第二章 Scrunnage.

第一節

   1


 邂逅を成した。


 睨み合う、二対の猛者。

「……、」

 突然の邂逅に、目を大きく開けて奴を見つめていた黒かばんだったが、その感覚を錯覚だと言い聞かせんばかりにスゥ……ッと瞳を覚す。

 初期動作を極限まで無くし腰に手を当てるが、何かが見当たらないのか手が腰回りで泳ぐ。

(あァ……そう言えば、拳銃は奪われてましたネ)

 仕方なく彼女は腰に追いやった手を戻す。


 すると、片手を地面に付き、中腰の前傾姿勢へと移行した。

(ま、人間相手ならこれ位で十分でしょウ)


 刹那。

 ビュオンッ!!


 彼女は崖上からシロ目掛け飛来した。

「なっ!?」

 シロは飛び込んでくる彼女を、直ぐさま飛び退き回避する。

 殺意の溢れていた腕がズボッと地面に突き刺さる。彼女はゆっくりと抜き、立ち上がると手に付いた土を振り払った。


「かばんちゃん、なのか?」

 驚きを隠せないシロは、未だ眼を見開きその行動に驚愕していた。


(今、確かに……でも)

 数秒前のシチュエーションが脳内に蘇る。

 先程飛び込んできた彼女は、その指先を明らかにシロの瞳目掛け貫こうとしていた。

 明らかな殺意に、彼女と似て非なるかばんの姿に、躰が思う様に動かせないでいるのだ。


 対し、黒かばんにとってはその回避に何かを感じ取っていた。

(今の動キ……成る程、ある程度はやれる人間という事ですカ。ですが妙ですネ……ま、アイツを知っているなら好都合ですネ)


 小さく息を吐き捨て、黒かばんは彼に向かって立ち直る。

「……すみませン、セルリアンかと思いましテ」

(え、勇ましすぎる……)

 かばんという少女の口調に変りは無かった。

 夜の闇のせいでハッキリと解らなかったシロだったが、影から発せられる声は確かに彼女の物だった。だが、それでも妙な違和感がある。


 否。

 むしろ、シロからしてみればその違和感は必然だった。


(……ここにかばんちゃんが居るはずも無い……よな? だって、彼女は……少し試してみるか)

 彼女相手に試すなど、余り考えたくなかったシロ。だが、先程までの違和感が、どうしても今目の前に居る彼女にも移っていた。


「ねぇ、かばんちゃん。僕の名前……わかる?」

「エ? そりゃあ解りますヨ」

「なら、言ってみてよ」

「えーっと……」


 黒かばんは悩むように首を傾げる。

 素振りはそのまま彼女だ。暗闇の影ながら、確かに彼女らしい華奢な動きと、その動作は覚えがある。


「……解りませン」

 次に出たのは、その言葉だった。

 シロにとっては、其れで十分だった。


 否、そもそも確かめる理由も無い。


 何故なら。

「俺はシロ。皆がそう呼んで、そう呼ばれてるよ」

「へぇ、そうなんですカ」

 明らかに目の前の少女はかばんらしい声で喋る。事実同じか類似に近い存在だからこそ出来る芸当だ。

 だが、明らかに違う点。

 シロが知っているかばんとの相違点。


「だから、君はかばんちゃんじゃ無い」

「えー、酷いですよ」

「だって、だって……かばんちゃんは……」

 流石に看破されたかと、露骨に開き直った口調。

 最早演じることをやめ、闇に乗じて刺殺しようと腕の形状を腰の裏では物に変えていた。


「かばんちゃんは妊娠して、あと一ヶ月で生まれる子供がお腹の中に居るからだ!!」


 静寂が過ぎる。

 ただ、重苦しい静寂……では無かった。


 と云うより、刃を潜ませていた黒かばんの頭の上に、突如クエスチョンマークが多重に出現した。


「……待っテ」

「何だ」

 黒かばんの困惑顔に、シロはキリッと彼女を見つめている。

「え、えっト……ごめん、ちょっと待っテ……エ? エ??」


 黒かばんは頭を抱え、頭の中で情報が錯綜し出す。

(え、何アイツ。結婚してんノ? 子供まで出来てるノ?? ボク居なくなってから何やってるノ?? いや、え、ちょっと待っテ……何この釈然と為ない感ジ。野生暴走させた次は何飼い慣らされてるノ!?)


