エピローグ
タワーシティの2階エレベーターホールへ出た信介と久恵は玄関に向かいながらコンシュルジュデスクの方を見た。すでに別のコンシェルジュがいて、二人に黙礼を返してきた。休日の朝である。
「お兄さん、奢ってくれるの?」
「ああ。と言ってもパンケーキだからな。」
玄関を出ながら、
「秋葉さん、可哀想だったね。」
久恵がぽつりと言う。
「自業自得とは言え、ああいう死に方はあんまりだったな。」
信介も静かに返した。
「依存症の一種ね、きっと。お兄さんも、しょっちゅうTwisterとか見てるみたいだけど、大丈夫?」
「俺は大丈夫だ。」
ふたりは階段を街路へ降りる。そのまま道を渡って、マンション向かいのビルにあるパンケーキ屋へ入った。
「混んでるな。」
すぐにゴスロリ風の制服を着た若い女性店員が来た。もちろん信介がここしばらくの間馴染んでいた明恵ではない。明恵は鉄格子の中にいた。
「いらっしゃいませ。あちらの席にどうぞ。」
言われた席に着くと隣の席には肇が両親と一緒にパンケーキを食べていた。何やら楽しげに話をしている。
「おはようございます。」
信介に気が付いた肇が元気よく挨拶を寄越した。
「おはよう。」
と信介も返す。久恵も、
「おはようございます。」
と肇と両親に挨拶した。久恵は肇の両親とは初めてだ。
「こちらは40階にお住まいの佐崎さんご兄妹。信介さんと久恵さんです。色々お世話になりました。」
肇が丁寧に両親に紹介した。そして、
「父と母です。」
信介と久恵に紹介するとにっこり笑顔を見せた。
「外面のいい奴だ。」
小声で信介が呟く。ひとしきり肇の両親から先般のお礼など挨拶があってから、それぞれのテーブルに戻った。
「明恵さんはどれくらいの罪になるのかしら?」
久恵が信介に聞いた。
「さあな。法律の専門家じゃないから。ただ、怪我人のみならず死者も出てるからな。結構重い罪になるんじゃないか。」
「でも、彼女の生い立ちを考えたら可哀想だわ。」
そこへさっきの女性店員がやって来た。
「パンケーキレギュラー2つとコーヒーと紅茶を。」
信介がメニューを見ることもなく注文する。
「コーヒーと紅茶はホットでよろしかったでしょうか。」
店員が返してくる。よろしかったでしょうかという表現に少々違和感を感じながらも信介は頷いた。
「かしこまりました。」
女性店員はそう言うと手にした端末を操作して席を離れていった。
「音声入力は止めたのか・・・。」
と信介。すると信介の背中側にいた肇がくるりと振り返って言った。
「BGMの何とかって曲にマイクが反応して大騒ぎになったらしいよ。」
「大騒ぎに?」
「ああ。メチャクチャな注文を送信しちゃって大変だったって。」
「バグか・・・。まあ、同時に人の声や周波数の近い楽器なんかがマイクに入るとエラー起こすんだろう。」
信介がそう答えるのを聞くと肇はまた自分のテーブルに戻った。
「そう言えば、明恵さん、ホッパー君の管理画面に入るIDとパスワードを槇村不動産のお偉いさんから聞き出してたみたいね。それをハッカーに渡してたって。」
久恵が料理を待つ間に新聞の記事について信介に話しかけてきた。
「そうなんだ。榎本さんの話では、彼女夜は赤坂でクラブに勤めていたらしい。パンケーキ屋の店員ではハッカーに高い報酬を払ったり出来ないからな。それでその店の常連だった槇村不動産販売の副社長からパスワードをまんまと聞き出していたそうだ。IDは社員番号だから、IDカードでも覗き見たんだろう。」
「はあ。脇の甘い男ね。ハニートラップには速攻引っかかっちゃうタイプだわ。」
「村雨さんが言ってたが、サイバーセキュリティでもっとも脆弱なのが人によるIDとパスワードの管理らしい。」
この件は元々不動産社内の噂話を頼りに柳瀬らが突き止めたことだった。
「なるほどねえ。どんなサイバーセキュリー対策も口の軽い男が一人いると大惨事が起きるって事か・・・。」
「そういう意味では全部が全部彼女が悪いわけじゃないんだけどなあ。」
信介がそう言ったときに、待望のパンケーキが運ばれてきた。
「わあ。美味しそう。」
久恵がそう言うと早速パンケーキにかぶりついた。
