第五章 Reunion.

第一節

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 その戰いに、何を持って勝利とする。

 その戰いに、何を持って敗北とする。


 競争は本能によって呼び招かれ、明確な理由など有りはしない。


 敵を殺し、己が勝利者となる事。

 敵を挫き、己が信念を押し通す事。

 敵を跪かせ、己が力の前に屈服させる事。


 勝利の条件に一切の規定など無く、敗北の条件も一切無し。

 これは競技では無い。

 この戰いにルールは無い。


 荒野の中、平原の中、草原の中、密林の中。

 ただ、世界あらゆる場所で日常的に行われる、生物の敵対競争。生存の為の捕食者としての行為。この戰いは自然の摂理の中に在る唯二対の暴君の衝突にしか過ぎない。


 だが、この決着の果てに、明日が決まる。

 二対の暴君は、本能を研ぎ澄ます。


 さあ戰え。


 求むべき明日を手に入れる為に。


   1


 白き獅子は、山を駆け上がる。

 鼻に付く臭いや、肌で感じる悪質な空気。


 間違いない。

 奴はこの先にいる。


 次第に辺りの瘴気は濃さを増し、駆け上る山の先には黒い霧が立ちこめる。


 狡猾な奴だ。

 きっと何かを企んでいるに違いない。


 だからこそ、阻止するのだ。

 この世界の笑顔を守る為に。


「……、」


 泥のような真っ暗な世界。

 その玉座にて、闇の王は待つ。


 来るべきは本能の先に到達しうる至高の敵。

 己が本能との血で血を洗う血生臭い戰い。


 その本懐は、もうすぐ来る。


 殺したい。

 死なせたい。


 死ぬかも知れない、ギリギリの世界で戯れたい。

 狂気にも似た彼女の願望は、今真に迫っている。


 殺意と殺戮。

 抑えきれない衝動。


 奴は私にとって最高の御馳走となるだろう。


 生涯を通じても三度と見合えるか解らぬ、最高の御馳走が、来る。


『……、』


 山を駆け上がり、彼はその場所に到着した。

「……これはっ!?」

 目の前に広がるのは、まるで山に囲まれ幽閉された大地。平原と森林が一面に広がり、巨大な箱庭としてその山の中に存在していたはずの場所。


 だが、今はその影は無い。

 否、その先が見えない。


 まるで天然のダムのように、足場から直ぐ下の域に至るまで、何か黒い瘴気が水のように溜まっていた。

 シロは、直感で理解する。

 これは、サンドスター・ロウのダムだ。

(ここまでサンドスター・ロウが……それも、まるで湖だ。これだけの量を一体何処から……)

 胸元にぶら下がる歯車のネックレスは、微量ながらに彼にサンドスターとして還元している。だが、その小さな輪だけでは浄化出来る量では無い。そして、その事実はシロにとっても誠に厄介な事実の一つだった。


 シロの体質は、サンドスターを吸収しやすい。

 其れはロウも同じく、嘗てセルリアン化する事件まで発生していた。

 その結果、彼は体内のサンドスターをコントロールする、そのままの名で『サンドスター・コントロール』という技術を身に付けていた。

 コントロールとは言うが、今の彼は未だ未熟。完全に物にした訳では無い。

(けど、今の俺なら……)


 フィルター代わりの歯車。

 そして、微かだが身に入るサンドスター・ロウの断絶。

 その二点に集中すれば、その黒い瘴気の海を捜索出来ると考えていた。


(命懸けだよ、ホント)

 今自分が行おうとしているその無謀に、自分で呆れる。

 こればっかりは最早彼の精神の問題だ。


 ダンッ!

 駆け出した。

 彼は、瘴気の海の中へと、沈みだした。


 中は、光が届かない世界だった。

 外は既に夜だろうが、その月光さえ寄せ付けない程に、闇、闇、闇。


 全方位を眺めても、足場一メートル程しか視界が無い。


 突っ込んだは良い物の、先の見えない足場に慎重に進まざる得なくなった。


「……っ」

 唾を呑む。

 野生解放による夜目も瘴気には意味を成さない。辛うじて常時より見える視界ではあるが、余り変わりなく感じてしまう。


 直ぐ隣に、セルリアンが居るのでは無いか?

 直ぐ近くに、奴が居るのでは無いか?

 囲まれているのでは?

 罠だったのでは?


 疑心暗鬼が増す。

 言いようのない恐怖だけが包む世界。

 慎重に、慎重に脚を進めていくシロは、近くの木に手を添えて立ち止まる。


 一度深呼吸をしたい。

 だが、呼吸を為ればサンドスター・ロウが直に身に侵食する可能性がある。胸元の歯車も、例えサンドスターに変換した所で空気清浄機と同じでは無い。臭いを上乗せして騙すような消臭剤と同じで、所詮小さな消臭剤に大気汚染を除去出来るはずも無い。


 そんな中で、触れていた木を見て彼は気が付く。

「……?」

 妙に、木が柔らかい。

 視界の中でも、その筋と形は把握出来る。天辺や根元は良く見えないが、それでもこれは木だ。だが、妙にブヨブヨと気色の悪い弾力が、彼の背中に悪寒を走らせた。

「……ッ!?」

 過ぎった考えを証明する為に、彼は爪を木に突き立てる。

 ブスリッと抵抗なく奥まで刺さる爪。更にガリガリッと木を削れば……そこはドロドロとした木だった物が有った。


 木が腐食し、濁ったような緑の液体がドロドロッと地面に流れ落ちる。

 そして、愈々その腐った部分を削り取った性で、木はシロとは反対の方向にメキメキィッと音を立てて倒れ込んだ。


 この時、彼は感じ取ってしまった。

 きっと、彼女が復活したのはつい最近だ。

 だが若し、此所までの事を実現出来るようになったとして、これが世界に振りまかれたら。


 きっと、動物は本能のまま暴れ回る。

 きっと、植物は光の無い世界で腐り果てる。


 悍ましい世界が、誕生する。


「絶対に、止めねぇとな」

 元より覚悟は決まっている。

 悍ましい世界を食い止める為の矛として、その場に脚を踏み締めているのだから。


 そう。

 その脚を、覚悟を持って踏み締めた時だ。


 ブワッ!!