「それで、お前は誰なんだ!!」

 シロが意気揚々と構えを取り、黒かばんに発する。

「……名乗るなら、先ず自分からじゃないかナ?」

 何とか平静を取り戻し、彼女は名乗ったばかりの相手を名乗らせる。

 先程聞いたな、と理解したのは言った直ぐだったが、隙を見せず何とか誤魔化す。


 だが。

「さっきも言ったが、俺はシロ! かばんの夫だ!!」

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………少し待っテ」


(真逆の飼い慣らした相手アイツだっタ……えぇ、待ってくれませン? ボク理解できないのですけド??)

 不肖、人間を喰らい人間の知識を身に付けた黒セルリアン、黒かばん。

 混乱。


「……ゴホンッ!! えェ~……、ボクはかばんですヨ♪ それ以外の何者でもありませン」

 平静を強引に戻そうと、彼女は態度を戻す。

 かばんの姿をしながら、かばんでは無いかばんという不可解な自分を再度体現し、本来の目的に強引に路線を戻し始めた。

「ただ、その言葉が本当にしろ嘘にしろ、貴方が死ぬことは何かと良く事が運びそうですから、まあ取り敢えズ……」


 瞬間、光芒が向きを変える。

 今まで影に潜んでいた黒かばんの姿が、その時になって初めてシロの前に姿を現した。

 かばんのシルエットでありながら、全身が黒一色という不気味さを秘め、腕の形状が刃となっている。最早この瞬間の迷いを己のナイフで断ち切ったかのように、彼女は清々しく堂々と宣言した。


「――死んでくれませんカ?」

(コイツ、セルリアン?!)

 シロは直ぐさま構えを取る。

 だが、失っている一本の腕の感覚に口を苦く噛み締めた。


「おや、殺る気になってくれましたカ? まぁ、人間如きに負けたようでは、僕の計画も御破算なのデ……速やかに死んでくださイ」

 機械染みた声が、闇夜に響く。


 刹那、彼女は再び暗闇の中に姿を消し、シロに向かって飛びかかった。


 ガキィィッ!!


 轟音が響く。

 まるで、同じ何かがそのナイフを弾いたのだ。


「……ナッ!?」

 黒かばんの瞳に映る、輝く粒子。

 シロから湧き上がる光の結晶と、変異したかのように出現する鬣と爪。更には腕を覆うようにして装甲式の爪が出現していた。

「練習しといて良かったサンドスターコントロールッ!!」

「お前、フレンズなのカ!?」

 ガギィィィッッ!!


 爪とナイフが弾かれ、互いにまた距離を開ける。

 野性解放をしたシロの周りは、サンドスターが光の粒子と成り光源の代わりと化している。


「人カ……フレンズカ……、奇妙な存在ですネ」

 黒かばんは、片手にナイフ、片手を獣人のように爪を尖らせる。

「そういうそっちこそ、人型のセルリアン……それもロウとは聞いたこと無いね」

 片腕ながらも、獅子の一角として野生を纏うシロ。即席で作り出したサンドスターの装甲は霧散する。

(ま、維持は難しいか……)

(参りましたネ……フレンズとは計算外でス)


 黒かばんは黙し、刃を尖らせてシロへと近づく。

 ビュオンッ!! と空を切る刃を避け、伸ばされる爪を弾き返す。

 だが、黒かばんは直ぐさま膝を崩してシロの懐に入り込み、ナイフを切り裂き上げた。

「ラァッッ!!」

 後ろへと宙で一回転するように飛び退いたシロ。だが、黒かばんはすぐさまシロの右、腕の無い方へと駆け、爪で強襲する。


 勢いのままにシロは姿勢を戻さず躰を回しながら避け、瞬時に黒かばんの手を掴んだ。

「どういう訳か知らないけど、何か企んでそうだな。セルリアン!!」

「無知な子供には理解するには早過ぎると思いますヨ」

「悪いけど、来月にはお父さんになるんでね!」

 黒かばんは掴まれた爪の腕を死角にし、シロに向かってナイフを突き出す。咄嗟にシロは掴んだ腕を力一杯に持ち上げ、投げた。

「……グッ!?」

 空中へ飛ばされた黒かばんは、スッと躰を捻り土煙を上げて着地する。


 咄嗟の判断だったが、シロは苦しそうな顔で睨み付けていた。

(やっぱ、攻撃しづらい……唯でさえ似過ぎだっての!!)

