第四節

   1


 天を登る黒龍のように荒れ狂うサンドスター・ロウの竜巻。

 彼女へと収束し続ける暗き闇の群衆は、留まることを知らない。


「何が、起きてるんだっ!?」

 目の前で起きている現象に、言葉が出ない。

 視界が開けても尚、その状況を把握出来なかった。


 ただ、解るとこと。

 それは、きっと此所からは生半可な覚悟では立っていられないという事。

 きっと奴は、本気だ。

 プライドとか、純粋な悪としてとか、きっとそういう綺麗事を捨ててきた。


 勝ちたいという、純粋な欲求だけが、彼女の枷を外した。

「アアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァ――――――――――――ッッッッ!!」

 奥から豪風の音を裂いて聞こえてくる絶叫。


 きっと、本当に、ここからが本番だ。


   *


 賭けだ。

 黒かばんは、急速に取り込む闇の中で、一人思い至った。

(これは賭けですネ。自分の中にこんな膨大なサンドスター・ロウ、入れ込んだことなんか無イ。それこそ、自我を失って暴走する可能性を避けたかったのですガ……)

 荒れ狂う暴風域の中で、その隙間から見える白き衣の獅子を見据えていた。

(嗚呼、やっと解っタ。今僕は、負けたくないと思ってル。それも、必死ニ……)


 敵が、いる。

 倒したい敵が居る。


 今までの自分とは違う。

 本能を尖らせ、研ぎ澄ませようとした、あの瞬間。そのギリギリの境界で勝利を掴むあの高揚。その為に、相手となるべく同等の力にまで抑え、殺戮を愉しんでいたあの瞬間。

 でも、違う。

 黒かばんは、今純粋に勝ちたかった。


 今までの、己の欲を満たす敵とは違う。

 自分を否定する世界その物。


 名を、シロ。

 奴を、今持てる絶対の力を持って屈服させたいと、危険を知っていても、顧みずにそこに躰をねじ込みたいと。


 かばんとした戰いは、生物を賭けた本能の戰いだった。


 でも。

 それでも。


(純粋なパワーが欲しイ……)

 喉から手が出る程に、欲しい欲望、渇望。

世界きみを組み伏せる、純粋な力が……欲しイッッッ!!)


 その願いを叶えるべく、彼女は今、全てを賭に出た。


   2


 全てが、収束した。

 怒濤に荒れ狂う竜巻が一瞬にして消え、彼女が居た場所には純粋に真っ黒な球体があった。


「……、」

 何があるのか解らず、身構えるシロ。

 先程までの轟音が一変、静寂に変わっている。


 異様なまでの静けさに、彼は胸の奥から鳴る鼓動音が耳元に届いていた。


 ……ピシィッ!


 真っ黒の球体に、亀裂が走る。


 ピシィッ! ……ピシッピシィッ!!


 亀裂はその部分から一帯に渡り走り抜け、そして、遂にはパキパキパキィィッ!! と内側から破る者が現れ出でた。

「……なッ!?」

 シロは、その眼を大きく見開いた。


 亀裂から、腕が伸び、殻を破る。

 人が一人通れるような程に球体が半壊すると、その無限の闇のような空間から、少女が産声を上げて、姿を現した。

「……ぁぁァ」


 躰は、変わらぬかばんベース。

 だが、先程までセルリアンと同質的だった半透明の肉体は、漆黒とも言える真っ黒で透き通りなど無い肌。左肩辺りから円状ノコギリの刃のような物が、胸上から背中の腰まで吐出して伸びている。

 単純な見た目だけでは、それ以外に違いは無かった。


 だが。

(………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ッッ!!)