 黒い瘴気の海を抜けた。

「ここ、は?」

 抜けた、と云うよりはまるで海の中に小さな空間を見つけたような、瘴気の海が達されず視界の確保出来る場所に至っていた。


「……あぁ、来たんダ」


 声の方向に、目を向ける。

 底には、何かに腰掛け、此方を見世物の物見をする貴族のような卑しい目で見つめてくる、黒い存在が一つ。

「待ってたヨ。僕と殺し合いが出来ル、本能的な獅子さン」

「……ッッッ!?」

 絶句した。

 シロは、その光景に吐き気を催した。


 黒かばんの背中にあるのはなんだ?

 アレは、セルリアン、なのか?


 まるで、数々のセルリアンがギュウギュウに押し込まれ、串刺しにされ、微かに残った意識を必死に繋ぎ、互いを喰らい合っているような……入り交じった光景。

 まるで、蠱毒。


 串刺しにされた黒セルリアン。

 喰らい合っている黒セルリアン。

 修復を続ける黒セルリアン。


 永久機関のような無限ループ。

 人間で言う心臓と呼ばれる、セルリアンの核はデロンッとはみ出すようにぶら下がり、幾多の眼球が所々削れている。苦しむ声のような唸り声と、それでも止まぬカニバリズム。

 その中心からは何か瘴気のような物が膨れ上がり、上空の瘴気の海へと注がれて行く。


「そんな顔しないで下さいヨ。これは僕が発明した機械なんですかラ」

「ゴボッオェェッ……き、機械?」

「えェ。セルリアンから生み出される数々のサンドスター・ロウ。そのサンドスター・ロウを半永久的に製造する機械。以前はまかなわなければいけませんでしたガ、同じセルリアンを強制的に共食いさセ、修復さセ、副産物である余分量を大気に押し込めル。君になら解るのでは無いですカ? 同じ人間なのですかラ」

「……なんだとッ!?」

 シロの驚愕の顔に、黒かばんは首を傾げた。


「おや、違いましたカ? 人間は永久的なエネルギーの生成を望んでいたはずですよネ? ならこの行いは科学の最先端と言うべき発見という物では無いですカ?」

「巫山戯んな! アンタは仲間を平気で弄んで、何を言っているんだ!!」

「ハ? バっっカじゃ無いですカ? 人間も同じじゃ無いですカ。同じ人間を部屋に入れてガスを充満させたリ。罪を擦り付けて合法的に殺したリ。人間を殺す為に人間で研究をしたリ。……何処が違うんですカ?」


 倫理観が壊れている。

 人間という知識を、最も行ってはいけない形で使っている。

 其れこそ、その行いは人間の負の歴史その物だが、そもそもコイツはその善悪の境界が無い。思考が丸っきり個人快楽主義なのだ。

「なんですカ? なんですカ?? もしかして、この道具に同情でもしましたカ? 僕はセルリアン、君はフレンズ……いや、人間? まあいいヤ、結局、同じ種族に協力して貰ってるだけですヨ? アイツだって同じことをしてたじゃ無いですカ」

 ケラケラッと、彼女は大手を広げて笑っている。


 でも。

 それでも。

「別に、そいつらの心配はしてねぇよ」

「はィ?」

「ただ、やっぱお前はかばんちゃんじゃ無いって自覚したよ。あの子は腐っても誰かを利用するなんて考えには至らない。間違ってでも、無理矢理とか、強引な事はしない。そういう事は逆に自分から行う子だし、協力して欲しいって願うんだ。でもさ、お前はやっぱ違うよ。自分の為に誰かを利用するとか、誰かの痛みを自分の快楽に変えちまってる事とかさ……例え、どれだけ知識持ってても、後ろのを発明したとしても、やっぱ断言出来るよ」


「何を言っているんですカ?」

「だから、単純なんだ。本当に単純でどうしようも無い程に解りやすい事なんだよ」


 シロは、真っ直ぐ。

 真っ直ぐ彼女を見つめた。


「やっぱり、お前は生きてちゃいけないよ」

「……ハ?」

 トーンが下がる。

 彼女の声が、明らかにガクンッと……何か失楽したように吐き捨てられていた。

「僕が生きちゃいけなイ? 何を言っているのですカ? 其れは君が決める事では無いでショ?」

「そうだろうね。でも、そこだけは曲げられないんだ。誰かに涙を流させるような奴は俺は許せない」

「へえ、其れが僕と戰う“理由”って事ですか?」

「ああ、多分君のように理屈とか積み上げて戰う事は出来ないよ。これまでも、この先も、自分の意地で戰うんだ。だから、俺としてはこっちの方が好みなんだよ。単純明快で、サッパリしてる」

「アッハハハハッ!! 良いですネ! 僕はシンプルで好きですヨ、そういう考え!!」

「俺は大っ嫌いだよ。お前も、お前の考えも……」


 会話に、最早価値はない。

 有頂天に達したのは、互いの闘争心。

 殺せという言葉が、背後で連鎖している。


 だから。

 走り出し。

 そして。


 拳が衝突した。


「さァッ!! 始めましょうカ!! 僕らの楽しい殺し合いあそびヲッッ!!」

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