第十三章 かがやく宝石のように

 もう一度、と声を張る先生の後ろで、もじもじと指先を擦り合わせた。

 窓の外、すぐ前の通りはすっかり街路樹の葉っぱが落ちて道を彩っていて、透かし見る太陽の光はあたたかそうなのに、吹き抜ける風の冷たい、季節の移り変わりを感じるある午後のひととき。

 今日のお菓子は、私の家の近くにある和菓子屋さんの新作だった。冬に向けて星空をテーマにしたものを作ろうと、青や緑といったゼリーにも似た砂糖菓子。琥珀糖と言うんだよと教えたときの先生の両目は、色は良く分からないけれどたしかにきらきらと光って見えた気がした。

 それが今は、あの数分前よりも輝かせて、この高音はプリマ・ドンナも顔負けだ、とか、ここのテノールとのハーモニーはまさに空にかかる橋のように綺麗に交差していて美しい、とか、ただ褒められるだけよりもくすぐったいような賛辞を並べ立てて液晶画面の前で盛大に溜息をついている。

 それだけじゃなくて、

「うん、いいね。アーサー、もう一度、最初から」

 はじめからさいせいします、という合成の声のあとに、場面が切り替わってまた私たちのクラスが舞台袖から出てくるシーンが再生される。

「それにしても、聞けば聞くほどメロディも歌詞もいいね。若者の特権と言わんばかりの輝きと決心が合わさって――」

「あ、あの、サリエリ先生?」

「うん? どうしたのかな、アンナ」

 思い切って持ち上げた頭と、ひとつきり手をつけていない琥珀糖。こんなことになるなら、今日くらいは温かいおやつにすれば良かった。あんまんとか。

「ええっと……合唱コンクールはもうお腹いっぱいなので、先にお菓子を食べてもいいですか?」


 おかげでやっと紅茶に口をつけて、藍色の琥珀糖をひとつ、口の中に放り込む。

 周りはすこしシャリシャリしていて、中は少し硬めで、食べてもやっぱり宝石に似てる。小さい頃、絵本の中に見た宝石を「食べたらどんな味がするのかな」と想像したことを思い出す。「きっとたっぷりのおさとうが入っているんだ」って。

 お店の人には、お家でも作れるからと簡単なレシピを教えてもらった。色を付けるのは食紅の他にはかき氷のシロップでもいいらしい。そういえば、今年の夏のあまりがここのキッチンにあるはず。

「せっかくだから、私も作ってみようかな」

「それはいいね。こんな綺麗なものを作り出せるなんて、それこそ特権だ」

 私が口に入れるたびに、サリエリ先生が満足げに頷いている。その向こうでは、あきらかに硬い笑顔で歌う私の大写し。流れているのは合唱コンクールの自由曲だった。


 ……BGMの代わりにするには少し居心地が悪いけれど、どちらも喜んでくれているのなら私だって嬉しい。

 ふと目を離していたのに気づいて、見上げた先ではやっぱり先生も画面を振り向いている。

 このテレビも機材も、奏くんがわざわざ運んで設置してくれたもの。ビデオを撮ってくれたのも奏くんだけど、先生だって当日はわざわざ学校まで聴きにきてくれたのに。

 人がいっぱいの体育館にオルゴールを持っていくのは少し怖い気がして、それを先生も理解してすんなりお留守番を選んだのだと思っていたのに、実際は奏くんが気を利かせてクッションでくるんで大切に連れてきてくれていたのだった。

 見つけたときはさすがにびっくりしたけれど、おかげで緊張も全部ふっとんでしまった。あの日のことを尋ねても先生はけろっとしていて、実際に聞けて良かったと満足そうで、結局学年優勝だって届かなかったし、あれからもう一か月は経つというのに今でもこうして録画した映像を繰り返し再生しては喜んでくれている。


「いいねえ、よく感情が込められているね」

「飽きないの?」

「全然。しかもラジオと違って何度も聞けるし、何より今の僕の教え子の晴れ舞台だからね」

 その言い回しがしっくりこなくて、砂糖菓子一個分の間が開いてしまう。

「教え子……もしかして、私?」

「他に誰が居るんだ。まさか、師と仰ぐほど教わったものがないという話かな」

 先生はわざと胸を押さえて、よろよろとテーブルに腕を突くまねをした。もちろん実際はすり抜けてしまうから、よく見れば絶妙に空中に浮いたまま。

 それでも私は先生の悲しげな仕草に慌てて首を振る。

「それはないです! すごくすごく教わってる!」

 実際に、先生が居なかったらパートリーダーにさえ選ばれていなかった。それならきっと学年順位1位だって、私のクラスが選ばれることはなかったかもしれない。

 ううん、もしかしたら、学校にだって、教室にだって。

 考えればきりがないくらい、音楽の授業がなくたって、この書斎で先生と過ごすことは私にとっての特別だった。

 だから、それならいいけれどと演技をやめて、いたずらっぽくにこりと笑う先生につられて、静かに深呼吸をする。


 お出かけが平気なら、近所の公園くらいまでなら大丈夫なのかも。次は、例えば春が来て花がいっぱい咲くようになったら連れて行ってあげたい。

 そう考えると少しだけ、これからくる冬の寒さが残念な気持ちがする。


 ――僕らの出会いを誰かが別れと呼んでも――


 テレビの中で私が、スポットライトに切り出されて立っている。

 まっすぐ前を向いて大きく口を開いて。案外こうしてみると、それっぽくなるものだなあと小さく頷いてみる。

 まるで先生のおかげで、私じゃない明るくて元気な別の誰かみたいだ。

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