 まるで、自然と一体化したかのような、静けさ。


 だが、その中に潜む、今までとは全く違う異質。

 そこに居る。

 確かに居る。


 なのに。

「………………ラァァッッ!!」

 シロは、その感覚を無理矢理に押し出そうとする。

 野生解放を限界まで発揮し、光の粒子を放出し、集中力を高めた。


 ザッ。


 一瞬。

 集中はしていた。

 神経も、張り巡らせていた。

 劣っていた瞬間は無い。


 なのに、何故、そこに居る。

 なのに、何故、すり抜ける。


 音も無い、空気が押し出される感覚も無い。

 まるで、その場にゆっくりと来たかのように、黒かばんはシロの背後に佇んで居た。


「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ぁ」


 声が漏れたのは、きっと気が付いて何秒か経った瞬間だった。

 全ての機能が、その瞬間遅延していた。

 声が漏れ、そして、背後に振り向く。


 全神経が感覚に追いつき、全力で後方へと向き直ったのだ。


 だが、彼女は背を向けて経っているだけ。

 振り向かず、彼女は吐き捨てる。

「初めましテ、シロさン」

 ゆっくりと、彼女は振り向く。


 先程の、嘲笑う顔では無い。

 まるで、中庭で無邪気に遊び、親の声に振り向いた娘の、純真無垢な笑顔。若しこれがかばんの上げる笑みであれば、なんと美しく純粋だろう、と言えただろうか。

 敵意が、見えない。


「僕のこト、忘れてなイですよネ?」

 価値観が、一八〇度ひっくり返る。

 善が悪に見え、悪が善に見える。真に、今その体現のようだ。きっと、彼女の行いは許されてしまう。そんな淫靡な香りが漂うような、本当に、悪という存在が悪を発さずに立っている。


「おヤ、そんな強ばらないで下さいヨ。貴方の好きナ、かばんですヨ?」

「……気色の悪い冗談は、やめてくれよ」

「まぁ、酷イ! そんなこと言うなんテ、シロさんは酷い人でス!! ……って、彼女はそんな事言いませんカ」

(……あ、れ?)

 シロは咄嗟に構える。

 構えていたはずなのに、構え直す。


「この姿ハ、僕にとってハ好ましくないのですけド」

 また、構え直す。


 なのに。

「でモ、こうでもしないト、勝てませんからネ。なのデ……構えないト、危ないですヨ?」

 言われて、また、構え直した。


(な、何でだ!? 集中しろ!! 集中するんだ!!)

「時ニ……」

 焦る彼を差し置いて、彼女は突如何かを語り出す。

「子連れのライオンハ、生まれたての子供に牙を剥くと思いますカ? 家族ニ、刃を突き立てたりしますカ?」

 ゾッと、する。


 認識その物が歪んでいたのだ。

 目の前の存在に敵意を感じない彼は、無意識下で戰闘状態を解いてしまっていた。その虚無に向かって構えているような感覚は、何も意味を成さない。


 だから。

「なラ、せめて構えられるようニ、敵意を教えて上げましょうカ?」

 一言、発した後。


 認識が置いて行かれた。


「………………………………………………………………………………………………………ェ」

 いつから、シロは……此所に居る?


「……ッッガッ、オゴッゴホッバッッ!?」

 脇腹に走る激痛。

 全てが遅れて理解した。


 いつの間にか、彼女の真正面に立っていたはずのシロは、数十メートル先の大岩に躰をぶつけていた。

 迫り上がる吐き気と痛みが、頭の中を掻き回す。


 そして、理解した。

 今の黒かばんは桁違いの話では無くなっていた。

 次元さえも違う。


 比較にならない物を比較しようとしている気分だった。


 立ち上がり、前を向けば、彼女は優雅に歩み寄ってくる。

 だが、その一撃で十分だ。

 覚悟は、決まった。


 ビュォォォンッッッ!!

 シロは空を切り、一気に加速する。

 振り上げた拳を、彼女の顔面目掛けて振るう為だ。


 轟ッッ!!


