に削られた石が、たくさん転がっている。

「何だ。通りすがりだろ」

 男はこちらを見もせずに、ぶっきらぼうに言った。

「何してるんだ」

「見てわかんねえか。橋直してんのよ」

 クロハが声をかけると、男は作業の手を止めず、こちらを見もせずに答えた。

「橋って、あの島までかけるのか?」

「他にどこがあるんだ」

「この小屋に住んでるのか?」

「他にどこに住むんだ」

 全くこちらに見向きもしない男との会話に困り果てて、クロハはシラツユを見た。

 シラツユはクロハの隣から、男の背中をまっすぐに見つめて、問いかけた。


「ひとりぼっちで?」


 シラツユの声に、男の手が止まった。肩越しにこちらをちらりと見た。


「ひとりじゃねえさ」


「仲間がいるのか?」

 クロハが問うと、男は作業を再開しながら答えた。

「ここにはいねえがな」


「もしかして、あの島にいるの?」


 シラツユが瞳を輝かせた。男は再度手を止めて、今度は振り向かずに「どうかな」と呟いた。

「仲間って、さっき言ってた、ナオって人?」

 男は立ち上がってこちらを向いた。

「お前たち、手伝いに来たわけじゃねえんだろ。なら早く行け。ここの環境は生身の人間にゃ、良いもんじゃねえんだぞ」

「あなたこそ。そんな良くない場所で、どうして橋を造ってるの?」

「造ってるんじゃねえ。直してんだ。お前たちには関係ないだろう」

 男の言うことはもっともだった。

 男や橋の存在は確かに気になるが、クロハにとってはシラツユの安全が最優先だ。

 クロハがもう行こうと言おうとして、シラツユの肩に手をかけると、その手をぐいっとシラツユに引っ張られた。

「わたし、シラツユ。こっちはクロハ。あなたの名前は?」

「ナイジェルだ。さあもう行け」

 男――ナイジェルは、追い払うように手を振った。

「ねえ、あの島のこと、何か知ってる? その橋を直すの、少し手伝うから、あの島のこと、教えてくれない?」

「何だって?」

 シラツユの提案に驚いて声を上げたのは、ナイジェルではなくクロハだった。

「おい、シラツユ――」

「ねえ、おねがい、ナイジェルさん」

 ナイジェルも、驚いたように目を見開いてシラツユを見つめていた。


「シラツユ――」

「おねがい、クロハ」


 シラツユはクロハの腕をぎゅっと抱きしめて、まっすぐにクロハの瞳を見上げた。

 クロハはシラツユの瞳を見つめた後、天を仰いでため息をつき、そこでハッと気付いて、静かにシラツユの腕をほどいた。

 少し頬が赤くなっている。

「ナイジェル……さん。俺からも頼む」

「ありがとう、クロハ!」

 はしゃいでクロハに抱きつこうとしたシラツユの肩を、クロハはそっと両手で押さえて制止した。

「お前たち、本気か。物好きがすぎるぞ」

 ナイジェルが呆れたように言った。

「まあ、物好きだから旅をしてるんだ」

 クロハは照れ隠しにそう答えた。

 シラツユも隣で嬉しそうににこにこしている。


「仕方ないな。少し待ってろ」

 ナイジェルはそう言うと、小屋に入っていった。

 クロハはこの隙に車のエンジンを切った。

 少しして、ナイジェルはクロハに作業用の手袋と前掛けを持ってきた。

「作業をするならそれを付けろ」

 クロハが前掛けと手袋をつけている間に、ナイジェルは作業に戻ろうとしていた。

「ねえ、わたしは?」

「その辺で見張りでもしてろ」

 要するにシラツユは休んでいろということらしい。

 シラツユは物珍しそうに、キョロキョロと周囲を見渡している。クロハは楽しそうなシラツユの表情を見て、こっそり目を細めた。




 それからクロハは一心不乱に作業を手伝った。

 重く頑丈な石を運んで組み合わせ、粘土に水を混ぜたようなものを塗って、また次の石を運ぶ。かなりの重労働だった。

 結局シラツユも「何かしたい」と言い出したので、ナイジェルは小屋の裏側に畑とハーブの鉢植えがあるからと言って、食事の支度を頼んだ。


「さすがに海の中のもんや、それを食べてる鳥なんかは危ないが、大分汚染もマシになってな。あの畑の土は山の上から移動してきたものだし、水は山から湧き水をひいてきた井戸がある。まあ、食っても問題なかろう。無理にとは言わないが」

