第二節

   1


 かばん、サーバル。

 彼女達は命辛々からがらセルリアンの集団の追跡を躱し逃げ延びた。

「うみゃぁ……もう、クタクタだよぉ~」

「うん、ぼく、もう走れない……」

「でも、かばんちゃんのおかげで何とか逃げ切れたよ」

「えへへ……サーバルちゃんが居たからだよ」

 互いにその生きた心地に胸を打たれ、微笑み合う。かばんは逃走の中で咄嗟にサーバルと木の陰に隠れやり過ごしたのだ。

「でも、なんであんなにセルリアンが居たんだろうね~。それも全部黒かったよ!」

「うん、何か在るのかも知れないね……とりあえずアライさん達の所に戻ろっか」

「だね! 折角ごこくちほー? に来たのに散々だよ……フレンズも中々見つけられないね~」

「あはは……まだ先は長いよ、サーバルちゃん」

 クタクタながらに、彼女達は元来た場所へと足を進め出す。


 彼女達は未だゴコク地方に来て間もなかった。周りを調査しにかばんとサーバルが山の中を散策し、そしてゴコクから共に来たアライグマとフェネックが留守番を任されていたのだ。その道中でかばん達はセルリアンに襲われてしまう。

 とりあえずと謂わんばかりに彼女達は水上特化されたバスに向けて歩み出すのであった。


 ただ……忘れてならないのがもう一人。

「カバン、下山ヲスルナラ気ヲ付ケテネ」

「はい、ラッキーさん」

「ボスずっと喋ってなかったけど、どうしたの?」

「そういえば、さっきまで何も言ってませんでしたね、何かありましたか?」

「ナントモナイヨ。タダ、チョット気ヲ付ケテ進モウカ」

「……? はい」


 かばんは、腕時計上となった超高性能AIであるラッキービーストの言葉に小首を傾げながら、歩み出す。先程まで「ザザッ……ザザッ……」と反応しなかったラッキービーストなのだが、かばん達の心配を余所にかばんの腕の上で当たり前のように喋っている。

 かばんは心の中に何かを突っ掛からせながら、だが、今の安堵を共有したいと感じてか、その足をアライグマ達の元へと急がせた。


   2


 サーバルとかばんは道中何事も無く、現在砂浜に停泊する水上特化したジャパリバスに到着した、そこではアライグマとフェネックが彼女達二人の帰還を待っていたかのように、アライグマが大きく手を振って待っていた。

「ただいま戻りました」

「ただいまー」

「かばんさんお帰りなのだ!」

「おかえり~、どうだったー?」

「実は、道中でセルリアンに襲われてしまって、何も見つけられませんでした。すみません……」


 かばんは彼女達に山での出来事を話し出す。山で大量の黒セルリアンに襲われた事は話せたが、それ以上の成果が無かった為に、その話だけに留まった。


「ふぇぇぇ!? け、怪我は無いのだ?! きゅ、救急箱を今持ってくるのだ!!」

「アライさーん、大丈夫そうだよ~」

「そうそう、かばんちゃんのアイディアでこの通りバッチリだよ!」

「はい、大丈夫です」

「それなら良かったのだ~……って、そうじゃないのだ!!」

「え?」

「そうそう、聞いてよかばんさ~ん」

 アライグマの顔からは未だ焦りが消えて居らず、対しフェネックは悠々とした態度で語ってくる。

「かばんさんが此所を出たあと、黒いセルリアンがブワーッと通ってったんだよ~」

「そうなのだ! すっごい沢山いたのだ!!」

「えっ!? 本当ですか! お二人とも大丈夫だったんですか!!」

「い、今救急箱持ってくるね!!」

「だから大丈夫だって~、私たちは何ともないし、通ったのはあっちの木が立ってる方だから」

 フェネックが指を指したのは、浜辺から離れた林木の方向だった。距離は可成かなりあった為に、かばんは二人の無事を確認しホッと胸をなで下ろす。

「ふっはっは、サーバルはおっちょこちょいなのだ」

「えー、アライグマだってさっき取ろうとしてたじゃーん」

「人のことは言えないよーアライさーん」

「フェネックっ?!」

「まあまあ、取り敢えず、一旦整理しませんか?」


 現状の整理の為に、かばんは海岸近くにある二本の丸太の方を目配せする。彼女達はそこまで移動すると、片方にかばんが腰掛ければサーバルが隣に、アライグマが対面の丸太に腰掛ければ、フェネックが隣に腰掛けた。