 拳が、炸裂した。

 筈なのに……。


「…………………………………………なっ?!」

「驚いてばかリ、ですネェ」

 何一つ、動かない。

 脚も、顔も、まさしくクリーンヒットしたはずが、彼女はそこに固定されているかのように一寸も動かなかった。

「チッ!!」

 シロは、拳を離し蹴りにシフトチェンジする。

 ガゴガゴガゴガゴッッ!! と、彼の脚から連続的に蹴りが打ち込まれた。脚に、腰に、頭に、腕に、腹に、背中に、肘に、首に、膝に、全てに。


 連続蹴りの応酬は止まらない。

 なのに、地面からも、腕も脚も首も躰も……一切が不動。


「……ハァ」

 数々の応酬の中で、黒かばんは表情を一変すること無く、小さく溜息を吐き捨てていた。


 そして。

 ギュジャギチギチギチギチギチィィィィッッ!!

「――……ァッッ!?」

 シロの意識が、一瞬飛びかけた。

 彼女の足が、彼の腹部を蹴り上げていた。


 皮膚が、胴体が、ゴムのように伸びる。

 躰の全ての骨が軋み、肉体が悲鳴を上げ、彼の躰は空中高く打ち上げられていた。

「終わりにしましょうカ」

 空中高く打ち上げられたシロの躰。

 だが、その空では既に黒かばんが待ち構え、彼の髪を掴み乱暴に地面まで振り回し落とす。

 ブジブジブジィィィッッ!!と嫌な音が彼女の手から響き、その手には数本の白い髪の毛が握られていた。


 地面に衝突し、轟音を響かせ小さなクレーターを生み出したシロの躰。だが、その体に上乗りになるように彼女は彼の腹部に膝を貫いた。

「――――――――――――ッッッ!?」

 全身の悲鳴が、止まない。


 口から大量に漏れ出す赤黒い液体が周りにも、彼女にも飛び散る。

 彼女は、顔に飛びかかった血を、その舌で啜り、笑んだ。


 圧倒的を見せつけて。


「おヤ、どうしましたカ? 僕の天敵」

 首に手が伸びる。

 片手だけで彼の首を締め上げ、彼から降りてその首ごとシロを持ち上げる。

「……ぁ、が」

 腕の中で、喉から漏れる声。

 躰が動かない。神経一つ一つが既に死んだかのような感覚。頭に血が上らない。最早その生命機関全てを殺されてしまったかのような、生きながらに死んだような感覚。意識が遠退き、全てが暗闇に消え始める。


(終わる、のか?)

 意識が遠退く中で、シロは思い返す。


 俺の覚悟はなんだったんだ。

 涙を観たくない。

 悲しみを感じたあの顔を、もう二度とさせたくない。

 だから自分がヒーローだと、叫んだ。

 覚悟して、此所まで来た。


 なのに。


「……終わりにしましょウ」

 黒かばんは、意識の薄れ行く彼を、放り投げる。


「僕ハ、貴方を殺しテ、完全になル。それが僕らの世界の決定ですヨ。そウ……、世界は僕の味方だっタ。そう思って死んで下さイ」

 皮肉に聞こえるかも知れない。

 でも、それはきっと彼女なりの敬意だった。

 シロの躰は、雑に放り投げられる。


 そして、突如彼女は胸元で両掌を合わせる。拳大程に開いた両手の平の中で、サンドスター・ロウが中心で結集し、凝固し、収束する。

 まるでビー玉大の真っ黒な物質が生成されていた。


 それは、小さなブラックホールだった。

 ビー玉大の大きさの球体は、彼女がゆっくりと放った途端、急激に拡大し出した。まるで辺りの全てを飲み込み成長するかのようにその点から巨大化し始め、地面、木々、空間全てを吸収して行く。

 その黒き星喰いは、意識の無いシロの躰に向かって、ジワジワと迫る。


 黒かばんはいつの間にか、その様子を空中から――背に悪魔のような皮膚系統の羽を携えて飛んでいた。

 敵の最期を見届けながら。


 世界は理不尽だ。

 少年の躰は、なんの抵抗も、なんの力も出せず……飲み込まれた。

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