 ナイジェルはシラツユが淹れてくれたハーブティーを飲みながらそう言った。

 クロハは自分の手の中のカップを見つめて、ナイジェルと同じように飲んだ。爽やかな苦味だった。

 ナイジェルとクロハは造りかけの橋の先端に腰掛けて、離島をぼんやりと眺めながら休憩していた。

「お前たちは旅をしているのか」

「ああ。世界をまわっている」

「そうか。いろいろ見たろう」

「ああ」


「ナオ……という女に会わなかったか?」


 ナイジェルは青いガラス玉のような瞳に、オレンジに染まり始めた空を映して、カップを両手に握りしめていた。

「さっき、言っていた名前だな。どんな外見なんだ」

 クロハも、あえてナイジェルの横顔を見ないように、離島を見たまま言った。

「ナオはな、お前の連れの子と同じ色の髪でな。短い髪だが。瞳は俺と同じ青で、見た目はお前くらいの年齢だ。やる気と気合いのかたまりみたいなヤツでな。何がなんでもこの橋を修復するんだと、毎日息巻いてた」

「そうか」

「だがな、橋の修復が終わる前に、俺たちの方に限界がくると焦りだしてな。誰か、自分たちを助けてくれる人間――技術者が生き残っていないか探しに行くと言って、止めるのも聞かずに出ていってしまった。もう何年も経つ」

「そうか。残念だが……」

「いや、いいんだ。妙なことを聞いて悪かったな」

 そう力無く言ったナイジェルの瞳が、寂しそうに空になったカップを見ていた。



 手伝ってくれた礼だと言って、ナイジェルは、夕飯に畑でとれた希少な野菜やハーブを提供してくれた。

 新鮮な野菜のサラダとスープは、本当に美味しいごちそうだった。

 井戸があるから飲用水も豊富。

 なんという贅沢だろう。


 ナイジェルは食卓に着くと、胸の前で手を合わせて何かを呟いた。シラツユが慌てて真似をする。クロハはナイジェルが何を呟いているのか聞き取ろうとしたが、聞こえなかった。