 彼にとってはやり難い事この上ない。

 言ってしまえば、彼女と黒かばんの違いは躰の配色だけのような物だ。別人と解って居ても、彼の本能が攻撃を妨げてしまう。


「どうしましタ。動きが大分鈍ってますヨ?」

 ニヤニヤッと、明らかに悪い笑みで此方を見つめてくる黒かばん。彼女には既に察せられているのだろう、だからこそ危険な攻撃を堂々と出来る。


「腕一個無いんだ、俺にもハンデくれないか?」

「女の子を虐めているのに、ハンデが欲しいなんて酷いですネェ」

「女装も良いとこだろ」

「サァ、どうでしょウ?」

 ニコニコと、浮かべるべきでは無い笑みが彼女の顔で何度も浮かべられる。シロにとっては寒気しか感じないその笑み。突然であり、覚悟など決まり切っていない。


(さ~て……どうすっかなぁ)

 額に冷や汗を流し、苦し紛れに笑む。

 構えは解かず、ジッと彼女を見据える。


「ふぅ~……」

 それ以上に、彼女への攻撃手段が余りにも少ない。多種多様に変化できるであろう黒かばんの変化に、シロの躰はついて行けない。


「なら、賭けますか」

 だから、彼には挑戦という選択肢しか無かった。


 足を踏み締め、歩幅を開け、大きく睨む。


(……何か、来ますネ)

 黒かばんは、不意に構えを変える。シロの変化に感づいたのか、両手を今一度元の状態に戻した。


 ダンッ!!

 刹那、シロは走り出す。

 足に力を入れ、全速力で吶喊するかのように真っ正面へと飛び出したのだ。

「ちッ!? やっぱりけものは獣ですネッ!!」

 最早正面から来るなら、怖くは無い。攻撃手段が限定されている以上、黒かばんの変化適応は圧倒的に有利だった。どんな速さでも、来る場所が解っているなら仕掛けられると、彼女は腕を再度ナイフ状にして構える。


 ……だが。

「はぁぁ……ッッ!!」

 突如、目の前に飛び込んできたのは……巨大な拳だった。

「ナァッッッ!?」

 直ぐさま腕を合わせ防ごうとするが、圧倒的な力が彼女の躰事吹き飛ばす。


「アッ……がハァ!?」

 大きく飛び、地面を何度も跳ねて滑る。

 挙げ句の果てには自分が降りてきた崖際まで飛び、埋まっている大岩に躰をぶつけ止まった。

(……巫山戯んナ)

 強い衝撃を伴いながらも、半透明な輝く拳を放ったシロを見ていた彼女は、思ってしまう。


(目を瞑って攻撃なんて、原始的じゃないカ)


 拳を放ったシロもまた、ヒッソリと目を開ける。

「よしっ……っっ!?」

 だが、急に足に力が入らなくなってしまったのか、彼は膝を突く。

(サンドスターコントロール……生半可とは言え、何とか形に出来た……だけど、やっぱ辛いな)

 急にシロの身体から噴き出すサンドスターの量が激減する。その光景を見た黒かばんは、その力とその代償に理解したのか、痛む躰をゆっくりと立ち上がらせた。


「痛テ……でも、どうやらソレも限りがあるようだネ」

「……ッチ」

「そんな怖い顔で見ないでヨ……ホラ、君の好きなかばんちゃんがこんなになっちゃったじゃないカ」

「……………………ッッッ!?」


 シロは、背筋が凍るような感覚に襲われた。

 彼が見た黒かばん、それは、顔半分が半壊し、砕けたように黒いガラスが落ち行く……無貌の姿。その不気味さは、自分が知っている彼女の顔だからこそ、言い淀む感情が喉の奥から込み上げてきた。


「ボクだって生まれたばかりの子供なんですヨ。子供は大事にしないト♪」

「……な」


 膝を突いたシロが、ゆっくりと吐き捨てた。


「……その姿で、その顔で、その口で……彼女の声で」


 抑え続けてきた、感情。

 困惑の中に潜んでいた、確かな意志。


 決別し、剥き出す。


 怒りの牙。


「そんなこと、言うんじゃねぇよッッッ!!」

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