第二節

 シロは、脚を踏み抜き接近した。

 黒かばんもまた、接近する。


 胴体の大きいシロはその勢いを最大限に使い、拳を振り上げる。

 小柄な黒かばんはその下に回り込み、腰から隠し持っていたナイフを突き上げた。

「……ッ」

 ナイフの存在に気が付いたシロは咄嗟で拳の軌道を変え、向かってくるナイフを肘と膝の挟み撃ちで止める。ナイフを止められた黒かばんは直ぐさまその手を離して更にシロの脇へと身体をねじ込み、二本目のナイフで脇腹を狙う。

 寸での所でシロは彼女の手ごと蹴り上げて、再度拳を握った。

 だが彼女はヒラリッと身を翻し後方に飛び退く。


 追うように駆け出すシロ。

 再度拳を握り、地面を踏み締める。


 速度なら黒かばんよりも上だ。直ぐさま彼は黒かばんへ接近し、攻撃を行う。

 だが、技術なら黒かばんだ。振るわれる拳の先にナイフを突き出し、またも彼の攻撃を寸前で揉み消す。

(クソッ! 話に聞いてたけど密猟者を取り込んだだけあって戰い慣れてやがる!!)

 攻撃が上手く行かない。セルリアンのような一方的な戰い方をするのとは訳が違う。


 明らかに動きを読まれ、そして対策してくる。わざと腕の無い方向に身体を入れ、死角からナイフを突き刺してくる辺りも、真に慣れている。

「ほらほラァ!! どうしましタ!!」

「……ガッ!?」

 地面を蹴り上げ、泥を顔に吹っ掛ける。

 咄嗟に片腕で防ぐシロだったが、既に泥の影に身を捩り迫り来る黒かばん。


「うぉッ!!」

 身体を反らし、突き出されるナイフを寸での所でまた避ける。シロは直ぐさま黒かばんの腕を掴み、反らした体重の勢いを利用し引き寄せた。

 そして、倒れ込む躰の下に敷くように強引に彼女の躰を引っ張るが、黒かばんもまた浮いた躰から足を地面に落とし下敷きになる事を防ぐ。

 ギュルンッ! と躰を回しシロから手を解けば、体勢を崩し今にも地面に倒れそうなシロの顔面向けてナイフを突き立てる。

 諦めが悪いのはどちらも同じだ。

 シロは再度黒かばんの腕を掴み掛かりナイフを防ぎ、倒れ込む躰の後頭部を地面に先に付けて両足を勢いよく上げる。黒かばんの首に脚を絡ませようとするが、黒かばんも咄嗟に腕で締め上げられる事を防いだ。

 だが、その体重を利用してか更にシロも追い打ちを掛ける。

 腕をねじ込まれてもガッシリと掴んだ黒かばんの胴体を軸に身体を起こし上げ、体重をそのまま押し出すようにして黒かばんを地面に推し崩す。

「……っとっ!」

 直ぐさま腕を広げるように力を入れ、シロの脚から脱出し距離を取る黒かばん。

 彼がズシンッ!! と地面に落下すると、地面の泥が周りに跳ね飛び回った。


 その勢いのままに彼は立ち上がり、黒かばんに向けて構える。


 目前。

 ナイフが既に投げ飛ばされていた。


 ガギィィィッ!!

 顔面に向かうナイフを噛み付き防ぐ。

 危機一髪の目前。更に吹き荒れた泥を撥ね除けて飛び込んでくる少女。拳を振り上げ、此方に向かって来ていた。

 その標的は目に見えて解る。

「流石に喉を貫通されれば一溜まりも無いですよネェ!!」

 口で防いだナイフを強引に押し込むつもりだ。

 迫り来る拳。足場は泥濘み横に飛ぶには難しい。


 だから。

「ふがぁっ!!」

 頭突いた。

「なァッ?!」

 口元で、パキリッと音が鳴る。

 吐き出されたナイフは砕け、赤黒い液体が付着していた。


 ゴゥンッッ!!


