第三節
1
颯爽と、木々を抜け駈け降りる一つの影。
黒かばんは、獲物を狙う獣のような前傾的な姿勢で走り抜け、何処かに向かっていた。
夜の月を逃れるように影は闇から闇へとくぐり抜ける。まるで闇を泳ぐように戸惑い無いその動きは、地上のシャチのようだ。
「……ッ!」
だが、彼女はある場所にまで辿り着くと、その足を止めた。
ザザザーッと、急ブレーキを掛けた躰を止める足が落ち葉達を跳ね飛ばす。その足の先はまたもや崖。その下はまるで沈んだ大地のように、崖に囲まれた中に木々が聳え、箱庭のように存在していた。
「……
企むように笑みを浮かべ微笑む。その邪悪な側面の裏にはどんな計画を練り上げているのか、それは、闇に潜む彼女しか知らない……。
2
「……で、……」
(……?)
声が聞こえる。
「……だ。……の…」
誰だろう。
だが、懐かしい声だった。
(あぁ、やっぱ……長い夢でも見てたのかな?)
少年はふと、曖昧な意識の中で考え込む。だが、ハッキリとしない考えは、次第に解け、薄れ綻んだ。
(あぁ、そうだ。ご飯……作らないと。あれ? 何か残ってたかな?)
いつもの調子で、寝惚けた意識の中で献立を考える。朝は余り重くない物が良いだろうか? いや、精が付く為にエネルギーを……あ、でもかばんちゃんは妊娠してるし、やっぱり健康そうなものかな。
きっと目を開ければいつもの風景が映っていて、朝食の後は修行をしなきゃいけないだろう。と、そう……彼は信じていた。
「……、」
ただ、目を開いて最初に映ったのは、暗い夜の月明かりと、微かに見える黄色い天井だった。
「…………………………………………………………………………………………………………………………ッッッ!?」
ガバァ!! と、急に躰を起こしたシロ。だが、全身に激痛が走り、それと共に先程までの記憶がフラッシュバックして溢れかえる。
「……ハァ、ハァ。……ぐッ!?」
「あ?! だ、大丈夫ですか!!」
急に躰を起こしたシロにかばんが駆け寄る。荒ぶる息を沈めるように背中を撫で、優しく説くかばんの声に、シロは本能的に安心したのか呼吸がゆっくりとなり、フラッシュバックした記憶が整理されて行く。
「……ッ!!」
「ふぇっ?!」
咄嗟にシロは彼女の方を掴むと、ジーッと見つめ、怯える彼女を余所に頬に軽く手を当てる。
(暖かい……じゃあ、このかばんちゃんは本物?)
だが、自分の知っているかばんより明らかに幼く、明らかに違う。
(どうなってるんだ……??)
と、彼女を見つめ続けながら悶々と考えていた彼は、不意に目の前にいる華奢な少女が涙ぐみながら小さく呟いている事に気が付く。
「た、たぅぇ……たべないで……ッ!?」
「……あぁぁぁっっ!? ご、ごめん!! 悪気は無かったんだ!!」
「ふ、ふぇ?」
自分の行いに改めて気が付き、シロは咄嗟に離れ両手合わせに頭を下げた。突然のことに置いてけぼりになっていたかばん。そんな彼女の声に気が付いてか、彼女の後ろからまた誰かが現れる。
「どうしたの! かばんちゃ……っ!?」
サーバルは見た。
涙ぐみながら状況について行けないかばんちゃんと、両手を合わせ頭を下げている謎の少年の姿に。
「……えっと」
直ぐさまサーバルはかばんの近くに駆け寄り、状況が見えないながらも泣いているかばんを見て何かを大きく振りかぶって助走を付けた脳内は、かばんの横で謎の少年に一言言った。
「とりあえず、ちゃんと謝ろうか?」
シロはこの時、その声が何処か重くのし掛かったと言った。
表面上は優しいが、まるで子に過保護な迄の親が、謎のプレッシャーをひしひしと与え押し潰してくるような感覚。
理解は出来なくても、本能的に何かが首元に鎌を携え威嚇をするような、死神。
彼は故に思った。
(あっ……死んだ)
3
「勘違い……ですか?」
バスの中で、シロは慌てながらに弁明を開始していた。きっと下手をすれば自分は名誉的な死よりも社会的な撲殺を喰らうことになる。それだけは絶対に避けなければ、という強い意志がチグハグな言葉を紡ぎ、それでいて主要な所を
「そ、そうなんだ!! 余りにも似てて……本ッ当にゴメン!!」
もう何度目かの両手合わせの謝りスタイル。
かばんもサーバルも、突然のことだったが彼の必死の弁明に半分納得したのか、彼のことを一端は許した。
「まあ、僕も何かされた訳では無いですし、大丈夫ですから」
「そっかー、かばんちゃんがそれで良いなら良いや!」
「ありがとう……ありがとうございます!!」
何処かの地下労働施設からやっとの思いで抜け出せた囚人のような悲壮感を背中に、ヒシヒシとその優しさを身に染みたシロ。
だが。
「あ、そうでした。あの、一つお伺いしても良いですか?」
かばんはその話を折り返すかのように、ふとシロに向かって言葉を投げかけた。
「え? ああ、何でもどうぞ」
気前よさそうに彼は返す。
彼にとっては何処に行ってもその優しさの変わらないかばんになら何でも出来るというスタンスは変わらないのかも知れない。
ただ、そうであったとしても、その質問を答えるには些か言葉に詰まることとなった。
「貴方は……ヒト、ですか?」
「え? あぁ……」
かばんのその質問。
唯その一言で、彼は咄嗟に口を濁らせた。
