第6話

 何が起こったのか。事態が予想外であったのは、人間だけではなかったらしい。サメ忍者たちの鋼の統制が、初めて乱れた。

 とりあえず最大の脅威とみられるサメ忍者1号を牽制するもの。囲みを維持しようと回り込むもの。


 既に獲物を誘う餌としての意味を失った軽トラを破壊しようと、一匹が跳ねようとする。しかしサメ忍者1号が胸鰭の刀を向けると、石像のように硬直。

 サメ忍者の持つ、高性能の感覚器が、うかつに跳べば先立って三枚におろされた仲間の二の舞だと伝えたのだ。


 ここに来て、人間側の意思はまとまった。穴の空いた包囲網を抜け、軽トラに突っ走る。


「免許は!?」


「自分持っとる!」


「俺と朝日は荷台!桜は助手席いけ!」


「うん!」


 敷島はドアを開け放つと、文字通り運転席に転がり込む。エンジンキーをねじ切る勢いで回す間に、荷台に二人が飛び乗る。大きく左右にぶれる車体。機関の内で火花が弾ける、ちっちっ、という音すらももどかしく感じる。

 ここまできて、逃してなるものかと突貫しだしたサメ忍者らの機先を制し、一号は先頭の一匹に体当たり。姿勢を崩した敵には目もくれず、軽トラを叩き潰さんと跳んだ一匹を迎撃するため垂直上昇。

 迫る白刃を、今度はまともに喰らうことなく、胸びれから刃を出して迎え撃つ。金属のこすれ合う耳鳴りじみた高い音。火花が月の無い夜をつかの間照らす。サメ忍者同士はほぼ互角か、ビリヤードじみて宙で突き飛ばし合った。


「サメが二刀流ですって!?」


「そーゆう問題か!?」


 かの剣豪宮本武蔵の流派、二天一流の技で知られる二刀流。その構えたいでたちの印象から、不必要なまで高く評価されたり、あるいは実戦ではやくにたたぬとこき下ろされたりする、毀誉褒貶激しい技術である。

 しかし、二刀流というものは一般に思われるような、二刀を同時、あるいは交互に振り回して、息もつかせぬ連続攻撃を加える、というものではない。基本的に両手を攻めと守りに分け、西洋剣術における盾を、剣に変えたように使う用法が一般的である。


 つまるところ、戦場でも護身用としても広く使われた刀と脇差の両方を活用するための技術であり、実戦から必然的に生まれたであろう知恵と言える。

 宮本武蔵も、武士たる者が一命を賭して勝負しなければならないときは、身に佩びた武具を一つ残らず役立てたいものだ。武具を使うことなく、ただ腰に差したまま死んでしまうことは、何とも不本意である、と言っている。

 よって二刀流というものは、人間機能の活用と、装備上の要請からきたものであり、胸びれから長大な太刀二本を生やして、全身のバネで打ちかかるだけのサメ忍者剣法とは根本から異なることをここに言明しておこう。


 ドアが閉まるか閉まらないかのうちに、エンジンが回り、稲穂を踏みつけながら畦道を飛ばす。


「南無三!勘弁してくれお米の神様!緊急避難や!」


 洗濯機じみた振動に揺られつつ、棚田から道路に離陸。落下して、ガードレールを尾部でこすりながらも前進する。日本車の信頼性は、ほとんど事故に近い衝撃にも耐えて、元気に走り出した。

 サメ忍者たちの何匹かがこれを追うが、車両相手では分が悪い。互いの距離が離れていき、やがてテールライトの光が映るだけになる。






 壊れたスプリンクラーのように、上から下から水が当たる。しかし彼らがそれを疎んじることはない。

 彼らはサメである。水は友であった。彼らは忍者である。いかなる過酷にも泰然と忍ぶ存在であった。


 今、雨を浴びて化石のごとく佇む、黒衣の魚類。一匹の裏切りのために、無欠の包囲網を抜け出されたにもかかわらず、互いに感情を揺らすことはない。

 サメに感情があるのか議論は分かれるだろう。しかし、追っ手を放って、裏切り者の対応にあたる四匹のサメ忍者たちに今のところ攻撃の前兆を感じない。


 果たして、この怪物たちは黙したまま睨み合うだけなのか。

 否。もしここに鉱石ラジオを持つ者がいたなら、空気中の微妙な電位の変化を耳にしたであろう。


 いかなる生命化学の神秘か。この脅威の殺人魚類軍団は、電波に対する繊細な感応力を用いた、一種のテレパシー通信を行っているのだ。

 現代人類の科学技術をもってしても困難な電信会話の、暗号に含まれた意思を疎通することは叶わない。

 だが彼らは、少なくとも多数のサメ忍者たちは、話し合いを成そうとしていた。共同体を裏切り、あまつさえ同属の戦士を抹殺する暴挙に及んだ狂人、いや狂サメを説得していた。