 ナイフに気を取られていた瞬間、腹部に強い衝動が全身に走る。

「……かハッ?!」

 頭突きの体勢のまま、シロは片腕を思い切り振り上げていた。

 黒かばんの躰は力一杯に殴られ、拳から宙を舞った。


 黒かばんも負けていない。

 殴られ躰が宙に浮いた瞬間、今度はシロの喉に反動を使った蹴りが打ち込まれていた。

「ガッッ?!」

 二人とも、互いに互いの反動を使い後方へと吹き飛ばされる。


 泥濘ぬかるんだ地面にベチャッと音を立てて倒れ込む二人。

 シロは直ぐさま立ち上がり、口元から垂れる血を拭う。だが、黒かばんは仰向けの状態のまま、動かなかった。

「……違ッ!?」

 シロの目は見逃さない。

 片手から妙な波紋が地面の泥濘みに伝わっている事を。


 咄嗟に全身の力を込めて前のめりに体重を掛け、駆け出す。

 瞬間、彼が立っていた足下から黒い腕が触手のようにグワンッ! と伸び彼に迫る。その腕から逃れながらに、彼は黒かばんの元へと駆け出していた。

「……チッ!」

 倒れ込んだ黒かばんから小さく舌打ちが聞こえた。

 距離は近い。

 直ぐに到達する。


 その直前の、彼等の合間にもまた、触手が通せんぼしてくる。


 が。

 シロは無視し突っ切る。

 触手その物に体当たりするかのように、彼は目前で伸びる泥の腕を蹴散らし、黒かばんへと迫った。

 振り上げた拳が顔面へと向けられる。

 だからこそ、彼女も動かざる得ない。


 腕が伸びきる前に、彼女の脚が彼の胴体に向かって放たれる。

「ガホッ?!」

 腕が空振り、腹部に突き刺さる脚。

 意識が跳ね飛びそうになりながらも、空ぶった拳を今度は叩き落とすように振るい下げる。黒かばんはもう片方の足を使い、彼の横っ腹に一撃を加えて拳を回避した。

 その瞬間、泥から手が離された性か泥の腕はまた地面に泥濘む液体に戻る。

「……クッ」

 再び手を泥に突っ込もうとする黒かばん。

 だが、それよりも早くシロは彼女の手を振り払わんと、崩れた体勢から横に脚を振るい手を地面から弾く。


 パァンッッ!!

 シロの追撃にやむなく黒かばんはまた一歩と後退し泥に触れようとするが、シロは既に察しているのか追撃の手を緩めない。その手を使わせるかと言わんばかりに彼女の腹部を的として拳を放つ。

 シロの拳をまともに受ける事は得策では無いと、彼女自身も理解しているのだろう。


 野生解放さえ未だ三割程度しか出していないシロでも、男の豪腕をその体に受ける事だけは避けたかった。


 バッ! バッ! バッ!

 迫り来る追撃を何度も何度も飛び退く。

 腕が地面に触れようとすれば、彼の蹴りが腕ごと空中に蹴り上げられる。


 シロとしても、彼女のあの触手攻撃は避けたい。

 若し次発動されると、最悪接近して打撃を与える事が不可能になりかねないからだ。


 両者の思惑は、その思惑と対峙する。


 どちらかが先手を打たなければ、拮抗は崩れない。

「……ッ!!」

 突如として、黒かばんは距離を取っていたにもかかわらずシロに向かって駆け出した。突然の方向転換にシロも構え直そうとしたが、黒かばんの蹴りが構えだす腕を弾き蹴る。

 更に追撃と、黒かばんが拳を構えるが、シロは脚で彼女を蹴り上げようとした。


 だが。

 彼女は、その蹴り上げられた脚に態と乗りかかるように、先に跳ね上がり迫り来る蹴りに両足を乗せた。

(ブラフかッ?!)

