第三節

   1


 闇深く。

 沼のようにドス黒く。


 まさしく一寸先もまた闇の世界で、黒かばんは何処かにもたれ掛かりながら、顎元に指を当て悩ましげな顔で――だがその顔は笑み――考え込んでいた。

「ポーンとしては上出来ですネ」

 手元で何かをクルクルと回す。

 ペンか、何かの棒か……それとも、鋭利な凶器か。まるでそれを何かと認識できる扱などせず、巧みにクルクルと手の内でも手遊び、微笑んでいた。


「ですが、再利用の準備は出来ていますからネ。今回は時間もたっぷりありまス。ゆっくり楽しみましょウ」


 千里眼を通して世界を見る神が如く、その眼は何かを見透かすようにクスクスと微笑み嘲笑う。死んだような一面黒の肌には似合わぬ、生きた心地の瞳。


(ですガ……)

 ふと、黒かばんは喉の奥に引っかかった魚の骨を対処するように、ふと一つの問題を持ち上げる。

(彼は一体……何者なのでしょうカ。この世界パークのどの定義にも似合わぬ振る舞イ。アレはまるで、僕と同種か、それに近い存在でしょうカ)

 シロという、イレギュラー。

 彼女にとっては、ゴコクの住人という一つの言葉に納めるには些か難易な問いだった。彼処までの技術と、それ以上に発達した精神。

 黒かばんは知識の箱の中から自分と同じ影を見出していたのだろう。


(リベンジマッチが二つ、ですカ……これはマァ、飽きずに済みそうですネェ)


 心躍る闘争に、待ちきれないと言わんばかりに腰掛けた場所で両足をブンブンと交互に振るう。純粋に似たその笑みの裏側の思考は、知識と考えという木箱の中に闘争という本能が閉ざされていた。

 今でも奴は度々蓋をずらして覗き見る。


 次なる闘争は未だか? と。


「焦る物では在りませんネ。でハ、次はビショップでお相手しましょウ」

 手の中で弄ぶそれを、空高くに放り投げる。闇の何処かまで飛んで行き、落ちては来なかった。

 その何かを眺めながら、少女は子供のように微笑んで吐き捨てた。


「さぁ、初御披露目と行きましょウ。完全体黒セルリアン……その御身ヲ……ご覧あレ♪」


   2


 突然の闘いを経て、彼女達一行の旅は続く。

 せめてこのチホーの何処かに、フレンズが居ないかと探す一行だったが、今尚フレンズの一人にも出くわさない。


 シロはその状況を余り客観視できない状態にまで追い詰められていた。

(さっきの異質なセルリアンと良い、サンドスターの消費が激しいことと良い、何か……)

 黒かばんの復活を知っているのは彼のみだ。それこそ、その原因の根源が彼女にあると推測もできる。彼女達を心配し野放しにしてしまっては居るが、それでも焦らずには居られない。

(……どうしよう)

 心の中で情けない声を上げるしか無い。

 現状を打開するにも、そのどちらかを取るという事がどちらかの安全を奪うことにもなりかねない。

 優しき少年だからこその憂鬱であり、乾いた言葉で言うならば優柔不断だ。


(……というか)

 ふと、殿を務めていたシロは前の四人に向けて目線を移す。


 アライグマとサーバルはいつも通りだ。

 口論にも似た喋り方で互いに何かを言い合っているようにも見えるが、まあ喧嘩などの嫌悪的な会話では無く……というか、パートナーの自慢話だ。

 いつも通りにも見えるが、こうしたパートナーの自慢の瞬間の彼女達の顔は、何処か活き活きとしている。それだけに自分にとっての誇りの具現のような存在なのか、それ以上の何かを思い馳せる対象なのか……深いことを考える必要は無いのだろう。シロは綻んだ口元を片腕の親指と人差し指二本で抓る。


