第三節
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シロさんが消えて、どれだけ立っただろうか。
まだ小さな時間かも知れない。だけど、それが長く感じてしまう程、その衝動は大きかった。
その背中を観た時、大きく見えた。
横に居たあの人は、同じ目線で先を見つめてくれた。
挫けそうになれば、その背中を押してくれた。
何かを期待していた。
まるで、灰色に染まる世界を打ち砕き、手を伸ばしてくれるヒーローが来てくれると期待していた。
僕は、情けなかった。
でも、それでも強いと、言ってくれた人が居た。
僕なんかよりも強いのに、僕を褒めてくれた人が居た。
だから今、僕はあの人を、自信を持ってこう言える。
「頑張って下さい、僕らの……ヒーロー」
1
殴る。
蹴る。
噛み付く。
叩き落とす。
殺意を持った明らかな応酬とその繰り返し。
互いに互いを標的と定める。
本能的な狩りでは無く、障害の排除。
だが、頭で解っていたとしても、躰が闘争を求め動く者が一人。
「ハァァァッッ!!」
黒かばんの手刀が、シロの鳩尾に突き刺さる。
「――――ッッッッ!?」
声に出ない悶絶が、喉の奥に迫り上がった。
笑っている。
その戰いの本質がどうであろうと、黒かばんの本能がシロの一手先を行く。
直上的なシロの戰いとは違い、彼女は密猟者の知識を取り込んでいる。その知識には勿論、戰い方という物は絶対に付いて回っている。そして、互いに人間だとしても、シロの戰いは獣によって磨かれた力押しのスタイル。微かに人間の性質を残そうとも、達人に前には流石のシロも歯が立たない。
少しずつ押され気味なその戰いだが、蔓延するサンドスター・ロウを吸収した歯車がシロの躰を即時に回復させる点を踏まえれば、これでやっと五分だった。
だからこそだろう。
シロも直ぐに反撃出来る。
打ち込まれた手刀の腕を、肘と膝で骨事潰しに掛った。
グギャァァッッ!!
「……ッ!?」
だが、その腕は何か硬い装甲で防がれた。
「黒セルリアン特有の硬質化か!!」
シロは、ならばと上げた膝を伸ばして黒かばんの躰を蹴り飛ばす。
これには溜まらず黒かばんも防ぎつつ力を逃がそうと躰を後ろに飛ばした。
蔓延するサンドスター・ロウと、浄化の歯車。
持久戰など無い。消耗など起きない。
その戰いは、無限に永続するその力同士の衝突。
だが、無論それでは決着が付かない。
「おらぁぁッッ!!」
だからこそ、シロは動いた。
(歯車がどうなるかは知らないが、浄化されて還元されるこっちの方が有利だ。だったら、防御無視の攻撃一辺倒だッッ!!)
全開状態の野生解放で迫る。
間合いなど開けさせない。
拳を、蹴りを、絶え間なく打ち込んでやる。
追撃を緩めない。
後退した黒かばんに向け、拳で更に吹き飛ばし、蹴り上げて更に吹き飛ばし、踵を使い地面に叩き落とし、落ちた場所に蹴りを入れ込む。
容赦の無い攻撃の中で、黒かばんは何一言も発さずに可能な限り腕や脚を硬質化して防ぐ。背中の触手がシロの躰を捕らえきれず、空間に置いてけぼりになっていた。
更なる拳が、彼女の華奢な躰を吹き飛ばす。
地面をゴロゴロ転がりながら、彼女の躰は沼の抵抗で静止する。
追撃が来る。
――ニヤッ
シロから振るわれたのは、蹴り。
だがその寸分。
放った蹴りに激痛が走る。
「痛っ!?」
一本のナイフが、太股に突き刺さっていた。
筋肉の繊維がブチブチッと音を立て切られている。勢いよく血が出血し、返り血を浴びた黒かばんが未だ不敵な笑みで此方を見ていた。
「……形成、逆転だネ♪」
呟かれた瞬間、シロの躰が触手によって吹き飛ばされる。
黒かばんだって解っている。シロが防御をしない事を。
なら簡単だ。
痛覚はある。
死ぬ程の痛みを、絶え間なく当て続ける。
触手の応酬が、吹き飛ばされたシロの躰に向かって容赦なく打ち込まれた。
連鎖音の無い連続の攻撃が、シロの躰を削っていく。
皮膚が切り裂かれる。
肉が抉られる。
血が吹き荒れる。
歯車による再生と、一寸の隙の無い破壊。
全身に走る激痛さえも計り知れず、常人ならば数秒も持たず意識がシャットアウトするだろう。
(殺したイ……)
黒かばんは、気味の悪い笑顔を無いはずの汗に乗せて笑む。
(お前を殺したイ……)
それだけか?
それだけでは無い。
有り得るはずも無い物が、無意識に芽生えていた。
きっとそれは、人間としての一歩だと……誰かが言った。
(お前を殺して、僕は存在証明を得たイ!!)