 気が付くよりも早く、彼は彼女を蹴り上げる。

 蹴り上げなくとも、きっと結果は決まっていただろう。


 拮抗の勝者は決まった。


 蹴り上げられた黒かばんは空中に漂うサンドスター・ロウの瘴気に手を伸ばす。

 その瞬間、まるでシロに向けて小型の隕石のように、岩の雨が降り注ぎ始めた。


「……ッ!」

 直ぐさま彼は、後方へと飛び退き始める。


 シロが避けている間に地面に着地した黒かばん。

 次なる手は泥水のように広がり渡るこの広大な黒い海だ。


 彼女が泥の中に手を突いた瞬間、逆濁流のように泥の腕が巻き上がり出でる。

 シロを狙うように腕の群衆は群がり、数の暴力は一気に彼を閉じ込めたと思えた。


 渦巻く黒い液の球体に閉じ込められたシロ。


「……やっぱり、強いナァ」

 黒かばんは、ニタリッと笑む。


 突如。

 黒い液の球体に穴を開けるかのように、眩い光が漏れ出し始める。


 ――野生解放。


 黒い液の球体は一気に膨れ上がり、破裂した。

 そして、白く輝く獅子の少年を中心に、泥が、空気が、全てがその気迫に押し出されていた。


 バチャバチャッ! と荒れ狂う足下の泥。

 暗闇の世界を眩い光で照らす白獅子。


 淺波のように靡く泥の海。

 黒かばんはその泥の海に手を差し入れながら、駆け出した。

 何かを掴むように黒い液体の中から黒い何かが露出する。

 彼女はその何かを引っ張り上げると、背中に背負い込むように腕を通した。

「鞄か!?」

「さぁ、本領発揮ですヨ!!」

 かばんと同様に、黒かばんは似たような真っ黒の鞄を背負う。

 背中からは先程の泥水とは違う鋭利な触手が、先に鰐のような大口を携えてシロに襲いかかる。


 計四本。

 牙を剥き、空を切り飛び込んでくる。


 初撃は二本だった。

 空中高く上がった二本の触手が槍のように風を切る。

 シロは、直ぐさま黒かばんの元へと駆け出し、背後でズドンッ!! と音を立てて地面に突き刺さる触手を無視した。野生を解放したシロからしてみれば、既にそのフィールドは一瞬で距離を詰められる舞台だ。

 なら、次の手を出される前に攻撃すれば良い。


 そう、その為に、その拳を握る。

 だが、目の前の少女はニタリッと不敵な笑みで返していた。


 振るい上げた拳が、空を切る。

「……なっ!?」

 突如、彼女の躰は初期動作無く空中に浮いたのだ。


 否。

 シロの視線の先には、後もう二本の触手も地面に突き刺さっている。彼女は触手四本で脚代わりに躰を浮かせていた。

 咄嗟に上を向けば、そこには既に靴裏の模様が迫ってきていた。


 咄嗟に腕を出したシロ。

 だが、黒かばんは更に一歩、先を行く。


 四本の触手が地面から抜き取られ、四方面から迫り来るのだ。

 四本の触手は足下、腰、胴体、顔を狙い迫る。逃げ場の無いその攻撃に、シロは顔を顰めながら自らの脚をもう一度地面に踏み抜いた。

 ダンッ!! と彼の躰は浮かび上がり、触手を躱す。

 だが、唯一避け切れなかった一本の触手が、彼の脇腹に鋭利な牙を突き立てガブリィィ!! と抉る。


「――ガァァッッ?!」

 勢いのまま彼の躰は押し出され、触手は彼の躰を地面に擦り付けながら牙を深く刺し込む。

「ァァァアアアアアアアアアッッッ!!」

 咆えた。

 気迫で、躰を思い切り捻り、片拳で触手と牙の付け根を撃ち抜く。


 ドゴォォォォォンッッ!!


 獅子の豪腕が、触手を力任せに切断し、泥の沼から地面を露わにした。

「カハッ……、けほっけほっ」

 脇腹空は赤黒い液体が幾点もの穴からドロドロと流れている。

 だが、サンドスターを還元させ、彼はその穴を締め上げた。

「自己再生……イエ、自己創造に近い現象ですネ。その胸のお飾りが手を貸してくれているんですカ?」

 泥の地面に脚を乗せ、クスクスッと微笑み嘲笑う黒かばん。

「言っただろ。理屈はどうでも良い」

 だが、シロに挑発は無意味だった。


 否。

 無論、怒り心頭だ。

 堪えきれない程込み上がる感情が、彼の血管を浮き上がらせている。

「其れとモ、皆のヒーローのつもりデ?」

「そんな大層な称号、要らないさ」

 それでも、彼女はケラケラッと彼を嘲笑う。

 その笑顔の裏に何が隠れているかなど、今や知った事では無い。


「ええ、そうでしょウ!! 僕らは獣ダ!! 人間も動物も等しく獣ダ!! 抗いようのない欲望は人の推進力に変わル!! 今真に貴方は本能がままに私を殺したいのでしょウ!!」