シロにとって、目の前のかばんがそもそも自分の知っているかばんなのかも解らない。
それは、
黒いかばんの存在は、フラッシュバックした記憶から思い返せば、目の前のかばんとの面識があったような口ぶりだった。だが、自分の世界にかばんと瓜二つの黒い個体は存在しない。例えそれが断定できない事実でも、かばんと同じ姿なら少なからずかばんと何か通じている可能性も在る。
(あの黒いかばん……。結構好戦的だった。それに、俺の知ってるジャパリバスは、こんなに警戒的な装備は入ってなかった筈なんだ)
己の世界と、この世界に区別を付ける。
似通った構造。
だが、過程が違う。
先程のサーバルでさえ、かばんの声に駆けつけた瞬間の顔は、青ざめたような酷い表情だったのを覚えている。
(なんか、本当に申し訳ないな)
だが、ならば何故自分が
結局
「えっと……、ごめん。今はまだ言えないんだ」
「ぇ……」
「でも、今は君の味方だと思う。それだけは違っても本当だから」
例え、どんな場所でも、きっと彼の考え方は変わらない。真っ直ぐな眼で、彼女の眼を見つめて言う言葉。かばんという彼女を信じ知っている彼は、きっと彼女の味方であり続けるのだろう。
だからこそ言える言葉だった。
「……わかりました」
「ありがとう……
「僕たちの?」
「うん……あ、自己紹介が未だだったね。僕の名はシロ……と云っても、本名では無いんだけどね」
照れくさそうに言う彼を見て、首を傾げるかばん。
サーバルも同じように首を傾げ、その顔にまた照れくさそうに微笑むシロ。
「えっと、何処から話しましょうか?」
「何処でも良いよ。君の言葉を聞いて、その間に僕も決心を付けるから」
「決心ですか?」
「うん」
「? ……わ、わかりました。あ、だったらアライさん達が戻ってくるまで待って頂けませんか?」
「あぁ、大丈夫だよ。えっと、何処かに行ってるの?」
「実は周りを見てきて貰ってるんです。さっきまでセルリアンが居たので……」
「ビックリしたよねー。私あんなにいっぱい居るなんて思わなかったよ」
目を向ければ、そこにはアライグマとフェネックが手を振って此方に向かってきていた。
「あ、すみません。危ないことをお願いしてしまって」
「仕方ないよー、かばんさんにしか手当てできる子が居ないんだから~」
「ふっふーん、周りの安全はバッチリなのだ!!」
「よかったー。セルリアンが怖くて眠れないかと思ったよー」
「でも、安心だね。さっきので最後だったのかな?」
「だといいねー……あ、アライグマ、フェネック、紹介するよ! この子はシロ!!」
と、サーバルはババーンッと効果音を上げるかのように盛大に両手を振って視線をシロに向けさせる。何処かの芸能人紹介のようなノリで紹介されたシロは頭を掻きながら苦く笑んで挨拶を返した。
「えっと、どうもシロです」
「アライさんなのだ! こっちは相棒のフェネックなのだ!!」
「よろしくねー」
(知ってるのに知らないって、何か複雑だなぁ……というかサーバル……さん? は普通に馴染み始めてるし。さっきの威嚇は何だったんだ?)
何とも妙な気持ちに、苦い笑みが更に口を歪める。
「そうそう、皆でかばんちゃんの旅のお話しをしようって話してたんだよー!」
「何!? かばんさんのお話しをするのか?!」
「おー、面白そうだねー」
「あ、あはは……なんだか恥ずかしいですね」
「俺も楽しみだな」
バスの中、かばんは腰掛けサーバルは隣に、アライグマとフェネックはバスのベランダに背を預け、シロは床に腰掛けた。
「え、えっと……」
「先ずは私との出会いからー!!」
「サーバルちゃん?!」
隣からグイッとフレームに入るような勢いでサーバルが乗り出した。
そこからの話をシロは和やかに聞き続ける。
時には尋ねたり、時には笑い合ったりした。
そう、そこまでは知っているお話。
シロが嘗てのかばんから聞いた、彼女の冒険の話。
ただ、その言葉が出るまでは……。
「――そして、あの大きな黒いセルリアン。それが爆発して……始まったんです」
彼女の言葉は急に重くなる。
周りの空気も、嘗ての苦しさを思い出したかのように、静かに神妙な顔でかばんの言葉に聞き入る。
嘗て、このジャパリパークは同じ順路を辿り続けてきた。
シロにとっても、同じか近しいと言える、彼女の冒険譚。
だが、彼にとっても、目の前の彼女が余りにも耐え難い世界に叩き落とされた現実を知ったのは、
「黒い僕が生まれた……あの事件が」
4
暗い、暗い場所。
周りに光は無く、一寸先までも闇の中。
「~~~~♪」
鼻歌が響く。
黒い物質体と芯中に石を宿す華奢な少女の模倣体。
それは、その闇の中でまるで浮かれた女子高生のように気分良く鼻を鳴らす。
「~~~~……あぁ、未だ少し時間が掛かりそうですネ」
ふと、その闇の何処かを見据えて吐き捨てる。
彼女にしか見えない光景の先には、矢張り闇。それが物質かも霧かも生命かも解らない。
「さて、完成まで僕は観戦するとしましょうかネ」
何処かから飛び降り、着地した地面の上を歩み出す。
「……楽しいゲームも、もうすぐでス」
ニタリと、闇の中で不気味に笑む。
その瞬間、空間に浮かんだのは無数の眼光だった。
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