 彼女達は現状までの経緯を詳しく話すと、どうやらかばん達を襲ってきた黒セルリアンはアライグマたちが観た黒セルリアンの集団と同じではないかと疑い始めた。

「だとしたら、なんで集まって行動してるのでしょうか?」

「仲が良いんじゃない?」

「セルリアンが仲良しな訳ないのだ。黒いかばんさんの時だって、アイツは仲間だと思ってなかったのだ!」

「確かにアライさんの言う事には一理あるかもね~、そもそもセルリアンに仲良しかとかがあるのかは知らないけどね~」

「んー、じゃあどうして?」

「解らないけど……ラッキーさん、何か知ってますか?」

 かばんは腕時計状になっているラッキービーストに向かって声を掛ける。ラッキーはチカチカと点滅しながらかばん達の言葉に応えた。

「セルリアンハ心ガナイトモ言ワレテルケド、ドウイウ生命体カハ詳シクハ解ッテ無インダ。デモ、過去ニ黒イセルリアンガマルデ意思疎通シテイルカノヨウニ動イテルトハ聞イタコトガアルヨ」

「「いしそつー?」」

 ラッキーの言葉に、サーバルとアライグマは小首を傾げる。

「つまり、相手の思いが伝わっているって事です!」

「なるほど! つまり私とかばんちゃんみたいなことだね!!」

「アライさんとフェネックだって負けてないのだ!!」

「あ、あはは……」

「わー」

 サーバルはかばんとの思いの繋がりを強調するようにかばんに抱き付くのに対し、アライグマも対抗でフェネックに抱き付く。少し照れ気味なかばんに対し、フェネックはなされるがままで顔色一つ変えずにいた。


 ……ふと。

 かばんが空を見上げる。

 夕暮れ時の真っ赤な空……だった。

 瞬間、大きく身体が揺さぶられるような感覚に陥る。視界が歪み、突然の情景に脳が困惑し立ち眩みを起こしてしまい、砂の上に膝を突いた。

「かばんちゃん!?」

 咄嗟にかばんに駆け寄るサーバル。かばんを見たサーバルの目には、特に変わった様子は映って無い。怪我も無ければ、触れた肌が異常に熱いなどと言う訳でも無い。

 だが、かばんは……その瞬間嫌な寒気を感じた。


 彼女が理解したのは、今の自分は正常であること。

 そして、あの立ち眩みは、確証は無いが自分の躰の性では無いこと。

 視界が歪んだ瞬間、まるで世界その物が歪んで見えたこと。

 ――それが、自分に起きた現象。


 咄嗟にかばんはポケットに手を突っ込む。

 ガサゴソと何かを探し、かばんの表情は青ざめ始めた。

 直ぐさまかばんを降ろし、中身を確認する。

「か、かばんさん……?」

 周りの目は突然の行動に何と声を掛ければ良いのか解らず、困惑した顔でかばんを見つめていた。

 鞄の中を雑に漁り、幾つか出した所で鞄の中身を砂の上に放りだした。

 放り出された荷物達を一瞥すると、彼女は直ぐさま空になった鞄を覗く。


 何かに気が付いたのか、彼女の力は一気に抜け落ちた。

「えっ、か、かばん……ちゃん??」

 突然のことに、サーバルは困惑しながら鞄に声を掛ける。返答は無く、脱力しただけのかばんが青ざめて砂の上を眺めていた。

 そして、この場で一人……そのかばんの状況を理解したのか、フェネックが間を裂いて吐き捨てた。

「かばんさん……あの石は?」


「石が……」


 凍り付いた顔で、かばんは彼女達に……告げた。

「石が、無いんです……何処にも」


   3


 赤黒い鉱石は……山を転がり落ち、何処かの開けた場所に放置されていた。

 動くこと無く、輝くこと無く、鈍く輝くその石は、そこに野ざらしに為れていた。


 ――。

 そんな石に、何かが近づいてくる。

 木々を掻き分け、鬱蒼とした森の奥から、幾つもの影が蠢き近づく。それらは次第にその開けた場所に顔を出すように為て現れた。

 黒い球体、黒い豪腕の持ち主、黒く細長い者、幾数多、数々の黒セルリアンがその開けた場所に集結したのだ。

 何を思い、何を考えているのかなど解らない。だが、奴等はまるで唯々立ち寄ったかのようにその場所でのらりくらりと彷徨き回る。

 何体居るのだろうか?