「うんうん。このパンケーキに可愛い子ちゃんの組み合わせじゃお兄さんが通うわけだね。」
信介の後ろでクスクス笑う声が聞こえた。
「でもさあ。あのホッパー君はどういうことだったんだろう。」
パンケーキをもぐもぐやりながら久恵が信介に尋ねた。
「あのホッパー君?」
信介が鸚鵡返しにする。
「うちに送られてきたホッパーよ。」
「ああ、あれか。」
「だってそうでしょ。あれに危うく殺されそうになったのよ。そういうつもりで明恵さんが送りつけたって事なんじゃないの?」
久恵は脳天気にしゃべっているだけだが、信介はあの夜から自問し続けている問題をまた思い出してしまった。
「そうなのかなあ・・・。」
信介の顔が曇る。が、信介の顔など見ていない久恵が続けた。
「だとしたら、お兄さんも相当嫌われたものよね。わざわざ自腹で買ったロボット送りつけて殺そうとしたんだから。」
果たしてそうなんだろうか。信介は決して明恵に嫌われていたとは思っていない。バスジャックにしてもロボットジャックにしてもまさか人を怪我させたり殺したりするつもりなど無かったんじゃないのか。みんな出て行けばいいんだ、彼女にはそれだけだったような気がする。自分はただのお人好しなんだろうか、信介はまた自問した。
「やっぱりタワマンカーストなんじゃない?」
突然肇が割り込んできた。空いている信介の隣の席に座る。両親は会計を済ませて店を出て行くところだった。
「おい、行っちゃうぞ。」
「いいんだよ。たまの休みなんだから一緒にいないと。いつもすれ違ってるんだからさ。」
「お前という奴は。」
「別れるとかなったらここ出て行かなきゃならないじゃない。気を遣うのさ。」
肇はいつもの肇に戻っていた。
そして自説を繰り広げた。
「おじさんたちは40階じゃない。よく博多のおじさんともここへ来てたでしょ。あの人も41階かなんかでしょ?」
「まあな。それがどうしたんだ?」
「だから、さっきうちの両親もしきりに言ってたけど、おじさんとこみたいな高層階はいいわねって。うちは12階の低層階だからさ。共働きでもそこらが限界でしょ、こんなコンシェルジュが付くマンションなんてさ。」
「だから、小僧。何が言いたいんだ。」
信介が焦れて言った。
「彼女はこのマンションには住めなかった。それどころか土地・家を明け渡して町を出て行くしかなかった。やっぱり住人、特に高層階に住む住人が憎かったんじゃないのかな。」
すると今度はじっと信介の顔を見ていた久恵が口を出してきた。
「それは違うと思うな。明恵さんが憎かったのはこのマンションそのもの。住人個人を恨むなんてなかったと思う。自分の人生を変えたマンションがただ憎かったのよ。だから、それがもたらした結果は彼女自身も予期しなかったと思うわよ。」
久恵はさっきまでと真逆のことを言っていた。信介の顔を見ていて何か思うところがあったようだ。
「おばさん、フライパンで殴り殺されかけたっていうのに優しいんだね。」
肇が皮肉交じりに言った。
「お兄さんが好きになった子だからね、そんなに悪い子じゃないと思うわ。」
久恵がそう言うと信介は顔を赤らめながら
「そ、そんなのじゃない・・・。」
と言うのがやっとだった。
しばらくの沈黙の後、信介が訥々と話し出した。
「勝手な考えなんだが、あのホッパーはいくらハッキングされてもスマホの管理画面から指示をやり直せば大丈夫だと彼女分かってたんじゃないかな。だからホッパーの設定が終わったかどうか俺に確認した・・・。」
「おじさんもお優しいことだね。じゃあ、なんであんな高価なロボットをおじさんにプレゼントしたんだい?」
それを言われると信介も言葉に詰まった。事の真相は明恵の供述を待つしかないのだが、信介には明恵はこの件に関しては何もしゃべらないような気がしていた。
信介は久恵と肇の顔を代わる代わるに見ながら最初の質問にこう答えた。
「彼女も俺のことを好きだったんじゃないかな・・・。」
肇はあきれかえって店を出て行った。久恵は再びパンケーキを口に運びながらクスクスと笑っていた。
終わり
タワーマンション・クライシス 元之介 @rT9DgXb_32
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