「ナイジェルさん、ありがとう」

「こんなにいただいてしまって、すまない」

 クロハとシラツユが揃って頭を下げた。

「気にするな」

 ナイジェルはぶっきらぼうに答えた。

「助かったのはこっちの方だ。俺ひとりじゃ、食糧も消費しない。それよりお前さんたち、あの島の話が聞きたいんだろう」

「あっ、うん!」

 ナイジェルの言葉にシラツユが身を乗り出した。

「この後、大事な仕事がある。その時に話そう」

「うん! わかった!」


 食事が終わると、ナイジェルはなんと風呂を用意してくれた。

 ナイジェルの小屋から少しだけ歩いたところに、もうひとつ小屋があり、そこは浴室になっていた。

 円筒形の浴槽の下にかまどがあり、浴槽の底には、木でできた踏み台のようなものが取り付けてあった。


「いい気持ち!」

 クロハがかまどの様子を見ていると、頭上からシラツユの明るい声がした。

「でもなんだか、お料理されてるみたいだね!」

 シラツユがパシャンと音を立てて顔をのぞかせた。鎖骨のあたりまで白い肌があらわになる。

 クロハは慌てて目線をかまどに落とした。

「どうだ、熱くないか?」

「大丈夫、ありがとう! そろそろ交代するね!」

「あ、ああ」

「このお風呂も、畑も、小屋も、きちんと一人で管理して、あの橋も直してるなんて、ナイジェルさんすごいなあ」

「相棒が今、人手を探して旅に出ているそうだ」

 クロハは、炭になった薪をつつきながらポツリと言った。

「あ! ナオって人だね! じゃあその人がいつ帰ってきてもいいように、頑張ってきれいにしてるんだね」

 シラツユはそう言いながら、小屋の天井近くにある窓を眺めた。

 ガラスが劣化していたが、それでも月のない夜空に星が煌めいているのがわかった。



 入浴の後、ナイジェルはクロハとシラツユを、小屋のとなりにあるやぐらの上に案内した。

「今日はここで寝るといい。元々は見張り用の場所だったんだが」

 何やら細長い棒のようなものと燭台を持ったナイジェルが言った。

 丸太で造られたやぐらの上は、見張り用の場所だというだけあって、壁も窓もドアもない、解放的な場所で、昼間ならばかなり遠くまで見渡せそうだった。

 四角い空間には、簡素な木製のベッドがあった。ベッドの上には、乾燥させた植物を敷き詰めて、上に布をかけた簡易的な布団まであった。

「わあー! 何から何までありがとう!」

 シラツユは感激して、礼を言った。


「さて。約束の島の話だな」


 ナイジェルはそう言うと、燭台を持って離島が見える海側の手すりの方へ移動した。



「あの島にはな、神様がいるんだそうだ」


「カミサマ?」


 クロハとシラツユにとっては聞き慣れない言葉だった。

 ナイジェルは真っ黒な海を見つめたまま続ける。

「神様さ。知らないか。シューキョーと言う文化らしいが」

「宗教。信仰というヤツか。それなら何となく知っている」

「何となく知ってりゃ充分だ」

 シラツユはよく解らないのか、首を傾げていた。

「大昔の戦争より前、あの島には神様に祈るための建物があって、そこに暮らしている人間がたくさんいたんだそうだ。こっちの岸にも大勢人間が住んでいて、数日に一度はあの島に通って神様に祈ってたんだそうだ」

 そう言うと、ナイジェルはしゃがみこんで足元からあの細長い棒を取り出した。

 先端に円い筒が取り付けられていて、筒の下からひもが一本出ている。

「しかしな。あの戦争で橋が壊されてしまった」

 ナイジェルは立ち上がり、暗闇を睨み据えた。

「海は戦場になり、孤立した島に取り残された人間を助けようにも、船という船は燃やされて沈められた。誰が乗っているのか、何の為に乗っているのか、船の大きさ、全て無関係に無差別に。それはもう、ひどい光景だったそうだ」


 ナイジェルはまるで戦場を見てきたかのように語った。

 シラツユは固い表情でくちびるを噛んでいる。

 クロハがそっとシラツユに寄り添うように立つと、二人の手が触れた。シラツユは弱々しく、クロハの手に指を絡ませた。

 クロハは、そのか細い指をきゅっと握り返した。


「ようやく戦争が終わると、生き残った人間たちは何とかしてあの島に行こうとした。そして俺たちの祖先を集めて橋を直すことにしたんだが……。作業は難航した。津波や、巨大魚まで現れて、直しては壊され、直しては壊されの繰り返しだ。仲間も、どんどん減っていった」