 今も尚増え続け、留まることを知らない黒セルリアン達。十数体の強化個体達がのさばり彷徨く。


 その内の、一匹。

 黒く巨大な球体セルリアンが、まるで何かを見つけたかのように光源へと進み出す。草木の中に反射するように光るそれ。黒セルリアンは、本能的にそこに近づく。

 その場所にあったのは赤黒い鉱石だった。

 かばんが落とし、流しに流され、そしてそれは黒きセルリアンに視認された。

 鉱石故か、黒セルリアンは太陽光に反射され燦めくそれへと近づく。


 体内に飲み込もうと、躰を寄せ、振れようとした……時だった。


 ――ブジョァァッッ!!

 周りのセルリアン達は、その音に目線を向けた。

 何かが弾け、水が噴き出すような……果実を握りつぶしたような……耳に不快な音が響いたのだ。

 彼等の目線の先には、ドロドロに溶け出した黒き球体のセルリアンだった物があった。絶命の声も無く……暴発したかのように弾け、地面に液体となりビチャビチャと音を立てて落ちる。まるで波紋を波打つかのように液体は赤黒き鉱石を中心に集まりだし、そこには真っ黒の汚染されたような水溜りが出来上がった。


 周りも、まるで何が起こったか理解出来ていないかのように、処理が追いつかず見つめたまま停止していた。先程まで居たセルリアン、その大きさは数々のフレンズを捕食してきただろう優位性を知らし召すような巨体が、意図も簡単に溶けたのだ。それも、石を割られて弾け蒸発したのでは無い。

 本来の法則を無視し、確かに溶けた。


 地獄は……そこから始まった。

 不気味に揺れる黒き水たまりが、いきなり弾ける。まるで手のような物がギュオンッッ!! と勢いよく飛び出したのだ。何本とも言えぬ無限にも等しい泥の腕が。

 唯それだけを認識した瞬間には遅かった。

 黒き腕は周りの黒セルリアン達に向かって伸び出す。まるで獲物を捕らえるかのように、無慈悲にガシッガシッと近くに居た物からグングンと捕まえる。反応が早く逃げ出せた物や、遠くでその事に気が付かない物までも対象に捕らえ、引き摺る。


 黒セルリアン達は抵抗するが、その力は圧倒的だった。声なき黒セルリアン達は悲鳴も無く、小さな水溜りに飲み込まれて行く。大きな巨体や複雑な構造の物達も、まるで小さく折り曲げるかのように雑にグチャグチャと細められ、無理矢理吸い込まれる。

 その手は、何処までも追いかける。

 その手は、残さず捕食する。

 その手は、全てを捕える。


 付近の黒セルリアン達が黒き手に捕まり、無理矢理飲み込まれる。

 そして……粗方捕食し終えたのか、その黒き手達はゆっくりと水溜りの中に収束していった。


 ――。

 ブクッ。

 ブクブクッ。


 ブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクッ。

 まるで沸騰したお湯のように黒い水溜りは膨れ上がる。

 何かを熟し、溶かし、浸透させるかのその異様な光景。


 次第に沸騰が収まると、其れは……出て来た。


 水溜りの中から、ゆっくりと浮き出る何か。

 それは、まるで水面から浮き出るかのように、頭、肩、腰……と、まるで人間のような形容で浮き出てきていた。胸らしき部分には赤黒い鉱石が付着しており、ズブズブズブッと体内に浸透して行く。


 ドブの中から出て来たかのように躰から黒い液体がデロデロと流れる。

 そして、確かに其れは人型だった。

 二足で立ち、二本の腕、瞳のような輪郭に、泥が服となり形状を成し始める。


 ……まるで、誰かに似ていた。


「……あァ」

 その声は、全く一緒だった。

 ゆっくりと開かれた瞼の裏には、真っ赤な瞳が血のように爛々と輝いている。口元がゆっくりと口角を上げ、ニタリッと笑む。

 両手を、天を抱くかのように広げ伸ばす。


 全身に黒という名の色が走り、瞳は赤爛々と光らせる。ニタリッと笑む顔からはまるで脅かす脅威の片鱗を映しだしたかのような邪悪な物。

 ただ、浮かべる表情は違えど、根本的な物が同じだった。


 ――かばん、と。


 嘗て、フレンズ達を脅かした脅威が居た。

 一時はパークを崩壊まで追い込み、巧みな饒舌と黒く根深い思想で数々の敵を翻弄し、残り一手まで壊滅へと追い込もうとした、怪物。


 名を、黒かばん。


 彼女が見た空は、夕暮れを終え、夜を迎える。

 暗き闇の世界で、光り輝く月に向けて、まるで産声を上げるかのように吐き捨てた。


「……ただいマ」

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