 サーバルとアライグマ、そしてシロに挟まれているかばんとフェネックは、互いに何処か別の場所を向きながらに悩ましげな顔でその後をついて行っていた。

(そういえば、いつもは普通に会話の横からアドバイスとかくれてたけど、こう言う考えてる二人って新鮮だよなぁ……二人とも、誰かの為にいつもこうやって悩んでくれてたんだなぁ……ぐすん)

 自分の世界の二人もまた、彼女達とは変わらない。

 ただ、それでもその背景を垣間見た一瞬、そうした努力が自分たちを、他のフレンズ達を支え続けてきたことには変わりない。

 改めてなのか、シロは両手を合わせて崇拝する信者のように拝んだ。


 ……だが。

(でも、さっきからかばんちゃんがおかしい気がするんだよなぁ)

 シロの目線は、かばんへと向けられる。

 彼がかばんを信奉していることは間違いないが(名誉の為に彼の世界のかばんちゃんに対してと言っておく)、それでも間で悩ましく何かを考え込んでいる二人の姿というのは、同じように見えて違う。


 フェネックには未だ余裕がある。

 焦ることを知らない様にも見える彼女。だがそうで無くても、自分の中に膨らんだ考えを解体し並べ替え、答えかたちにしていくようなその思考ルーチンは、己の冷静さを失わない彼女にとっての最大の強みなのだろう。だからこそシロの眼には焦る仕草が見える訳も無く、参謀として頼れるように見えてしまう。一言で言うならば、安心感が強かった。

 それはきっと、本来のかばんにも言えたはずだった。

 だが、違う。


 かばんの口からはブツブツと小さく言葉が漏れ出し、言葉自体が聞き取れなくともその口の速さは次第に増している。時折焦りからか顔をブンブンと振り回し、乱れた髪が更に乱れる。落ちそうになった帽子をシロがかばんの頭の上に戻すが、彼女自身気が付かずそのまま歩み続ける。

 明らかに、おかしかった。


 シロで無くとも気が付くだろうが、きっとシロだからこそ早く気が付けた。


 今の彼女は、焦っている。

(鼻が良くて良かったよ。変態扱されるだろうけど、今のかばんちゃんから臭ってくる汗が普通の状態とは違うんだ。あんまり良くない傾向だよなぁ……そして俺も、女の子の汗を嗅いでるんだから良くない傾向だよなぁ……)

 因みにシロは良くも悪くも平常運転だ。

 悩ましい点も多いが、これは彼の異常がそれを平常にさせていた。


 シロ。

 異世界からの来訪者。

 かばん達には未だ隠し続けている真実だが、それでも彼は帰りたいと、誰もが彼に思うだろう。だが、シロという少年の異常性は、自分と他人に対しての優劣が格差的なのだ。

 彼としては、自分の保身という物に関して一切の関心が無い(だが、それが絶対でも無い)。

 自分より他人という自己犠牲という言葉が最も似合うが、彼の場合は画一して決別されているのだ。

 今の彼の考え方を語ろう。

 シロの本質の中に、問題は幾つか有る。


 ――元の世界へ帰る。

 ――腕を生やす。

 ――黒かばんの野望を阻止する。

 ――この世界のかばんちゃん達を守る。


 これがシロという人物が抱えている問題だ。

 若し、この問題に対する解決に優劣を付けるとする。

 その時、これは最も一般的ではあるが、その過程での思考が明らかに乖離した考え方を持つのがシロだ。

 彼には目の前の問題を解決せずに他の問題には手を付けられない。この点に関しては一般的だろう。だが、そこに至る中で、シロの持つ異常性は破格を示す。


 ――“世界の法則を定義されるとして、シロは自分自身を愛する者達の最下層に自分を置く”


 それが少年の異常性だ。

 つまり、彼にとって守る対象を守り抜く時、既に自分という人間の意志を完全に乖離させて考えているのだ。


 完結的に言おう。

 彼には“自分自身を考える”というカテゴリーが存在しない。


 だからこそ、今の彼は平常で居られるのかも知れない。


 もし、それ以上の考え方があったとしても、彼ならきっとこういうのだろう。

(此所で誰も守れなかったら、帰った世界でかばんちゃんや、生まれてくる家族に顔見せできないもんな)