 ナイジェルの声は、乾いていた。それが余計に寂しさを感じさせた。

「それでも……」

 クロハは、我知らず呟いていた。


「それでも、あきらめないんだな」


 クロハの言葉に、ナイジェルは答えなかった。


 不意に、真っ黒な海の上に、オレンジ色の光が灯った。


「えっ?」


 シラツユが驚いて駆け出し、手すりに手をついて身を乗り出した。


「今夜は月がないだろ」


 ナイジェルがそう言う間にも、灯りはひとつふたつと増えていく。

 あの離島の、岩山の洞窟から、灯りが漏れているようだった。

「ちょっと下がってな」

 ナイジェルにそう言われ、シラツユはクロハのところまで下がった。

 ナイジェルは手に持っていた棒を、夜空に向けて斜め上に構えると、先端の筒から出ているひもに、燭台の火を点けた。

「えっ!」

「何をっ……?」

 クロハとシラツユが驚きの声を上げる間もなく、火の点いた筒はバチバチと音を立て火花を散らした。


「月のない夜はな。祈りの夜なんだ」


 ナイジェルが言い終わると同時、ヒューンと音を立てて、筒から光の矢が暗闇に放たれた。

 光は弧を描いて、ほんの数秒闇を照らして、暗い海へと消えていった。


「祈りの夜?」


 シラツユの問いに答えるように、対岸の離島の岩山の洞窟から、ヒューンという音がして、光の矢が放たれ、闇を切り裂いた。


「びっくりした……でもすごい……キレイ……!」

「ああ」


 二人はナイジェルの隣に立って、海に浮かぶ灯火を眺めた。

 ナイジェルは食事の時と同じように、胸の前で手を合わせた。今度は無言だった。


「あの島にも、人がいるんだね」


 シラツユが呟いた。

 

「どうだかな」


 顔を上げて応えたナイジェルの声は、穏やかだが、寂しそうだった。


「あの島には、神様に祈ってる、俺みたいなヤツがいて、こうやって俺の祈りに付き合ってくれてる……俺はそう信じてる」


 そう言って、ナイジェルは泣きそうな顔で、微笑んだ。

 クロハが初めて見たナイジェルの笑顔だった。


 三人は並んで、静寂に戻った海と、闇を照らすオレンジ色の灯火を眺めた。

 人々の祈りのように、静かに、ひっそりとした、それでいて心に希望を灯す光を。




 翌朝、クロハとシラツユは旅を再開する為、愛車に乗り込んだ。

 ナイジェルは燃料と飲用水、少しの食糧を分けてくれた。

「俺には必要ないからな」

 ナイジェルは運転席の窓を覗きこんで、クロハに微笑んだ。

「ひとつ、頼みがある」

「何だ?」

「もし、ナオに出会うようなことがあったら、伝えてくれないか。俺は、世界が終わるまでずっと、ここで待っていると。だから、世界が終わる前に、帰ってきてくれと」

 そう言ったナイジェルの笑顔は、昨夜よりは、明るかった。


「俺は、世界が終わる時は、ナオと祈りたい」


「わかった」


 応えたクロハに、ナイジェルは歯を見せて笑った。



 ナイジェルと別れた二人は、愛車に乗って次の目的地を目指す。

 ナイジェルが、昔の仲間が持っていたという古い古い古文書のような地図を、クロハにくれたのだ。

 現在地よりはかなり南の土地の地図らしいが、太古の時代、都であった場所の地図だという。

「昨夜の、キレイだったね」

 シラツユが古地図を広げながら言った。

「ああ」

「こんな珍しいものまでくれて、ナイジェルさん、本当にいい人だったね」

「ああ」

「でも、海に来て人間に会うとは思わなかったなあ」

「ん?」

 クロハはシラツユの言葉に違和感を覚えた。


「シラツユ。もしかして、気付いていないのか?」

「ん? 何が?」


 クロハはハンドルを操作しながら、小さくため息をついた。


「ナイジェルは人間じゃない。アンドロイドだ」


「えっ……?」

「瞳とか肌の質感がちょっと無機質だったろ。それに、ナイジェルはずっと『自分たち』と『人間』を区別して話してた」

 シラツユはぽかんと口を開けて、クロハを見ている。

 クロハは、ちらりと隣を見て思わずふっと吹き出した。

「ナオというのも、女性型のアンドロイドだろう」


「ええーーーーーーーっ」


 シラツユが大声を上げた。

「いっ、いつから? いつ気付いたの? 何で教えてくれなかったの?」

「最初から。シラツユも気付いてると思ってたんだ。ごめん」


 愛車はガタガタと揺れる山道へと入っていく。

 次の目的地は、ナイジェルに貰った古文書の都市。まずはどこか落ち着ける場所で古い時代の文字の解読をしよう。


 今も信仰を守り続けるアンドロイドは、今日も石を組み上げる。

 今日も昨日と同じ日々を繰り返す。

 最愛の存在を待ちながら。


 例え、世界が終わる前に橋が出来上がらなかったとしても。


 そして、クロハとシラツユの旅は続く。

 今日とは違う明日を、世界を辿るために。


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