「俺は、お前を殺しに来た訳じゃ無い……」


 ケラケラッと笑っていた黒かばんが首を傾げる。

 今その行いこそが確かに彼女にとってはまさにそう見える。それはつまり、彼もまたその欲――つまり、犠牲を生まぬ為の聖戰――として、戰いを挑んでいるのだと。

 だが、シロは矢張りその考えには至らなかった。

 彼女に同意するつもりは無い。


 行動は同じでも、本質が違う。


 犯罪者は時に、己の欲が合法的だと云う。

 それは、殺したいという欲望が、人間の欲望としてある限り正解で有り認められるべきものとして君臨すると云う思考だ。


 だが、シロは違う。


 だから、彼は断言する。

「俺は、お前を殺しに来た訳でも、これ以上の犠牲を生まない為に来た訳でも無いよ。そりゃ、誰にも泣いて欲しくない為に来たけど、でもお前の云う闘争とは全く違うんだ。解るか? 俺は、お前のこのくだらないゲーム、その舞台その物をぶち壊しに来たって言ってんだよッッ!!」

「其れハ……、世界のルールその物を壊すト、言っていますヨ」

「嗚呼そうさ! この世界がそうで在るべきだと誰かが言うんだったら、俺はそういう奴等と戰う!! 明日も絶望が待っているなら、その明日と戰う!! 絶望というレールに敷かれた世界が在るなら、俺がその分岐を作る!! だから言うぞ、黒かばんッッ!! 俺はお前が理想とするこの世界をぶっ壊す!! お前が愉しむべき明日なんて与えない!! 明日を楽しむべきはお前じゃ無い! 彼女達だ!! だから今日、俺はこの世界を終わらせるッッ!!」


「弱肉強食。食物連鎖。オマエハ……オマエハッ!! その連鎖その物を終わらせるというのですカァッ!!」

「終わらせる!! 明日を獲得する為に、理想の明日を獲得する為に、俺は世界を壊して明日を作り直してやる!! 覚悟しろ、黒かばん……お前の前に居る奴は、この世最も諦めの悪い……オマエの天敵だ」


 宣言する。

 シロは、約束を果たしに来た。

 絶望が闊歩する世界が在るなら、彼は壊す。


 それは、黒かばんにとっても語られた事の無い言葉だった。

 戰う事こそ、闘争こそ、生物根幹の本能で有り本質で在る。其れが彼女にとって一番の理屈であり思想だった。


 ――だが、目の前の奴は何と言った?


 そう、彼は、その考えその物と戰いに来た、と言ったのだ。

 世界のルールその物を、彼女の考えその物を否定しに、来たと、吐き捨てたのだ。


 真っ正面から黒かばんを否定した者。


 挑発の得意な彼女でさえ、神経を逆撫でされたような顔で、苦い顔を見せていた。

「あァ……そうですカ」

 目の前の獣に、興味を無くした。


 否。

 戰いに対する興奮よりも、それ以上に奴に対しての見方が変わった。

 それは、彼女が最も忌み嫌う世界から来た人間であり、獣でも有る存在。


 闘争本能が彼女の掲げるしそうならば、奴は理想平和から来た使者。


 根本から相反していると、理解したか。

 奴は獣では無い。

 だが、敵だ。


 世界その物。


「殺しますヨ。君ハ……愉しさとカ、本能だからとカ、どうやら僕はその理屈を押し付けられない奴を敵にしてしまったようですからネ」

 愉しむべき闘争では無く、明らかに明確な殺意。


「だから、俺はこの拳を握るんだ」

 少年は、握り拳に更に力を込める。

「お前のような空想ガ、僕の邪魔を為るんダ」

 少女は、背中の触手を敵に向け睨む。


 さあ、ぶつかるは世界。

 理想を抱き、明日の笑顔を手に入れるか。

 現実を突き進み、新たなる闘争に向かうか。


「……、」

「……、」

 明確だ。


 相対しながら、その点だけは同じだ。


 殺意だけが、火花を散らした。


 さあ、終幕は近い。

 二つの世界の狭間で踊る狂騒者よ。


 その拳に握られた思いはなんだ。

 明日をこじ開ける力は備わっているか。

 理想を抱き、思想を抱き、大義を捨て、使命を捨て。


 果たせ、最終決戰を。

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