   3


(どうしよう……)

 華奢な少女は、かばんを背負い、赤と緑の羽を備えた帽子を頭上にして、その淵の陰から覗かせる顔に迷いを浮かべていた。

(あんなセルリアン、見たこと無かった……シロさんが居てくれなければ、僕は何も守れなかった。それに、石まで落としてしまって……もし、あの僕が復活していて、あんなセルリアンを生み出してたなら、僕の責任だ……そうで無かったとしても、きっとシロさんだってずっと一緒には居られない……僕も同じヒトなんだ、僕が、僕が頑張らなきゃ……でも、どうすれば……ッッ!!)

 先程の黒く禍々しいセルリアン。あの存在が若し今後の旅の途中で、あんな風に咄嗟に現れることがあったのなら。彼女は自分の弱さに震え、それでも何とかしなければと言う使命感の中で葛藤し続けていた。頭の中で回答を探し続けても、答えなど出ない。懸命に回す頭を余所に、セルリアンは何時いつ何所どこに現れるかも解らない。答えの無い難問の中で、彼女は一人懸命に頭を回す。

 最悪の想定こそ、己の無用心が生んだ彼の者の再来。決着後の決意を無慈悲に踏み躙られ、その結果関係の無いその島までも彼女の手が及んだとなれば、かばんにとってどれ程自分を責め立てても悔い切れない。

 過去の自分の選択肢に、過去の自分の過ちを、一体どう償えるか?


 ドロドロと混沌を増す感情の中で、彼女の思考の外から声がした。


「……ばんちゃ……かばんちゃんっ!」

「ふぇっ!? ……え、サーバルちゃん?」

「どうしたの? かばんちゃん……元気無いみたいだけど……」

「ぼ、僕は大丈夫だよ!」

「そうかなー? だって、何か今日のかばんちゃん、かばんちゃんらしくないもん……」

「……えっ?!」

 的を射貫くような音が、かばんの奥底で響いた気がした。小さく口籠もり、返す言葉を失いかけたかばん。だが、精一杯彼女の心配を取り除こうと、かばんは必死に作った笑顔で彼女に語りかけた。

「大丈夫だよ、サーバルちゃん。ちょっと驚いてただけだから」

「そうなの? よかったー。何かあったらちゃんと言ってね?」

「う、うん……サーバルちゃんもね?」

「へっへーん、まかせて!!」

 何処か自信満々に答えるサーバル。その真っ直ぐな眼が、更に彼女の奥底で痛みを伴うような亀裂音を走らせる。

 その真っ直ぐな眼が、その真っ直ぐな言葉が、その真っ直ぐな瞳が、今のかばんにとっては大きく、深く刺し込んでくるナイフのように鋭利で、その痛みは更に思考を果て無き方向に加速させた。


 痛い。

 その痛みが、言葉にならない程に。

 喉の奥で唾が反芻し、堪えきれない感情が奥底へと押し戻される。


 帽子の下で下唇を噛み、行うべき事さえ見えなくなりかけていた。


「……、」

 そんな少女の背中を見つめていた一人の少年。

 彼は、彼女の弱々しい背中を見つめて、大きく息を吐き捨てた。


(成る程……)

 小さく、心の中で呟く。


 観察眼は無い。

 独特の眼を持っている訳でも無い。

 見透かす力も無ければ、その目は常人のそれと変わらない。


 ただ、それでも、一つだけ……どんな世界に来ても、その変わらぬ定義がある限り少年にとって最強にも勝る一つだけの得意技があった。

 例え、どんな世界でも、ヒトの根源は変わることは無い。その事実を知り、そしてその意味も知った。少年にとって、どれ程変わり果てた世界でも、変わらぬ物を見出すことは容易だった。


 だからこそ、決意した。

 己の使命と覚悟、そして……果たすべき業を。


(さて、俺も動かなきゃな)


 獅子は今一度、覚悟を決める。

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