生臭い理由でも、世界に批判されるような言葉を並べてしまっても。
どうしようも無く、求めてしまうのが人間だ。きっと彼女には無かった一つの物。道徳は確かに無い。愛も無ければ、情はなかった。
ただ、殺戮の中に身を投じる事は、決して悪では無い。
求めるからこそ、投ずるのだ。
欲が欲しいと叫び、手を伸ばすからこそ、向かうのだ。
そして、存在意義を求める事も、また人間らしくある。
そこに居て良いと、認めて欲しいと、誰もが思う。
たった一つの、己の価値を見出して欲しいという哀しい存在証明。
目の前の、己を否定するその世界が、体現している。
ならば、奴を殺す。
それこそ、自分が生きて言い存在証明になるから。
だけど。
「……なニッ!?」
突如、返り血が視界を塞ぐ。
直ぐに拭おうと手で乱暴に拭った小さな瞬間。
隙間が出来た。
獅子は猛進する。
次に黒かばんが目を開けた瞬間。
その視界の真正面にあったのは、拳と。
自分よりも一回りも二回りも大きく見える、気迫の獅子。
「なッ……がボァッッッ!?」
華奢な躰が吹き飛ぶ。
空中高く吹き飛び、地面に頭から不時着した。
倒れ込んだ視界の先に、奴が居る。
(なんで、拳一つで……ここまで抗えル? 何故、そこまで立ち向かえル? なんでお前ハ……)
脳裏に過ぎったのは、自分に似た彼女の姿。
拳銃を構え、此方に銃口を向けている小さな躰の少女。
小さな躰で、たった一つの躰で、どうして目の前に立っている。
どうして倒れない。
何故、どれだけ組み伏せても、蹴り飛ばしても、殴っても、叩いても、傷付けても傷付けても傷付けても傷付けても傷付けても傷付けても傷付けても……。
「何故お前達は、立っているんダァッッ!!」
問いたかった。
何故こうも目の前の……立ち塞がり続ける敵は、こんなにも強いのかと。
投げかけられた少年は、片方だけの拳を胸元で握る。
小さく息を吐き、修正されて行く躰をしっかりとその場に立たせて、吐き捨てた。
「ヒーローだからだよ」
「……ァ」
否定してきた。
自分はヒーローじゃ無いと、否定してきた。
守れずに居た。
守れなかった者が居た。
花道に彩られた人生など送っていない。
多くの悪にねじ伏せられ、理不尽に希望を砕かれ、立ち上がる力を失い掛けたこともあった。
ヒーローでありたいと、願ったこともあった。けど、そうなる度に自分の中で疑念が幾つも浮かび上がる。
自分はヒーローなのか? と。
きっと、本物のヒーローは、格好いい。
だって知っているとも、憧れてきたから。
でも、気が付いた。
ヒーローは、居ない。
社会は、世界は、その理不尽が蔓延り続ける。
(理不尽さ。世界は……俺が勝ち取った小さな場所も、世界に比べればちっぽけで、世界の何処かでまた不幸な事件が起こってる筈だ……)
でも、此所に来て、何かが変わった。
小さなヒーローに、出会った。
悩み、悔やみ。
でも、進もうとする。
単純で、明快で、解りやすく、シンプル。
彼女を観て、彼は途方も無く憧れたヒーローを思い出す。
「お前はきっと、理不尽だ」
世界の悪意。
きっとそれは、弱き人々に降りかかる、理不尽の連鎖。
けど、そんな理不尽を覆す存在。
お節介だと言われても、お節介をやきたがる存在。
少年の肌から、とても、とても綺麗で暖かな輝きが噴き上がる。
暗黒の世界を照らす太陽のように、光り輝く粒子の噴水。
「だけど、そういう理不尽を覆す。お前の野望も、お前の望む世界も、その全てを俺はぶっ壊す!! あの子達のヒーローとして。あの子達の笑顔を守る、ヒーローとしてッッ!!」
さあ、少年。
君は道を選ぶ。
「お節介だと世界が言うなら、そのお節介を死ぬまで貫き通してやる!! 要らないなんて言われても、必要ないと言われても、俺はその野望をぶっ壊す!! さあ来いよ、
獅子の怒号が、空間を歪める。
(……そうカ)
その、その咆哮に、彼女の顔元に、笑顔が浮かぶ。
今まで見せなかった。
不敵で、でも、清々しい。
笑顔。
「そうですよネェ!! やっぱりお前を殺さないト!! そのお節介を、打ち砕きたイ!! そして僕ハ、お前と同じようニ、僕のお節介で世界を作り替えル!!」
ならば。
「クライマックスへと行きましょウ!! 僕は今、君を殺して僕をつかみ取ル!!」
彼女は、空中に手を伸ばす。
途端、その世界の空間は……全てのサンドスター・ロウの粒子が、彼女の手の中へと吸い込まれ始めた。
鞄も、地に泥濘む泥も、大気全ての粒子も、彼女の元に結集する。
竜巻のように彼女を包み込み、先程まで見えなかった夜空が顔を出し始めた。足下の泥も引き、地面が顔を出す。
豪風と、突風と、濁流と、その黒の全てが彼女の元へと集う。
そして、その竜巻の目の中で、彼女は少年に向かって咆えた。
「もう一度聞きましょウ! 僕の理想を阻ミ、僕を否定する世界のヒーロー!! 君の名前ヲ!!」
突風に耐えながら、その問いかけに少年は放つ。
「っ……シロだ!!」
大きく、その光の粒子を放出して。
二つの世界のヒーローは、最後の力を振り絞る。
それを纏った時、きっと絶望は、容赦なく襲いかかる。
そう、互いに。
そして、その災いを防ぐヒーローも、立ち上がる。
これは世界の決定戰。
その勝利の果てに、絶望と底知れぬ殺戮という本能に彩られた世界を手にするか。
その勝利の果てに、平和と悲しき思いの無い愛情が膨れ上がる世界を手にするか。
果てに、勝者は一人。
視線の先に、敵が見えた。
そして、二体のヒーローは咆える。
己が信念の戰いに、決着を望み。
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