『 』
空白の世界に、立っていた。
「……?」
此所は何処だ、と問うても、答えてくれる者は居ない。
一寸先も、全てが白の世界。
記憶があるのは、黒かばんとの戰いで意識を失ったとだけ。
「……、」
ポクッポクッポクッ……と、首を傾げ悩む。
重傷で、意識が失う。
それが示す答え。
「……俺、死んだの?!」
突飛な声が彼の口から放たれていた。
「う、嘘だろ?! かばんちゃんは!? あの世界は!? アイツは!? ど、どうなってるんだ!? いやいやいや、し、死ぬのはマズいって!! な、何とかならないかな……えぇ~~……」
死んだにも緊張感が無いその言葉の数々。
受け止めきれない程の何かがあるからこそ、焦り迷う。
でも。
死んだ気がしない。
それが唯一悩む一つの答えだった。
「どうなってんだー……なんというか、自分の血が通ってる感覚も、躰もバリバリ元気だし。全体的に前のあの浮遊感が無いっつーか……」
夢とは違う。
何処か、生きていると実感させられるようなその状況に悩みつつ、彼は自分のことを見渡す。
「右腕は、無いよね……でも足とか躰は全部元通りだし……あっ」
ふと目に付いたのは、歯車のネックレスだった。
微量ながらに、透明な光が溢れ出していた。
彼は、その歯車にそっと、手を伸ばす。
そして、数ミリまで近づいた瞬間だった。
バチィィッッ!!
「痛ッ?!」
電気のような物が、指先から走った。
その時だった。
頭の中に、妙なイメージが浮かび上がったのだ。
『――――――』
何か、記憶の奥底に眠っていた何かが、膨れ上がってきた。
『シロは向こうから来たの?』
『違うよ……向こうには俺の住む場所はない、どんなに海を越えても俺は向こうでは住めないんだ』
『どうして? それならなぜ海の向こうをずっと見ているの?』
『わかんない……』
『じゃあシロはどこから来たの?』
『遠い… とても遠いところ』
『私でも行けるかな?』
『いや、無理だよ……本当にすごくすごく遠いんだ』
「……これは」
彼は、何か抑えきれない感情が奥底から込み上げてくるのが解る。
何かを忘れていたような、嘗ての小さな出会い。
その何かを観た瞬間、彼はまた歯車に手を伸ばしていた。
まるで、何かに呼ばれるように。
バチィィッッ!!
『サーフィン上手いですね? 本当に研究員なんですか?』
『俺ぁこれでもバリバリのインテリよ! ギャップ萌ってやつだぜ!』
『それ、自分で言いますか……』
『なぁところでシロちゃんよぉーお? あれ見てみろよ?』
『みんながどーかしました?』
『いんや、若いんだからさー? どの子がタイプかと思ってよ?』
『えぇ……』
『いるだろー?』
『やめてくださいよ!急にいわれてもなんて答えたらいいか……』
『ほらいるんだろう? 今をトキメク若いもんがそんなんでいいのかー?』
『イヤ本当にオジサン臭いなアンタ!!』
誰かが、居た。
そこに誰かが確かに居た。
顔に靄が掛り見えない。でも、その記憶は確かに……何かあったはずだ。
何処かで、誰かに会った筈なんだ。
彼は、自分の記憶の奥にある何かを探る為に……今度は歯車を掴み取った。
三度目の衝撃に、痛みは無かった。
嘗て、夢を見たと……思っていた。
途方も無く現実味の無い、時間の逆行。過去へ飛んだあの日。
その時に出会った、友。
『遙か未来から来た友よ……』
思い出した。
全てを思い出した。
その瞬間、胸元の歯車が紐をすり抜け、シロの前に浮遊する。
歯車は機械が作動したかのように回り出し、光が飽和し始めた。
その光は段々と、何かを型作り始める。
その姿を知っている。
俺を信じて、俺に預けてくれた人。
シロにとって、人生の些細な断片であっても、忘れられない瞬間。
奇蹟を目にしていた。
何故なら、目の前に立っている人間は既に居ないはずだと、既に死んでしまっているのだと……思っていたから。
「久しぶりだな、未来の友よ」
「なん……、で」
言葉が出なかった。
こんな場所で出会うなんて思いもしなかった。
色々と聞きたいことは山程会った。それ以上に全てが喉元でつまり、言葉が出なかった。
突然の再会に、言葉が出なくなってしまったシロを差し置き、彼は告げた。
「シロ……いや、―――。君はこんな所で諦めてしまうのか?」
「……っ?! 諦めきれねぇよ。明日が哀しい世界に染まることも、誰かが泣いている姿を見るのも……それ以上に、もうかばんちゃんに出会えないことが一番辛い。だから、諦めたくないよ」
「フッ……その、諦めの悪さは父親譲りなのか……いや、八方美人、浮気性?」
「こ、此所に来て親父の話振り返さないでくれって!! つか、やっぱ親父そういう節あったんだな!!」
「何、父親の悪い部分だけ譲り受けている訳でも無いんだ。……さて、そう長く話してもいられないな」
「……真逆」
青年は、何処か遠くに振り向く。
シロもまた、その方向へと目を寄せる。
「私は今や故人。人としての生を終えた私に、未来をどうこうするつもりは無い。だが、君と彼女の戰いは世界の行く末を決める。どちらが正しくて、どちらが間違いか……それは言わずとも、勝者が決めることだ」
「……あぁ」
それを言われれば、シロは負けている。
彼女の策、その無限の風呂敷に追いつけなかったからこそ此所に居る。
「無論、死人としては、だがな」
「は?」
「お前には借りがある。お前だけじゃ無い。お前ら親子には返しきれない程の借りが、な」
ふっ、と。鼻息と共に彼はニヒヒッと口角だけを上げ不敵に笑む。
「それに私は負債を直ぐに返済したがるタチでな、ローンという物には中々抵抗がある故に常に一括払いさ」
「……は?」
訝しげにその怪しい笑みを浮かべるシロに、彼は向き直り、シロの手を取りその掌に歯車を置く。
その手を彼はシロの手に収め、その拳の上から手で包み込んだ。
「光は絆だ。誰かに受け継がれ、誰かを導く」
突如、視界が揺らぐ。
「クッ……ま、待ってくれ!!」
意識が揺らぎ、倒れ込むようにして彼の意識は消えていった。
真っ白の世界に、白衣の男が唯一人残された。
「……、」
その背中は、虚空を見つめ上げている。
そんな真っ白の世界で、彼の躰は光の粒子に還り始めた。足下から光の粒子と躰が消えて行く中、青年は何処か満足そうな顔で、小さく鼻で笑っていた。
「あぁ、私はどうにも未だ……人間を捨てきれないようだ」
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