 豪雨、暴風、いかづち。大地の表層から、地下深くまで染み入る大気のどよめきに、与するこよなく沈黙を選ぶ。

 胸びれから突き出た長大な太刀を納めることはない。彼にとって話し合いは、時間を稼ぐ手段に過ぎないようだった。


 対峙する集団から、一匹が進み出る。一際大きな体躯。6mはある。今夜の作戦における長のようであった。

 裏切り者の、傷と血にまみれた有り様を一瞥し、一度大きく尾びれを振った。雨粒が霧散し、濡れた布で壁を打ったような破裂音が響く。

 それが、最初で最後の物理的な警鐘であった。


 サメ忍者は、動かない。根をはったように、追跡の障害としてそこに在る。

 交渉は決裂した。四匹のサメ忍者たちの胸びれから、音もなく、鋼鉄の牙が伸びる。サメ一匹を両断するのに十分な刃長と、重ねの厚みを持った業物。


泥が八方に散り、巨体が浮かぶ。空前絶後の暗闘が始まった。







「振り切ったか?」


「みたいだな。奴らがロケット加速でもしなけりゃ、しばらく大丈夫だろ」


「ぶっそうなこと言うなや。ほんとにやってきたら泣くぞ」



 軽トラに乗る四人組は、ようやく得られた小康状態を満喫していた。いまここで軽口を叩けることが信じられないといったふうに、不揃いな呼吸を繰り返している。

 いや、それを言うなら先ほどまでの狂乱こそ悪夢に他ならない。数十人分の死と殺戮。中途半端に現実的でないのが、むしろ幸いであった。極端な残虐が恐れさえも奪い、ある程度冷静な行動を許している。


「どうするの?」


 朝日の疑問。それはここにいる誰もが持った疑問だろう。


「どうすっかなあ……」


「さて、どうするか……」


 気の抜けた声を発しては見るものの、建設的な提案はない。後のことなど何も考えてはいなかったのだ。当然の襲撃に、決死の逃避行。これで名案が思い付くなら苦労はない。


「あ、そうだ。もう携帯使えるんじゃないかな」


 桜がポケットからスマホを取り出して、画面をシートで拭いた後、起動する。画面は指の動き衣に素直に従い、ロックが解除された。


「やった!」


「おお。それなら警察でも呼んで、あれや、家帰って寝るか?」


「忍者の格好したサメに襲われて?命からがら逃げてきました、か?」


「第一、あいつら諦めるの?警官見たらすごすご引き下がる繊細な奴なら、大学まで登ってこないでしょ」


「それなー……。明日も明後日も追いかけられるのは、ぞっとせんわ」


 街明かりが近づいてくる。夜も深まり、悪天候もあって車の通行量はほぼない。ただ街灯の灯火は、闇の中を走り回った逃亡者たちに、確かな癒しを与えた。

 そして余裕はひらめきを生み、新たな突破口を探り出す契機になる。思い出したのはまた桜だった。


「あ、そうだ!朝日ちゃん、あれ!」


「あれ?」


「あのサメ忍者さんに貰った、本!まだ持ってる!?」


「あ、あったわねそういえば」


「あれか。あれはなんだったんだ?あれ持ったらベギラマでも撃てるのか?」


「そんなわけないでしょ。人間をサメに……とかなんとか。そういうなにからしいけど」


「サメ、サメ、サメ!おまけに忍者!頭おかしくなってコンビニに突っ込みそうや。あいつらを地獄か竜宮城にでも突っ返す方法でも書かれてたらいいなあ」


「それを確かめるんでしょ。……桜、読める?」


 窓から古文書を受け取ると、古びた紙を手早く、しかし丁寧にめくり始める。一心に解読を進める桜を、横目で見る敷島。ふと、車内が暗くなったように感じた。


「上だ!!」


「うおおお!?」


 総毛だつ危機感にハンドルを切りこむ。いつの間にいたのか、5階建てのビルから飛び降りる魚影。そんなものはサメ忍者しかいない。

 荷台を中ほどを噛みちぎって、見事な受け身と共に着地を決める。



「どうやって来たんや!?後ろにいなかったぞ!」


「川だ!流れに乗って、匂いをたどったんだろ!」


「できるんかんなこと!?」


「サメは犬以上に鼻が利くらしいぞ!おまけに忍者だ!」


「説得力マシマシね!」


 空襲が失敗したと判断すると、巣穴に引っ込むウツボのように路地に消えた。あれで諦めることはないだろう。ショートカットをして、また待ち伏せるつもりだ。

 高潮の小舟のように揺れる中、食い入るように庫文書を眺めていた桜が顔をはね上げ、頭を天井にぶつけた。


「あったっ!あったあ……」


「気を付けえ!舌だいじょぶか!?」


「はいい……。あ!あの!地図が!ありました!日本語っぽくないとこはよめなかったけど、たぶん海沿いに、家、秘密基地?みたいなものがあるって!」


「そうか!そりゃそうだ!日本刀が海に生えてるわけねえもんな!」


「そこを吹き飛ばしてやれば……!」


 戦意の火が、魂から瞳に燃え移る。もはや逃げるという発想は脳裏から失せていた。殺るか、殺られるか。サメ忍者は不俱戴天の仇となったのだ。


「で、その基地ってどこにあるの!?」


「それが……、近くの地図しかかいてなくて」


「ん……いや待て!見せてくれ!」


 大和がちらりと見えたその箇所に飛びついた。


「分かるの!?」


「ニュースで見たんだ!どっかの漁村で、サメに噛まれて誰かが死んだって。確かそこらへんの海岸線が……!」


 スマホの画面に、簡易な地図が映し出される。おおざっぱな、住宅地と海岸線くらいしか書かれていない地図だが、その形は。


「一緒だ!」


「行くわよ!桜は道案内お願い!」


「うん!」


「よっしゃあ!とりあえずは補給と……、カーチェイスといくか!」


 アクセルをベタ踏み。速速度計の針が滑らかに回転する。最大に動かすワイパーの隙間から、本来いてはならないはずの存在が垣間見える。

 サメ、サメ。前から後ろから。もはや隠れもせずに追ってくる。


 夜は深まり、サメ忍者との死闘は、佳境を迎えつつあった。

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サメ忍者 @aiba_todome

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